夜明けとともに城門を打ち破って軍隊が殺到した。拍子抜けするほど無防備な街だった。五千の精鋭部隊の前に、少しばかりの守備隊はなすすべもなく壊滅した。そのまま軍は街の中心に進み、丘の上の王宮を陥とし、王と王妃の首級を槍に串刺しにした。
それから約束ごとの略奪を二日間、兵士どもに許した。財宝は奪われ、女は犯され、家は焼かれ、食糧は食い尽くされた。
三日目、広場の真ん中に大穴を掘って、残った王族や貴族、寺院から引っ立ててきた邪教の僧侶たちの首と胴をそこへ落とした。更にもう一つ穴を掘って、今度は役人や有力者を放り込んだ。
住民たちは死に絶えても構わない。どうせ異教徒の街なのだ。
カイワラ王子はそのようなつもりで事後処理を行った。自らが首を刎ねたスルターンの玉座に座りながら。
考え事をする時、褐色の口髭をひねるのが王子の癖であった。執務中も王子の片手はひねもす口元に伸びていた。国元の国王に使者を送ったり、城壁を守る部隊からの報告を受けたりと、占領した街でなさねばならぬあれこれの事務的な仕事は、もともと無口な王子を一層寡黙にした。
四日目、今度は王宮に仕える人々の行く末を決めることになった。
王子の指示は簡潔で、今後の統治に役立ちそうな者だけ残して、残りは殺せ。
医者や床屋、機織りや染物、仕立、料理、細工など技能のある人々はひとまず一命を取り留め、それ以外の者は一律に処刑囚用牢獄に収監された。翌日早々にも大穴で順々に首を落として行くことになる。首切り斧が足りない。砥石をどこかで調達せねばなるまい、と兵士たちは考えた。
最後に残った一団を見て、兵士たちは迷った。そこでお伺いを立てた。
「何をする者か」
「楽師どもでございます」
楽師と聞くと王子は少し考え込んだ。例によって褐色の口髭をひねりながら。
やっぱりお尋ねしてよかったと兵士たちは思った。万一、王子の意に沿わぬ真似をしでかしたら、我が身の首が飛ぶかもしれない。
「楽師などこの戦時には無用の長物だが、平時には用いる場もあろう。まして我が父王は音楽を好まれている。ここへ連れて参れ。役に立つ者であるか、余が見定めてやろう」
しばらくして、鎖で繋がれた十数人ほどの人々が、罵声を浴びながらのろのろと入ってきた。足を引きずる者、顔から血を流している者、泣いている者もいる。
連れて来させることもなかった、と王子は思った。生きた顔をしている者など一人もおらぬ。
その時、王子は強い視線を感じた。もう馴染みになった種類の視線、侵略・征服の行く先々で、幾度となく出会った視線であった。まだ生きた者がいたかと、その視線の主を探した。
それは憔悴しきった初老の男であった。頬骨の高い大きな顔の下半分は立派な髭に覆われている。顔つきは鋭く精悍で、青い布をまとった砂漠の民のようだ。顔色は土気色で髭の下の頬は削げ落ちている。けれどもこの男の目はまだ生きていた。カイワラ王子の鋭い眼光にたじろがず、まっすぐに見返して来る。死者の目ばかり見ている王子には、こんな目に出会うことが快感にさえなっている。
王子はその男に向かって、お前は何をする者かと尋ねた。
「ウード弾きでございます」
「名は?」
「イスマイール」
どこかで聞いた覚えがある。側近に尋ねると、ウード弾きのイスマイールといえば、当代随一の名人で、我らの国にまで名声が知れ渡っております、と答えた。王子は唇をちょっとゆがめて笑った。
