第四章
人類が病気と初めて向き合ったのが「水」。雄大に地球を循環するこの「水」からできるだけ多くの恵みを得るため、人類は巨大な水のアレルギーに対してどう向き合い、それをどう克服していったのか、人は知るべきである。しかし、便利さを求めることが医療の巨大化を招き、結果として生死の循環サイクルを寸断してしまうことが分かった。「寸断することなく向こう岸へ渡りたい」という未知の世界への願望は、臨死体験とも通ずるものがあり、天へと上昇し、光り輝く知恵の輪、そして「イルカちゃんのフラフープ」をも潜り抜けたという体験談がある一方で、なによりもいえるのは、此岸から泳いで渡れそうな、一面花畑の彼岸までの清流の横断。こう考えても、やはり生き死にを左右する医療の現場には「水」が関係してくるのである。
「イルカのフラフープ」社:社史
(テーラード・ジャケットを着て、めかしこんだ男が二人以上いたら大体こんな話で盛り上がる。女の人が二人いてどんな話になるのかは知らないけれど。共通しているのは男女それぞれ、ここではお洒落をして入院して、治療を受けているってことだけども)
「引き裂かれた明るい小説作法」
僕の気分は朝から沈んでいた。部屋から出たところで、同じく後ろ手に部屋の扉を閉めるSさんと、廊下で鉢合わせしたので、僕は気分のことについて軽く述べた。種明かしを軽く掴みそこねている手品ショーの客のような態度で疑問をぶっつけてみた。すると会話は割とよく弾んだ。
「あなた、それは気圧かもしれません」
「気圧?」
「脳内の酸素濃度の変化で、君のような、失敬、私らのような病人の微細な容態はくるくるするのですよ」ティキティキ。さらに続けざまにSさん:「低気圧にまつわる作品群、映画や本、そこから沢山のピースを揃えて組み立てようとした私の兄がよく言っていたのは、架空の低気圧に気をつけろということでした。低気圧。つまり周囲より気圧の低いところで、……まあ今の私たちには外の様子は知るすべがありませんが、おそらく豆低気圧と呼ばれる台風の一種のなかに我々のこの船は入ったのかも知れません。範囲は一〇〇kmほど、ごく小さいのですが突如、情報もないまま……。いえ、今のは言い方がまずかったですね。誤解を避けるためもう一度述べますと、これは外の様子を知らない私たちだけが天気情報を持っていないというだけでなく、逐一、天候の様子をよく観察しているはずのすべての船乗り達も、この豆低気圧の存在を予期することはできないという意味なんです」
僕:「豆低気圧は本当に存在するのですか?(病気からくるSさんの妄想ではないんですか、という意味合いをなるべく削ったいいかたで)」ティキティキ。Sさん:「勿論です。私たちが今、サマー・ジャケットだけで厚着をせず乗り切っているということを考えると、おそらくシベリア低気圧ではないようですが……。といってもここではずっと、今、外で雨が降っているのか快晴なのか、はたまた雹、霰模様なのかもわからないようになっていて、内部は快適な室温、密室空間なのですがね。快適。私たちを包んでいるのですから。……なんでしたっけ、豆低気圧が本当に存在? まず、いえるのは私の兄は死の直前に、豆低気圧を発見しました。それも、ミルクの空になったコーヒーカップのなかにです。疑り深いあなたは、おや? 今気づかれましたか? 船が……」
「ええ、今もまだ少し揺れて……」
「ええ。もしかしたら豆低気圧でなく、突風かも知れない」
「とっぷう……」
「そうです。これは寒冷前線が通過するときに多発する」
「豆低気圧でなく、というわけですか?」
「答えがでましたね……」
(僕はそれを聞き、首をわずかに傾げる)
微笑んでS:「実は、突風の起こるときというのは、やはり気圧が下がるのです」
「……その観点からしてやはり、あなたの今の体調の変化、悪化の原因は気圧です」
「ありがとうございます。少し不安な気持ちが飛んだようです」
