冒頭の二行詩は読み飛ばされてしまうと厳しかった。読解の土壌として機能させないといけなかったわりにフラッと読めてしまう。この二行をどんなスピードで読ませたか如何で後々の楽しみ方が決まってしまうから、どうしたらよかったのだろう。冒頭は「詩→哲学→本筋」と運んでいったが……レーベル理解が足りていなかったということなのだと思う。反応ベースで考えれば筋強めな印象は受ける。分裂する自己への飛びつきも薄かったことから和書・邦画体験がベースの読者が多いレーベルであるという可能性を採用したい。
だとすれば冒頭の哲学文体は以後の予告として設置されていたものの一切機能しなかっただろう。もしくは、そこが読めなくても次の本筋導入から全体観予告が設置されていれば進みは良かったかもしれない。
テーマを「監禁する女と享受する男の様子」あたりで止めておけば筋も進みやすかっただろう。十枚のなかに「私」の脱構築を鍵にした別筋を用意するといった試み自体が上手くいったのかどうかまだ判別できないとはいえ、本筋の方をストイックに突き詰めていかないと未来はないと思う。読み返しても、哲学文体からパンドラ登場までの間は小説的な予告を設置するべきだった。チンコを勃起させる前にやることがあったというわけだ。苦し紛れに弁解をしておけば、この作品はその手の性描写がフッカーになっている作品だと主張することもできなくはないかもしれないが、それはちょっと無茶だと思う。すべきことをしていなかったと思っておいた方が良い。予告のなかでたくさん中出ししていればよかったよね、という言い方も出来る。
二人の馴れ初めを紹介したのはタイミング的には正解のはず。読者ディスも良い感じに効いている。そこでミシェルが主人公を選んだ理由が明示される。
そもそもレーベル違いを前提にしたいわけだから何と言ってもしょうがないけれど、テーマ提示という意味でこれはタイミングやや遅め。予告のタイミングでテーマ提示を同時に行うことができる。ただ本筋に乗ってはいるので、ここで二筋に分かれることは明示されている。二筋の進行という意味では朝食シーンまでの間の成立は強い。もっと厳密に言えば、テーマ提示のタイミングは「私、インフルエンザに……」からの三行か。いや、何にしても予告性が弱いので開始から「何考えているの」までがトータルで見直しの対象だと思う。
そこから先はしばらく何書いても怒られは発生しないはず。基本的な文体構造は一貫しているので、本筋の分かりづらさを反省すれば良いと思う。ただ時間移動のルールが全然導入できていない(冒頭が機能不全な)ので次回作で修正したい。これ自体はそんなに難しいことではない。
ここまで「分からない分からない」で来てしまうと、終幕の「くだらない」も同様に機能不全に陥る。これはもうここまで来てしまったらどうしようもないでしょう。
本筋読解の困難さを短絡的に探究すれば、導入の不発で片は着く。しかし出来事ベース関係ベースのプロット組みが十分ではないか、もしくは文体の影響で削がれたかなどを反省したわけだから、次回作はこのアングルで入っていきたい。筋と構造の関係についてはおおよそ筋ベースにすると読みやすくなると理解しているものの、第一読者が筋のハッキリした作品をどのように価値判断するか未知数ではある。最近のTBS日曜劇場『さよならマエストロ』が物凄くしっかりした筋の上に細かい構造理論を散りばめているのが第一読者の同一人物は楽しんでいるわけだから、筋ベースはほぼ確定でいいのではないか。いままでやってきたことを常に否定しないと、そこは上手くはいかないのではないですか。
"振り返り 破滅派合評会Jan.24 応募作品 『ミシェルは仕事へ行った』"へのコメント 0件