絶滅者 2

hongoumasato

小説

6,004文字

人間は生きるに値するか? 少女の復讐、始まる。

弟はイジメに合っていました。

貧弱な体格。俯き加減。優柔不断。抵抗する勇気が持てない――そんな弟は、格好のイジメの標的。

同級生の「山本」がリ―ダ―のイジメ集団に、やられ放題でした。教科書や靴を隠され、目立たない胸や腹に暴力を振るわれました。

ある日、弟が泣きながら家に飛び込んできました。

「ご飯ご飯ご飯! ご飯食べさせて!」その日、生徒は弁当を持参する日でした。

弁当を持参する日は、母が朝早くから心を込めて、本当においしいお弁当を作ってくれます。わたしも弟も、昼が待ち遠しくて仕方がありません。

そんな弟の弁当を山本達は、校舎の窓からぶちまけました。

それも教師の目につきにくい、木々が生い茂った場所へ。

後日、その場所に行くと、母なる大自然に母の愛情が無残な残骸となっていました。

木々に引っ掛かり、地面にぶちまけられた、おかずとご飯。それに群がる卑しい虫達。漂い始める腐臭。

その夜。わたしは両親にキッパリ言いました。

「賢治へのイジメはひど過ぎる。もう一人じゃ解決できないよ。先生に報告するからね。もしも先生が止められなかったら、山本達にわたしが直談判するから」

「男の子なら、自分で解決するべきだと思う……」この父の返答には驚きました。

でも、父はとても悔しげで苦しそう。そして傍らの母は、なぜか哀しそう……。

 

そしてイジメは、エスカレートしていきました。

ある日――。

「お母さん……お姉ちゃん……」

玄関に佇んで泣いていた弟は、全身、糞まみれでした。

「帰り道に山本達が公園にいて……僕に犬のウンコを……」

怒りで煮えたぎるわたし。

しかし、母はいつもの笑顔で弟の学生服を脱がせ、体を拭き始めました。

「……山本君は、立派な犬を飼ってる。その犬を山本君は凄く可愛がってる。名前はセレード。『お前にぶつけるのに、セレードの糞は勿体ない。野良犬の糞で充分だ』って……」

すすり泣く弟。その目に浮かんでいたのは不安や恐怖ではなく、あきらめと絶望。

わたしは、野良犬の糞まみれになった弟の学生服を手洗いしながら、怒りで体中を震わせました。野良犬の糞以下の山本達!

ふと、母を見ました。

元山さんが、母に恐怖を覚えた理由が分かりました。

母の顔にはいつもの笑み。

けれどその目に宿るは、凶暴な狂気の炎。

 

その夜。

「わたし、賢治へのイジメのこと、明日先生に報告するから」わたしの最後通牒。

「……止めてほしい。頼む、それは止めてくれないかな」父の振り絞るような声。

俯き、ひどく歪んだ父の顔。

後日知ったことですが、山本の父は財務省のキャリアで幹部でした。

でも、いくら父が銀行員とはいえ、問題の次元が違います。

「お父さんだって、賢治のために何かしてあげたいよ。でも、『本家』がそれを……」

弱々しい父の告白。歪にゆがむ母の笑み。

わたしは一瞬頭が真っ白になり……そして理解しました。

同時に込み上げてきたのは、憤怒。

忌々しい母方の一族どもへの。

父は養子として、母と結婚しました。

母の一族は、国内外に影響力を持つ旧財閥――藤堂グル―プ。

藤堂グループの銀行に父が勤務しているお陰で、わたし達家族は経済的に恵まれた生活を送っています。

父は順調に出世していました。それはひとえに、藤堂一族の人間だから。結果、母方の一族に、父は頭が上がりません。

ある日、東京都内で藤堂一族の小さな会合がありました。小さな会合なのに、場所は都心の超一流ホテル。

ホテル内をブラブラ歩いていると、金屏風の向こうから、嫌な会話が耳に入ってきました。

「小島の奴、まだ別れないで頑張ってるらしいぜ」小島は父の旧姓。

「そりゃあ、別れないさ。あの女は、うちの一族の『爆弾』だからな。あの不発弾を抱えている限り、小島の青びょうたんも、ある程度はいい目を見られる。『うつけの清彦』に小島は感謝しなきゃ」

