1.Qこそがジム・ジョーデン
そもそも「トビー症候群」(31)なる病気は存在しない。低身長を引き起こす障害としてはラロン症候群などがあるようだが、作中に登場するのは俳優のトビー・ジョーンズあたりからでっち上げた架空の病名だろう(ちなみにトビー・ジョーンズは私と同じ身長なので低身長ではない。きっと違うはず……)。それをわざわざ永山則夫をベースにしたとおぼしき冒頭の連続射殺魔の事件だけで持ち出すのはちょっと不自然。つまり、メインの人民教会の事件でもこの架空の症候群が鍵になるに違いない。ジム・ジョーデンを名乗る視覚障害をもった男は「この男は偽物ではないか?」と大塒が最初に感じたとおり単なる影武者であり、トビー症候群で外見は少年であるもののQこそが本物の教祖ジム・ジョーデンである。本作の内容は史実の事件にかなり寄せているが、人民寺院の教祖ジム・ジョーンズのイメージに引っ張られてはいけない。冒頭の集団自殺の場面で「屋根のあるパビリオンを出ると、さまざまな色彩が目に飛び込んできた」(12)と視覚障害と矛盾する描写があるため、最後にピストル自殺するのが本物のQである。
2.三人を殺したのもQ
第一の事件のポイントは目撃者となる信者に「知覚能力の歪み」(120)があることである。ピーター・ウェザースプーンは右目を失明しているが、本人はそれを認識できない。レインコートをすっぽり羽織った状態でデントを刺殺したQは部屋の右側にあるベッドの下に隠れておき、ピーターとジョセフが窓を破って部屋に入り、死体に目を向けているあいだに建物を出た。
第二の事件では、一日目にジョディからピルケースを盗み「薄茶色のカプセル」(131)の中身を毒物にすりかえていた。翌日、ジョディはお茶会に来る前に毒入りカプセルを飲み、胃の中でカプセルが溶けて死亡した。
第三の事件では「大人が通り抜けるには小さすぎます」(259)とくどいくらいに繰り返される通気口から侵入し、イ・ハジュンを殺害。死体を二つ切りにして通気口から出せるサイズにして持ち出した。彼の死体をパビリオンのステージ上に置いたところでルイズがやって来たので、Qは一番近くの宿舎に隠れた。教団内には泥棒もいないからもちろん鍵もかかっていない。腰を抜かしたルイズが耳にした「キィ、と宿舎のドアが開く音」(223)はQがこっそり逃げ出す音である。
3.乃木&りり子は生きている
四日目にりり子が披露する推理はきわめてお粗末なものである。私たちはジョディのピルケースがイニシャル入りの透明なケースであることを知っているし、「喉から微かにアーモンドに似た匂いがした」(184)という証言も病死とは合致しない。教団から離れたがっているルイズが「現実と信仰の齟齬」を解消するためにイ・ハジュンの死体に手を加えるとは考えにくい。りり子は、本物のジム・ジョーデンを油断させてしっぽを出させるためにわざと穴だらけの推理を披露したのである。
また乃木についても、空港で慎重に資料を処分するほどの彼がニューヨーク・ポストの記事を所持して殺害されるというのも間が抜けすぎている。ジョージタウン行きの機内で新聞を乃木に渡す男はりり子と乃木による仕込みであり、りり子がトイレに行くという口実で二人の来訪に立ち会ったのも偶然ではない。すべては偶然の連鎖を演出して大塒に乃木の死を信じ込ませるためである。りり子の指示でデントが事前にラリーの拳銃の弾を空砲にすり替えておき、乃木は服のなかに仕込んだ血糊の袋を破って死んだふりをした。りり子は死体が安置された小屋でどの袋に誰の死体が入っているか事前に調べておき、乃木の死体をQと大塒に見せることなく残り三人の死体が入った袋だけを開けて見せる。いうなれば、乃木とりり子は教団の信者が共有する感応精神病を逆手に取り、「互いに親しい関係を持っている」(121)大塒を欺くことで自分たちの死をもっともらしく演出しているのである。極限状態におかれて信じ込みやすくなっている大塒自身も、死体を詳しく検分することなく二人が死んだと思い込んでしまう。
偽装されたりり子の死にショックを受けた大塒は弔い合戦として、自分がジョーデンの影武者から受けた第一印象に従って推理を展開し、ジム・ジョーデンの正体を暴く。これが第一のどんでん返し。しかし、Qことジム・ジョーデンは影武者を操って信者の一群に大塒を捕まえさせ、集団死に巻き込もうとする。「自分はあの男に嵌められたのだ。急にやってきた、我々の苦労など何も知らない、余所者の男に」(13)と大塒に対する怒りをたぎらせながらQはジム・ジョーデンとしてピストル自殺する。ところが大塒は危機一髪のところで『ロング・グッドバイ』のレノックスよろしく再登場した乃木とりり子に救出され、帰国の途につく。これが第二のどんでん返し。
"二人目のトビー症候群"へのコメント 0件