現代における優生思想と、人殺しについて 〜U死刑囚の件を受けて〜

世界の存在と人間について(第7話)

山雪翔太

エセー

2,843文字

白鳥類は、U死刑囚の事件を受けて、障害者の人々の扱いと、人殺しが何故認められないのか、私見を語る。

引用元 https://news.ntv.co.jp/category/society/608887

 最近、私はあるニュースを見た。U死刑囚についてだ。彼は障害者施設で障害者十九人を殺害し、死刑判決を受けた。本当に擁護し難く、痛ましい事件である。

 事件から暫くして、脳性麻痺を持つ重度の障害者であるY氏が、彼に対話を試みた。何度か手紙のやり取りをした末、遂にY氏は彼と接見、そこでUはこう語った。記事より引用させて頂く。

『〜(Y氏)さんとは意思疎通が取れているじゃないですか。理性、良心があることが人間だと(自分は)考えているので」「差別ではなく、区別です。差別は偏見に基づく。区別とは違う。意思疎通が取れない人は、有害だから』

 『意思疎通が取れない人は、有害』……。彼の異常な優生思想が伺える。

 ここで問いただされているのは、「意思疎通の取れない重度の障害を持つ人は、果たして人間であるのか」という点であろう。

 私はこれについて、はっきりとこう答えたい。「そもそも人間としての姿を持っていて、表現が出来なくても思考出来る頭脳を持っているならば、人権はあり、人間である」と。

 彼の動機は、「重度障害者を安楽死させること」である。しかし、この動機と彼の犯行はあからさまに矛盾している。本当に安楽死をさせようと思っていたのなら、刃物で刺すという行為は、彼のやろうとしているそれに当てはまっていない。殺された十九人の方々は、どれも死因を見ると痛々しく、想像も出来ない様な苦痛に、死ぬまで遭っていたのだという事が、容易に想像出来る。この時点で、私は彼を擁護する事は出来ない。人間が安楽死を選択するという事は権利であるとは、私の口からは語れない(それを言うと、私は公平な立場から主張をする事が出来なくなってしまう為)が、それを認められる最低ラインは、「自らの意思で安楽死を選択『する』」事であって、この事件の場合は、「選択『させられた』」と言える。つまりその時点で、この事件は決して重度の障害を持つ人々に対しての救済であったと言う事など到底不可能なのだ。

 端的に言えば、彼は重度の障害を持つ方々が自らの意思を表現出来ないからと言って、勝手に被害者達の意思を決めつけて、惨殺したのだ。身勝手かつ残虐で、悪虐と言える行為である。

 どんな事があっても、意思を確認出来ない限りは、安楽死など行ってはいけない。それ程、死という行為は重いのだ。

 この事件を受け、皆が障害を持つ方々の扱いについて意見を述べていたが、よく述べられていたのが、「障害者の家族の人は、その障害を持つ人に対して、迷惑だから居なくなってくれればいい、とか考えている。そして、他の人も、障害を持つ人々の突発的な行動によって恐怖したり、迷惑を被ったりしている。だからこそ家族は障害者を施設に入れて、隔離するのだ。彼はそんな人々を救済した英雄だ」という意見だ。

 私はこれに対して真っ向から反対する。まず、人を殺すという行為自体が悪であり、決してやってはいけない事なのだという事を理解して欲しい。

 人間は理性を持つ事によって、高度な社会を形成してきた。人間の社会の奥底には、いつも誰かの良心や理性があり、それによって社会は保たれているのだ。しかし、人を殺すという行為は、それを壊す。血を流し、秩序ある社会を無秩序化していく。殺人は、「何でもアリ」な行為であるからだ。

 人を殺して解決するという事の愚かさは、何度もの戦争によって人類は理解して来た(ではまだ何故戦争が無くならないのかというと、目先の利益に囚われて戦争を引き起こす者が居るからだ)。戦争の終わりには、破壊された街と、放棄された死体だけが残り、それを経て人類は人殺しは何も生まないと理解したのだ。

 だから人類は法を作った。罰を作った。殺人という愚かな行為は、この世で最も忌むべき事であって、それを犯した者は重い罰が与えられるのだと、法は人類に理解させたのだ。だからこそ、殺人という行為によって達成される目的自体がナンセンスなのだ。(これについては、またいつか詳しく話そうと思う)

 話を戻そう。

 障害者を、傍迷惑な存在であると切り捨てる事自体、私は理解が欠けている愚かな行為だと考える。何故なら、障害者は切り捨てた方が良いという思想自体が、健常者側の身勝手な意見であって、全体の意見とは言えないからである。

 ……認めたくは無いが、確かに障害を持つ方々は、その障害の特性故に、「迷惑だ」と感じる行いをする事もあるだろう(ただそれは、健常者にも言える事ではないのか?)。しかしそうやって障害者を切り捨てていく事は、一部の障害を持つ方々へのレッテル貼りであり、差別である。

 私は常日頃から、何とか現代人はもう少し寛容な心を持つ……自分以外の事も考えられる余裕を持つ……事が出来ない物かと思っている。

 障害者は迷惑だから、切り捨てる。……言うまでもなく、それはただの健常者側からの勝手な要望であり、障害者の方々の考えを無視している思想である。

 私は別に、この事件で殺された障害者の方々を施設に入所させた、家族を批判したい訳ではない。その行為自体は権利であるし、理解も出来る。障害を持つ人々の介護は、言うまでもなく大変な事だ。

 ただその障害者の方を、そうやって切り捨てたと言うのなら、話は変わる。介護が大変だから施設に入れる事と、切り捨てる事は、似ているが違う。前者はただの行為であるが、後者は差別である。その分かれ目は、恐らく施設に入った障害者の方をその後も支えているか否かであろう。簡単な事だ。

 「障害者を理由に罪に問われないのなら、それは人間でないことの証明になる」とUは語った(申し訳ないが、この発言については出処が見つからなかったので、余談程度に聞いて欲しい)らしいが、これについては、まあその通りであろう。

 ……ただ、それを念頭においても、Uが行った行為は極めて残虐で、容認する事など有り得ないのだ。もう、Uを英雄扱いするのはやめにしないか? 彼は「英雄」などでは無い。健常者側の身勝手な思想と、無責任な行動で残虐事件を起こした「犯罪者」だ。

 彼の障害者に対しての扱いは根本から間違っている。人間としての形を持ち、思想や考えを表現出来ずとも、それを持っているのなら人間であり、人権があるのだ。意思疎通の取れない人を、彼は「有害」と言った。到底私は賛同出来ない。

 彼を英雄扱いする人々も、危機感を持つべきだ。彼に賛同する時点で、君は、役に立たない人は人権が無い、消えていい存在であると決めつけて、その人について理解しようとしていない。まさに身勝手その物だ。

 最後に私は言おう。「能力の高さ低さに関わらず、人間は皆『命』を持っていて、能力の低い人を有害だと決めつけて、相手の思想も考えもせず、殺すという行為は決して認めてはいけない」、と。……殺して解決するという事は、忌むべき戦争とやっている事が同じだ。

 人間はもっと寛容になるべきなのだ……。認めるべきなのだ……。これ以上、残虐な事件が起きず、そしてもっと、「相互理解」が進む事を切に願う。

2024年9月14日公開

作品集『世界の存在と人間について』第7話 (全8話)

© 2024 山雪翔太

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