「俺は嫌だね。そうまでして、うちの一族でいたいかねえ。家に帰れば、あの狂った女がいるんだぜ。耐えられないね」

「バーカ。結婚と生活なんて形式だ、形式。他に女作って、そこでウサ払しゃあいいんだ。一族の甘い女連中は、『突然見合いさせて強引にくっつけて、二人が気の毒だ』なんてぬかしやがる。ま、アイツらもイカれてるけどな」

嘲笑しながら話す男達。その会話にわたしは、多くの疑問を抱きました。

「あの女」は母のことでしょう。

しかしなぜ、母が藤堂一族にとって爆弾? 狂った女? 一族の女は頭がイカれてる? そして「うつけの清彦」……清彦?

一族から、なぜか厄介視されている母。その母を妻にしたことで、保証さる父の人生。

だから一族からの指示は、父にとって絶対。弟への無念さでいっぱいでしたが、わたしにはどうすることもできません……。

 

その夜。

再び夢に、あの醜く邪悪な異形のモノが現れました。

前回はわたしを凝視していただけの異形のモノが、今夜は言葉を発しました。

「人間が憎かろう。己の無力が憎かろう。お前の母の一族の前で、お前は無力。憎め。憎悪こそお前にとって最も必要なもの」

地の底から足元を伝い、脳に直接侵入してくるような低くおぞましい声。恐ろしい姿だけでも恐怖で足がすくむのに、その声で恐怖は倍化し、全身が強張ります。

わたしは夢から覚めました。悪夢から開放されました。異形のモノが去りました。

そして……そしてまた、失禁していました。

 

一度だけ、家族全員で、藤堂一族本家での会合に出席しました。

本家があるのは、北関東の山間部。

周囲には、貫禄のある巨木が生い茂る山々。清らかな河の流れ。そこは、自然の根源と美しさを人に教えてくれる荘厳なる場所。

本家の館は、豪華で壮大でした。けれど、微塵も威厳がありません。立派な鯉が泳ぐ池も濁り、敷き詰められた庭石も、気味の悪い幼虫に見えました。本家内に停められた一族の車も高級車ばかりでしたが、悪趣味もいいところです。

どうあがいても公家にはなれない、所詮は商人の集まり。

一族の面々も、下品な人間ばかり。戦後、マッカ―サ―はこの財閥も解体しようと考えたらしいのですが、米軍の滞在に最大限の協力をすることで何とか難を逃れたそうです。解体どころか、空爆をこの一族に見舞ってくれていればと、残念に思います。

なぜか、わたし達家族を見る一族の視線は冷たく、露骨に嫌悪感を露わにする者達もいました。大勢の列席者の中、わたし達家族四人は、当然のように一番隅に座らされました。

会合は屋敷の居間で行われました。時代物の巻物や甲冑、本物の日本刀、いかにも高価そうな壷が飾られていました。それを所有する人間達の質の低さに、目眩を覚えます。

「価値あるモノは、それを知る人間が用いなければ」。

退屈な会合中、ふと気付きました。

冷遇されていたのは、わたし達だけではなかったのです。一族の女達全員が、一部の幹部を除いて粗末な扱いを受けていました。

会合中、母をジッと見詰める視線に気付きました。

その男は、わたし達よりかなり離れた前方に座っていたのですが、自分の体を捻ってまで、母を眺めていました。

その男は、まるで爬虫類でした。卑しい目と、ベトベト濡れた雰囲気を持った男。

その爬虫類男に、なぜか強い衝動を感じるわたし。

――あの男とは、もう一度必ず会う。

強烈な予感。

母も、その男に気付いていました。その顔には笑顔が張り付いていましたが、体は小刻みに震えています。

「お母さん、大丈夫? 具合悪いんだったら、一緒に外に出ようよ」すると母は、わたしを優しい目で愛おしそうに眺め、ほんの一瞬でしたが、わたしを抱きしめました。驚きましたが、その温かさは、とても心地良いものでした。