「そうですか。それはよかった。私がお役に立てたということで。ところで、飛んだというのは、苦悩の見事な破壊の仕方に適した、いい表現ですね。破壊された答えが複雑であればあるほど、吹っ飛び方の威力は果てしないものです。というのも、悩みというのは本来、ほんのわずかな苦悩の種が様々な場所で同時多発的に発生して、絡まりあって複雑に起こるものですからね。悩みは本来、いくつかの苦悩の種、きっかけの中間地点に産まれるものなのです。そこはガス漂う危険な苦悩地帯ですから、その中間地点をいきなり打破しようとしても無駄です。なぜなら種・要素のほうからことを進めねばならないからです。ここまではお判りでしょうか? 病人向けラジオ相談などで、悩みを抱えた依頼者が当初話していたところから、相談員がそれとなく水を向けるとだんだんと、遠い親戚に昔言われた一言や、子供の金銭面、またそれとは別に愛犬の死に目に立ち会えなかったことやなんかが、その依頼者の中で絡まり合って、巡り巡って夫への不信感に繋がっていたと判明するなんてことを、あなたも一度や二度聞いたことがあるはずです。悩みをいきなり中間地点の絡まり合いから攻めたって駄目なわけですね。それは本人の中心において絡まり合っているから。それは例えばこうして長い間、船の中に幽閉されている私の中の苦悩の言葉の一つに、山火事というのがあるのと一緒なのです。もちろんこれは例えであり、妄想ですが、山火事は私の心に表面化して根付いた苦悩なのです。山火事というのは本当に例えですがね。でも私はそう思えてなりません。この山火事という苦悩のイメージを「私はどうすればこの船から降りられるか」ということと、その一方で、「部屋のトイレを長く掃除することなく使用するにはどうしたらいいか」という真逆の別々の事(苦悩の種が様々な場所で同時多発的に発生して絡み合い、です)を、それぞれ本来なら私は一本ずつ元を断っていくしかなった状況だったのです。中間地点で絡まり合っているのをほどくのは難しいからです。それよりもきっかけを見定めてそれを無くすことで、伸びた蔦の大元を断てるのです。ワンペアあるいはツーペア、またはフルハウスの絡み合い問題が、気づかぬうちに、苦悩させるからです。突拍子もありませんが、大海のど真ん中にいる私にとって、山火事こそが悩みなのです。ところが、憂鬱、暗澹、混乱を呼び起こしてノイローゼ化し、それらの物事の現状をあなたの言う通り吹っ飛ばして、なんとか明らかにした時に、そう、あなたのいう吹っ飛んだ時に得たのです。あなたのおしゃった、吹っ飛んだ。吹っ飛んで。飛び飛び。そのいくつかの中間点に、船の旅のさなかの、山火事を、吹っ飛びです」
少々困惑、僕:「さあ、どうでしょう……。正直、僕には意味が分かりません。それに、僕は吹っ飛んだとは言ってません……。ですが、その地点に産み落とされたイメージ、ええ、その山火事の鎮火を促したいくつかの点の消失は、Sさんを満足させたのでしょうか? その……、不安な気持ちが解消されたでしょうか? でもやっぱり僕には意味が少しよく分かりません……」
意外にも顔をぱっと明るくさせてSさん:「それは当然なのです。閃きをそのまま語ることで、そのイメージの嬰児はAgeを重ね、健康でいられ、また病気一つせず、我々のように船にこうして乗せられ続けることなく、清らかに光り輝き続けるのですから。結論をいってしまいますと、突如生まれるイメージ、単語は、悩みの解消と同等の、満足感、新鮮な視界を与えてくれますよ」
僕には意味が分からなかった。確かに僕の不安は少し飛んだけれど、Sさんの言う通りに中間地点からイメージは産み落とされていなかった。なぜなら僕の問題、悩みには、中間地点などなく、僕の悩みの形状は、Sさんの言うような、複数の要因の絡まりあっている苦しみではなかったからだ。僕の悩みはほんの些細な軽い疑問だったともいえる。耳垢のようにただ一つのことだけがこびり固まっていたわけだから。
