・2・変な店
一日の始まりが匂いでわかるこの町。灰色のコンクリートジャンクルで浜の匂いがする。東京よりも田舎の畑の方が似合う軽トラックがアスファルトの道を行ったり来たりしている。荷台のコンテナに新鮮な貝、目の蒼い魚が沢山積まれている。角刈りの男たちが朝からデカイ声で怒鳴りあっているが、いや、これはあいさつですか。白(はく)は少し引いていた。ロックはさっきから辺りを見回して落ち着きがない。
「おじさんはこの辺にお店あると言っていました。本当ですか?ここ、とても臭いよ、ハク!」とロックは言った。文句を言っているわりには、すごくはしゃいでいる様に見える。兄ちゃんたち、ちょっと味見してきなって。さっきから五回は角刈りの男たちから話しかけられてロックは上機嫌だ。ここら辺じゃ、青い目の長身の白人は珍しいのかもしれない。ギョカイはファックだと言っているロックも、この町の雰囲気は気に入ったようだ。日本人の白の方がロックの隣で肩身の狭い感じだ。
「ヘイ、ハク!ワッツザッ?」とロックが聞いてくる。
「イッツ、ウニ。」と言って、白はウニ?と思った。ウニって英語でなんて言うんだ?
「ウミ?」とロックは聞き返した。そんな白の目の前で「ウーチン」とでっかい声が飛んで来た。しゃがれた声だったが、顔を上げたらおばちゃんだった。ウニを一つ掴んで「バイミー、バイミー、ナーウ。」とおばちゃんが言った。
「サンクス、ブラザー。バッ、ザッツオーライ。」とロックは言った。どうやら目の前のおばちゃんをおじちゃんだと思ったようだ。わからなくはない。
「ハク、大学の後は何するつもりですか。」とロックが聞いてきた。
「わからない。」と白は答えた。この質問を今まで何回されてきたことか。答えはいつも決まって「わからない」だ。決まってこう聞き返す。
「ロックは、何になるつもり?」
「僕は守護神になります。」
その店の中では宇多田ヒカルの曲がかかっていた。そして、花のいい匂いがした。カウンターには沖縄の置物が置いてあった。ロックはその置物を見つけると指さして「守護神」と言った。カウンターには呼び出しのボタンが設置されていた。白はボタンを押して人を呼んだ。ボタンを押すと奥のカーテンから男の人が出てきた。男はポロシャツを着た、人のよさそうなおじさんだった。
「いらっしゃい、お兄さんたちはご旅行?それともアルバイトの募集で来てくれたのかな?」と男はニコって笑って言った。とても好感をもてる笑顔だった。
「はい、居酒屋さんで募集のポスターを見てきました。」と白が言った。
「ありがとうね。じゃあ、とりあえず奥の部屋でお話しましょうか。」と男は言ってカウンターの隣のドアを開いて二人を中に入れた。
部屋の中には様々な国のガイド本が置いてあった。外国語の本もたくさんあって、白は部屋の周りを見回した。男はPCの置いてある机に歩いて行き、二人にもこちらに来て座るように促した。
「今日はよく来てくれましたね。わたしは、このセンターで「ナビゲーター」をしている吉田といいます。吉田ちゃんって呼んでね。」と男は言った。どうみても四十代くらいのおっさんだけど、声ちょっと高いけど。本当におっさんだよね、間違いじゃないよね、そっちの人じゃないよね。白は自分の性別と正面から戦っている人が苦手だ。
「よろしくね、吉田ちゃん。僕はロックだよ。」とロックが言った。こんな時、外国人っていいなと思う。白も後に続いて挨拶した。吉田ちゃんはよろしくねと言って、二人と握手した。よろしくね…ねって。そして机の下から缶コーヒーを取り出して、二人に進めて自分も美味そうに飲んだ。なぜが缶の口元に目が行ってしまう、薄いピンク色とかになってないよねと白は心配した。ないよね…ねって、おい自分!