父も爬虫類男の視線に気付いていました。けれど、ただ俯いているばかり。

 

わたしの家族に、突然起きた異変。

いつも午前様の父が、私と弟が下校すると、もう家にいたのです。

「お父さん、どうしたの! こんなに早いの、初めてじゃない?」

「うん……。少し仕事が楽になってね。これからも早く帰れるよ」父の言葉に力は無く、無理に笑顔を作っていました。それを横で聞く母の目は、なぜかとても哀しげ。

それからしばらく、父が早く帰宅する日々が続きました。

弟の賢治は無邪気に喜んでいましたが、わたしは一抹の不安を感じました。

家族全員で夕食の席につけるのは、とても嬉しいこと。

でも、時折父が見せる、深刻な顔。苦悩。

「最近、何だかお父さん、恐い顔してる……時々だけど……」わたしにソッと洩らす弟。

 

そのうち、父の帰宅時間が徐々に遅くなりました。

仕事ではありません。接待や付き合いの酒とは、異質な酔い方だったから。

酔った父が発する、妖しい匂い――夜の匂い。甘いけれど、毒のある匂い。

酒に弱い父が酩酊し、危険な匂いをまとって帰宅する日々。

父の顔から、作り物の笑顔さえ剥げ落ちていきました。

酩酊した父を介抱する母の目に浮かぶ、哀しみ。そして、怒り。

けれど、父はまた早く帰宅し始め……でも再び遅くなり……。

一体、父に何が?

 

台風が来襲した日。豪雨と強風の前に、「義務」教育はなす術なし。

緊急会議を行う教師達。ほどなく校内放送が流れ、台風が激しさを増すことから、急遽、授業は中止。「生徒は集団下校するように」とのこと。

歓喜する生徒達。

何で?

早く帰れることが嬉しいなら、どうしてつまらない学校での毎日を、みんなは楽しそうに過ごせるの?

教師達は「保護者に迎えに来てもらえる者は、そうするように」と指示しました。

父は仕事中。母は車の免許を持っていません。

わたしには、一緒に下校する友達などいません。すると偶然、下駄箱で、弟と一緒になりました。

「お姉ちゃん、一緒に帰ろうよ」「うん、帰ろう」

弟もまた、一緒に下校する友人などいません。イジメられっ子と仲良くすれば、自分にも火の粉が飛んでくるから。それを知る同級生達は、弟を「空気」とみなすことで、無難な日常を送っています。義務教育で得た、見事な保身術。

弟はわたしと一緒に下校できて、安堵していました。

このひどい悪天候の中で、もし途中で山本達に待ち伏せされたら……。

弟が発する有形無形のSOS。それを黙殺する大人達。次期教頭候補の担任は、自分のクラスでイジメがある事を決して認めません。そんな教師から、厄介事に巻き込まれない処世術を学ぶ子供達。

 

土砂降りの中、弟と二人、カッパを被って下校しました。温かい我が家を目指して。

わたしと弟は、吹き荒れる嵐と叩きつける雨に興奮しました。特に弟は、山本への恐怖からも解放されて、大はしゃぎです。わたしと弟は、嬌声をあげながら下校しました。

母から「学校からお家に帰ってくる時に、絶対に通っちゃ駄目よ」と注意された近道があります。それは近所の公園を突き抜ける道。母の言いつけを守っているお陰で、登下校では大幅な遠回りを強いられます。

けれど、母の注意は的を射たものでした。今日、それを痛感することになろうとは。

その道の街灯は誰かのイタズラで破壊され、夜は真っ暗。

去年、現実に悲劇が起こりました。

ある女性が夜間にこの道を帰宅中、暴漢に襲われました。暴行された挙句、首を絞められ、呆気なくその命を奪われました。その後、ゴミのように木々の中に投げ捨てられた女性の遺体。発見された時、その体は腐りかけていたそうです。

呆気なく捕まった犯人。狂気の持ち主は、近所の浪人生。彼の映像は全国で放送されました。手錠部分には、モザイクが入っていました。なぜそんな配慮を?

