ステーキ

小林TKG

小説

2,362文字

本当はおでんの事が書きたかったんですけども。

おじいさんは生前とてもすごい方だったそうです。私が十歳の頃に亡くなりました。なので記憶は朧気です。すごい方であられたそうです。そういう話はおじいさんが死んだ以降も知り得る事ができます。私が黙っていても、何も言わなくても、求めなくても、そういった部品みたいなものは集まってきます。私の親や親戚等は、おじいさんの事をおじいさんではなく、おじい様と呼んでいました。叔父様。先生。会長等と。私にしてみたらおじいさんでした。物心がついた頃にはおじいさんでした。死ぬまでおじいさんでした。

おじいさんは若い頃、1923年。関東大震災があった年。その時二十二歳でした。東北は秋田に住んでおられました。関東大震災が発生し、関東が大変な事になったと知ったおじいさんはお父様にお金を無心しました。
「事業を始めたいのだ」

と、そう事を言ってお金を借りると、そのお金で車を買いました。そしてその車で関東に向かいました。おじいさんは関東に着くとそこで今で言う所のタクシーの様な事を行いました。関東大震災の直後、交通機関は軒並みストップしていて、でもその反面その地に住んでいる親、子供、肉親、友人、知人の無事を確かめようとする人が溢れていました。そういう人達を車を使って目的の場所まで運び、それを繰り返して僅か一日ちょっとで無心した額のお金を稼ぎました。その後、一か月ほどその様なサービスを繰り返し、それを元手に今の会社の大本となるものを作ったのだそうです。この事は本などにも書かれております。さすが。大会社の創業者は目の付け所が違うというニュアンスの書かれ方をしております。それが私は好きになれません。非情に思えるんです。目の付け所が違うって言うのも驕りを感じます。勿論、私ごときがそんな事を言ってよい訳は無いので他人には、親にも言わないですが。でも結局、言ってしまえば私達は関東大震災のおかげでいい生活が出来るようになったという事でしょう。困った人に手を差し伸べた。と言えば聞こえはいいですけど。対価は必要だ。と言えば耳触りは良いのかもしれませんけど。あの震災で亡くなった方、行方不明になられた方というのは十万人からおられるそうです。そう言った方々の上で私達はいい暮らしをしている。

私に物心がついた頃、おじいさんは既に会社などの役職からは離れていたそうです。だから私にしたら最初からおじいさんでした。おじいさんは日がな家にいて本を読んだり、釣りに出かけたりしていました。ただのおじいさんでした。若い頃に成功した人にありがちな女性問題などもあったそうです。沢山。でもその頃はもうそういう問題も表面上は解決していて。だから私からしてみたら穏やかな、人のよさそうなおじいさんでした。晩年という言葉がふさわしいおじいさんでした。

そんなおじいさんは終戦直後から、よくステーキを食べる人だったそうです。戦争に負けアメリカの統治下となりそのアメリカの施策で日本にステーキを食べる文化が入ってきました。昭和天皇がステーキを食べて国民にアピールして文化の推奨をされたそうです。

昭和天皇がアピールする前から、おじいさんはステーキを食べていたそうです。父が子供の頃は気持ち悪かったと言っていました。祖母も母も父と同様に感じていたようです。

私にとってもおじいさんはステーキをよく食べる人だなあという印象です。おじいさんはおじいさんになった以降もステーキを好んで食べていました。長生きの秘訣はステーキを食べる事だ。と、家の縁側でおじいさんと二人でいた時おじいさんに言われました。それに対して自身がなんと返したのか、覚えていません。私はまだ子供だったのでケーキが食べたいとか、プリンが食べたいとか、お菓子が食べたいとか、そんな事を言ったのかもしれません。自分の事は覚えていないのに、おじいさんはそのあと笑ったんです。それは覚えています。はっきりと覚えています。
「そうかそうか」

と言って私は頭を撫でられたのです。

おじいさんは死ぬ直前になってもステーキを食べたがりました。意識も無くなりもはやいつ死ぬか、今日か明日か。という時になっても、譫言でステーキを欲しがりました。譫言には私も含めて家族の名前は一切出ませんでした。出なかったそうです。ただ、ただただステーキステーキと言っていたそうです。

世間一般的にはどうだかわかりませんが、私にとってはおじいさんはいいおじいさんでした。それだからある夜、晩御飯の時に出たステーキを一切れ隠し持っておじいさんの寝室に忍び込んだんです。その時、不思議なんですけども、病院の先生や看護師、家の使用人やおじいさんの容態を気にしていた方々、誰も、寝室にいなかったんです。私とおじいさんの二人きりだったんです。それで私はおじいさんの枕元に近づいて、その口にステーキをねじ込みました。そしたらおじいさんは意識もないのにむぐむぐと口を動かして。長い時間かけて咀嚼して、喉を鳴らしてステーキ肉を飲み込んで。それから目を開けたんです。ずっと意識がなかったおじいさんだったのに。そうしてゆっくりと顔を動かして私を見て、笑って。布団から起き上がって。立ち上がって。両手を上にいっぱいに伸ばして。

私は驚き、急いで人を呼びに走りました。そうしておじいさんの部屋に戻ってみると、もうおじいさんは亡くなっておられました。

ステーキの事は誰にも言いませんでした。病院の先生も何も言いませんでした。だからいまだに両親も祖母も知らないと思います。

あれは夢だったのかも。大人になってからはそう思うようになりました。でも牛肉にはセロトニンとアマンダナイトというのが含まれています。幸せホルモンなるものが。それを知ってからは、やっぱり夢じゃなかったのかもしれない。そう思うようになりました。

2024年11月22日公開

© 2024 小林TKG

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