おさかな天国

合評会2025年5月応募作品

河野沢雉

小説

3,938文字

2025年5月合評会参加作品。タイトルを「おさかな地獄」にしようか迷ったのですが、こっちにしました。1991年に発売され、1996年からヒットした同名の楽曲とは何の関係もありません。

「お魚を食べるとですね~、頭が良~くなるんでフィッシュよ~」

三度のメシよりも好きなロックバンド「ゴーストセブン」の動画を見ていたら、誰に向けた広告なのか判らないアドが割り込んできた。頭にフクロウナギをかたどった帽子を被った「フィッシュくん」という芸人が、DHAがどうとか、EPAがどうとか、細かい理屈はともあれどう考えても我田引水としか思われないような論理展開で魚を食べましょうと強烈に推奨してくる動画を、親の仇のようにスキップ連打して消し去った。

「うっせーわ」

フィッシュくんが元気づくのも道理、世の中は魚食を推す人にとって空前の追い風ムードである。

 

『魚食における学習、長寿および美容効果の発現について』

 

ウィーン大学のM・ムルマン教授が発表した論文は端的に言えば魚食に万能の効果があるというものだった。テレビやネットメディアはこぞってこの論文を取り上げ、SNSでも話題になった。魚介類の売り上げは倍増し、海鮮料理を出す店はいくら新規出店しても供給過多にはならなかった。

「こんなん絶対ステマやって。水産業から金もらってるに決まってる」

陰謀論好きのたかひろが食いつかないわけがない。

「俺は死んでも魚食わん」

昨日マックでフィレオフィッシュを食ってたたかひろがそう言うのを俺は黙って聞いていた。今日の弁当に入っているのは鯖の味噌煮とキビナゴのフライ。時代の潮流にすっかり乗りきってNHK「今日の魚料理」のテキストを買い、毎回録画してはチェックしている母は、ついにカルチャーセンターの魚料理講座まで履修し、そのおかげもあってか魚料理はどんどん上達していた。今日の鯖味噌煮も、割烹料理店で出てきてもおかしくないレベルの出来だった。割烹料理店なんて行ったことないけど、たぶんそんな感じ。

「魚なんか食ってもろくなことねえよ」

たかひろが鼻に皺を寄せながら言った。

「なおと、今日休みじゃん」

陸上部のレギュラーで風邪ひとつ引いたことのないなおとが珍しい、と思っていた。たかひろは直接なおとにラインして確かめたらしい。

「なおとの奴、寄生虫に当たって腹痛いんだって」

たかひろはケータイの画面を俺の鼻先に突きつけた。ユーチューブの画面には「魚からアニサキス(※閲覧注意)」と毒々しいフォントと色でタイトルの付いたサムネが表示されていた。

「まじやばい」

たかひろが突き出してきたスマホを、飛んできたあぶを叩き落とすかのように俺ははたいた。

「うわっ何すんだ」

俺に悪気はない。蝶や蛾の幼虫とか、蛆虫とか、ナメクジとか、ミミズとか、とにかくウニョウニョしたものが俺は苦手だ。

たかひろのケータイは机に広げた弁当の保温袋の上に軟着陸したので幸いダメージを免れた。

「見せんなよそんなもん」

怒気を孕んだ俺の声に本気をみたのだろう、たかひろはケータイを引っ込めた。が、口の方は止まらない。

「なんか、胃壁を食い破って侵入して、そこに巣を作って増えるんだって。ガチで痛いらしいよ」

「飯食ってるときにやめろ」

俺の腕に変な鳥肌が立った。さっきまで美味そうに見えていた鯖味噌煮がただの茶色いブヨブヨした物体に見えてきた。

「それ食わないならくれよ」

俺が箸をつけられないでいると、たかひろはいきなり素手で鯖味噌煮をつかんで自らの口に放り込んだ。

「おい何しやがる」

たかひろは茶色い物体を咀嚼しながら涙を滲ませている。

「うめえ」

死んでも魚食わんと言ってた奴が口いっぱいに鯖味噌煮を頬ばっている姿になんかちょっとゾクッときた。

 

 

なおとの奴は次の日も学校に来なかった。

俺は家が近いので学校帰りになおとの家に配布物を届けに行った。玄関先に出てきたなおとの顔は蒼白だった。ドアから首を出して周囲を見回すと、奴は俺の袖をつかんで玄関の中へと引き入れた。

「しっ」

抗議しようとする俺を、なおとは人差し指を口に当てて制する。俺はなおとの家族が廊下の先から窺っているのに気付いた。両親と姉ちゃんとなおとの四人家族が、平日の五時前に勢揃いしていた。

「あの」なんでしょうか、と俺が問いかける前になおとが俺の肩に手を置いて言った。

「あのさ、俺たち、気付いちまったんだ」

一瞬目の前にたかひろがいるのかと思った。「俺、大変なことに気付いちまった」というのは陰謀論者の口癖みたいなもんだ。

「みんなおかしいと思わないか。世界じゅう上から下まで魚を食べようって言って誰も不思議に思わない。俺たち一家全員アニサキス症で目覚めたんだ」

なおとは蕩々と説明した。M・ムルマン教授の論文以前から、なんらかの勢力、おそらくは地球外知的生命体か何か、によって人類は狙われている。奴らは人類に対して直接の実力行使はしない。人類を滅ぼすのではなく、支配確立後に労働力や食糧、従順なペットや狩りの対象として残しておきたいから、じわじわと浸透してきているというのだ。

