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  • 我が輩も名無しである 購読者 2015 年 12 月 3 日

    とりあえず、まずはその日本語をなんとかしろ。すべてはそれからだ。

    • 我が輩も名無しである 購読者 2015 年 12 月 6 日

      詩人はどんな日本語を使ってもいいんだよ。
      高橋文樹さんの「アウレリャーノがやって来る」でも読んで勉強しろ。
      すべてはそれからだ。

      • 我が輩も名無しである 購読者 2015 年 12 月 7 日

        日本人に革命に〜とかの文法をいってるんじゃね?

        • 我が輩も名無しである 購読者 2015 年 12 月 7 日

          だよな。このスレ主はそもそも国語力に問題がある。というより、実際のところガキじゃないのかね? 文章の感じからして。そんな印象なんだが。

          • 我が輩も名無しである 購読者 2015 年 12 月 10 日

            詩人は文法とか国語力なんて関係ないんだよ。

  • 高橋文樹 管理者 2015 年 12 月 4 日

    詩のおかげで人々が革命に立ち上がったという話はとんと聞かないのですが、革命の際の理論的裏付けになった本ならいくつか知っています。最近ですと、ジーン シャープ『独裁体制から民主主義へ―権力に対抗するための教科書』がジャスミン革命などの際によく読まれたと聞きます。これはマルクス『資本論』のような理念的な支えとなったのではなく、独裁政権下でどのように連絡を取り合ったらいいかなどの実践的な内容についても書かれています。

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    私の個人的な考えですが、詩によって人が革命に至ることはありません。その代わり、革命時によく読まれる詩はありえると思います。その場合、その詩が革命詩ということになるでしょう。

    したがって、革命の理論的な裏付け(革命の多くは身分構造の転覆です)となる理論書を書きつつ、それにあった詩を書くというのが手っ取り早いのではないかと思いました。

    • 我が輩も名無しである 購読者 2015 年 12 月 10 日

      ジャスミン革命なんてどうでもいいので、ジーン シャープはあまり参考になりません。

  • 山谷感人 投稿者 2015 年 12 月 5 日

    生まれないと思います。
    例えば、そのような行為を煽動する場合、大衆を味方に付けるには、唄、音楽を用いるのが判りやすいし早い故、需要がない(誰も読もうとしない)ですね。
    更に所謂、徹底的・実力行使派も「詩なんて書いている暇があれば、体を使え!」でしょうし。
    革命の歴史を調べ、それを得意であるらしい、抒情詩にして書くのは如何でしょうか?

    • 我が輩も名無しである 購読者 2015 年 12 月 10 日

      えと、革命の歴史を抒情詩にするってどういうことですか?

  • しょうだまさとも 投稿者 2015 年 12 月 8 日

    暇ならば、素数を数え続けるべきである。

  • アサミ・ラムジフスキー 投稿者 2015 年 12 月 8 日

    革命詩という言葉の定義がよくわからないのですが、とりあえずこの質問を目にして最初に脳裏に浮かんだのが、かの安田講堂の有名な「連帯を求めて孤立を恐れず」という落書きでした。

    このキャッチーな落書きは、後世の活動家たちに大いに勇気をあたえるフレーズだったと聞いています。特定の世代(おもに学生運動にぎりぎりで間に合わなかった世代でしょうか)の表現者たちがたびたび自作に引用しているのも見てきました。おそらく彼らは、1983年生まれの僕がバブル時代に対して抱くのと同じような感情を全共闘時代に対して抱いているのではないかと思います。
    革命という響きから甘美で蠱惑的なものを見出す人々が、この落書きを魔法の言葉かのように感じてしまうのはわからないでもありません。

    他方で、活動家たちはこのフレーズに突き動かされて立ち上がろうと決意したわけではないでしょう。詩というのは、決意や信念を後押しするものではあっても、その火種をゼロから熾すようなものではないと思います。また、そこまでの役割を担ってよいものだとも思いません。それは越権行為です。不遜で尊大で傲慢です。

    かの言葉が大いなる支持を得たのは、つまるところ落書きした張本人が行動を起こした渦中の人物だったからです。極限状態の中で生まれたリアルな言葉(典拠があるのは承知ですが、この場においてそこは問題ではありません)だからこそ、革命家特有の豊かな想像力と豊かすぎる共感力によってアウラを纏うにいたったわけです。
    そもそも革命は常に物語性とともにあるものです。抒情詩をくだらないと断言できてしまう時点で、詩や言葉に対する覚悟が足りないのではないでしょうか?

    アームチェア・ディテクティブはいても、アームチェア・レボリューショナリーは存在しえません。安全地帯から小石を投げても大怪我することはないでしょうが、誰かにダメージを与えることもできないのではないでしょうか。

    • 我が輩も名無しである 購読者 2015 年 12 月 10 日

      俺は革命運動をやってますよ。
      最近もヤフーブログで革命党を立ち上げました。
      が、誰も関心を持ってくれなかったですけどね。
      俺は共産党も中核派もシールズもしょーむないと思ってます。

  • 山谷感人 投稿者 2015 年 12 月 8 日

    全否定な意見が多く(僕もだけど)、質問者を僅かに慰める意見とすれば、江戸幕末の尊皇思想は、初めは指導者の訴える漢詩に感動したから、の活動家も多かったらしいですね。
    時代錯誤ですが、本気で心を揺さぶる作品になれば、チャンスがあるかもしれませんね。
    ただ、結局は明治維新も、大衆を巻き込む折り、音楽の力が早いじゃん、になってますが。

    • 我が輩も名無しである 購読者 2015 年 12 月 15 日

      音楽だけじゃ足りなくて、やっぱり理論と詩と音楽ですね。

  • Juan.B 編集者 2015 年 12 月 9 日

    勿論どんな詩を書こうが自由なのだが、今の日本では「革命詩」を作る前に自由の詩を作る必要があると思う

    選択・表現・性の自由を、これでもかと肯定する
    保守派や差別主義者や権力なんか知ったこっちゃネえ
    そう言う精神を表明する必要がある

    それで俺も2年前位からキチガイ詩おっとっと基地外詩なる物を作り続けている
    少数者・弱者…つまり在日人・ハーフ、障害者、LGBT、他社会から放り出された人々、あるいはオマンコ、チンコ…そう言った物事を
    「全肯定」してやりたいなと思ってる

  • 我が輩も名無しである 購読者 2015 年 12 月 15 日

    そんなの革命詩に比べたら屁のような物。
    LGBTとかどうでもいいっしょ。
    キチガイでもLGBTでももう肯定されてますよ。

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