けれども、『閃きをそのまま語ることで、そのイメージの嬰児は健康でいられ、また病気一つせず、清らかに光り輝き続ける』というのはまるで、僕の持っている無垢なガーデンクォーツみたいなものなのではないか? 水晶の説明文としてぴったしだ。イメージそのものだ。ティキティキ。ああ、そうだ。僕は庭園水晶をさっき机の上に出しっぱなしで出てきてしまった。Sさんはそれを知っていて、そのような表現をしたのだろうか? Sさんは知っていて、盗むのだろうか? いや、Sさんだけでなく、誰が盗むかわからない。もし僕だったら盗むだろうか? 誰かと話している時、僕の口調が、目の前の相手や、そこにはいないが見知っている誰かに似てしまう時、僕は初歩的な盗人の気分を知る。すぐに「ああ、この口調を返さなきゃ」とあせるけれど、形なき口調をどう返したらいいか、僕は悩みこんだまま、会話を続けるしかない、いつも。盗人の気持ち。僕は誰かから何かを盗んだ後の気持ちを知っている。デジャヴ。あるいは誰かを殺したあとの。それはとても恐ろしいことで、ありもしないことだが、きっと現実にその時が来たら、僕は結局、盗むだろう(殺すだろう)。僕は盗みたくないけれど(殺したくないけれど)、僕の手が勝手に動くだろう。そもそも、そう思案すること自体が、もう歯止めの利かぬ窃盗(殺害)行為のリハーサルなのだ。だって僕は知っている、逆に僕のことを盗む人も、いるってことを。だから僕も盗む。つまり、盗み盗まれのしあいなのだ。
僕は盗む。同じように誰かに盗まれるのだから。
それが僕の悩みだともいえる。
僕は夢をよくみる。大きなゴミ袋が足元にあって、僕はどこかのドライブインの駐車場の真ん中にいる夢。明け方、車を走らせてきたのだ。真っ黒なゴミ袋のなかには友人の赤ん坊の(そうだ、新鮮な嬰児のイメージの)、血まみれの死体。そこへポケットの携帯電話に着信がある。それはゴミ袋のなかの、死んだ赤ん坊の親である僕の友人からで、僕は電話に出るかどうするか逡巡する。そこでいつも目が覚める。こんな夢を僕はずっとずっとみせ続けられてきた。だからある日現実に、友人のひとりに赤ん坊が本当に産まれたと聞いた時は、心底震えあがった。僕はその赤ん坊が赤ん坊と呼ばれなくなるくらい大きく成長するまで、その家には一度も近づかないようにしようと思ったのだった。僕はそんなふうだった。だがそれでも油断はできなかった。さらにはその赤ん坊が学校に上がる年齢になるまで――幼稚園に入るまででもよかったのかもしれないが――待って、僕はようやく本当にほっと胸を撫で下ろした。
僕は殺す? 同じように誰かに殺される前に?
青い泡は飛沫の波間に。
そして宙の裂け目を、
僕の遭遇したあらゆる人や、
花弁の影が埋め尽くしていくのだ。
「カウガールのぶらぶらテレビの放つ一般人向けニュース、今日の見た?」
「いや、まだ一日これから先は長い。『引き裂かれた明るい小説作法』を見て過ごそう」
〈引き裂かれた明るい小説作法・応用編・ドラマ仕立て〉:『川辺』
「――川辺の岩に腰降ろして青年は、その村内放送を今年も聞いたのであろうか。せせらぎにかき消されることなく、けれどしんと静かにそれは聞こえるのであろうか。青年は毎年その村へ帰ってくる。そして毎年その放送が流れるのを聞く。青年は未来永劫繰り返す。
『誰か、カナリアをしりませんか。あたしのカナリアをしりませんか』
十四年前のこと、貧しかった幼い兄弟たち二人は工場を転勤することになった。数年前に村の山を切り拓いて造られた工場が土壌汚染問題で無くなることになったからだった。母は兄弟にそれぞれ一揃えの荷物を用意した。兄弟はめいめい、荷物の中に妹の写真をこっそりと忍ばせた。明日から母は一人で畑をするのか。一人で飯を食うのか。そういった、母だけをひとり家に残すことへの気掛かりはあるけれど、心配はいらないだろう。兄弟たちは、北へ向かう列車と、南へ向かう列車に乗って旅立った。
七年前のこと、兄弟のうち、兄のほうがこの世を去った。荷物一つと骨壺が北からの列車で帰ってきた。『昼間のことだったから、桐の箱がなんだかまぶしくってね……』母はその晩到着した弟にいった。弟が桐の箱を見るのはこれが二度目だった。兄の荷物を広げると、あの日母が揃えたほとんどそのままのようにあれやこれやの物が出てきた。最後まで欲の無かった兄であった。それを見た母はまた涙をこぼした。しかし奥のほうから、女性の宛名の書かれた封筒が出てきた。なかには兄の字で書かれた恋文があった。
《僕に、死んだ妹がいるのを君は知っているはずだね。君に写真を見せて会わせたことはないけれど、僕が君に教えたのは一回きりじゃなかったはずだね。だからもうきっと、君が妹に会った気になっていても、それはまったくおかしくはないはずだね。だが、今日僕は妹の写真を君に送ろう。またそのうち手紙と共に送り返してくれたまえ。……》