「その手段が魚食推奨さ。おかしいと思わないか。論文の内容に誰も異を唱えないどころか、世界じゅう魚中毒みたいになってる」

つまり、魚を通して奴らは人類に浸透しているというのだ。

「それに気付かせてくれたのはアニサキスさ」

なおとの目の下には濃い隈ができていた。一家全員アニサキス症になってから、その事実に気付いたのだという。

「あいつらは人類を、地球を侵略者から守ろうとしている」

嘘だと思うならアニサキスを食ってみろ、と言う。冗談じゃない。だがなおとは本気だった。

「寄生虫を悪者扱いしているのも奴らの情報操作さ。人類は本当の味方が誰なのか、考えた方がいい」

俺は薄気味悪くなってなおとの家を辞した。家に帰ると、母親が夕飯を作っていた。また魚だ。焼き魚の匂いがする。

「あのさ」

アニサキスについて訊ねようかと思ったが、鼻歌を歌いながら上機嫌に包丁を動かす母の背中に、なんとなく気味の悪いものを感じてそのまま何も言わずに自室へ引き取った。

部屋に入るなり、パソコンを開いてユーチューブにアクセスした。ゴーストセブンの公式チャンネルをチェックするのが俺の日課だ。ゴーストセブンのリーダーがライブ配信を始めていたので即座に開いた。フクロウナギの帽子を被ったフィッシュくんのアドが流れ始めたのでスキップすると、リーダーがマイクの前で喋っていた。心なしかいつもより血色が良く、生気にみなぎっている感じがする。

俺は総毛立った。ゴーストセブンが新曲を発表している。俺は画面にかじりつくようにして配信を視た。

「それじゃ聴いてください。新曲『おさかな天国』ぅ」

俺の頭の中は真っ白になった。あり得ないほど軽薄な、魂のかけらもない前奏が始まると、リーダーの声が甲高く響き始めた。

 

おさかなはーイェイ 食べるとホゥ

頭が良くなるんだぜェ シャウッ!

 

「は?」

俺はすぐにスマホを手に取り、たかひろにLINEした。俺と同じくゴーストセブンの大ファンであるたかひろに、この異常事態を伝えたかった。

「セブンの新曲聴いた? 何なんだよあれ」

秒で返事が来た。

「いいよな、最高だよな」

「は?」

俺の中で色々な点が互いに繋がって、線になり、線は面を成していった。面が組み合わさって形をとる。それはときに魚の形であったり、ウニョウニョと蠢く寄生虫であったりした。

「まさか」

荒唐無稽であったはずのなおとの言葉が、今俺の胸の奥で像を結ぶ。

 

「人類は本当の味方が誰なのか、考えた方がいい」

 

まじかよ。

俺は階下に走った。母の背中に問いかける。

「アニサキスってさ、どんな魚にいるの?」

母が振り返って俺を見る。その顔は控えめにいって般若の面だった。次の瞬間右手に持った包丁を俺に向かって投げた。

「おいっ」

間一髪、包丁をかわすと今度は果物ナイフを投げてくる。俺は手にスマホを握ったまま、靴を履く暇もなく裸足で外へと駆け出した。近所のスーパーまで走れば三分ほどだ。走りながらスマホで検索する。アニサキスは鯖や鮭、タラなどに多く、養殖ものには少ない。

スーパーに到着すると、真っ直ぐ鮮魚売り場へ向かった。鮮魚売り場に着いてから後ろを振り返ると、俺と同じく裸足で駆けてきた母が開きかけの自動ドアに肩をぶつけながら店内へ躍り込んでくる。俺の脳内で何故かサザエさんのオープニングテーマが再生された。

気を取り直し、鮮魚コーナーに陳列された魚を見る。ブリ、サワラ、カマス、カレイ、カワハギ、メカジキ……

タラはどこだ、サケは? と、背後に母の迫る脅威を感じながら目を走らせていたら、マサバの二枚下ろしがパックされているのに目が留まった。手を伸ばそうとするが、急に身体がこわばる。視界が霞み、意識までもが朦朧としてくる。

今の今まで、サバを欲していた身体が拒否モードになったかのように、魚に対する食指が動かなくなった。いや、他の魚は未だ食べたいと思う。生のサバやタラだけが、ダメなのだ。

本能が、アニサキスを避けている。

俺の背中を冷や汗が伝った。いや、本能なんかじゃない。俺は操られている。

俺の足元に包丁が突き立った。母は間近に迫っている。抗う腕を伸ばし、サバのパックをつかんでラップを破り、サバの半身にかじりついた。

 

 

長い間、気絶していたような気がする。

起き上がると、傍らに母が倒れていた。苦悶の表情をしたまま、息絶えている。首に手で締められた痕がある。俺の手のひらも、渾身の力を込めた後なのか、じんじんと痺れている。妙な達成感。

 

「魚を、排除せよ」

 

脳の中で誰かが言った。俺は、俺の使命を悟った。

口の端に自然と笑みが浮かぶ。地球人を守っている魚を、この星から消し去るのだ。

手始めに、フィッシュくんをやっつけに行こう。

2025年5月25日公開

© 2025 河野沢雉

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"おさかな天国"へのコメント 2

  • 投稿者 | 2025-05-28 22:08

    何がどうなっているのかと思いながら読み進めて、最後のどんでん返し。
    唸らされました。
    真の悪者はアニサキス?
    地球外知的生命体だったのか。
    鯖の煮込みで生き残るアニサキスは相当なつわものです。
    ポパイよろしく鯖の半身を食って無敵になるシーン、恐怖体験のはずなのに笑ってしまった。
    昔横綱白鵬が、巡業中に刺身を食べてアニサキス中毒になり、60度くらいのウォッカをがぶ飲みして退治したという話を思い出しました。悪知恵が働くわりにはひ弱なのですね。

  • 投稿者 | 2025-05-29 23:10

    アニサキス恐るべし……。
    カタツムリに寄生して脳を乗っ取る虫を思い出しました。

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