間抜けな鑑識に荒らされる前に現場を確認するのが俺のやり方だ。
被害者はピアノにもたれ、苦悶の表情を浮かべたまま息絶えている。ヨダレやオシッコやその他もろもろの体液を垂れ流しにしているのはよくある絞殺死体と同じだ。
ただ彼女がいわゆるアニメ(?)のコスプレをしたまま死んでいるという状況が、一見して特異だった。
「仏さん、確かに動かしてないよね」
俺が確認すると、第一発見者の通報を受けて駆けつけたという制服警官が請け合った。
「はい、指一本触れてませんよ。牧さんのヤマで現場を荒らしたら酷い目に遭うって、所轄では有名ですからね」
そう、S県警捜査一課の牧田常典、通称『コロシの牧さん』といえば俺のことだ。
「鬼か悪魔みたいな言われようだな」
俺はそう言いながら被害者の腕の下を覗きこんだ。その左手は、親指を白鍵の一つに置いた状態で硬直している。腕に隠れた部分にシルク印刷されている文字を読み取ると、Steinway & Sonsとあった。
「これってピアノのメーカー名?」
何も考えずに訊くと、制服警官はこともなげに答えた。
「そうです。安くても一千万円くらいするそうですよ」
俺は思わず30センチくらいのけぞった。
「で、音楽隊でピアノできる奴って何人いるの」
「あー、ピアノですかあ」
電話の向こうで岡部がフニャフニャした声を出す。
「僕と、あとは結城さんだけですね。二人です」
結城かよ、と俺は心の中でガックリした。岡部は所轄署時代の後輩で、今は本部の音楽隊にいる。結城は俺と警察学校で同期だった婦警だ。どちらにも、教えを乞うのはちょっと嫌だ。
となると、あとはマーしかいない。マーというのは真希子、つまり俺の妹である。牧田家の娘に真希子と名付ける絶望的なセンスの持ち主である両親が妹をまともに育てたのは奇跡と言えよう。まともどころか旧帝大に受かってフランス文学を専攻、今はパリに留学している。テニスの腕前は体育会系にひけをとらず、なおかつピアノは高校時代に県下のコンクールで入賞するほどだった。
俺の妹がこんなに有能なわけがない、とラノベのタイトルみたいな台詞を吐いたのも一度や二度ではない。
「牧さん、そんなことよりたまには飲みに行きましょうよ」
岡部の野郎は殺人事件をそんなこと呼ばわりするくらいには仕事をナメている。
「俺はお前と違って忙しいんだよ。またな」
けんもほろろ、と思われても仕方がない。俺は『コロシの牧さん』だ。
Zoomの画面の中でマーが歯磨きをしている。俺は被害者の左手が大写しになった画面を共有している。
「ふうん……親指でソね。G、G線上のアリア、バッハ、ゲー……なんだろう」マーは歯磨きをしながら続ける。「全体の写真はないの?」
「死体写真だぞ。大丈夫か」
「平気だよそんなの」
俺は現場写真の中でも比較的マイルドなのを選んで共有した。マーは俺の心配をよそに、まったく歯磨きのペースを変えることなく画面を凝視した。
「この人、ユーチューバーだよ」
「ユーチューバー?」
マーはチャットでURLを送ってきた。クリックすると、YouTubeの動画が再生される。アニメの主題歌らしき曲を当該アニメのコスプレをした状態でピアノ演奏する動画だった。動画では顔が映らないようにフレーミングしているが、背景の壁やピアノの配置は、間違いなく今回の殺人事件の現場だった。
「よかったねお兄ちゃん、捜査がんばって」
「まてよ。この指は結局なんなんだ」
「だから分かんないって。本気でダイイングメッセージとか思ってんの?」
「そうかも知れない」
「犯人と争ってたまたまその状態で死んだかも知れないでしょ。私もう寝るから」
パリはもう夜の十一時だ。寝る前に殺人事件の現場写真を見ても平然としているマーの肝の据わりようはさすが我が妹と言わざるを得ない。