便箋と一緒に、妹の写真が封筒におさめられていた。そして弟はこの時心底驚いた。
兄弟は二人とも同じ写真を持ち出したはずだった。そのためにわざわざ写真屋に、同じ写真を二枚焼いてもらったのだったから。弟が自分の財布から取り出した、もうなんべんも眺めた写真にはやはり妹一人きりだった。妹がこちらへ向けるまなざしや首のかしげかた、背景や光の射し具合は、両方すべて同じだった。けれど兄のほうの写真の中では、妹の肩の上で一羽の黄色のカナリアが、羽を休めていたのだった。
そのカナリアはある日逃げ去ってしまうまで妹が大事にしていた飼い鳥だった。弟は一人動揺を鎮め、二枚の写真のことを自分の胸にしまいこんだ。
そして今年の夏のこと。母が死んだ。真昼に見る桐の箱はやはりまぶしかった。
そしてこの年から、一人残された弟は毎年この村へ帰ってくることになる。
『誰か、カナリアをしりませんか。あたしのカナリアをしりませんか』
母の葬式の次の朝、昔に死んだ幼い妹のそんな声を、村内放送で耳にしたからだった。
これは主にそんな年の夏の話である。
繰り返される夏の、振り出しとなる最初の年の夏のことだ」……
「ふーん。引き裂かれた明るい小説作法にしちゃ、気を持たせるね。いつもの司会の女の子、あの子、今回はドラマ仕立てだからか、妹役の写真だけの登場ってわけだ。まあ、演技とか、できなさそうだもんなあ」
「しーっ。『体温計はどこにさすのお嬢ちゃん』に叱られるぞ」
「『体温計はどこにさすのお嬢ちゃん』なら今朝ぶっ倒れてここにゃいないぜ?」
「死んだの?」
「いや、血糖値があれだっただけで、蘇生して売店でコーヒー飲んでる」
「そう」ティキティキ。
〈引き裂かれた明るい小説作法・応用編・ドラマ仕立て再び〉:
「兄を亡くし、そして母が亡くなるまでの間に、弟は偉くなっていた。勤めていた工場をやめて、大衆受けをすることはなかったが文章を書くことによって、莫大とまではいかずとも十分すぎる金を得、そして若くして地位を築いていた。弟はけっして生きやすさを求めてはいなかった
工場をやめるのも、本当はしたくなかった。
工場をやめなくてはならないくらいなら書くことをやめようと本気で思ったことさえもあった。そんな生き方を弟は望んではいなかったのだ。母や兄たちの顔を思い浮かべるたびに後ろめたくなるようなことを、書きものの肥やしになる、深奥さが増すと言っては、周囲の人々が弟に色々と強いた。弟にとってそんなことは、ただの一度も自己の精神や書くものの糧になったことはなかったし、それらによって生まれた良心の呵責が、自分を故郷の村からどんどん遠く感じさせるような気さえさせたのだった。振り出しの夏、いつものように周囲の人間たちの『遊び』と称する面倒事に連れ出されたその翌朝に〈喫茶室〉でAに出会ったことただ一つを除いては。
Aは美しい女だった。
これまで自分の書くものに美しい女というものを登場させたことはなかったが、
書くのであったらばきっとこんな外貌をしていただろうと弟は思った。
〈喫茶室〉のマッチで煙草に火をつけ、
窓の外を眺めるAの横顔を見ていた弟に、
『まだ若いですが大変優れた占術師ですよ』、
と、昨晩から弟を連れ回していたとある大学教授は耳打ちをした。
若い弟は恋をした。
そしてこれまでの周囲の大人たちとはもう会わないようになった。
しかし、Aは弟の気持ちに応えることはなかった。しかし、占うことに関しては別だった。毎日〈喫茶室〉で二人は会い、Aは弟に占術について話を聞かせた。『ダイスの目』。Aはまずそういった。良い占術師というのは、ダイスをいくつも心の中に持っているのだといった。それを振る時、必ずしなければいけないのはもちろんその選別で、それらはすべてが当たりであったり、もしくはなにも彫り刻まれていないものであったり様々で、それらを客に合わせて心の中で振るのだと。ダイスの選択を間違わねばおのずと、出る目は未来を見せるのだとAはいった。Aのやり方、それはまさしく予言だった。
