窓の向こうに花火が咲いている。
光の粒が水滴のように弾けて、赤。緑、金、白、色とりどりの無数の輝く花びらを夜空に散らしては消えていく。
花火はいい。一発で夜空を光の王国に変えてしまう。ただしほんの一瞬だけ。
花火が終わると誰も夜空なんか見上げなくなる。花火が消えた後の闇なんか。
叔父さんは花火師だった。だから花火をみると叔父さんのことを思い出す。シーズンになると打ち上げのために日本全国あちこちに行っていた。大酒飲みで博打うち。でも花火のシーズンになると酒を控えていた。叔母さんの話では、業界内で評判の、腕のいい職人だったらしい。
叔父さんは僕のことを可愛がってくれていた。家も近所だったので、僕はよく叔父さんのところへ遊びに行った。顔を合わせると、叔父さんは花火の種類だとか仕組みだとか、色々と真剣な表情で教えてくれた。
叔母さんから愛想をつかされて家を追い出されるようにして別居して、そこからはもう酒とギャンブルが止まらなかった。仕事をクビになって、最後は真冬に橋から海に飛び降りて死んだ。まだ四十をちょっと過ぎたくらいだった。
葬式で、喪主を務めた叔母さんが小さく洟をすすりながら「お酒を飲んではいろんなことから逃げて、挙句の果てに勝手に死んじゃって、最後までいろんな人に迷惑をかけ通しで、本当に卑怯な人でした」と、すごく辛辣なことを言った後、「でも見た目だけは本当に男前でした」と付け加えて、皆がなんだか泣き笑いみたいになったことを憶えてる。
「けい坊はハンサムであの人によく似てる。だから気をつけないと。絶対あんなふうになっちゃ駄目よ」と叔母から言われた。そういえば本人からも「俺みてえな人間になるなよ」って言われたことがあった。
「俺の仕事はよ、度胸がねえと務まらねえんだ」とか「男は度胸だよ」なんて酔うたびに口癖のように言っていた叔父さんに、最後に、度胸でなく卑怯って言葉が向けられたのはちょっと可哀想だった。卑怯という言葉を辞書で引いたら〈勇気がなく臆病でずるいこと〉って書いてあった。
僕も卑怯だ。
愛されていたのに君から逃げた。
君の前は明日香。その前は梨花。いや違う佳奈。その前は……もう思い出せない。なぜだろう。毎回こうだ。何度同じことを繰り返せば気が済むんだろう。最低だ。
最初からうまくいかないだろうと思っていたし、君にも何度かそう伝えた。だけど君は笑って首を横に振った。「食べ物の好みも、映画の趣味も全然違ってるけど、でも、だからこそ面白いんだよ。きっとうまくいくよ」と。「私って基本的にポジティブなんだ」と笑い飛ばそうとしていた。その笑顔を見るのが辛かった。
とある店のランチの美味しさについて君が喋っているとき、僕は曖昧な笑顔でうなずきながら、それと全く関係のない映画について考えていた。面白かった本について君が喋っているときには気に入った服のことを、旅行について喋っているときは別の女性と過ごした夜のことを考えていた。
君に取り込まれていくのが怖かった。
君は優しくて、とても素敵だったのに。
どうして君をちゃんと愛せなかったんだろう。いや、愛そうとしなかったんだろう。
確かに感覚も趣味も合う方ではなかった。でもそんなことは本質的な理由ではないんだと思う。自分を愛せない人は他人を愛せない、と誰かから聞いた。僕は自分を愛していないんだろうか。よくわからない。ただ、自分を好きか嫌いかと問われれば、嫌いだと答える。
目の前にまた赤と緑の光滴が飛び散る。あれは千輪菊。本当にきれいだ。
そういえば君は時々僕のことを、きれい、と言った。
「きれいじゃないよ」と答えると、「私きれいと思ったものは遠慮なく口に出して、そう言うの」と言い返された。
僕は君に、きれいだと一度も言わなかった。もちろん君はきれいだった。でもそれを口に出して言わなかった。
僕は狭量で、不寛容で、その上傲慢。そして本当に卑怯。人を愛するために必要な、とても大切なものが欠落している。そのことを君の残酷な笑顔はいつもいつも、僕に思い知らせた。それは本当に耐え難かった。
今はもう過ぎ去って、どうでもいいことだ。僕はすべてにがっかりしながら、この上もなく安堵してもいる。
もう誰も傷つけたくないし、誰からも傷つけられたくない。
君は気持ちをさっさと切り替えて、また颯爽と歩いていくだろう。僕よりもずっと強くて確かな足取りで。気を悪くしないでほしい。でも君はそういう人だと思う。いや、責めてるわけじゃないよ。全然、そんな資格もないし。
度胸という言葉をよく口に出すくせに、叔父さんは気が小さかった。賭け事でも大負けすることはあっても、大勝ちしたって話はあまり聞いたことがない。叔母さんに言わせれば、ズブズブにのめり込んでいたくせにからきし弱くて、ヤクザのいいカモにされていたらしい。
ある日、中学校からの下校中、飲み屋の前を通りかかったときに、縁台から声をかけられた。見ると叔父さんが酒を飲んでいた。すっかり出来上がって目が据わっていた。並んで飲んでいた刺青のおっちゃんによれば、叔父さんは前夜の麻雀で15万いかれて、叔母さんと大喧嘩になった挙句に家を飛び出して、昼からやけ酒を飲んでいたという。
「親ッパネ張ってたのによう。大三元にびびって中握って降りちまってさ。でもそれは当たり牌じゃなかった。そういうもんよ。俺はいざというときに意気地ねえんだ。目え瞑ってえいやって飛べねえんだわ」
「叔父さん、ツイてなかっただけだよ。次は勝つよ」やむなく僕はそう言ってなだめた。
「逃げてばっかりで勝てるわけがねえ。俺は駄目だ」
「大丈夫だよ。叔父さん、男は度胸だろ。えいやって飛べるよ。大丈夫だよ」何を言っているのか自分でもよく分からなかった。
「おうよ。けい坊。次は勝つ。かっぱいでやる」
まあ座れよ、という叔父さんの声を無視して僕はその場を離れた。
飛べねえ、なんてその時は言っていたくせに、僕の変な励ましが良くなかったんだろうか。その半年後、、叔父さんは橋から冬の海面に向かって飛んだ。
あんたは叔父さんに似てると言われたから、という訳ではないけど、誰かと付き合うたびに、その女性が泣きながら、僕のことを卑怯と罵る日が来ることを、僕は恐れずにはいられない。君をそんな目に遭わせずに済んだことはせめてもの救いかもしれない。
くそったれ、と呟いたのと同時に、ドン、と腹に響く最後の大きな一発が開いた。きらめきながら滲んでいき、消える一瞬前に再び明るく光った。見事な紅光露だった。
そして本当の闇がまた戻ってくる。
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