「この指がダイイングメッセージって? マーくん面白いね」
結城がクスクス笑いながら言った。小馬鹿にしたような態度もさることながら、マーくんと呼ぶのは止めてほしい。こんなところを同僚に目撃されたら『コロシの牧さん』のイメージが音を立てて崩れ去るだろう。
「なかなかの美人じゃない」
結城は現場写真を興味深げに眺める。小首を傾げた結城はなんとも可愛い。警察学校の頃とちっとも変わっていなかった。
「これ、何のコスプレなの?」
写真を返してよこしながら、結城が訊いた。それがわからない。結城のところにくる前に、二課の使っている秋葉系の捜査協力者を何人か頼んで写真を確認してもらったが、全員が首をひねるばかりだった。一見サファリ服のようにも見えるサンドカラーの開襟シャツに同じ色の長ズボン、臙脂色のベレー帽といったいでたちだった。腰にはオートマチックのホルスターを下げている。
「YouTubeの線からは何も上がらなかった。ようするに、お手上げだよ」
「岡部くんには訊いてみた? 彼、結構なアニメオタクだよ」
俺は岡部のフニャフニャした喋り方を思い出し、勘弁してくれよと思ったが背に腹はかえられない。岡部は「じゃー、先輩のおごりで飲みましょうよー。そしたら全面的にご協力しますーふふ」と相変わらずふざけた感じだったので俺は奴をクソ不味くて有名な居酒屋に連れ出した。不味いのに、安いから結構混んでいる。
「んーわかんないっすねー」
岡部は悪びれもせず言った。
「じゃここのおごりはナシな」
「えーひどいっすよ」
「あたりまえだ。お前なら分かるっていうから呼んだんだ」
「結城さんもひどいなー。どうせ僕のことキモヲタとか言ってたんでしょ」
「違うのか」
岡部は一瞬、悪戯っぽく含み笑いをする。
「牧さん、まだ結城さんのこと好きなんですか。もう一回チャレンジしてみたらどうです?」
俺は思わず酒を吹き出すところだった。なんでこいつが知ってるんだ。
「聞きましたよー、警察学校時代に告ったそうですね」
結城のおしゃべりに憤るよりも目の前の岡部にまず殺意が湧いた。俺はコップに残った焼酎を一気に呷る。このまま岡部を殺せば俺の罪状は殺人罪だ。殺意があるからだ。それからの会話はよく覚えていない。岡部から、地域課で事務仕事の閑職にある定年間際の警察官を紹介されたことだけは記憶にある。なんでも、オタク知識は岡部なんか問題にならないくらい豊富だという。
「周りからは『ノスタル爺』と呼ばれてるそうです。古いマンガとかアニメとか特撮にやたら詳しいからでしょうけど」
俺は翌日、地域課の扉を叩いた。
「ああ、ノスタル爺ね」
課員に尋ねると、奥の窓際、ぽつんと離れた席を示した。やけに小ぎれいなデスクの向こうに、くすんだ色をしたニットのチョッキを着た、定年間際にしても歳を取りすぎたような男が座っていた。
「ノスタル爺さんですか」
俺が近づいて訊くと、ノスタル爺はいきなり立ち上がって金切り声をあげた。
「さんをつけるなデコ助野郎!」
デスクの上にあった本を投げつけてくる。俺は身をかわして避けた。本は背後の床に落ちて鈍器のような音を立てる。
「なんですかいきなり」このくらいで動じる俺ではない。「ちょっとお知恵を拝借したいことがあって来たんですよ。私は捜査一課の牧田です」
ノスタル爺は血走った目を俺に向けている。俺は懐から現場写真を取り出して見せた。
「このコスプレ、なんだか分かります?」
ノスタル爺は写真に目をやった。次の瞬間、さっきよりもさらに半オクターブ高い金切り声を出して飛びかかってくる。
「よくここがわかったなー!」
