日本的美意識覚書36-40

佐藤宏

エセー

4,928文字

書き殴りに過ぎないのですが。いままで書いてきたものを加筆修正して秋口にnoteかkindleで販売します。あまり販売の方法がわかってはいないのですが。

36.

「徒然草」の兼好法師は財産を好まない。衣食住が足りれば十分なのである。

財多ければ身を守るにまどし。害をかひわづらひをまねくなかだちなり。…こがねは山に捨て、玉は淵に投ぐべし。利にまどふは、すぐれておろかなる人なり。(38段)

人の身に止むことをえずしていとなむ所、第一に食ふ物、第二に着る物、第三に居る所なり。人間の大事、二つ三つには過ぎず。饑ゑず、寒からず、風雨にをかされずして、しずかに過ぐすをたのしびとす。(123段)

さらに妻子も不要である。

妻といふものこそ、をのこ持つまじき物なれ。いつも独りずみにてなど聞くこそ、心にくけれ。(190段)

わが身のやんごとなからむにも、まして数ならざらむにも、子といふものなくてありなむ。(6段)

 

若さと老いとでは、むしろ老いを好む。

 

老いぬる人は、精神おとろへ、あはくおろそかにして、感じうごく所なし。心おのづからしづかなれば、無益むやくのわざをなさず、身を助けてうれへなく、人のわづらひなからむことを思ふ。老いて智の若きにまされること、若くしてかたちの老いたるにまされるが如し。(172段)

 

多少では少を偏愛し、老若では老を好み、群衆と孤独とでは孤独であらんと欲する。これがわびさびの基本路線である。己れの周囲に事物は少なく、自分は老いて活発ではなく、しかも孤独を好むので人と会うこともあまりない。周囲の事物に巡り合って知り合う機会が減れば、人生は貧しくなりはしないのだろうか。否、むしろそうだからこそ精神の安定が確保できるのである。

 

つれづれわぶる人は、いかなる心ならむ。まぎるるかたなく、ただひとりあるのみこそよけれ。世に従へば、ほかちりに奪はれてまどひやすく、人にまじはれば、ことばよその聞きに従ひて、さながら心にあらず。人にたはぶれ、物に争ひ、一度ひとたびは怨み、一度は喜ぶ。そのこと定まれることなし。分別みだりに起りて、得失やむ時なし。まどひの上に酔へり。酔の中に夢をなす。走りていそがはしく、ほれて忘れたること、人皆かくのごとし。(75段)

そして外界から身を閉ざし、自己の内面を深く掘り下げていくことができるのである。

 

左右さうひろければさはらず、前後遠ければ塞がらず。せばき時はひしげくだく。心を用ゐること少しきにしてきびしき時は、物にさからひ、あらそひてやぶる。ゆるくしてやはらかなる時は、一毛も損せず。人は天地の霊なり。天地はかぎる所なし。人のしゃうなんぞことならむ。寛大にしてきはまらざる時は、喜怒これにさはらずして、物のためにわづらはず。(211段)

 

37.

『源氏物語』の「朝顔」には以下の描写がある。

 

雪のいたう降り積りたる上に、今も散りつつ、松と竹とのけぢめをかしう見ゆる夕暮に、人の(源氏の)御かたちも光まさりて見ゆ。「時々につけても、人の心を移すめる花紅葉のさかりよりも、冬の夜の澄める月に雪の光りあひたる空こそ、あやしう、色なきものの身にしみて、この世のほかの事まで思ひ流され、面白さもあはれさも残らぬ折なれ。すさまじきためしにいひおきけむ人の心浅さよ」とて御簾まきあげさせ給ふ。月は隈なくさしいでて一つ色に見え渡されたる。

 

雪のたくさん積もった上になお雪が降っていて、松と竹がおもしろく変わった個性を見せている夕暮れ時で、人の美貌もことさら光るように思われた。

「春がよくなったり、秋がよくなったり、始終人の好みの変わる中で、私は冬の澄んだ月が雪の上にさした無色の風景が見に沁んで好きに思われる。そんな時にはこの世界のほかの大世界までが想像されてこれが人間の感じる極致の境だという気もするのに、すさまじいものに冬の月を言ったりする人の浅薄さが思われる。」

源氏はこんなことを言いながら御簾を巻き上げさせた。月光が明るく地に落ちてすべての世界が白く見える中に、植え込みの灌木類の押しつけられた形だけが哀れに見え…。(与謝野晶子訳)

 

ここでは、花紅葉よりも「冬の澄んだ月が雪の上にさした無色の風景」のほうが好まれている。源氏物語は貴人の華麗なる恋愛遍歴を描くものであるが、その一方で花も何もないところにある種愛着するところも見られ、ここが興味深いところである。

 

38.

