シュレディンガーのケツ

アマゾンの段ボールをヴィリヴィリ破いたら~、ヌルヌルルサンチマン近大マグロでした〜。チクショー!!(第9話)

眞山大知

小説

4,023文字

なんで煮卵と黒ギャルのケツってあんなにそっくりなんですかね?

「さあ、答えろ。スープに浮かぶこいつはなんだ? 煮卵と言えばお前は黒ギャルのケツになり、ケツと言えば煮卵になるぞ!」
いまどき珍しくねじったタオルを頭に巻きつけ、ラーメン屋の店主はカウンター越しに問い詰める。店主のぶっとい人差し指は、俺の目の前に置かれた豚骨煮卵ラーメンに向けられていた。
黒い器に注がれていたのは豚骨ラーメンの白濁のスープ。そのスープに、黒光りする球が浮いていた。それは煮卵か、はたまた黒ギャルのケツなのか。常識的に考えればこれは煮卵なのだろう。だが、俺は答えられない。
心臓が鼓動した。耳が痛いほど聞いた、地元の競輪場の打鐘ジャンよりも速く。
店主にわからないようにそっとラーメンから視線を逸らして隣の席へやると、丸椅子にはスーツとワイシャツが乗っかり、床にはスラックスと靴が転がっている。ワイシャツの襟から黒い球――煮卵が見えた。無惨にも、あれはつい数秒前まで後輩の杉田だった物体だ。
杉田は店主の問いに逆張りをしたのだろう、黒ギャルのケツと答えた。だから煮卵にされた。――冷や汗が背中を伝う。このままじゃ、俺も杉田のように煮卵にされてしまう。いや、それとも、黒ギャルのケツになるのかもしれない。
どっちにしろ、こんな恐ろしい禅問答に巻きこまれたのは、単純に俺と杉田が食欲に負けたからだった。そして杉田がいいヤツだったからだ――素直で正直なことは社会人としてあるべき姿なのだろうが、緊急事態においては悪いことにもなる。
「さあ、早く言え!」と店主の怒号が飛んできた。
杉田のラーメンからはまだ湯気が立っていた。

 

 

*     *     *

 

 