何が何だかわからないうちにノスタル爺が見た目からは想像もできないくらい素早い身のこなしで俺に覆い被さって、万力のような力で俺の腕を押さえつける。
「へっへっ、俺がやったんだよ~」
ノスタル爺の目は完全に逝っていた。俺は爺をはねのけようとするがびくともしない。助けを呼ぼうと地域課の課員たちがいるはずの方を振り仰いだが、ちょうど昼休みに入ったのか部屋には誰もいなくなっていた。
「助けなんか来ないぞ~」
ノスタル爺はますます力強く俺の動きを封じてくる。爺の肘が俺の頸動脈を圧迫し始めるに至って、俺はようやく危機感を覚えた。
「一課の牧田か。なかなか勘のいい奴らしいが、ここまでだな~」
そうか、ノスタル爺か。被害者が死に際にGの白鍵に指を掛けていたのはやはりダイイングメッセージだったんだ、というどうでもいい合点をしながら、俺は自分の意識が薄れゆくのを感じた。
次に気づいたとき、ノスタル爺は俺の足元に倒れていた。一課の仲間が爺を拘束している。どうやら俺が意識を失っていたのはほんの数十秒だったらしい。
「すまん、助かった」
俺は朦朧とする頭を振りながら、立ち上がった。仲間が助けに来てくれなければ、殺されていたかもしれない。だが、一課の連中はなぜか俺を遠巻きにしている。
「牧さん……」
よくコンビを組む坂本が手錠を手に、にじり寄ってくる。どういうことだ。
「おいおい、なんだよこれ」
俺が言い終わるか終わらないかのうちに、坂本をはじめ仲間が一斉に飛びかかってきた。多勢に無勢、なすすべもなく拘束される。
「容疑者確保、午後零時十二分」
坂本が高らかに宣言する。おい待てよ、何の容疑だ。
「悪いな牧さん、音楽隊の岡部巡査殺害容疑だ」
「へ?」
どうやら俺は昨晩、岡部を殺したらしい。殺意があったから殺人罪だ。具合の悪いことに、殺意が芽生えたのだけはしっかり覚えている。
マーが一時帰国のついでに面会にやってきた。俺は拘置所の分厚いアクリル板越しにマーと対面した。
「意外と元気そうね、お兄ちゃん」
「元気なはずねえだろ」
ノスタル爺は証拠不十分で不起訴となった。一方の俺は公訴中で、有罪はほぼ免れ得ない。こんな状況で、元気でいられる方がどうかしている。
「あ、そうそう、お兄ちゃんが気にしてたこと、ノスタル爺に確認してきたよ」
俺は思わず30センチくらい身を乗り出した。横に控えている刑務官が一瞬びくっと身構えた。
「マーお前あいつに会いに行ったのか」
優秀で可愛い妹をあんなのに近づけたくないのは当然だ。兄としてなにもできないのがもどかしくてちんぽの縮こまる思いだった。
「そう言わないの。ほら、あのコスプレね、ジャッカー電撃隊の女性隊員なんだって」
「ジャッカー電撃隊?」
「うん、ゴレンジャーの後番組。シリーズ第二作ね。ゴレンジャーがヒットしたんで二匹目のドジョウを狙ったんだけど子供向けにしては話も音楽も暗すぎて、打ち切りになっちゃったみたい。女性隊員はその中でも後半の話にしか出てこないそうよ」
俺は溜息をついた。打ち切り番組のモブキャラ。
「じゃあね、私飛行機の時間あるから」マーは席を立つ。「次帰ってくるのは早くても半年後かな」
「その頃には俺は裁判終わって、刑務所だな」
警察も懲戒免職だろう。俺の人生、終わったな。改めて頭を抱える。
「お兄ちゃん、気を落とさないで。務めを終えて出てきたら、またやり直そうよ」
そう言って立ち上がるマーが、サファリ服みたいなシャツを着ているのに俺はふと気づいた。シャツと同じ色のズボン、手には臙脂色のベレー帽。
「おいマー何だそれ」
「ああこれね」マーは右足を支点にくるっと身体を回してみせると、口角を上げて笑った。「ノスタル爺に話を聞きに行ったら、かわいいね、これ絶対似合うから試してみて、って言われたの。着てみたら案外悪くないし、これでパリに降り立つわ」
