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カルロス(仮)

犬江目彦

草むらでバッタが跳ねるように生きるとはどういうことなのか。地下で政治活動をする友人との、記憶に関する話です。

小説

5,019文字

高校の同窓会で南部の話になった。公安が捜査しているとか過激派と繋がりがあったとかの噂があり、地下で政治活動をしているらしいという話になった。しかし親しい友人はなく休みがちでいつの間にか転校した南部に関心がある者は少なく、すぐに別の話題に変わった。

俺も南部とは親しくはなくどういう奴かもよく知らない。しかし少しだけ接点があり、政治活動に関わっているとしたらそれがきっかけかもしれない。

高校時代、市内の米軍基地近くの反米デモによく参加していた。政治に関心を持っているのはクラスでは俺だけだったと思う。デモの主催グループと顔見知りになり、原子力空母が入港する際の大規模なデモで動員をかけることになった。その時に南部を誘ったが何故南部だったのかわからない。他に声をかけて断られたのかもしれない。南部がどう反応したかも覚えていないがとにかく南部はデモに来た。

車道の中央にロープが貼られ、デモ行進は片側車線で行われた。歩きながら主催グループが声を上げデモ隊がそれを繰り返した。南部は始まって暫くは周囲を伺うようにしていたが、そのうちにコールに合わせて小さく口を動かすようになった。

基地が近付き周囲の警官の数が増えてきた。前を歩く男が躓きかけロープを押して車線をはみ出した。警官が走り寄って外側から男を押し、その拍子にデモ隊の数人が倒れた。何すんだと声が上がり行進は止まった。主催グループのメンバーが警官に抗議した。警官が集まって来てデモ隊から怒号が上がり、辺りは騒然とした雰囲気になった。そのようになるのは初めてだった。南部が不安そうな顔で俺を見た。あの人たちに任せておけば大丈夫だ。そう言った俺の声は震えていた。デモ隊と警官が揉み合って人が入り乱れ、気付いたら南部がどこにいるか分からなくなっていた。俺は人の間を縫ってデモ隊の後方に移動し、歩道に出ると駅まで走った。

翌日南部は学校に来なかった。そのまま学校を休み続け知らないうちに転校していた。

同窓会の幹事に聞いたが連絡は取れないと言う。休日に名簿にある住所に行ったが、マンションが建って家はなくなっていた。近所の古い商店で話を聞き、二十年くらい前に引っ越したらしいと分かったがそれ以外に手掛かりになる情報はなかった。

数日後に電話があった。

「覚えているか」声を聞いた瞬間に南部だと思った。「俺のことを探ってるらしいな。何か知りたいのか」

同窓会があったが来なかったので気になっていると俺は言った。南部は俺も話がある、一度会おうと言った。

数日後の夕方、玉川上水近くの遊歩道に行った。携帯が鳴って南部が道を指示した。空き地に出るのでそこで待つようにとのことだった。

遊歩道は薄暗く人通りはなかった。道の両側に草が生い茂り夏草の匂いが立ち込めていた。進むうちに道は細くなり左右に分かれた場所に出た。指示の通り右に向かった。左に別れる道がある筈だったが、迂回した道を行くうちにさっきの分かれ道と似た場所に出た。道を見逃して元に戻ったのかもしれない。右に行ってやり直すか迷った末、左に向かった。

道は更に細くなり脇の草が道を遮るように伸びていた。街灯は疎らで月が弱く照らすだけの足元は暗くてよく見えなかった。引き返そうかと思ったが、そうしたら二度と南部に会えない気がして、道を覆う草を掻き分けて進んだ。

草が突然途切れて開けた場所に出た。草が生えていない地面が五、六メートル広がり空き地と言えなくもない。周囲は背の高い草で囲まれ一本の太い木とその正面に大きな切り株があった。木の根元に腰を下ろした。木に繁った葉で月が隠れて暗さが増した。周囲の草が壁のようで大きな穴の底にいる気がした。