狂った悪魔に、過ぎる罰などありません。惨殺された女性には、友人も家族も恋人もいたでしょう。希望も夢もあったでしょう。けれど、絶望的な恐怖の中で死んでいき、最後はその美しい体を腐らせてしまった彼女。その彼女の無念が聞こえないのでしょうか。死人に口無し? ならば生きている者が、死者に代わって粛清すべきでは?

「お姉ちゃん!」土砂降りの中、弟の大声。我に帰りました。

目の前に、その公園がありました。

弟の目には期待がいっぱい。ひどい雨風。公園を迂回するのは、わたしだってウンザリ。

「よし、今日は近道を通っちゃおう! お母さんには内緒ね」

「ヤッタ―!」と歓喜の弟。そして二人で近道しました。

……母の忠告に従えば良かった。後の祭りですが。

その途中で見つけた――見つけてしまった、父の背中。

強風に煽られ、激しい雨に打たれながら、父はベンチに座っていました。

はしゃぎ回っていた弟も、父に気付きました。わたしも弟も、呆然自失。我に返ったわたしは、弟を引きずるようにして、急いでその場を離れました。

猛烈な嵐の中、朝セットした髪はグチャグチャになり、高価なス―ツ、鞄、靴は泥まみれ。それでも、父は一心不乱に何かを読んでいました。

遠目から、それが 「転職雑誌」であることを確認できました……。

我が家にも嵐がやってくる。

それも、今日の台風など赤子の寝息程に感じられる、猛烈で残酷な嵐が。

 

その日、父は普段通り帰宅しました。

「あらあら、こんなに濡れて」笑顔の母が、父の肩からス―ツを抜きます。

「……ひどい嵐でね。こんな天気だから、タクシ―待ちの行列もひどくて。歩いて帰ってきたよ」

父の鞄には、いつも折り畳み傘とカッパが入っているはず。母もそれを知っています。

父の嘘、説明のつかない行動に、ソワソワし出す弟。

父から濡れた衣服を受け取る母。今日は目も笑っていました。

妖しい匂いがしないから。

雨が流し落としたのでしょうか。

 

その夜。再び悪夢が。異形のモノが現れたのです。

「お前は今日、父の真実の姿を見た。お前の父に起きたこと。その全てを知れ」

次の瞬間、恐怖と困惑で思考停止状態の脳に、「イメージ」が流れ込んできました。

 

父の順調な出世が疎ましい、一部の行員連中。

その中でも、特に怨念が強い男――田端は藤堂一族の中でも、かなりの遠縁にあたります。しかし何とか、縁故採用されました。

順調にキャリアアップする父とは同期でしたが、低学歴で実力も無い彼は万年平行員。

その田端は、過去に母を狙っていました。

一族の中で、とんでもない厄介ごとを抱えた女。「それ」と結婚すれば、自分より高学歴の奴等より出世できる。結婚後は、適当に夫婦を演じればいい。

そう謀った田端。けれど、田端の腹黒さを容易に見抜いた一族の幹部達。

当時、母に必要だったのは誠実で、特に性的にクリ―ンな人間。それで結婚相手に選ばれたのが、父。その後、父は出世の階段を昇り、田端は一階の踊り場で腐っていきました。

長年蓄積されていく、田端の嫉妬と利己的な怨念。

 

激流のように流れ込んでくる「イメージ」。

母はどうして一族の厄介者になったのか?

あの会合で、母を舐めるように見ていた爬虫類男に何か関係が?

けれど、次々と流れ込んでくる父に関する「イメージ」に、思考は断ち切られました。

2019年2月9日公開

© 2019 hongoumasato

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