ガラス越しに広がる新橋の上空は、XPのブルースクリーンを想起させる色だった。
オフィスビルのフラッパーゲートを通過しながら、隣のゲートをくぐる杉田へ聞き返す。
「シュレディンガーのケツ?」
「知らないんですか? 月刊ムーで大騒ぎですよ。都市伝説系のユーチューバーたちもバンバン動画を出してますし」
杉田は歩きながらスマホを取り出し、kindleで月刊ムーを見せつけた。東大柏キャンパスという、理系学生なら誰もが震え上がる魔境から生還した猛者なのに、ムーが読み放題というだけの理由でKindle Unlimitedを契約している、無邪気な後輩だった。
杉田は古の腐女子よりも早口でまくしたてた。スマホを握る左手の薬指には指輪がはめられている。
「夜な夜な、東京のどこかのラーメン屋がランダムで化け物に乗っ取られるんですから、たまったもんじゃありません! 注文してないのに豚骨煮卵ラーメンを勝手に出されて、『こいつは煮卵か! 黒ギャルのケツか!』って、頭が煮卵な化け物の店主に聞かれて、煮卵って答えたら目の前が暗転。目を覚ましたらいつのまにか、渋谷か池袋あたりで黒ギャルのケツになっているんですから」
「いいだろ、ラーメンなんて食べなきゃ」
「理系がラーメンを食べられなかったら餓死するしかないじゃないですか!」
言い放つ杉田の顔はひどく生真面目だった。
理系がラーメンを禁じられたら死ぬのは理解できるが、かといって、そんな化け物なんて出るわけがないだろう。SCPのジョークオブジェクトじゃあるまいし。それに俺には杉田という人間がわからなかった。まだ入社四年目ながら、古臭い社風を一新しようと、デジタルトランスフォーメーションの旗振り役をしている。御茶ノ水駅徒歩三分のマンションに実家があるのに独身寮へ入り、総務部長に推薦されて寮の自治会長を結婚するまでしていた。それに趣味はヴァイオリンだ。前世で徳をエベレストよりも高く積んだような万能超人なのに、バカバカしい都市伝説に目をキラッキラさせていた。
「わかった、あとで読むから」
杉田に生返事して、ガラス張りの自動ドアをくぐり抜けると瞬く間に熱風が体を包む。ドアは歩行者デッキに面している。そのままデッキを二人で歩いていた。デッキの真下を通る外堀通りは、ワンボックスカーと2tトラックの濁流だった。通りの両側は鬱蒼としたコンクリートジャングルと、栄養失調のひょろひょろした社畜と街路樹。ここは東京、社畜のサバンナ。
木で舗装されたデッキには、街路樹がないのになぜかセミの亡骸が転がっていた。
「先輩、俺怖いっす。やっぱり煮卵と黒ギャルの尻ってそっくりじゃないですか。見分けろって言われても答えられる自信がないっす」
「おいおい、そんなに似てるか?」
ギャルの品評なら少なくとも杉田よりは目がきく。
ヤンキーどもが、クルマのフロントに大麻の葉のカタチをした芳香剤をつける、そんな俺の田舎では知性よりも直感力が大事だ。
たとえば放課後の教室、煮卵のような見た目のケツをしたギャルが告白してきたとする。その場合、数時間後には二人とすけべタイムを過ごしているか、ギャルが呼んだヤンチャな男たちに「俺の女に手を出すなよ」と脅されハイエースで拉致られるかを、一瞬のうちに未来予知しなければいけない。死線を数え切れないほどかいくぐった俺に、死角はない。
「似てます」
杉田は自信たっぷりに返事した。
「疲れてんのか? そんなに役員報告が辛かったのか?」
しばらくぶらぶら歩く。デッキに面するビルたちから社畜が泉のように湧き出て、デッキは社畜の川と化していた。社畜たちは野暮ったく暗めの色のスーツを着て、その流れに身を任せていく。
「そういえば先輩、この辺に、美味いラーメン屋ができてるらしいっすよ」
「そんなにラーメンが食べたいか? てかあんな都市伝説を聞かせられたら、俺だったらラーメンを食わないぞ?」
「背に腹はかえられませんって。あんな辛い役員報告、初めてっす。先輩、店が見えてきたんで行きましょ」
杉田の指さす先、社畜の川はデッキの階段を滝のように流れ落ち、新橋駅の東口へ急カーブしていった。カーブの頂点に雑居ビルが建ち、一階にラーメン屋があった。
看板は鰯のイラストだった。鰯なのに、なぜか歯をむきだして笑っていた。
「煮干ラーメンの店か。なら大丈夫だろ」
俺も腹が減った。杉田になにか奢ってやろうと思いながら、店に入る。カウンターの奥から、店主が「らっしゃい!」と声をかけてきた。券売機で煮干しラーメンの金を払って、二人でカウンター席に座ると、杉田は急に真面目くさった顔をして問いかけてきた。
「会社ってなんなんすかね。なんでここまで報告しないと、誰も言うことを聞いてくれないんでしょうか?」
確かにそうだ。課長、部長、関連部署の部長、子会社、その他諸々。半年かけて関係者全員を説得したあとにようやく役員報告だ。
「あれはな、シュレディンガーの猫で説明できる」
俺が返すと杉田はとぼけた顔をした。
「え、どういうことです?」
「さすがにシュレディンガーの猫は知っているだろ。箱の中の猫は生きている状態と死んでいる状態の重ね合わせなのかって思考実験。あれだって解釈で100年は揉めているだろ? そもそも人類は確率とか偶然をうまく理解できてない。だから、他人を説得するときは外堀から固めなきゃいけないんだ。しかも見せつけるようにしないとな。外堀を堂々と埋めてきた相手なら逆に安心する。埋めてくるか埋めてこないか、はっきり意思表示をしない相手には、怒らなければならなくなる」
杉田は不服そうな顔をしてつぶやいた。
「そんな、エセ科学みたいな話、もう聞きたくないっすからね」
「いいんだよ。それで。まだまだ杉田は若手だし社会のことがよくわかってな「はいよ、ラーメン、二丁!」
店主が突然話に割りこみ、器を二つ差しだした。器の豚骨のスープに浮かぶは――煮卵のような、黒ギャルのケツのような物だった。背筋が急激に凍る。顔を上げる。店主の頭は、いつの間にか煮卵になっていた。店主、いや、煮卵は腕を組みながら怒鳴りつけてきた。
「おい、貴様ら人類は、俺たち煮卵を貪るように平らげている。これは虐殺以外の何物でもない。卵道上の危機的状況だ! 見ろ、貴様らのせいで、数えきれない卵が涙を流している!」
店長の背後には、卵の亡霊が浮かび、しくしくと泣いていた。煮卵はもちろん、卵焼き、目玉焼き、ゆで卵――。
「おい、そこの若いヤツ、こいつはなんだ! 煮卵と言えばお前は黒ギャルのケツになり、ケツと言えば煮卵になるぞ!」
店主の煮卵は杉田へ怒鳴ると指をさした。指した先は杉田のラーメンの、煮卵だか黒ギャルのケツだかわからない物だった。
「……黒ギャルのケツ!」
逆張りしたのか杉田はケツと答えた。瞬く間に、杉田の体は縮こまった。杉田は悲鳴をあげてどんどん縮み、丸椅子の上に黒い球がぽつんと乗っていた――煮卵にされたのだ。
店主は俺を向いた。
「さあ、答えろ。スープに浮かぶこいつはなんだ? 煮卵と言えばお前は黒ギャルのケツになり、ケツと言えば煮卵になるぞ!」
どちらにしろ、マトモに答えたらダメだ。こうなったら、一か八かの賭けだ。俺は立ち上がって厨房へ入ると、店主の煮卵の煮卵をわしづかみにして、寸胴の熱々スープへぶちこんだ。
「スープに浮かぶのはお前の頭だ! お前が煮卵なら黒ギャルのケツになり、お前が黒ギャルのケツなら煮卵になるぞ!」
すると一瞬のうちに店主の頭が黒ギャルのケツに変貌した。とおもったら、黒ギャルのケツはすぐ姿を変えて煮卵になった。煮卵と黒ギャルのケツは高速で入れ替わり、やがて、店主の頭は煮卵の状態と黒ギャルのケツの状態が重ね合わさったなにか、、、になった。
「俺はいったいなんなんだ!」と店主が叫び、頭は爆発した。――まるで、電子レンジで温められた煮卵のように。