目が暗闇にだんだんと慣れていった。ぼんやりとしていた正面の切り株の輪郭がはっきりとしてきた。切断面が膨らみ更に輪郭は変わり、胡坐をかいた人間になった。

「南部か?」と俺は言った。

「よく来れたな」と胡坐の人間が言った。

南部はサングラスをかけ角張って頑丈そうな顔で、体は以前のような丸みはなく肩幅が広く屈強そうだった。

「高校の時以来だな」と俺は言った。

「そうだったか?」

「何か、地下の活動をしてるって聞いたけど・・・」

南部は「ちょっと暗いだろ」と言った。「焚き火を起こすから手伝ってくれないか。木の枝を十本くらいここに置いてくれ」

南部がサングラスをかけた顔を上に向け、手に持った杖で地面を示した。

「目が悪いのか」

「少しだけな。暗い中だとよく見えないけど、生活に大きな支障はない」

俺は枝を拾って南部の前に置いた。南部は手探りで枝を取って目の前に重ね、小さな櫓を作った。ポケットから小さな塊を出して置きマッチを擦って火をかざした。風が吹いて火が手を覆ったが気にする様子はなかった。すぐに炎が上がり辺りが少し明るくなった。俺は焚き火を挟んだ南部の向かい側に座った。

「暗いのに、サングラスをするのか」

「知らないのか。サングラスはよく見るためにするんだぞ」

顔は昔と大分印象が違っていた。誰かに似ていると思ったが思いつかなかった。黒いレンズに俺の小さな姿が映りそれに重なって炎が揺れていた。その奥の目が俺を観察している気がした。

「あれからどうしてた」と俺は聞いた。

「あれっていつのことだ」

「高校の時、一緒にベース近くのデモに行っただろ。空母に反対するやつだ。警官と揉み合いになったけど大丈夫だったか」

「そんなことあったな。俺は何ともなかった。お前こそ鼻血出して血だらけになったよな。あの後無事に帰れたのか」

鼻血?誰のことを言っているのか。火がぱちぱちと音を立てた。炎が大きくなり南部の顔に深い影を作った。炎が揺らぐせいなのか、鼻が曲がって見えた。

「そういや、ガムテープを目の上に貼る遊びあったろ。あれで鼻血出した奴がいたな。何にも見えなくして教室からトイレに行く時に壁に激突してさ。夜中の公園でやった時は面白かったな。本当に真っ暗闇になって滅茶苦茶不安だった。誰だったか半べそをかいてたよな。深い海の底が見えて巨大な蛸が近付いてきて睨んだとか言ってただろ」

その遊びは覚えている。蛸を見たと言ったのは山下だ。しかし南部がそこにいた記憶はない。

「あの頃ふざけた遊びばっかやってたよな。屋上の端に立って校庭に向かって小便するのもやったな。みんな手摺りから手を離すと腰が引けて情けなかった。ちょっと風が吹いただけで慌てて手摺りを掴んで。小便が出たのは俺だけだったけど、実は仕掛けがあってな。あの前に水を大量に飲んで小便が出やすいようにしてたんだ。漏れる寸前でやばかったよ」

小便が出たのも、誰にも言わずに水を飲んで準備したのも俺だ。今にも出そうだったが屋上の端に立って校庭を見た途端に尿意は消えた。校庭の水たまりでカラスが遊んでいた。なかなか小便は出ず駄目かと思った時、カラスがかあと鳴いた。すると小便が少しだけ出た。小便を浴びたカラスが水たまりに飛び込むのが見えた瞬間、噴出するように小便が出た。それを浴びながらカラスがまたかあと鳴いた。

その時も南部はいなかった。南部はそのような遊びの仲間ではなかった。なぜそこに南部がいたことになっているのか。俺をからかっているのか。だとしたら何故知らない筈のことを知っているのか。

俺の記憶が南部のものに入れ替わっている。炎が揺らめき、表情が変わっていないのに鼻の曲がった顔が笑ったように見えた。サングラスに映る俺は薄く炎に押されて見えなくなりそうだった。

草の中からバッタが飛び出し、南部の顔を掠めて飛んでいった。

「バッタか。折角だからいいものを見せてやる。三匹ほど捕まえてくれないか」

俺は立ち上がって草を足で探った。バッタが数匹飛び跳ねて思わず避けた。南部を見ると焚き火に顔を向けたままだった。草を蹴るとまた跳ね、怯みながら手を出したら手の中に収まった。

バッタを両手に収めて差し出した。南部は片手で無造作に掴み、塊を擦り付けて焚き火に放り込んだ。火の粉が大きく跳ねバッタが飛び出た。羽根が燃えていた。暗闇の中を火のついた三匹のバッタが飛び跳ね、火が線になって交差した。