『源氏物語』の「朝顔」には以下の一節がある。

 

(源氏がある所を訪れて)出て来た門番の侍が寒そうな姿で、背中がぞっとするというふうをして、門の扉をかたかたといわせているが、これ以外の侍はいないらあしい。

「ひどく錠が錆びてあきません」

とこぼすのを、源氏は身に沁んで聞いていた。宮のお若いころ、自身の生まれたころを源氏が考えてみるとそれはもう三十年も昔になる、物の錆びたことによって人間の古くなったことも思われる。それを知りながら仮の世の執着が離れず、人の心に惹かれることのやむ時がない自分であると源氏は恥じた。(与謝野晶子訳)

 

源氏は錠の錆びを自らになぞらえている。錆びは古いのである。自分ももう若いとは言えないにもかかわらず、悟りらしい悟りも開けずいまだこの世に執着しており、わが身を恥じている。ところで、錆びを自らになぞらえ、その不器用ぶりに自己愛を転化してある種の愛着を抱くところに寂びの精神の端緒があると考えるのである。そういえば、錆び寂びとは語源を同じうするというではないか。

 

 

39.

堀口大学の『月下の一群』の最後尾にはマラルメの「ためいき」がある。最初は読んでもよく意味が分からず、何度か読み通すうちに心に深い感動が広がった。

 

わぎもこよ、わがこころ、いま立ちのぼる立ちのぼる

陽やけに黄ばみたる秋のそこに夢見る汝がひたひの方かたへ、

はたは天使めく汝がまなざしの果しなくひろがれる空の方へ!

といきする白き噴水の水に似て

わぎもこよ、わがこころ、いま立ちのぼる立ちのぼる

——黄ばみたる太陽の長き光の立去り迷ひ

吹く風の冷たくみだす落葉のむれの

葛いろの悩み漂へるをどみたる池水に

そが果しなきもの憂さと疲れとを映したる

青ざめ清き十月のやさしき碧空の方へ

わぎもこよ、わがこころ、いま立ちのぼる、立ちのぼる。

 

 

マラルメのこの詩に見られる揺蕩たゆたうが如き調子は、どこかしら幽玄に通じるものがあるようにも思われる。無常とは自然への移行であり、侘びとは自然での自足であり、寂びとは自然の現出であるならば、幽玄とは自然の曖昧である。自然の情景であれ自然の情であれ、人間が複数の観念を抱き、そのいずれにも決定打が欠ける場合、人間はそれら複数の観念を一つのイメージに包摂し、ここに「曖昧」が生じる(私は別の個所でこのことを「重層的未決定」とも呼んでいる)。いずれの観念も優越的ではないので、人間はこれら複数の観念の間をゆっくりと行き来することになり、そのいずれにも停止することがない。ここに「揺蕩」ようとうが起こる。

 

正徹は『正徹物語』で言う、「幽玄と云ふ物は、心にありて言葉に言はれぬものなり。月に薄雲のおほひたるや、山の紅葉に秋の霧のかかれる風情を、幽玄の姿とするなり。これはいづくが幽玄ぞと問ふにも、いづくと言ひがたきなり。それを心得ぬ人は、月はきらきらと晴れて、あまねき空にあるこそ面白けれと言はん道理なり。幽玄といふは、いずくがさらに面白しとも、妙なりとも言はれぬところなり」と。これは私の言う曖昧であり、あるいは重層的未決定である。これを示す和歌が以下のものである。

 

咲けば散るの花の夢のうちにやがてまぎれぬ峰の白雲

 

