サピチャのバンドマン

合評会2024年11月応募作品

眞山大知

小説

3,213文字

元彼は不思議がいっぱいのシルクロードに旅立ち、国の英雄になっていました。2024年11月合評会参加作品。

アイキャッチ画像:中国の地理書『三才図会』より沙弼茶(サピチャ)国の図(武田雅哉『桃源郷の機械学』から引用)

 ランクルの窓の外に広がるのは、草木が一本も生えない赤茶色の砂漠。サファイアのような深い青の空。そしてその青空に君臨する太陽が、地上を熱で焼き尽くす光。
 カザフスタンのアルマトイ国際空港から車に揺られて十時間。延々と続く砂漠の光景はあまりに単調すぎて、いい加減うんざりする。
 後部座席のわたしはサングラスをかけ直した。空港の到着ロビーでハルトに送ったLINEはまだ返信が来なかった。
 わたしは六本木のタワマンでハルトを飼っていた。ヒモのハルトは30歳を過ぎてもバンド活動がうまくいかず、31歳の誕生日の前日、再起をかけて中央アジアのサピチャ共和国なんてところへ移住すると、わたしが連れていった銀座の寿司屋のカウンターで言いだした。
 わたしはガリを食べながら、ハルトの頭がどうかしたんじゃないかと思った。もっと、アメリカとかイギリスとかドイツとか、マシな選択肢があったろうに。それに、わたしが外コンなんて修羅の世界で働けるのはハルトに養おうというためであって、ハルトが努力して稼ぐようになったんじゃ、意味がない。わたしの生きる価値すら全否定された気分になる。
 1週間後、わたしは成田空港の国際線出発ロビーに行き、ハルトに餞別の100万円を投げつけるとフッた。すぐに京成スカイライナーで東京に帰って、1時間後には丸の内のオフィスで、デスクの脇に立たせた新卒をいまにも泣きそうな顔にさせながら、提出してきたスライドを無言でバシバシ修正してやった。
 だが、日本から旅立って1年でハルトは配信同時接続50万人を記録する、サピチャでいちばんのチャンネル登録数を誇るYouTuberになり、しかも大統領直属の文化芸術顧問を務めるまで出世した。
 今回、こんな砂漠だらけの国にわざわざ長期休暇をとって来たのはヨリを戻したかったのもあるが、ビジネスパーソンとして、ハルトがどうやって成功したかを知りたかったのだ。
あと一時間でサピチャイに到着しますМы прибудем в Сапичай через час.
 運転手がわたしに向かって呼びかける。
わかりました。Я понял.ありがとうございます! Спасибо!
 運転手に返事する。サピチャは旧ソ連領でロシア語が通じる。大学の二外で選んでいたのが幸運だった。サピチャ語の語学書なんてもちろん日本のどこの出版社も出してない。
 わたしはフロントガラス越しに大地を眺めた。地平線の際に、小さなエメラルドグリーンの球が顔を出した。――サピチャ共和国首都・サピチャイの大モスクだ。約1500年前につくられた古都サピチャイはシルクロードに位置し、唐の時代に三蔵法師がインドに経典を取りに行くとき、サピチャイに立ち寄ろうとしたが、火焔山の熱風に阻まれ行くことができなかったと伝承されている。西遊記でも三蔵法師が火焔山を通るとき、猪八戒がサピチャのことを話している場面がある。サピチャは西の果ての国で、太陽が海に沈むとき、海が沸騰するので雷鳴のような轟音が響く。その音で子どもたちがショックを受けて死んでしまうので国王は毎日、城門の上に千人の兵隊を集め、ホルンを吹き、ドラを鳴らし、太鼓を打たせて、太陽の音に紛らわせるのだという。
 なんてでたらめな話なんだろう。
 スマホが鳴る。わたしはすぐに画面を見ると、ハルトから「夕方はライブがあるから来て。二人で会うならその後で」とメッセージが届いていた。
 え、なんで? わたしがせっかく来てやったのに。すぐ会わせてくれないなんて、ひどい。

 

 

*     *     *

 

 