「二人ともこのポスター見て来たんだよね。」と吉田ちゃんはポスターを机の上に出した。白たちが居酒屋で見かけたポスターだ。居酒屋と言っても週末になると外国人たちの社交の場となるパブに近い。その店の人にポスターのことを尋ねて、このアメ横の店を紹介してもらったのだ。
「じゃあ、君たちは「スタッフ」からスタートしましょうか。仕事に慣れてきたら「アシスタント」に昇格してあげるからね。」と吉田ちゃんは言った。白とロックはフムフムと話を聞いていた。
「じゃあ、この仕事について説明をするね。こっちのキュートな子は日本語大丈夫かな?」と吉田ちゃんが聞いた。
「ダイジョウブ、ダイジョウブ。ノー、ウォーリーズ、ブラザー!」とロックは言った。ロック、ブラザーはまずいんじゃない。本当にブラザーになっちゃうよ。つーか、本当にロックの日本語の理解力は大丈夫か。まあ最悪自分で説明すればいいかと白は納得。
「オーケイ。それじゃ、説明するね。ここは表向き日本人や外国人旅行客に旅行の提案、相談、宿泊施設の紹介なんかを生業にしている会社なのね。他にも色々と永住権やらビザやら、そんな相談もたまに受けている。まあ、君たちにやってもらうのは全く違う仕事だけど、そんな会社なんだってことは覚えていてね。」と吉田ちゃんは言った。ロックはフムフムと頷いていた。本当に分かっているのか?まあ、日本の大学に進学するくらいだから大丈夫だろう、そういうことにしておこう。
「そんで本題の君たちの仕事についてなんだけど…一言で言うと、危険。ポスター見てきたと思うんだけど「玉の回収、保護、守護、玉に関る全般。初心者歓迎、親切サポート」なんだけど、初めて聞いたよね?」と吉田ちゃんは言った。ロックはフムフムと頷いている。なんだよ、やっぱりヤバそうだよこれと白は思った。そうだよね、やっぱり玉の会話をしちゃいますよね、ブラザー達は。玉って大切だもんね、重要だもんね。つーか、やっぱり危険なんだ。ロックが行こうと言い出すから付いてきたけど、まさかこんなブラザーに出会っちゃうとは思ってもいなかった。
「ドゥーユーアンダスタン、ロック?つーかブラザー?」と白は聞いた。
「玉をホゴしたり、カイシュウしたりするんだろ、リカイしています。バカにするなって。」とロックは言った。そうなんだけど、危険って言ったじゃんか。一言で言うと、危険って、おい。まじっで大丈夫かよブラザー、玉の保護って、少なくともこの自分の二つだけでも今日は死守しなければ。
「そっちの背の低いお兄さんは、僕の言った危険って言葉が気になるのかな?まあ、そういう反応が普通だよね。でもね、玉の回収をしないとこの世界は大変な事になってしまうんです。そうは言ってもわかりづらいと思うからこの写真を見てもらおうかな。東京もたくさんの事件を抱えている地域なんです。これを見てください。」と吉田ちゃんが一枚の写真を見せてくれた。写真には強烈な物が写っていた。人の場合は玉を失うとこうなります、と吉田ちゃんが言った。写真にはスーツ姿の男の後ろ姿と地面に倒れる女性の姿が写っていた。男の手には包丁が握られていて、花柄のシャツにベージュのスカートを履いた女性は首元から血を流していた。それより目をひいたのは、一面に広がる血の池だった。
「この男は玉を奪われてこんな行動に出てしまいました。人は一度玉を奪われると、他の玉を奪わずにはいられなくなってしまうんです。だから、最悪のケースこの写真のように実力行使に至る場合があります。この玉の問題点は他の玉を奪っても、決して奪った人のモノにならないことなんです。一つの生き物には一つの玉と決まっているからです。まあ、雄には二つくっついているけど、それとは別モノよん。そして他人から玉を奪っても、その「乾き」を潤すことはできません。したがって、一度玉を奪われた人は次々と次の玉を求めて街をさまよいます。この女性の場合、女性自身が仮死状態になってくれたおかげで玉は早々に「ゲッター」によって収集されました。女性が動けない状態だったのが不幸中の幸いでした。」
「フコウチュウノ、サイワイでしたか。んー。」とロックが言った。ロック、もうヤバイとかそんなレベル、レヴェルの話じゃなくなっちゃたよ。なんかさっきまで、雄の玉を想像していた自分が可愛く思えるくらいだよ。玉はゲッターによって回収されたって言われてもね…はあ。
「男性の玉を「ゲッター」が回収して男に返却する事で事態は収集しました。もちろん包丁を持っているこの男は警察に逮捕されています。一度玉を奪われると、他人を騙そうが陥れようが、例えコロソウが玉を奪わないといられない状態になります。それは「乾き」なんです。」と吉田ちゃんは言って、缶コーヒーを飲んだ。
