冒頭、一人の男が復讐に燃えている。「自分たちの仲間を殺した」「罰せられずにいる」「しかし同胞である」彼らに復讐したい、これは正義のためであると。しかも彼は悲しみに打ちひしがれて絶望し自殺を考えている。このプロローグが後に続く物語とどうにも関連性が感じられない。「彼」にあたる人物は誰なのか。
「アルドリン」が登場したところで「正義」の観点が解けてくる。薬害サリドマイドが起こったのは六十年代初頭から七十年代、私もよく覚えている。薬害が発覚してからも何年も発売中止の措置を取らず、責任も認めず、被害者を見捨てた製薬会社と国の不誠実さに憤激した人は多かっただろう。水俣病、イタイイタイ病、四日市ぜんそく、川崎病、公害被害もまた経済発展を優先して救済を怠った政府、ひいては日本という社会の在り方をよく表していたと思う。それは全体のためなら個人は犠牲になってもやむを得ないという戦前から続く人命軽視だ。言うまでもなくそれは弱い者、特に子供たちにしわ寄せがゆく。
冒頭の「彼」は子供のころに大人から社会から国から捨てられて、戦災孤児として壮絶な生存闘争の中で育ったのではないか。力を持った大人に仲間を殺されたこともあっただろう。長じて他人の弱みを見逃さない抜け目のない人物となって、「トップ屋」として活動しながら恐喝ゆすりたかりで生きていた。殺された久松実がこの作品の真の主人公ではないかと考える。同時に「彼」にはサリドマイドで四肢欠損の被害を受けた子供たちも投影されているように思える。罪を犯し人を殺めておきながら罰せられることなく反省することもなく、のうのうと生きている者たちへの強烈な呪詛だ。
療養園の「チカラちゃん」は山崎昌子の姉時枝が最初の妊娠で授かった子で、流産したことにしたが、実は奇形児であることを隠すために生まれてすぐ東京の療養園に預けた。昌子はその子を見守るために東京へやって来た。療養園に子供を預けた親たちから久松は金をゆすり取っており、昌子もゆすりの対象となってしまった。世間体のために子供を捨てた親を久松は憎む。そして容赦なくゆする。「バー・エンゼル」のママもその一人だったのだろう。岩手の金持ちの親戚で美しい昌子は恰好の獲物だった。
療養園は時枝の婚家沼沢家も出資して設立したと思われる。さらに想像すると「アルドリン」を販売した製薬会社の有力株主だった、あるいは製薬会社と関係のある政治家とつながりがあったのではないか。薬害を囁かれても「アルドリン」の効能を疑わず、二度目の妊娠の際にも時枝に飲ませたのではないだろうか。二人目の女の子の健康被害が左手の指で済んだのは時枝が用心してあまり薬を飲まなかったからだろう。
久松のゆすりがエスカレートしていよいよ沼沢家、そして製薬会社あるいは関係政治家など権力者に累が及びそうになった時、久松抹殺の指令が出たと思う。昌子は大切な姉のため命令を遂行せざるを得なかった。薬害を隠し子供たちの存在をなかったことにしようとする金と力を持った大人たちによって久松殺しが実行された。エンゼル片岡や田熊かねもまた同一の犯人によって消されたと考える。筋金入りのブン屋(懐かしい言葉だ)である田島にはぜひとも頑張って真実を暴いてもらいたい。
「天使の傷痕」とは何だったのだろう? イエスキリストの聖痕に通じる天使だけが持つ傷痕という意味だろうか。未生以前の知らぬところで被害を受け、「天使」とされて大人の罪業を背負わされた子供たちの「アルドリン」奇形部分を指すのだろうか。それとも心臓を一突きにされた久松の傷だろうか。
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