「余は自分の目で見、耳で聞いたものしか信じない。評判などうのみにはせぬ。お前の技を披瀝してみせよ。評判通りの者であれば助けてやってもよい」
「征服者の王よ」
ウード弾きのイスマイールは静かに返答をした。
「鳥には鳥の、獣には獣の言葉があり、人には人の言葉があります。私のウードは人に聴かせるためのもの。しかし、あなたがたが私の街になさった所業は、もっとも下等な禽獣さえ顔を背けるほど……」
言い終わらぬうちに兵士の一人に顔を蹴り上げられ、イスマイールは床に転がった。王子は片手を上げて制した。
「お前のウードは獣に聴かせるものではないと申すのだな。よかろう」
するとイスマイールは声音を励ました。
「たしかに我らの命運はあなたが握っておられる。が、あなたの命とて全能の神の御手の中にあるのです。今、私が思うことは、兄弟同胞が殺し尽くされた後、私一人が生き長らえても何の意味もないということです」
カイワラ王子は改めてこのやつれた髭面の男を眺めた。片手は自然と褐色の口髭をいじっている。イスマイールも黙って王子を見つめ、しばらく沈黙の時間が流れた。
と、王子は突然破顔一笑して、大声でこう言った。
「ウード弾きよ、お前は余を挑発しているつもりだな。お前の言葉に余が乗せられると思うのか。たかが楽師のくせに小賢しい真似をする。しかしそれも一興だ。こうしよう。とにかく今すぐ何か曲を弾け。余がそれを面白いと思ったら、お前のみならず仲間の奴隷どもは助けてつかわす。さもなくばおまえたちの頭は胴体を離れることになるであろう」
イスマイールは黙ったまま肯いた。囚人たちの間にかすかなざわめきが起った。誰もが自分の命はないものと思い諦めていたのだ。
演奏するため足首の鎖を解かれたイスマイールは、楽器とクッションを所望した。兵士がそれを探しに走った。ほどなく希望の品物を持ち帰ってイスマイールに手渡した。
それは殺された王が愛用していた銀糸とエメラルドのビーズで刺繍をした羽根クッションと、螺鈿や宝玉をちりばめた貴重なウードであった。イスマイールはクッションにそっと口付けをして腰にあてがい胡座をかいた。次に美麗な宝のウードを取り、愛しそうに両手で撫でると胸の下に抱いた。そして一本、一本の絃の調子を確かめ、ごく簡単な調性の曲を弾いた。絃の振動があたりの空気を震わした。
イスマイールは姿勢を改め、軽く目を閉じ、ゆっくりした前奏曲を弾きはじめた。甘いのびやかな旋律は、この地方独特の旋法らしい。大理石の丸天井にウードの音色がほどよく反響し、頭の上から余韻がゆっくりと降り注いでくる。
それを皮切りに、次々に違う地方の旋法でいくつもの前奏曲を弾いた。旋法が変る度に弾く速度が増し、リズムが複雑になり、メロディの起伏が激しくなった。しまいには想像を絶するほどの超絶技巧を弄する華麗極まりない曲となり、無数の音が王宮中にきらびやかに渦巻いた。
眼がくらんで近くの壁にもたれる者、無数の蔓草が我が身に巻き付くかのような錯覚を覚える者、居合わせた者は皆、魂が音に侵食されるのを感じた。
カイワラ王子は無言のまま玉座に座っていた。いつもの無表情だが、口髭をひねる手は肘掛けの上に置かれたままになっていた。
精緻巧妙の限りを尽くした前奏曲が一転して再びゆるやかな調子となった。うつむいていたイスマイールが顔を起こし、ごく単純な伴奏を弾きながら、短い歌を即吟した。
ダビデの栄華、ソロモンの智慧。
千年の都も今はただの土くれ。
君も我もいずれ土中に朽ちる。
友よ、飲もう!
