12
月曜日の朝は奈津のラインから始まった。
正確には、日の出をとうに迎えた午前六時四十七分、興奮と不安で眠れなかったあたしの枕元で、スマートフォンのバイブレーションがあった。
「緊急!」
「なん?」
「西辻逮捕!」
「え?」
「グルメシティでいたずらしたの、あいつだって」
「誰情報?」
「お母さん」
すると、一階から「聖奈電話ー」と保恵の声。ドタバタ風味で降りてって、家電の子機を受け取る。高木です、というあたしの応答をしっかり聞いてから、担任は性分相応に冷静な口調で話した。
「高木さんは、聖奈さん?」
「高木聖奈です」
「親御さんはお仕事?」
「はい」
「あー、わかった。あのな、あの、あんまりビックリせんでほしいけど、今日の授業、一旦全部取り消しになります」
「あ、はい」
「えっと、はい、って言うってことは、もう高木にも話回っとるかな?」
「詳しくは知らないですけど」
「うん。俺らもちょっとわからんというか、錯綜してるというか、説明できるところが今のところ少ないというか」
「余罪とかあるんですか」
「あー、ちょっと答えられん。すまん。俺らとしては、そのー、いろいろ考えてこれから、えーっと、ちゃんと事実がつまびらかになって、それで慎重に情報を精査して、それからってことにしてるから。それは、結局、彼だけを守るってことじゃなくて、みんなにもちゃんと考えてもらいたいことなのね。先生たちみんな。ほんまにな、あのー、わからんの、なにがなんなのか。どれがなんなのか。だから、とりあえず今日は学校閉鎖って処置にする。あの、今日の内に登校ってなると、ほら、メディアの人とかに、そのいろいろ聞かれちゃうかもしれないから。制服でわかっちゃうし、受験生もいるし、あんまりよろしくないので」
「はい」
「学校は休みになるけど、自宅待機でお願いします。あんまり出歩かないで」
「もう行っちゃてる人とかいないんですか?」
「なにが?」
「学校に」
「ああ、いる。いるというか、いた。いたし、なんか取材みたいなことされて、困ってる子とか、もう、そのー、彼、西辻くんについて? 少し話しちゃった子もおるみたいで、でもそっちのほうのケアは学校でしっかりやるから、大丈夫」
「わかりました」
「とりあえず今日中に、明日以降の対応というか、授業とか、文化祭もあるし。父兄に説明会とか、そういうのんが決まり次第、また連絡します」
「はい」
「じゃあ、申し訳ないけど、自宅待機で。あんまり動揺せんでください。高木は大丈夫だと思うけど」
あたしの「はい」という返事を聞いてから、担任は「お願いします」と言って、電話を切った。
静かに子機をなおす。「なんかあったん?」という保恵に、
「学校休みんなった」と軽く伝える。
「えーなんでー。バリズルない?」
ズルないよ。あたしは背中でそう言って、二階の部屋に戻った。
感情と想像で膨れに膨れ上がったものが途端に収縮した。ある点においては、これこそがまさに、現実、あるいはもっと正確にいうところの、正義、という論題に、こともなく終止符を打った結末なのかもしれない。そしてそれが、あたしの保有する正義感と、ほとんど関連性のない結末だったことも、現実の一環である。しかし、これといった罪に問われないであろうヤツの将来を鑑みると、変態性はよりにも増して加速するのではないかと、危惧するところでもあるのだ。
そう考えるあたしは、しかし頭でそんなことを思いながら、自然な成り行きで身体をパソコンに向ける。昨日の放掟記を、もう一度読むことにした。
「ポトポト落ちゆるコーヒーを受け止める。」
点滴のように。
点滴のように、落ちゆ。
一滴、また一滴と、
落ちゆ。
気を長く、待ちゆ。
一気の衝動を堪え、
ただ、待ちゆ。
時もそして、一秒ずつ経ちゆ。
一秒ずつ、確かに経ちゆ。
待ちゆ。ただ待ちゆ。
彼を、待ちゆ。
コーヒーや冷めやぬように、
一滴ずつ落としたる。
ふたつ用意したマグカップに、
ただ落としたる。
私も、
そうやって生きたる。
彼が来るころ、
ちょうどそのとき、
並々と温かいコーヒーを、
ふたつ出したる。
Oct.2
やっぱりダイナミックや。
ただコーヒーを淹れるだけのお話が、彼女の人間性まで、そしてキリンへの愛情まで、なにもかもを表している。
相変わらずダイナミックや。
ところで、美雪、コーヒー飲めるようになったのな。彼女、ドムドムでも絶対コーヒー頼まんかったのに。「だって苦いやん」って、珍しくそのまんまのこと言っとったのに。知らんうちに大人になりやがって。
あたしはスマートフォンをハイパー迅速に操作して、電話を掛けた。
「あ、もしもし。うん、今さっき電話あった。ヤバない? うん。でさァ、正味、暇やん? あたしら。うん。あはは。せやしさァ、久しぶりにお話でもせん? ん? あ、いや、ドムドム潰れてもうたし、横にサンマルクあるやんかァ、そうそう。うん、美雪も誘ってさァ。オッケー? ほんなら、奈津から連絡しといてや。うん、たまには私服の三人で。はは。うん、おっけ、じゃあ待ってるー、はーい」
たったの三十秒で、約束を取り付けた。
よっしゃい。あたしの心のもやもやなんか、全部吐き出しちゃおう。言って言って全部言って、やったことも、思ってることも、考えてることも、全部言って、丸裸になってやろう。
はは。なーんて、嘘ですよ。あたし単純にふたりのお話聞きたいだけよ。西辻とか放掟記とか全部忘れて、ただお喋りしたいだけですよ。実質的なタイプの、そんなお喋り。
ぽっぽっぽ。鳩ぽっぽ。ファンタスティックな鳩ぽっぽ。店で飛ばして怒られる。ふたりもちょっと引いている。
うーし。なんやろ、とっても久しぶりに、なんか、楽しい気持ち。柄にもなく。あはは。
<了>
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