男は緑色のジャケットを着て、細い路地を夜の雨に打たれながら走っている。どこかに急いで向かっているようだ。細い路地に身を這わせるように走って進む。
路地には室外機だとか窓から投げ捨てられたものたちで散乱している。空き缶、脱ぎ捨てられた服、ロープ、アルコールの瓶の欠片、男はどんどん走ってゆく。それらのごみをかき分けて。
スマートホンの着信音が鳴った。男は濡れたジーンズのポケットからスマートホンを取り出すと「急いでいるんだよ……」と独り言ちながら、画面をスワイプした。
「はい、もしもし?」
「だから、それは無しって話じゃ……」
「え、全然俺聞いてないぞそれ……」
男は雨の中、立ち尽くし、地面に向かって叫んだ。
「あークソッタレ!」
男は電話を乱暴に切ると、ポケットにそれをねじ込み、再度走り始める。路地を突っ切ったところの大通りに出る。大通りは車の往来が激しい。男はずぶ濡れのまま再びスマートホンを取り出し、電話をかける。
「溝口、溝口……ああ、溝口? もしもし、俺だけど? 起きてた? ああそう、そっかお前夜勤だったもんな、それより片山の奴が勝手にあの話進めやがってムカつくんだけど、お前聞いてた?──」
男は電話を切り、スマートホンをポケットに入れるとまた走り出す、雨の中を雨水の染みた深緑のジャケットで。
大通りは大きな川沿いにあって、雨のせいか車の往来は激しいけれど、ひとはまばらで男の走りを阻むものは何もない。男は必至で川沿いのその道を川の流れる方向に走ってゆく。雨は降りやむ気配すら見せない。夜も明けそうもない。至極当然のことながら、男の息は切れていて──男はやっと立ち止まる。その頭にも空は容赦なく雨水を叩きつける。夜はどこまでも続いていく。
肩で息をしながら男が川を見ると、川は真っ黒であった。男はポケットからスマートホンを取り出し、その黒い川に向かって投げ込もうとする──が止めて、ジーンズのポケットにしまいなおした。
その時、着信音が鳴り始めた。車の往来と雨の音にかき消されてほとんど聞こえない。男はその音を無視し、
「トイレ、トイレ、どっかにあったか……」「いや、なかったか……」
どこからか足音がする。男のうしろから……。足音は近付いて──男の2メートル手前、鈍器のようなものが振りかざされ──男は気づかない……振り下ろされる……鈍い衝突音。
男は夜に散った。
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