墓場から酒の香が立ち昇るほど。
愛しい人々は酒宴の場から去ってゆく。
もうすぐ俺も去らねばならぬ。
俺のために酒をここの土に注いでくれ。
そして緩急自在なウードは、胸がつぶれるほどの哀切な後奏を掻き鳴らし、そして止まった。
残響が消えてしばらくすると、人々は一斉に詰めた息を吐き出した。それからあらためて驚嘆のため息をついた。
カイワラ王子の側近は、王子が演奏中、ついに一度も口髭に手をやらなかったことに気づいた。立ち上がろうとして膝が震えたことも。普段は沈着な王子の横顔が屈辱に震える様も見てしまった。
「無駄だったな、ウード弾きよ。ちっとも面白くない。惰弱で享楽的にすぎる。我らの国には無用だ」
言い捨てて立ち去ろうとした王子の背後で、イスマイールの落ち着き払った声が聞こえた。
「征服者のお方よ、音楽を聞く人には二種類あると言います。耳で聞く人と心で聞く人です。あなたはいましがた心で聞いておられた。私にはわかります」
「……」
「王者は嘘いつわりを申されてはなりません。私のウードは間違いなくあなたに届いていた。あなたの魂はご存知のはず」
「黙れっ!」
カイワラ王子はいまだかつて聞いたことのない大声で怒鳴ると、地響きを立てて玉座のきざはしを降り、イスマイールの前に立ちはだかった。
「確かにお前はすご腕だ。思わず引き込まれてしまった。それは認めよう。しかしお前のその腕はまっとうではない。人の心を惑わしたり、あらぬ幻覚を見せたりするのは悪魔の技だ」
「私は人間です。私の技は厳しい修練によりたどり着いたもの、至高の神に許されて与えられたものなのです。私のウードに心動かされる人は、音楽に神の御業を見る人に他ならないのです」
「おまえは悪魔の手先だ。幻術士だ。よいか、お前の仲間たちは助けてつかわす。約束は約束、しかし、」
言いながらカイワラ王子はあたりの兵士たちにそばに来るよう合図をした。
「人間の顔をしてこの世をうろつく悪魔を野放しにはせぬ」
イスマイールは屈強な兵士たちに取り押さえられた。
「そやつの手を切れ」
兵士は遅滞なく処刑用のまさかりを振るって、絶叫するイスマイールの右手を手首から切り落とした。大理石の床がたちまちに血の海となり、イスマイールはのた打ち回った後、うめき声をあげて失神した。
「殺すなよ。命は助けるという約束だからな」
言うやいなやカイワラ王子は足早にその場を立ち去った。右手で口髭をかきむしりながら。
兵士たちはウード弾きの腕を布できつく縛り、傷口に焼鏝を当て、その上から溶けた蝋燭を塗った。そして元どおりの地下牢へ放り込んだ。
宮廷楽師たちはその場で鎖を解かれて宮殿から追い出された。皆、王宮の丘に立って、イスマイールの名前を泣きながら呼んだ。そのうちに死んだものと諦めて、それぞれの帰るべき場所へ帰っていった。
地下牢でイスマイールは痛みと高熱にうめき続けた。激痛と失血で立ち上がることもできない。時間が経つにつれて切断された傷口が腐りはじめ、全身が赤黒く膨れ上がった。腐敗した肉と流れ出る体液が凄まじい悪臭を放つ。
俺はあの王子に勝ったのだ、俺は勝利の栄光の中で死ぬのだ、と思おうとしたが、激しい苦痛が意志の力を押し潰した。
やがて苦痛すら感じなくなった時、どうやらこれで最期だと死を歓迎し、最後の力を振り絞って、彼の信ずる神への信仰証言を唱えた。
地下牢の空気窓から月光が差し込んだ。
すると突然、イスマイールの意識がはっきりとした。痛みも消え熱も退き、体は軽々として呼吸も楽になった。不可思議な気持ちのまま半身を起こすと、月光の中に何かがきらめいている。それはイスマイールが命がけで弾いたあの貴重なウードだった。
螺鈿と宝石細工の美しいウードに思わず手を伸ばした。驚いたことに右手が元に戻っているではないか。
翌朝、執務中のカイワラ王子は、ウード弾きが地下牢で絶命したと報告を受けた。王子は眉も動かさずにそれを聞いた。しかし手は口髭をひねくりまわしていた。
牢獄係はそれに関する不思議なこと、すなわち、切り落としたはずの右手がなぜか元どおりになっていたことや、腫れや腐敗がきれいに退いて、まるで眠っている赤ん坊のようなつやつやした顔で死んでいたことは言えずじまいになった。
それから職務通りにウード弾きの死骸を広場の大穴に捨てに行った。
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