I
僕は素御といる
素御は僕といる
僕が此処にいていいのは
素御が此処にいていいと言ったからだ
素御が言わなければ
僕は此処にいていいかどうかわからない
だから僕は素御に言ってもらう
言ってもらった言葉は
言ってもらったから言われたのであって
僕が此処にいていいことの証明ではない
だから僕はまた言ってもらう
—
II
素御は「何でも言ってね」と言う
僕が何かを言えば
言ってねと言われたから言ったことになる
僕が何も言わなければ
言ってねと言われたのに言わなかったことになる
何でも言ってねと言われる前に
僕が言いたかったことを
僕はもう思い出せない
—
III
素御が何か言う
僕は聞き取れない
「何?」と僕が訊く
「何でもない」と素御が言う
何でもないことを素御が言ったのではない
何かを言ったから 僕は訊いた
僕が訊いたから 素御は何でもないと言った
僕が訊かなければ
素御は何かを言ったままでいられた
僕が訊いたので
素御が言ったことは何でもないことになった
僕は何でもないことを
これから何度も思い出す
—
IV
素御が花冠をかぶっている
僕は何か言おうとする
言えば壊れると思う
だから言わない
言わなかったことを素御は知らない
知らないから壊れない
壊れなかったのは 僕が言わなかったからだ
僕が言わなかったことを
僕だけが知っている
僕だけが知っていることは
僕の中でもう壊れている
—
V
素御は名前のない花に名前をつけた
僕はその名前を訊く
素御は内緒と言う
内緒があることを僕は知らされた
内緒の中身を僕は知らされない
知らされないことを知らされた僕は
知らないことを知っている
知らないことを知っているというのは
知らないよりも 知らない
—
VI
素御は手紙の束を棚の奥に仕舞う
僕は何も訊かない
訊かないのは
訊いてはいけないと思うからだ
訊いてはいけないと
素御は言っていない
素御が言っていないことを
僕が守っている
僕が守っていることを
素御は知らない
—
VII
牡鹿は僕らを見た
僕らも牡鹿を見た
牡鹿の目のなかに森が映っていた
素御が弓を引く
牡鹿が顔を上げる
目が合う
その刹那に矢が放たれる
牡鹿は見たから射られたのではない
射られる前に見た
見たことと射られたこととのあいだには
何もなかった
矢は瞳に当たった
牡鹿が最後に見たものを
矢が貫いた
—
VIII
「あなたは充実してそうでいいな」と素御が言う
「私は虚無よ」と素御が言う
僕が充実しているのは
素御がそう見ているからだ
素御が虚無なのは
僕が充実して見えるからだ
僕が充実していなければ
素御は虚無ではなかったかもしれない
僕は充実をやめようとする
やめようとしている僕を見て
素御はやはり自分を虚無だと思う
—
IX
お星さまが手紙を寄こす
――素御の言う通りにしなさい
――素御は頑丈なようでいて脆く儚い存在です
素御は「大丈夫」と言う
言う通りにするなら
僕は大丈夫だと思わなければならない
脆く儚いなら
大丈夫という言葉を信じてはならない
言う通りにすれば 守れない
守ろうとすれば 言う通りにできない
僕はどちらもした
どちらもしたので
どちらもしなかった
—
X
僕が布を裂いた
素御が怒った
「頼むから許してくれよ」と僕は言う
許してくれと言われて許すのは
言われたから許すのであって
許したことにならない
言われずに許してもらうには
僕が言わずにいなければならなかった
僕はもう言ってしまった
だから僕は 家を出た
—
XI
僕は蜂に刺されながら蜂蜜をとった
刺されたことを素御は知らない
知らせれば
刺されたのだから許せ ということになる
知らせなければ
僕はただ蜂蜜を持ってきただけになる
僕は知らせないことにした
知らせないことにしたことを
僕は憶えている
憶えているかぎり
僕は知らせている
—
XII
暗くて何も見えない
見えるのは星ばかりだ
星は動かないから 方角がわかる
家の方角はわかった
家に素御がいるかどうかは わからない
—
XIII
僕が探しに行けば
素御が帰ったときに僕がいない
素御が僕を探しているなら
素御は僕がいない場所を探している
僕がいる場所は
素御がもう探し終えた場所だ
だから僕は動かない
動かないことが
探すことになるように
—
XIV
僕は火を焚かない
僕は風呂に入らない
僕は肉を食べない
水だけを飲む
素御がいないあいだ 僕は
素御がいないという形をしている
植物には水をやる
植物は素御がいなくても渇く
渇くものが一つでもあれば
僕は何かをすることができる
—
XV
僕は皿を洗う
綺麗になっても洗う
綺麗になった皿をもう一度水に浸けて
もう一度洗う
洗い終われば
待つことしか残らない
だから洗い終わらないようにする
僕が洗っているのは皿ではない
洗っていないと落ち着かない
その落ち着かなさを 洗っている
—
XVI
「ごめんなさい、道に迷ってしまったの」
「いいんだ、僕が悪かったよ」
素御が謝るなら 悪いのは素御だ
僕が悪いなら 素御は謝らなくていい
素御が謝ったのは
僕が悪くなかったからだ
僕が悪かったと言ったのは
素御に謝らせないためだ
謝る者が二人いて
許す者が一人もいない
だから何も終わらなかった
終わらなかったので
僕らはまだ一緒にいられる
—
XVII
僕が裂いた布を
素御が繕った
繕われた布で
素御が僕の体を拭く
僕は針目を見る
針目は 裂けたことを消していない
裂けたところに 針目がある
僕は何も言えない
言えば
繕ったことを僕が知ったと 知られる
知られれば
繕ったことが 僕に見せるためだったことになる
僕は黙って拭かれた
—
XVIII
僕らは炎を焚いた
何の記念かと訊かれたら
答えられなかっただろう
記念でないものを
僕らは記念と呼んだ
此処にいることを
確かめるための炎だった
確かめなければならないということは
確かでないということだ
炎が大きくなるほど
確かめたいことも大きくなった
薪が尽きた
炎が小さくなった
僕らは一歩 火に近づいた
—
XIX
朝陽が僕らを見つめている
僕らは見つめ返す
見つめ返さなければ
見つめられていることが わからない
見られている僕らがいて
見ている朝陽がある
朝陽は僕らを見ていない
僕らが 見られていると思っている
思っているあいだは
僕らは此処にいる
—
XX
僕らは幸せだ
幸せだと書こうとして
しはわせ と書いた
書き間違えたのではない
幸せと書けば
幸せかどうかを問うことになる
しはわせ なら
問われない
問われないものだけが
問われずにすむ
「しはわせ。」
曾根崎十三 投稿者 | 2026-09-20 08:45
相反するものって実は根底では同じなんじゃないかと思ってるんですが、そういう感覚を彷彿しました。
ただ、お題「熊本」をどこに盛り込んでいらっしゃるのかは分からなかったので、教えていただければ幸いです。