 

 

*     *     *

 

 

次の日の夕方。元の姿に戻った杉田とまたデッキを歩く。
「東京中のラーメン屋から行方不明者がひょっこり現れたってニュースになってますよ」
杉田は指さす先には、豚骨煮卵ラーメンの店があった。
「またラーメン食べます?」
「しばらくいいかな」
俺は呆れながらつぶやいた。

2024年7月23日公開

作品集『アマゾンの段ボールをヴィリヴィリ破いたら~、ヌルヌルルサンチマン近大マグロでした〜。チクショー!!』第9話 (全12話)

© 2024 眞山大知

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"シュレディンガーのケツ"へのコメント 2

  • 投稿者 | 2024-07-28 08:58

    シュールな発想、映像的な描写がすごいです。自分が営々と生きている現実の世界に、異質でグロテスクな非現実がいきなり鋭く立ちはだかる感じ、好きですね。天地創造でも同じことを感じました。黒ギャルのケツ...イメージ刷り込まれました。今後、煮卵食べるときには、絶対頭をよぎると思います。

  • 投稿者 | 2024-07-28 11:20

    コメントありがとうございました🙏
    こういう、現実と非現実がいきなりぶつかり合う小説が個人的に好きでして……。他にもそういうテイストの作品を書いているので読んでいただけると嬉しいです

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