こんな遊びも昔やっただろうか。こんな美しい光景を見たなら忘れる筈はないのに、何で記憶にないのか。

「残酷だろ」と南部が言った。

「それとも綺麗だと思うか。見えないから俺には分からない。だからバッタがどう感じるかを想像する。始めは驚いて次に苦しいと感じ、それから戸惑う。何で火をつけられるのか。しかしバッタに分かる筈もない。取り敢えずジャンプする。そのうちに戸惑いは怒りに変わる。怒りと共にジャンプし続ける。そしてジャンプすることが当たり前になる。ジャンプするために生きていると思えてくる」

バッタは三匹とも草むらに入り火の線は見えなくなった。南部は周囲に落ちた枝や葉を拾って焚き火に投げ入れた。炎がぱちぱちと音を上げた。南部は何度も何度も枝を投げ入れた。

「地下がどういうことか、分かるか?」

南部が手を止めて言った。汗が額から流れ落ちていった。唾を飲み込もうとしたが口の中が乾いていた。何か言わないといけないと思ったが言葉が出なかった。

「地下でもジャンプする。地上を目がけてだ。出られないのは分かっている。でもジャンプする。地下だからジャンプするのか。それともジャンプするために地下にいるのか。どっちだと思う」

炎は南部の体全部を覆い隠すくらい大きくなっていた。炎の向こうで南部の曲がった鼻が左右に揺れていた。俺の体も地面も全部揺れている気がした。

南部がこちらに顔を向けて言った。

「お前は誰だ」

その顔は笑っているようで笑っておらず、その時南部が似ている顔を思い出した。鼻の奥で火薬の匂いがし、いろんな場面が頭の中を駆け巡った。俺は深海を泳ぐ巨大な蛸で、小便を浴びるカラスで、羽根に火がついたバッタだった。俺は焚き火を踏みつけ南部の顔面に頭突きを入れた。ぐしゃっと鼻が潰れる感触がした。南部を押し倒し馬乗りになって顔を殴った。顔は堅く手に鋭い痛みが走った。不意に上半身が前に強く引かれた。南部が両腕を交差させて俺の胸元を掴んでいた。腕は俺の首を強く絞めた。喉の奥に硬い石を詰め込まれたようで息が出来なかった。腕を掴んで外そうとしたが力が入らなかった。意識がすーっと遠くに流れていくのに苦しさは増していった。俺を殺すつもりかもしれないと思った。殺すつもり・・・殺される・・・殺す・・・死ぬ。意識の断片が頭に浮かんでは消えた。

腕が緩んだ。南部が体を起こし俺の体は草の上に転がった。南部が杖をついて草むらに入っていく後ろ姿が見えた。俺は寝転がったまま黒い空を見ていた。顔の横の焚き火から顔に火の粉が跳ねた。暫くして体を起こした。

南部が似ている男の顔を思い浮かべた。極左の国際的なテロリスト、カルロス。イギリスのロック・バンドがその写真をアルバムジャケットに使っていた。黄色い顔に文字が書かれたサングラス。背景に緑と青。さっきまで見ていた南部の顔を忘れているのに気付いた。南部の顔はカルロスに置き換わり、南部を思い出す時にはそのジャケットを思い浮かべるのだろう。

しかしどんな時に南部を思い出すのか。火が付いたバッタを見たいと思う時か。またバッタを捕まえるから火をつけて欲しいと俺は思うのか。燃えながら飛び交うバッタをもっと見せてくれないかと頼むのか。

草を掻き分けて元来た道を戻った。道の幅が少し広がった場所で草むらを蹴るとバッタが小さく飛び出た。バッタは道に着地してひょこひょこと歩き出した。体が傾いて変な歩き方だった。見ると左側の足が一本足りなかった。俺はバッタを掴んで草むらに投げ入れた。

 

草が生い茂った原っぱに子供が二人いる。一人が草むらを蹴りもう一人は飛び出たバッタに身を竦める。一人が大丈夫だ怖くないと勇気づける。それは俺でもう一人は南部かもしれない。俺は草むらを蹴り、南部が怖々と手を伸ばしバッタが手に当たる。南部が慌てて手を引っ込めるが、俺はそうだその調子だと言う。何回も繰り返し南部がバッタを捕まえる。バッタを掴んだ手をかざして南部が嬉しそうに笑う。その顔は俺で笑い返すのが南部かもしれない。

子供たちは暗くなってもバッタを追い続ける。二人はバッタに火をつける遊びをまだ知らない。いつか知ることになった時、この時のように笑うことは出来るのだろうか。

© 2026 犬江目彦 ( 2026年7月5日公開

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