 サピチャイは白い。道も壁も、なにもかも。パルテノン神殿のようないかつい国会議事堂や大統領官邸も、ソユーズロケットのように巨大なサピチャイ大学本館も白い。唯一、白と違う色は、大モスクのドームを覆うエメラルドグリーンだった。
 サピチャイの都はサピチャ海のほとりに広がる。海といっても、カスピ海と同じで、実際は湖だ。
 サピチャ海の深碧の湖面。その浜辺にライブ会場があった。
 そろそろ日が傾いてきた。わたしははやくハルトに会いたかったし、ライブへ行くことにした。
 湖面にせりだすステージの周囲はすでに数千人の観客によって埋めつくされていた。
 ステージの真上には巨大なディスプレイが設置されている。
「さあ、そろそろ日没です。ハルトさんが来ますよ」
 運転手がわたしに言うと、ディスプレイに、ステージに男が三人駆けて出る光景が映しだされた。ロン毛が走る。さらに金髪があとを追う。そしてその後ろを走ってきたのは――ハルトだった。
 三人の姿はディスプレイに映し出され、ハルトの表情がはっきりと確認できる。 
 全員が位置につくと観客たちが天を指さしてどよめいた。 ――わたしは目を疑った。太陽がみるみるうちに空から落下し、湖の真上に、比喩表現でなく、本当に、UFOのように浮かんでいた。サピチャ共和国でいちばんの高層建築、高さ60mのサピチャ大学本館と同じ程度の大きさの太陽は、湖の真上にさも当然のようにしれっと浮かんでいる。
 わたしは頭がおかしくなったのか? 理解できない。太陽の直径は140万kmのはずだ。明らかに地球のよりも大きいはずなのに。
「どういうことなの? そもそもなんで太陽があんなに小さいの?」
 運転手はわたしの質問を怪訝そうな顔で答えた。
「あなたはわたしたちよりも賢い日本人なのにどうして知らないのですか? 毎日、太陽はサピチャ海に浸かって沈んでいきますよ」
 ハルトはマイクに向かって叫ぶ。
「Кеке Ска Сапичай Парно Корде!!!」
 サピチャ語だ。まったく意味は分からない。ハルトの右手はまっすぐ天を指した。観客は一斉に歓声をあげた。
 ハルトはギターを弾きはじめた。太いギターの音で開放弦を交えるアグレッシブなフレーズを二小節流したあと、金髪のドラムとロン毛のベースが入りバンドサウンドへ昇華する。コードが分解された別フレーズに入り、疾走感と熱量がスピーカーからライブ会場に放たれる。同時に七色のレーザー照明が放たれる。厳かな古都はバンドの音とレーザー光と、煮えたぎるようにぶるぶると震える太陽の光が満たしていた。
 太陽が湖面に触れる。太陽の熱で、湖の水が沸騰し、すさまじい爆音が轟いたが、ハルトのギターと歌声がすぐにかき消した。そこはまさに、壮大なショーだった。
 ハルトはわたしの届かないところへ行ってしまった。ハルトはどこにでもいけるんだ。 鳥肌がたつ。
 ハルトから汗が飛び散り、光り輝いていた。ハルトの魂の叫びに負けないよう、運転手へ大声で質問する。
「こんな光景、信じられない」
「子どもたちはこの大きな音を聞くとショックで死んでしまうのです。だから、偉大なハルトさんたちが、バンドの音色で音をやわらげているのです」
「何故YouTubeで投稿されないのです?」
「投稿しても消されるんです。アメリカのヤンキーどもは地球が太陽の周りを回ってると戯言を信じて、わたしたちのハルトの動画をすぐ削除するのです。では、サピチャの海に落ちるこの太陽は偽物なのですか? いいえ、あの太陽はたしかに本物です」
 太陽が8割ほど沈み会場の熱気が最高潮になると、汗だくのハルトは天を仰いでシャウトした。観客たちもシャウトし、運転手は涙を流していた。
「ハルト、かっこいい……!」
 わたしは思わずつぶやいてしまった。ハルトは、わたしの知ってる、タワマンのソファーでぐうたらスマホゲーをしていたハルトではなくなった。サピチャでいちばんのバンドマンだ。いや、サピチャの偉大な英雄だ。
 残り2割の太陽も湖面へ隠れた。太陽は水に完全に浸かった。沸騰した湖面はぶくぶく泡立ち、巨大な湯気を放つと、やがて、光は消えて静かになった。空は夜闇に包まれ、無数の綺羅星が、うるさいほど瞬きだした。
 ディスプレイのハルトはウインクして、日本語で叫んだ。
「愛してるぜベイベー! 俺はお前のこと、ずっと好きだからな!!」
 ああ、会いに来てよかった。わたしの目からすっと涙がこぼれ落ちた。

2024年10月25日公開

© 2024 眞山大知

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"サピチャのバンドマン"へのコメント 2

  • 投稿者 | 2024-10-26 00:02

     物語のテンポが良いしユーモアも有り特に、筆者が諸々な事に造詣が深い方だなあと感じました。
     ラスト、私もホロリとし、もの凄く面白かった。

  • 投稿者 | 2024-10-26 00:37

    ありがとうございます! 感人さんにコメントいただけるとは!
    想像力が貧弱な人間と自覚しているので資料を山のように集めてこないと作品が書けず、正直ヒーヒー言いながら書いてます……。ラストシーンをお褒めいただき嬉しく思います。

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