~in 京セラドームアンダーグラウンド~
席に戻った私に、完全にどん引きしている蒼井そらはしばらく話しかけてくれなかった。しかし私はAV女優にどん引かれるという事実をうまく呑み込むことができなかった。テレビを家族で観ていても、元AV女優だとか現役のセクシー女優だとかが出てきて空気が凍り付くという場面を何度も経験したからである。蒼井そらもその戦犯の一人であるし、さらに言えば及川奈央もみひろも吉沢明歩も戦犯である。人の家族をさんざん全国ネットで凍り付かせておいてよく人にどん引きできるものである。納得がいかなかった私はこちらから話しかけることもしなかった。
「よっ、なんや辛気くさい顔してんなあ!」
ケンカして仲直りの仕方に悩んで三か月ほどが経ちどちらも意地を張って謝るタイミングを逃し続けついに双方離婚届に判を押しかねない状態に陥った若い夫婦のようだった私たちに、その場にまったくふさわしくない明るいトーンで話しかけてくる美女がいた。
夏目ナナである。
「あんたら何してんのむすっとして! あかんやんもっと楽しまな! この子尻教会の新しい子やねんろ? あんたが連れてきたのにそんな暗い顔させたらあかんやんか! あんたそれでもクリエイターかいな!」
「すみません、でも少しこの子変わってて……」
「あんたも十分変わってるやんか! もちろんウチもそうや、大体フツーの人間がAV女優なんかなるわけないんやから。この子あれやろ、さっきホームラン打ってた東大好きの子やろ? この子は東大が好き、うちらはおちんちんが好き、それでええやん」
「それはまあ……そうなんですけど」
「あんたなあ、なんかまだ変なプライドが残ってるわ。この子に対して、自分の方が上の立場やっていう強い意識が残ってる。クリエイターはもっと対象に同化していかなあかん、懐にすっと入り込んで相手をこっちに同調させていくんよ、そんなん散々聞いた話やろ? 一体この子の何が気にいらんの?」
「……さっきこの子、高卒の言うことなんか聞かないって言ったんです。私それが嫌で……私も高卒だし、周りには素敵な高卒の子たちもいっぱいいた。むしろ、本当に才能があってやりたいことのある人は、大学に行かずに自分の道を突き進んで成功してます。私自身のことはいいんですけど、そういう素敵な人たちを全部まとめて馬鹿にされた気がして。この子、まだ合格してもないのに」
そういえば合格してないんだった、と気が付いて私は愕然とした。東大に合格できると蒼井そらにもっともらしく言われて、すっかり合格した気になっていたのだ。これは私の悪い癖だ。高校二年生のときにも「私の東大合格作戦」という本を十年分ぐらい読んで合格した気になったことがあった。
「あんたの言いたいことはわかるけどさ、この子も色々つらい思いしてきてんのよ多分。そうじゃないとこんな偏った人間にはならへんやろ。基本に立ち返って、相手を理解しようとする気持ちを持って! ほら何かこの子に聞きたいこととかあらへんの? 何でも聞いてみいな」
蒼井そらはしぶしぶ私の方に向き直った。
「……」
「……」
「……あ、あなたってレヴィ=ストロースとか読むのね、受験勉強しかしてないんだと思ってたけど」
「いえ、読みませんよ」
「え? でもさっき」
「さっきのは母親に聞いた話の受け売りなんですよ、僕は本読むのとか、あんまり好きじゃないので」
「そ、そうなんだ……あなたのお母さんって、レヴィ=ストロースとか読む人なのね」
「いえ、読みません」
「は?」
「母親が読んでいたのはレヴィ=ストロースじゃなくて小田亮の『レヴィ=ストロース入門』ですから。レヴィ=ストロースなんてあの人、一文字も読んでませんよ」
「……でも何だっけ、エリック=ホッファーとか、よく知らないけど、読んだりする人なのよね?」
「読んでません。母親の読んでいたのはエリック=ホッファーではなくて柄谷行人の『反文学論』です。そこに少し紹介されていただけで、あの人エリック=ホッファーなんて一文字も読んでないんですよ」
「……」
「……」
「……なんか、やっぱり私この子無理です!」
蒼井そらはおいおいと泣き出した。
「なんやうまくいかへんなあ……そらちゃん、あんたちょっとお尻出しなさい」
「え……ひっく、どうして……?」
「いいから出しぃな」
蒼井そらは夏目ナナの言う通りにパンツを下ろし、白くて美しい尻を突き出した。
「僕ちゃん、スパンキングってしたことある? これも尻教会の修行メニューの一環なんやけど、そらちゃんがあんたとの間に今、ぶあつーい壁を作ってしまってるわけ。その壁を壊す方法の一つとしてスパンキングっていうのがあるわけ。ベルリンの壁かてスパンキングによって壊されたんよ。ドイツ社会主義統一党のエーリッヒ・ホーネッカー書記長のお尻を、ベルリン地区委員会第一書記のギュンター・シャボウスキーがパシッパシッと二回叩いたんがきっかけ。そしたらみんなが『あれめっちゃ楽しそうやぞ』なんつって、『オレもオレも』なんつって、ハンマーとかつるはしで壁をスパンキングし始めたの。スパンキングは国境をも変える力を持っているのよ。あんたも一回この子のお尻叩いてみて、強めでいいから」
私は何を言われてるんだかよくわからないまま、平手でバシーンと蒼井そらの尻を叩いた。
「あひぃ!」
蒼井そらは苦しげに悲鳴を上げた。
夏目ナナは私の手首をぐいっと握って怒鳴った。
「あんた何やの今の! そんなまっすぐ叩いたら衝撃の逃げ場があらへんやんか! それやと痛いだけで女の子も不快なだけ! 手の跡も残るしな。スパンキングっていうのはこう、手を払うようにパシン、パシンと叩く。それを何回もしてたらだんだん赤くなってくるんよね、そうなると女の子もお尻のあたりがぽわーっと心地良く熱を帯びてくるのがわかってきて、不思議な気持ちよさにぽわーっとなってくるわけ。それをしばらく続けられたらほんまにメッチャ気持ち良くなって、もうあなたのこと好き! あなたのスパンキングのない人生なんて考えられません! ってなって潮まで噴いちゃうわけよ」
私は言われた通りに、手を払うようにして力をうまく逃がしながら蒼井そらの尻を叩き続けた。「あっ、あっ、あっ……」蒼井そらの色っぽい声が私の愚息を刺激した。それだけではない。高卒のAV女優という落伍者の美しい尻は私の嗜虐心を煽りまくり、東大卒エリート(予定)の私がそれをパシパシ叩いているという状況がまたなんとも言えず良かったのである。私はいつの間にかMarilyn Manson『The Beautiful People』のドドドタッタドドドタッタという心地良いドラムスを思い出し蒼井そらの尻をリズム良く叩き始め、思わず『るろうに剣心』の志々雄真実が剣心と斉藤一と佐之助を立て続けにボコボコにして高笑いしたときくらいの高笑いをしてしまっていた。
その一部始終を見ていたのは尻教会のブラインドとして修行中であった片桐えりりかであった。その後自宅へと戻った彼女はケツドラムなるものを開発し涼宮ハルヒの『God knows…』にあわせて尻を叩きニコニコ動画で人気爆発、見事AV女優として華々しくデビューすることになるのだが、それはもう少し先の話である。
第十六章・完
"グランド・ファッキン・レイルロード(16)"へのコメント 0件