夜の池袋西口を歩く。通りの両側にはホストクラブ、ソープランド、キャバクラが立ち並び、健康に悪そうな色を強烈に放つ。明るい虚無が充ちていた。マトモな人間なら浴びたくない、虚ろな光。だが、その明かりのなかでしか生きられない人間がいる。自分もその一人だ。――女性向け風俗のキャスト。華やかに見える職業だが正直辛いことばかりだ。
特に今日の客はひどかった。一人目は外資系投資銀行で部長をしているババア。豊洲のタワマンに連れ込まれ、「わたしが飽きるまで手マンをして」と依頼された。きっちり二時間してあげた後はもちろんお説教。汁が撒き散った高級ベッドにババアは寝そべりながら「男のくせに水商売で働いて。親が知ったら悲しむよ!」とヒステリックに金切り声をあげた。風俗で説教するようなタイプの成功者は、この世界で一番嫌いな人種だ。
その次は月島に行き、パグにそっくりのYouTuberの乳首を責めた。プレイ内容の辛口レビューが好評で、チャンネルは登録者三十万人。収益化してだいぶ稼いでいるらしい。他人を評価するだけで稼げるって幸せものだ。妬ましい。今頃、陰口を撒き散らして配信しているのだろうか。クソが。
社会は一皮剥けば、何もかもがめちゃくちゃだ。通りから暗い路地裏に隠れてカバンから瓶を取り出す。小さい瓶に青いラベル、中身は純白の錠剤。ブロン錠だ。承認欲求を的確にくすぐり多幸感を与えてくれる魔法の薬。手マンしてふやけたままの指で錠剤を触らないよう、ビンを唇につけ、そのまま中身を口へ入れる。ラムネをかじるようにボリボリ歯で噛み砕いて飲み込んだ。最高。
再び通りに出て少し歩き、狭いリンガーハットに到着。扉に入ってすぐのテーブルには、すでに彼女の李央が座っていた。コンカフェ嬢の李央は紫のツインテールに、真っ白な肌。透き通った目、ぷっくりとした涙袋、若干エラの張った頬。ちょっと乱暴に扱ったら崩壊しそう。そんな危ない雰囲気を全身から醸している。李央はスマホをじっと見たまま呟いた。
「優太、遅い」
「ごめん。クソ客と対応しててさ」
「じゃあ仕方ない。客なんて全員クソだし」
李央はスマホを置くと手を握ってきた。
「てかなんで指がふやけているの」
「客のマ◯コをひたすらいじっていた」
周りに聞こえないように小声で返事する。李央は素早く手を払い除けると、呆れたように笑った。
「草生えるんだけどw」
李央は肩を思い切り叩いてきた。
「ふざけんな、メンヘラコンカフェ嬢め」
そのまましばらく二人でじゃれあっていると、店員がちゃんぽんを届けてきた。
ちゃんぽんを口に入れると優しい味が広がった。自分のカラダはリンガーハットのちゃんぽんで育った。女医の母親には料理なんて一度も作ってもらったことがない。ガキの頃は毎晩、母親に「外食してこい」と金を渡され家から追い出された。実家から歩いて五分のリンガーハットに高校を卒業するまでずっと通い詰めていた。
李央は紫の髪を振り乱し、中ジョッキをテーブルに叩きつけた。
「なんで呼んだかわかってる? もうね、わたし、嫌なの。毒親にいじめられて、自称進学校にぶち込まれてメンヘラ発症。Fラン大学しか入れずそのまま中退。今じゃポンコツコスプレイヤー? 池袋のだっせえコンカフェ嬢? ああ、わたし、この世界が憎い。いっそすぐ滅んでほしい」
真に受けるようなことじゃないから聞き流す。李央は問題解決を望んでいない。「手に職をつけるか大学に入り直せ」と散々勧めたけど、李央は口から愚痴をマーライオンのように吐き出すだけだった。李央は単に慰めてほしいだけだ。可哀想な自分を慰めてくれるなら、平気で問題を放置して大炎上させる。そんなタイプの問題児。
「俺はまだ生きたいし嫌だよ。てか、いきなり世界が滅亡したらどうすんの」
「仲いい友達をマンションに集めて、直腸飲酒したい。アナルで酒を飲んだあとはローション相撲したい」
「……は?」
何を言いたいのか理解できない。
「直腸飲酒っていいよ? キャストの子たちの間で流行ってるし」
「やめとき? ぶっ倒れて救急搬送されるし、下手すりゃ、症例が論文に書かれるぞ?」
一応、医学部卒だから忠告する。すると李央はいきなり真剣な口調になった。
「そんなに医者を気取りたいなら、もう一度なればいいじゃん」
うるさい。人生の汚点に気安く触るな。
「大学病院に戻りたくない。いくら働いても給料なんて出ないもん」
働いたら給料が出る。そういう常識は大学のなかでは非常識だ。大学病院では診察を担当する若手・中堅医師はたいてい無給医で給料が一円も支払われない。あくまで大学の教育の一環として患者を診察するからだ。もちろん、別の病院でバイトをして稼がないと生活なんてできない。
