「こっちが美優で、こっちがこのみ。でこっちが櫂君に浩二君に裕紀君」
「初めまして」
ハチ公で香奈は簡単に相手を紹介する。土曜日のハチ公前は恋人やら友達やら外国人やら一人やら大勢の人やら、とにかく息苦しくなる程の人の数だった。待ち合わせをしている人には、当然待たせたり待たされたりする相手がいる。ママやばあさんがハチ公前でどれだけの時間待ったとしても、来る人はいないだろう。孤独って嫌だなと思った。お店は予約を取っているらしく、私たち三人は男の後に付いて行く。お店に着くまでの間は女だけでいつも相手の情報と、どの男がいいかを話し合うので重要な時間だ。私たちはお互いが戦場の将校になったつもりで作戦を出し合う。店が駅からあまりに近いと、女だけで話す時間が短くて飲んでいる間も探り合いをしなくちゃならないから面倒だ。自分たちの話し声が相手に聞こえないように本当は離れて歩きたかったが、男と私たちの間に僅かでも隙間ができるとその間を人々がすり抜け、いつの間にかかなりの距離ができてしまう。私たちは仕方なくひそひそと話をすると決めた。
「三人とも社長息子だよ。ヤバくない?」
「マジで! どこで知り合ったの?」
「お昼ご飯の時にさ、うちらの会社の前で車を止めて弁当売ってるでしょ? あそこで並んでる時に声掛けられたの」
香奈の使っている香水と汗止めスプレーとワックスの匂いが混ざると、女子トイレにいるような気分になってくる。美優はその匂いをキャバクラの更衣室の匂いだと言っては、いつも自分の鼻を軽く摘んでいた。
「三人ともお金はあるからさ。正直誰でもいいよね」
「はずれはないよね。珍しいよ。こんなレベル高いの。ありがとうね、香奈」
「いいよ。最初から一人で会うのも気まずいし」
こっちではこんなえげつない話をしているが、前を歩いている男も同じような話をしているだろう。もっと汚い話をしているのかもしれない。エッチが上手そうかどうか、すぐにヤレそうかやどんな下着を着けているかなんかだ。案外瞬間的に細部を見ているのは男の方で、女は雰囲気なんていう分かりにくいものを感じ取ろうとしてしまう気がする。
「私もう仕事めんどくさいし、結婚したい」
香奈はそう言って、歩きながらも前髪を整える。真っ白のスカートに、高校時代のギャル意識が抜けないのか、胸の谷間がちらちら見えるモヘアのセーターを着ている。胸元ではティファニーのオープンハートのネックレスが光っている。
「私だって仕事もうやめたいよ。朝起きるの辛いし」
「美優さ、夜も仕事してるらしいじゃん。そりゃ朝辛いよ」
「何で知ってるの?」
美優の声が僅かに震え、道の真ん中に立ち止まってしまう。美優の横を化粧をばっちりした高校生や、ホスト風の男が通り過ぎる。立ち止まった美優に後から歩いてきた人たちがぶつかっては、露骨に迷惑そうな顔で美優をちらっと見て去ってゆく。この街では立ち止まることすら許されないみたい。私は慌てて美優の腕を掴んで歩かせたが、その間も香奈は小狡い笑みを浮かべていた。
「何で知ってるの?」
「美優の彼が言ってたから」
「香奈もしかしてあいつと寝たの?」
「だって言い寄ってこられたんだもん。断るの面倒だったし」
「どこでヤったの? あいつお金持ってないのに」
「私にはいつも奢ってくれるよ。ラブホでもしたし、彼の家でも……。でも遊びだよ」
「当り前じゃん。あいつが誰かに本気になる訳ないじゃん」
美優は私が今まで見たことのない表情を浮かべた。涙は濃いアイラインの中に封じ込められていたが、一瞬で雲行きは変化しそうだった。美優のさっきまでの言葉は口先だけの強がりだったのだろう。私は高校生の時から、寂しがりでその寂しさを埋めるために男と寝る女の子をたくさん見てきた。どうせ寂しさなんてそんなんじゃ埋まらないし、その間に女の子は大切なものを失ってしまうはずだ。人によって大切なものは違う。だから同じだけ失うことなんて絶対にない。私は美優の手を握った。
「この話はもうおしまいにしよう。せっかくいい男とこれから飲むんだしさ」
美優は私の手をぎゅっと握った。けれどいくら私が優しく美優の手を握ってもそれは泡みたいに脆くって、でもその泡よりももっと脆い男との関係を美優は再び始めるのだろう。何で手を握っているだけじゃ駄目なんだか、私には分からない。
案内された店は高級な居酒屋といった感じで、私たちは個室に案内された。男の方で席についての話が出ていたらしく、私は櫂君の右隣だった。六人で座るので、私と櫂君は二人きりで、目の前には奥から浩二君、美優、裕紀君、香奈の順番で座っている。きっちり男の隣に女が配置されているのを見ると、相手は大分遊んでいるちゃらちゃらした男なんじゃないかなという考えが頭を過った。香奈は笑顔で何やら喋っているが、笑顔と笑顔の間に不満そうな表情を浮かべている。生ビールを手に裕紀君の掛け声で乾杯をする。「三人の美人ちゃんに!」という掛け声は今まで何回位使ってきたのだろうか。裕紀君を私の家に連れて帰ったら、今頃もパジャマ姿でテレビを見ている餅みたいなママにまで同じことを言いそうだ。
「俺の勤めている会社の隣の会社で働いてるんでしょ? 三人とも」
「はい。勤めて二年位かな」
「じゃあ二十四歳?」
「ううん。高卒だから二十です」
「若いなぁ。まだ二十歳か」
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