つい先日、じじいが転んだのを見ました。
突然の事で驚きました。私が朝、歩いていると、反対車線の側。歩道を歩いていたおじいさんが突然、転んだんです。転んだっていう感じじゃなかったです。潰れたって言うか。ばたん、びたんっていう感じじゃなくて。どてって。どさっていうか。べちゃっていうか。立てかけていたカバンか何かが、ずるずるって横に倒れたみたいな感じでした。
あ、
って思いました。視界に入ってきたんです。ちょうど見てしまってって言うか。見えたって言うか。視界に入ったんです。おじいさんが転んだって思いました。思ったんです。そんな事、普段は無いので。普段からおじいさんとかに接する機会のある人はそういうのを見てるかもしれないですが、私は無いので。機会が。父も死にましたし。
だから、おじいさんが転んだ時、大丈夫かなって思いました。あれ、大丈夫かなって。そのまま見てたら、おじいさん。そのおじいさん。丸まるようにして転んだおじいさん。ヨガのウサギのポーズみたいな感じで転んだんです。手を上げないバージョンの。ウサギのポーズ。
そういう体勢で転んだおじいさんがもぞもぞしだしたんです。立とうとしているのかな。立てないのかな。立てないんだな。立てないんだ。あのまま帰るつもりなのかな。もぞもぞさせて。芋虫みたいに。這って帰るのかな。違うか。立てないんだな。立とうと思ってるけど立てないんだ。杖が脇に転がってる。
私は車道を横切って、車が来ないかどうかを確認して、車道を横切っておじいさんの元に行ったんです。こういう時、救急車か何かを呼んだ方がいいのかなってカバンからスマホを出して。
「大丈夫ですか」
って声をかけながらおじいさんのわきの下に手を入れて、そのおじいさんを立たせたんです。とりあえず。おじいさん立てないでもぞもぞしてたから。おじいさんの周りには、杖と、中身の入ったビニール袋が落ちてました。多分、近くのファミマで買い物した帰りなんでしょう。
おじいさんは、ああ、とか、ええ、とか、へえ、とか、そういう感じでした。おじいさんの眉間からは血が出ていました。赤い血でした。とても健康そうな赤い血。ペンキみたいな。赤色のペンキみたいな。すごく出ていました。赤い血。おじいさんは眼鏡をかけてたんです。銀の蔓の。レンズの大きな。今風のメガネじゃないです。昔の。クラシックメガネ。クラシックって言ってもオシャレなやつじゃない。見ようによっては神経質に見える様な。銀の蔓の。レンズの大きな。私の父も生前かけていました。そういう眼鏡です。その眼鏡のレンズには罅が入っていました。左右のレンズの間、眉間から血が出ていました。
私は杖を拾っておじいさんに持たせて、ビニール袋、中身がちょっと出て散らばってたので、出てたものを詰め込んでおじいさんに渡しました。おじいさんはその間、ああ、とか、ええ、とか、へえ、とか、そういう感じで立っていました。
おじいさんは薄い体をしてました。終末病院に入った父を見舞った時、父の体がとても薄くなっていて、これでどこに内蔵が入っているんだろうと疑問に思った事を私は思い出しました。
「大丈夫ですか」
そう聞くと、ああ、ああ、ええ、ええ、へえ、へえ、おじいさんはそう言いました。
「救急車とか呼びますか」
だいじょうぶです。おじいさんは言いました。ああ、とか、ええ、とか、へえ、とか、ではなく。だいじょうぶです。おじいさんは言いました。
おじいさんは私から離れて、壁、コンクリートの柱の所に行って、そこに背を預け、片手のビニール袋を、杖を持っている方の手に預け、空いた手、確か右手だったと思います。右手でズボンのポケットの中から、ティッシュ、ポケットティッシュを出しました。その動作すら危なげでした。私はまた転ぶのではないかと思って見ていました。おじいさんはそれで眉間から出ていた血を拭い始めました。ペンキみたいな赤い血です。私はただ、黙ってそれを見ていました。本当に大丈夫なんだろかと思いながら見ていました。何も言わず見ていました。
そして、ある程度の血を拭うと、おじいさんは行ってしまいました。何も言わずに行ってしまいました。家までついて行った方がいいのだろうかと思いましたが、ストーカーみたいに思われるのも困るので、私は家に帰りました。
家まで歩いている間もずっとおじいさんの事を考えていました。途中で、じじいと思いました。あのじじい。って。足がほとんど上がってないのに。あのじじい。もうあげられないんだろう。父も終末病院に入る直前はああいう感じだったなあと思いました。歩くのさえ辛そうで。立つときも、座る時も、トイレに行く時も、いでで、いでで、と繰り返していました。
それなのに、強がって。強がってなのかな。分からない。ただ、何も言わずに行ってしまったから。じじいが。眼鏡に罅が入っているのに。眉間から血が出ているのに。転んだのに。転んでないですよっていう感じで。眼鏡にも罅なんて入っていないですよ。だって転んでないから。血だって出てないですよ。だって転んでないから。そんな感じで。
あのじじい。
父も生きていたら、がんの手術がすんで健康になって、今も生きていたら、ああなってるのかなあ。そう思うと、なんか、なんというか、複雑な気持ちになるのです。
それから、自分もああなるのだと思いました。生きていると。自分以外も。誰しも。ああなるんだと。思いました。自分はそうはならないと言っている人も、思ってる人も、生きていると、生き続けていると、ああなるのだと。そう思いました。
そう思うと、なんだか楽しくなってきました。
バスが停車するまで席を立たないでください。ってアナウンスしているのに、立って一番にバスを下りたい奴。ここは危ないので通行しないで下さいと看板が立ってるのに、早く行きたいし自分が車に轢かれるなんて思っていないから平気で通行する奴。列に並ばないで割り込むようにして電車に乗ってくる奴。他人を押し退けて最初に駅の階段を下りて行く奴。みんなああなるんだと思うと、楽しくなってきました。みんなああなるんだと思ったら、怒る事とかも、意味ないなあって。他人に嫌な目にあわされても、それに怒ったりとか、あんまり意味ないなあって。
それまでずっと、車に轢かれたらいいのに。とか、ホームから落ちたらいいのに。とか、階段で転んで死ねばいいのに。とか、そういう風に思っていたのですが、でも、そんな風に思わなくてもいいかなあって。別に何も感じなくてもいいかなあって。
あのじじいに会ってから。なんかそう思えてきて。
浅谷童夏 投稿者 | 2024-07-28 08:15
思考の流れがダイレクトに伝わるような文体で、とても読みやすいです。光の中にくっきりと輪郭をもつ闇がある。乾いたリリシズムが横溢している。フェア読んでて同じことを感じました。
小林TKG 投稿者 | 2024-07-29 05:20
感想いただきましてありがとうございます。
じじ……おじいさんがですね。いたんです。こないだ。で、この話を事実というか、エッセーの枠で書いてしまうと、誰かに怒られるかもしれないと思いまして、で、小説にして、そんで、タグも悩みました。リアリズム文学なんて高尚なタグつけるの抵抗あったんですよ。
でも、頑張りました。はい。
ありがとうございます。