「この写真の女性と男性は恋人同士でした。この世の中には、この悲劇の連鎖を意図的に造り出している人物がいます。その人物はいまや組織的に悲劇の連鎖を生み出し、世界を常闇に引きずりこもうとしています。我々の使命は玉を守ることでその組織と戦い、世界を常闇から救うことなんです。」と吉田ちゃんは力強く言った。そして、フーっと言って缶コーヒーを飲み乾した。結局この吉田ちゃんはさっきから何回「たま」と言ったんだ?つーか、戦うってどうゆう了見だよ。戦うって、ヤバいよ。俺もさっきから何回やばいって言ったよ、と白はかなりパニックになっていた。ねーママー、目の前にたま焼き屋さんがみえるよ、ひとつ買って帰ろうよ、「っておい!」たま焼き屋ってなんだよ。ひとつじゃねーし、二つセットで一つなの!「っておい!」。白はいよいよヤバイ所に来たと実感した。隣のロックの腕を小突いた。その瞬間ロックは立ち上がった。
「吉田ちゃん、それはこの街を守るってことだよね。そんな事、続けさせちゃダメだよね。ソウダロ、ハク?」とロックは言った。
「そうだけど、ロック。But R U hearing what he told us? イッツ、デンジャラス フォーアス。」と白は言った。
「ヘイ カモン ハク!僕たちには、守らないといけない玉があるんだよ。デンジャラスだからって、知らないままで本当に良いの?」とロックが言った。荒らげているロックを白はどうにか座らせた。そして自分の呼吸も落ち着かせた。白は吉田ちゃんの言っている事を嘘だとは思わなかったが、どうしても現実として受けとめられなかった。今日はこのまま帰った方がいいのかもしれない。ロックがもう一度立ち上がった瞬間、カーテンを開けて一人の女性が手に袋を抱えて部屋に入って来た。
「あら、いらっしゃい。お客様かしら?吉田ちゃんセロテープとホッチキスの針買ってきたよん!」と女性は言った。セロテープとホッチキスの針だけだとはとても思えない量の買い物袋の大きさだった。袋からよく見ると板チョコレートの端っこが覗いていた。アメ横名物ですか。その女性はこっちの方まで歩いてきた。スタイルの良い若いOLって感じだが、服装は制服でもなくスーツってわけでもなく、紺のスカートにビーチサンダル、「心」と書かれたTシャツを着ていた。
「何やだ、また缶コーヒーなんかお客さんに出したりして。今、お茶をお持ち致しますので。お二人とも冷たいのでいいかしら?」と「心」Tシャツの女性は言った。
「つめたーいのがいいです!」とロックは言って、とりあえず席に着いた。
「ミっちゃん、いつもありがとうね。でもこの子達はお客様じゃないんだよ。アルバイトの募集で来てくれたんだ。ちょうど今、仕事の説明をしていたところなんだよ。」と吉田ちゃんは言った。そうそう玉の説明だ、世界を常闇から救うのだ。本当にそんな組織ならアルバイト雇っている場合か?と白は思った。
「あらそうだったの!」とミっちゃんは言った。それは、それはと言いながら彼女は冷たいお茶を入れたグラスを机まで持って来てくれた。そして吉田ちゃんの隣の椅子に座った。白の目の前に座ったミっちゃんは髪の毛を低い位置で結んで左肩に乗せていた。こっちは本物の女性だな、まあ吉田ちゃんは見た目はおっさんだからね、わかりやすいよねッホ…ッホじゃねーよ。
「吉田ちゃんまたこの写真使って、怖がらせているんでしょ。もう、やめなさい。私この写真嫌いなんだから。」とミっちゃんは言った。
「ごめん。でもこの写真が一番真実を語っていると思うんだよね、私。」と吉田ちゃんは言った。ミっちゃんは指の間に写真を挟み少し眺めてため息をついた。ミっちゃんはよく見るととっても美人だった。とにかく肌が白くて、とてもやわらかそうだ。ミっちゃんはよく見てと言って写真を白とロックの方に押しやった。
「これ私なの。私と私の彼なのよ。」とミっちゃんは言った。
「この人はダクシャ(駄苦者))によって玉を奪われてこんな事をしてしまったの。ダクシャは「悲しみ」と「玉」を利用して世界を常闇に陥れようとしているのよ。」とミっちゃんは言った。いよいよ意味のわからない固有名刺が出てきたよ、ダクシャってなんだよ。そんな仏教の話に出てきそうな名詞使われてもさっぱりだよと白は内心穏やかではない。
「そう言えば、自己紹介がまだだったわね、私は南川みつお。ミっちゃんって呼ばないと、本当に殴るからな!」とミっちゃんは言って、やはり握手をした。ミっちゃんの手って、女性にしては大きいんだね、と白は思った。そして白は自分の手を少し見てしまった。触った食感もゴツゴツしていたね、ミっちゃん、みつおちゃん、みつおさん。しかしミっちゃんの手元を見るとしっかり桜色の花びら模様をしたネールアートが施されていた。まさかね、そう、まさかね。
この子達やる気あるみたいだし、ここで波乱に満ちたミっちゃんの話をしてもらってもいいかなと吉田ちゃんが言った。波乱に満ちた話?ハードル上がった感じだよね、それでも大丈夫って、どんだけの波乱?まさか、玉に関する波乱ですか。それは荒れそうですね。ロックの目は確かに輝いていたが、白の表情は夕焼けで出来た影の様に暗かった。
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「朝四時に起きて五時半から仕事って…それってあり?あり?ありなのかー、俺の生活。マジで死んでまうーww」安藤秋路
★次回は…ミっちゃんのオハナシ★
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