高橋氏の「メインテーマは依存」なる文章を読んだ。成る程、氏がボロヴィッツを読めなかった事実関係は或る程度は有っている。だが然し僕、山谷側の事実捕捉をしていないと単なる精神病者、自決願望者のハナシになり所謂、当事者以外、判らなく「メインテーマは依存」は作品として成り立たなくなる故、氏と僕の名誉の為にも問題点を書く。
まずもって探偵ゲームは彼と僕が無聊なる時にやっていたのが、企画の元。これは揺るぎなく間違いない。坂口安吾が文藝仲間と太平洋戦争時に行っていたのがルーツであるが。
次に「山谷は全く読んでなかった」なる文言、これは否である。約三週間、氏とは此方から求め長い通話をしたが、その中で「ボロヴィッツ、途中まで読んで大体、犯人は判っている」に対して「君の所為で俺は未読だからネタバレなしね」なる会話はしている。事実として。
更に僕が部屋を追い出された原因は猫である。決して女性に、常に高圧的な態度をしていたから、では非ず。僕が可愛くて愛らしくて仕方がなかった猫は一緒に寝る時、彼女の股の中に入る。そうして僕は、そちら側に頭を置く。何故ならば夜中に愛猫が僕にキッスをしに動く事が多々であった為である。猫としては彼女の足元から離れなくて済み僕の顔に動かなくキッスが出来るからである。あの日、午前四時くらい猫が僕の顔を舐めて来た故、撫で返していたら、それで目覚めた女性が「煩くて起きた」と偶々なのだろうが足を振り上げて僕の頚に蹴りを入れた状態になった故、痛えと手で払い退けたら彼方も痛い、となり二人、それから所謂、こんにゃく問答。常の事では有るがアルコールが入っていた僕の方から傾奇者の模倣で「だったら木っ端役人を呼ぶか」と述べたら気が強い彼女は即座に本当に電話をした。それが先ず持っての原因で前記したように、高圧的云々ではない。無論、調書は互いに取られたが、そこにも、ありのままで書かれ事件性はない、で解決している。「メインテーマは依存」にある文言とは真逆に、警察は全く、この件に関する仕事はしてない。その後のルンペンになったハナシは、ここでは関係ないので後日に語る。
「他界する」とうめき騒いだ。なる箇所は感覚論として「大親友の君に相手されなくなったら他界するしかないね……」と述べたのは事実である。だが然し、僕はその百倍くらい前後で「僕は決して他界しないと誓い生きているタイプなので」と語っている。あの文章では僕が自決願望者と捉えられようしかないが真逆に僕は生存願望者である。
氏の母親が現在、大変な事になっている部分。それは少し前から聞いていた。食事を買いに行き氏が実家に戻り、母親と氏が会話をしているのに通話状態を維持していた部分。それも事実である。だがこれに対しては説明が完全に抜けている。
八年くらい前、氏の実家に泊まらせて貰った時、僕は母親に、有り得ない程に良い、おもてなしをして頂いた。その一度しか、お会いした事はないが今でもその時の事は感謝をしている。故に、通話を切るべきであったのは確かだが受話器の向こう側で僕が慟哭したり、嗚咽したのは、その経緯があるからである。友人の識らない母親に対して勝手に喚いたりする精神病者でもない。
「メインテーマは依存」
冒頭で述べたように一方通行だけのハナシで終われば、単なる精神病者、自決願望者に絡まれただけのハナシね、で終わる。ただ、氏にとって加害者の僕の意見も入れれば観点の振り方も出来て、幅が拡がると思いコレを書いた。読み手には、それこそ探偵小説の鉄則で「全てを提示しておくべきだ」
だか然し、創作小説なら面白ければ全部が嘘の方がベストだとも考える。
なお、僕が現在、ルンペンをしている過程には普段、全うに生きていて遭遇しないであろう逸話が八ツくらいあり、そこは高橋氏も書きたいと云うし僕も自らで書きたいので、ヴァージョン分けして、どっちもやろうよ、とハナシはしている。以前、互いの事は下手に逸脱しない限り何でも好きに書いて良いと云う取り決めはしているし、この件は落着した頃、何れ二つのパターンの作品、若しくはこのような捕捉パターン問答も有るので愉しみにして頂きたい。
何れにしろ「メインテーマは依存」での最大の事実は三週間くらい氏の時間を奪い、犯人は誰? の考察もさせなかった事である。僕に大問題が訪れたからオムツを替えて貰っていた。
僕らが企画した探偵ごっこ。その第四回目も有り、氏や自身が健やかに犯人当てが出来る次回を、期待したい。
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