これは源氏物語の「見ても又逢ふ夜まれなる夢のうちにやがてまぎるる我が身ともがな」を本歌とする。源氏がずっと憧れていた父帝の妃たる藤壺の女御と、ほんの一回限りの逢瀬を持ったのであるが、その際に夢とまぎれて我が身も消えてしまえればなあ、と願ったのである。正徹の和歌は、「咲いたかと思えば夜の間に散ってしまう桜、昨日は白雲かと見紛うばかりの盛りであったのに、夜が明ければ既に散ってしまったが、桜と見紛う白雲は峰にかかっている」といった意味であろう。作者の脳裏には複数の観念が連なって一つの朧ろなるイメージが形成されている。昨日の桜から、夜間に散り頻る桜へと移り変わり、それが最後には今朝の峰の白雲へと到っている。いずれもが優越的立場に立つのではなく、作者の意識も一方から他方へと揺れ動いている。この揺れ動きはゆったりとしているようだ。これが自然の曖昧であり、あるいは自然の揺蕩である。

 

幽玄は行雲廻雪体こううんかいせつていとも言う。正轍は言う、「雪の風にふかれ行きたる体、花に霞のたなびきたる体は何となくおもしろく艶なるものなり。飄白ひやうびやくとしてなにともいはれぬ所の有るが無上の歌にて侍るなり。みめのうつくしき女房の、もの思ひたるが、物をもいはでゐたるに、歌をばたとへたるなり。物をばいはねども、さすがにものおもひゐたるけしきはしるきなり。又をさなき子の二、三なるが、物を持ちて、人に「是々」といひたるは、心ざしはあれどもさだかにいひやらぬにもたとへたるなり。さればいひのこしたるやうなる歌は、よきなり」と。「雪の風にふかれ行きたる体、花に霞のたなびきたる体」は自然の揺蕩である。「みめのうつくしき女房の、もの思ひたるが、物をもいはでゐたる」様は、感情の揺蕩である、なぜなら女房は自分の気持ちが一体何であるのか特定できないでいるからである。

 

 

40.

「狂句こがらしの」の詞書

笠は長途ちょうとの雨にほころび、帋子かみこはとまりとまりのあらしにもめたり。侘びつくしたるわび人、我さへあはれにおぼえける。むかし狂歌の才士、此国にたどりし事を、不図ふとおもひ出て申し侍る。

 

狂句こがらしの身は竹斎に似たる哉    芭蕉 (冬の日)

 

千利休の弟子に山上宗二なる者がおり、彼の手になる『山上宗二記』には、「珠光の云われしは、藁屋に名馬を繋ぎたるがよしと也。然れば則ち、麁相なる座敷に名物置きたるが好し」とある。わびはわびならざる華との対比によってよりいっそう明確な姿を見せる。それが「藁屋に名馬」であり、「麁相なる座敷に名物」である。利休のわびは対比に基づくのであろう。これと較べれば、芭蕉のわびはこの対比を捨て去ったところに現れる。唐木順三は言う。「わぶと答へるところのないところえでわびることが、芭蕉のわびであつた。『わびわびる』こと、わびをもわびること、さういふわびの極北が芭蕉の志向するわびであつたといつてよい。利休の侘びを対比の概念だとさきにいつたが、芭蕉では対比なくしてなほ侘びるのである。わびることの不可能なところでなほわびようとするのである。わぶと答へる対象のたいところで、ひとり侘びて住むわけである。これはわびの自己否定といはねばならぬ」と(『千利休』唐木順三 筑摩書房170頁)。確かにこの上述の詞書を見ると、対比しているようなところはなさそうである。そして唐木はこのわびの自己否定を「さび」として把握するのである(同181頁)。もっとも、この唐木のさびの解釈は私のそれとは異なるものであるが。唐木は哲学的に、あるいは美学的にわびとさびの関係を理解しようとするが、私はさびを語源的にも理解しようとするからである。

 

なお、芭蕉の「侘びつくしたるわび人、我さへあはれにおぼえける」という言葉であるが、笠も帋子もボロボロになっており、この姿となった自分を「侘びつくしたるわび人」と呼び、これを憐れんで「我さへあはれにおぼえける」とするところが興味深い。「わび・さびは、客観的にはみすぼらしい自己を憐憫する心情に由来し、これを芸術的に昇華したところに成立する」というのが私の仮説であるが、この傍証ともなり得る芭蕉の言葉である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2022年7月4日公開

© 2022 佐藤宏

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