俺は言葉を失った。面会時間が終わってマーが出て行ってからも、しばらく呆然としていた。
「次の面会者だぞ」
刑務官が促す。俺はアクリル板越しに面会室のドアへと目を遣った……なんてこった。
サファリ服みたいなシャツを身につけた結城が入ってくるところだった。
退会したユーザー ゲスト | 2020-11-08 18:29
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退会したユーザー ゲスト | 2020-11-15 16:29
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曾根崎十三 投稿者 | 2020-11-16 19:06
コミカルでちょっとぶっ飛んでいて面白かったです。妹の名前が良いですね。まきまき。
まさかノスタルジーにちなんで「ノスタル爺」が出てくるとは。
小林TKG 投稿者 | 2020-11-19 07:21
シャレオツ。シャレオツな文章だなって思いました。挙句中盤にノスタル爺っていうのが、もう何でしょう。卑怯ですらありましたね(褒めてる)。
「おいおいお~いw」
ってなりました。
大猫 投稿者 | 2020-11-19 20:44
短い枚数の中に登場人物が多いのですが、一人一人に特徴と存在感ありますね。親のネーミングセンスのところでは笑いました。他人事とも思えませんでした。
欲を言えばノスタル爺さんの不思議なキャラをもう少し味わいたかったです。でないと殺されたピアニストが可哀想すぎます。女性たちが次々に爺さんの餌食になってゆくのはなぜか。もう少し長く書いた方が活きる物語だったかも。
古戯都十全 投稿者 | 2020-11-20 20:35
細かいところで色々と笑わされました。
展開がやや突飛な気もしますが、ユーモアセンスとキャラクター描写がそれを補っている印象です。
Fujiki 投稿者 | 2020-11-20 23:29
最初は二時間サスペンスのようなコテコテの展開にニヤニヤ。本当はまともなミステリーを書ける筆力を持っているのにわざと破壊させている。後半のグダグダ感は狙いどおりであろうが、ウーン、本当にこれでいいのか、と思ってしまった。
諏訪真 投稿者 | 2020-11-21 15:35
「コロシの牧さん」って名前が一周回って、「あ、そういう意味での人を示唆してたのか」って気付きました。
松尾模糊 編集者 | 2020-11-21 23:58
キャラが立っていて面白いですね。ノスタル爺には吹きました。皆さん指摘されていますが、長編として生きる設定な気がします。ノスタル爺の若い頃の話とか、いわゆるスピンオフ的作品の方がこのボリュームだと完成度の高いものになるかもしれません。
松下能太郎 投稿者 | 2020-11-22 00:01
「ノスタル爺、白状するの早くない?」と思わず笑いました。全体的に殺人事件がコメディタッチに描かれているなあと思いましたが、立て続けにサファリ服が出てきたときは、あれがノスタル爺に殺害される人の目印なのかなと思ってゾッとしました。
Juan.B 編集者 | 2020-11-22 01:30
設定もストーリーも、予定調和なのかそうでないのか揺らぎつつ、面白く読めた。他の方も書いているが、やはり長編で読みたい話だ。
一希 零 投稿者 | 2020-11-22 17:42
面白く読みました。まさかノスタルジーからノスタル爺とは。ミステリとしては第一話目、といった感じでしょうか。コミカルにもかかわらず、あるいはそれゆえの、救いの無さがちょっと切なかったです。