研修医をしていた頃は血気盛んだった。馬鹿だった。無給医の問題が放置されていることが許せなかった。給料を貰うという当然の権利を大学側に主張したが、すぐさま左遷されて大学病院を辞めるしかなかった。医者はムラ社会。別の病院で働き口を探そうとしても、権利意識の強い危険人物だとすぐバレて不採用。収入が途絶えて絶望したとき、たまたま女性向け風俗の求人を見た。きちんと金を稼げればなんでもよかった。カラダを売って必死に稼いだ。その金で奨学金を完済できてもう生活には困らない。
だが、どれだけ働いても生きている心地がしない。周りの大人が信用できない。――問題を放置するな。問題を指摘するな。社会は二つの矛盾した命令を放つ。その命令に平然と従える、世の中で真っ当に働く大人たちは、実は全員気が狂っているんじゃないか。正常なのは意外と自分と李央のほうかもしれない。
少し黙りこんでいると店員たちがジロジロとこちらを見てくる。すると李央が突然指を差してきた。
「てかあんただって、直腸飲酒したいくせに。てかね、わたし見抜いてるもん。あんた、死にたがってるでしょ」
なんでわかるんだよ。隠していたのに。
「んなわけねえだろ」
強がって返事すると、李央はいたずらっぽく笑った。
「楽しいことしたら忘れるんじゃない? だからさ、直腸飲酒しよう」
どうせ明日は休みだ。こんな馬鹿なことをするのも、狂った現世を生きるための気休めにはなってくれるだろう。
「酒はどうする?」
「ウォッカを入れたい」
李央は清々しいほどのスピードで即答した。
「やめろ。さすがにほろ酔いぐらいにしろ」
* * *
リンガーハットから歩いて二十分。北池袋のホコリ臭いマンションにたどり着いたときには、すでにブロンがキマっていた。世界の森羅万象が自分を褒め称えているような、そんな偽物の幸せを感じていた。
「あんた、ブロン飲んだでしょ」
ベッドに座った李央はクスクス嘲ると、手元の袋を開けた。エビリファイの内用液0.1%。大学病院にいたころは飽きるほど見た。
李央は、猫が液状のおやつを貪るかのようにエビリファイを飲んだ。
「仕事でババアのマ◯コなんて触ってみろ。そりゃ飲みたくなるわ」
「だよねえ、だから、こんな狂ったことをしたくなるんだ」
李央はカバンからシリンジを取り出すと、ほろ酔いを慣れた手付きでシリンジに充填。そしてシリンジを股に差し込みしばらく動かなくなった。とても間抜けなツラを晒している。つい笑ってしまう。
「なによ」
李央が文句を言ってくる。
「バカ面を晒すなよ」
「あんただって直腸飲酒すればこんな顔になるんだから」
はいはい、と生返事しながら、1.5Lペットボトルに入ったローションをフローリングにぶち撒ける。掃除するのが面倒だが、明日の自分がしっかりやってくれるはず。気にすることはない。
ローションを撒いているうちに、ボトルが空になった。李央はシリンジを股から抜いていた。
「あれ、俺のシリンジは?」
「あるわけ無いじゃん。使い回して」
汚いと思ったが、ブロンの多幸感が凄まじくてどうでもよくなった。ズボンとパンツを脱いでシリンジをアナルに挿す。ほろ酔いを注入すると肛門が瞬時に熱くなる。ブロンの多幸感とアルコールの酩酊感が混ざり、天国へ駆け上がりそうだ。
「それじゃ、全裸になろっか」
李央は尋常でないスピードで服を脱ぎだして裸になった。
「お前、こういうときの行動力ってすごいよな。そんな勢いで人生の問題を解決したらいいのに」
「それはそれ、これはこれ」
全裸の李央は堂々と腰に手を当てていた。自分も上着、シャツ、靴下を脱ぎ、ネックレスも外す。お互いに全裸になってローションでヌルヌル光る床に立った。
「いざ、尋常に勝負!」
李央へ向かって宣戦布告。李央は真剣な目つきで掛け声を出した。
「叩き潰してやる。はっけよーい、のこった!」
二人でお互いを掴みかかる。李央の腰をつかもうとした瞬間、足元が滑って体勢が大きく崩れ、二人で盛大に床に倒れ込んだ。激痛が全身を襲う。痛みだけで死ぬんじゃないかと思った。地球が一気に滅亡したほうがもっと楽に死ねそうだ。
痛みで唸っていると、李央が冷静に呟いた。
「バッカじゃないの」
「そりゃあ、俺も李央もメンヘラだもん」
そっか、と返事すると李央は上から覆いかぶさってキスをしてきた。
虚無に浸った生活は、二人で過ごせば怖くない。
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