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「ただいま」
「遅かったのね」
もう寝ているだろうという私の予想に反してママは起きていて、椅子から立ち上がった。
「うん、ちょっとね。まだ起きてたんだ」
「あれ、このみちゃん。スカートに血が付いているけど、生理になっちゃったの?」
溢れ出る涙を止められなかった。涙は新しいワンピを伝った。黒い色の洋服を着ていればよかったのに、パステルカラーなんて着ている自分が阿呆に思えた。小さすぎる玄関で靴を履いたまま、下半身から力を失い蹲った私をママは抱きしめる。ママが無理にしゃがんだので、大きなお尻にぶつかった靴箱が音を立てて床の上に広がった。ママの着ているパジャマには色んな食べ物の滲みが付いていて、抱きしめられると防虫剤の匂いがした。私の身体からは汚い匂いが漂ってくる。ママに抱きしめられたのは本当に久しぶりだ。
「分かってるから。大丈夫よ、恥ずかしいことじゃないの」
「分かってるって? 何を?」
「団地の女なら皆経験していることなんだよ」
いつもならとっくに横になっているはずのばあさんまでが私の横に立って、そう言った。涙のせいで視界が霞んでいたが、そう言ったばあさんの顔が微笑んでいるように見えた。
「えっ?」
「このみちゃん、靴を脱いで煙草を一本呑んで落ち着きなさい。今日は夜っぴて話をしましょう」
ばあさんの声は普段の痰まじりの弱々しいものとは違って、言うことを聞かない訳にはいかない感じだった。私はママを見る。ママは私の身体に回していた腕を解き、台所でお湯を沸かし始めた。私の靴の先は擦れて、白い布の部分が浮き出ている。後で、黒いクリームを塗らなくちゃと思った途端に全てが安っぽく無意味に見えた。私はリビングで吸いたくもない煙草に火を付けたが、口の中に広がる苦みに嫌気がさして一口だけ吸って消した。ママは三人分の日本茶をテーブルに並べた。いつもならお茶は眠れなくなるからと言ってママもばあさんも八時以降は絶対に飲まなかったので、今日はまだ寝ないつもりなんだと思うと、二人の存在が急に鬱陶しくなる。私は独りになりたかった。今までも独りになりたいと何百回と思ってきたが、その時程そう感じたことはなかった。けれど私が立ち上がるよりも早く、ばあさんはお茶を一口飲んで唇を舌で舐め回してから話し出した。
「このみちゃんは男に出会ったんだろ。団地の中で。乱暴されたんだね。俗に言う、レイプってやつだね。嘘はつかなくていいよ」
退会したユーザー ゲスト | 2012-03-17 05:11
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