それは弟をますますとりこにした。そしてある日ついに弟はAに二枚のあの写真を見せた。弟にどのような気持ちがあってそうしたのかはわからなかった。ところが、
『あら、これ、私見たことがあってよ。ここへ来るまで私、北のほうにいたのよ。そこで見たことがあってよ』と、Aは兄のほうの写真を指さしていった。
その時、弟は死んだ兄の恋文の相手を知ることとなった。
ティキティキ。
弟の文章は売れなくなった。周りとの関係を断ち切り、悪女にのめり込んだので、弟の周りにはもう誰もいなかったからだと噂された。弟のために述べておくが、彼の文章の評価は本来そのようなことに左右されるようなものではない、本当に素晴らしいものだった。しかし前述したように、弟は名誉や地位や、そんなことを気にはしなかった。《悪女》とは勿論Aのことであった。そう呼んでいたのはもちろん、それまで弟の周りにいた、手のひらを返した人間たちであった。しかし売れなくなったのは、そればかりは事実なのであった」
『体温計はどこにさすのお嬢ちゃん』、戻ってきて、げっぷして:「ああ、間に合わなかった。間に合わなかった。ああ俺、再放送を見るぞ。再放送を見るぞ。再放送はいつだ? おい、リモコンはどこだ。誰か録画はしてなかったのか? なんだ。瑠璃子ちゃんは今日はどんな服だった? どんな小説技法を教えてくれた? なに、写真での登場? おいおいリモコン。来週は……、え、来週は解説編? それじゃあ次回までに、今日のをどうにかして見ておかなくっちゃ! 頭がくらくら、ひょっとしてバロウズのカットアップ編の続きだったのかい?」……
遠い昔の映画、親友の俳優の台詞:「君を死なせるわけにはいかない。もちろん殺すわけにも。殺させるわけにも」過去を知る刑事:「お前の目、目。舐めてるぞ」昔、親友の運転する車のナビの声:「速度超過を検知しました、安全運転を心掛けましょう」僕は何遍も聞いたな。「速度超過を検知しました、速度超過を死なせました、速度超過を殺しました、速度超過を殺させました、安全運転を心掛けましょう」犯人役を演じる俳優の親友:「画家の死。あるいは彼の事例史で分かることでしょうが……、君に盗ませるわけにはいかない。もちろん盗まれるわけにも。盗むわけにも。まあ安全運転を心掛けましょう」
僕は盗む。同じように誰かに盗まれる。
僕は殺す。同じように誰かに殺される?
すべてがまるで経験済みのように思える。「わかった」、「わかっていた」、そういった未経験にもかかわらず了承済みとして捉えられる事柄が、ぼんやりと、だが稲光のように一瞬にして頭を支配する時、あるいはいつのまにか、事の初めから頭のなかで我が物顔で座り込んでいた、にせの記憶に気付いた時、僕は僕自身が危険に感じる時がある。妄想。僕という抜け殻から僕が逃げても、誤解釈、誤読は僕の奥底に残ったままなのが気になってしょうがない。あるいは誤訳。ずっと僕に、付きまとう妄執体験。巨大な目もそれだし、あるはずのない記憶、したはずのない経験によって、自己を警告。あるいはありもしない罪に押しつぶされ、自首すらしたくなる。架空の罪を扱ってくれる架空の刑罰はないのだろうか?
ああ、それを賄ってくれるのがこの病院を兼ねた船だ、という言い方もできるか。
誰かにそれを尋ねてみたい。
十何人かの医師の回診。医師、別の医師、また別の医師、また別の医師、の無言の眼差し、質問は本来許されない。先頭の医師が話し、次の医師がそのあと話し、また次の医師が話し、また次の医師が話し、だがそれがほとんどみんな差異のない発言。
「あのう」
隙をついて放った僕の質問のこの一言だけで、医師たちは恐慌状態に陥った!
みんな泣いている。女性看護師たちがそれぞれ一人ずつ付いてハンカチで勃起を鎮める。
医師たちが口々に叫ぶ!
「心温まるお言葉をいただきましてありがとうございました! この度のお言葉を励みにこれからも安心して過ごせるように入院環境を整え! 患者さん・ご家族の気持ちに寄り添い! 心が通い合う温かな看護が提供できるようにスタッフ一同努力をしていきたいと思います!」
ティキティキ。廊下に待機していた医師たちにもそれは伝染した。
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