かのように(4)

かのように(第4話)

今野和人

小説

5,489文字

連載の4回目。電子書籍が発刊されたら非公開になります。

 弁当箱が二つに増える朝が来た。直人は早朝トイレに行き、台所に立つ紗英の背中を見る。もっとこの背中を見ていたい。振り返ると若い母に見える。

 乗車する駅が違うと、服装は似通っていても乗客の顔つきはやや違う。日暮里から勤め先に向かう人々の顔は少し荒くやはり懐かしかった。

 図書館に着くと、バックヤードに昨日買ったおみやげをメモとともに置く。

 朝礼のあと、図書館員の仕事は返却図書を棚に戻すところから始まる。この作業が直人はルーティンワークでいちばん好きだった。誰にも邪魔されず、しかるべきところに本を差し込んでいく。こんな本があったのか、こんな本を借りる人がいるんだという感慨もある。さくさくと本を返していると、同僚からなんか機嫌いいですねと言われた。なんか服も新しくないですか?

 休憩時におみやげへの好意的な感想を聞く。おいしかった~。テレビ出たことあるやつでしょ。実家谷中? いいとこ住んでたのね。

 弁当箱を開くと、あれ、お弁当? と珍しがられる。こないだまで昼食はコンビニで買っていた。何があったの? え、もしかして、子ども? 直人は笑顔で否定する。でも奥さんでしょ? え、自分で? いやー、どうでしょう。何その感じ。これまでは秘密を抱える苦しさがあったが、今日は秘密で煙に巻く楽しさを知る。

 直人は帰宅中の電車で、このあと家のドアを開けると紗英が真っ先に来て、今日どうだったか聞かれ、おみやげの評判や弁当の感想など求められるだろうと想像した。

 だが直人が帰宅すると、ソファに義男がうつ伏せになり紗英が腰をマッサージしていた。紗英は首だけ振り返り、おかえりと笑う。直人はただいまと言って、そのまま二人に背を向け台所で弁当箱を洗う。

 面白くなかった。こうしている今も、弁当箱を洗うことをほめてくれ、自分は当たり前だと答えるはずではと思ってしまう。そうした思いとせめぎ合うように、自分は働いている三十半ばの人間であり、実家に頼りにきているのだと冷静に振り返る自分もいる。ただ、あの義男は紗英に存分に甘えすぎではという小さな怒りも感じる。腰を押すため上下に動く紗英を見て、いやらしいと思う。とてもいやらしい。直人は弁当箱を素早く洗い終えると、自室に引っ込む。

 次の日、義男は帰りが遅く、夕飯は紗英と二人きりだった。豚丼と味噌汁だけだったが、母と二人のときは昔から品数が少ないながら普段義男には出さないメニューであった。

 夕飯のあと、直人は久しぶりに働いたら足が疲れたと、マッサージへの布石を打つ。紗英は、お風呂に入ってふくらはぎを揉みなさいと言うだけで、動こうとしない。直人は不満を感じつつ、直接頼むのはさすがに気恥ずかしかった。

 紗英は疲れているようだった。食事中、今日は何してたか聞いても、勉強と答えるだけでそれ以上喋ろうとしない。大学の夏休みが終わるまでまだ一ヶ月もあるのにという疑問を直人はもつ。何の勉強と聞くと、だから校正のと答える。直人は早妃が校正の仕事をしていたと思い出し、それ以上何も言えなくなる。

 おとなしく風呂に入るかと思うが、紗英が肩を押さえて首を回すのを見て、直人は言った。肩もんであげよっか。

 紗英はソファの上であぐらをかき、直人はソファに膝立ちをし、マッサージがはじまる。久しぶりに紗英にふれると思い、少し緊張する。紗英が小さいころは遊び相手になるとき気にせず身体にさわっていたが、小学校高学年あたりからそうはいかなくなった。思いの外、肩が固い。あーと紗英は声を出す。首も揉む。首にはほくろがある。うーと紗英が声を出す。凝ってるね。一日、机の前いたから。眠たげな声で喋りたそうな気配はなかった。ふいに麻理子の映像が出てくる。だから座るなよ、やることあんだろ。映像が出てくると思い切り叫びたくなる。集中しようと親指に力を入れると、あ~気持ちいいと紗英は声を漏らす。

 直人は、俺お母さんマッサージしたことあったかなと聞いてみる。紗英は眠りから覚めたような声で、小さいころ肩たたきはしてくれたよと答える。腰は大丈夫? え? 踏まれるのは嫌。いや、踏まないよ。じゃあと言って紗英はうつ伏せになる。直人は紗英の腰を揉み始める。直人は義男が帰ってきたらどう思うだろうと想像し、むしろこの状態を見せつけたい気持ちが湧く。

2024年3月11日公開

作品集『かのように』第4話 (全6話)

かのように

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© 2024 今野和人

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