ニュータウンの急な坂道を登りきる。目線をあげると大仏が立っていた。高さは一二五メートル。バカでかい。首をほぼ垂直に傾けて痛くなる。なにせ世界で三番目に大きな像。自由の女神を軽く超えてしまう。そして、阿弥陀如来の像なのに、顔面はブルドッグみたいにふてぶてしい。
この像は祖父が作った。成金で大富豪の祖父は、自分の姿を後世に残すためこんな巨大な像を建てた。祖父は固定資産税をとられるのを蛇蝎のごとく嫌い、「宗教法人は税金がかからない」からと、自分の像を仏像に見せかけた。アリバイづくりのための寺もしっかり建てている。
祖父はスノビズムに手足が生えたような人だった。だが、今はこの下品な像を残してくれて感謝している。
仏像から約二〇〇メートル歩き、寺の山門に着く。山門には「国連軍対宇宙生物機構 UFUC」という門札が掲げられていて、境内に入ると、制服姿の軍人がいたるところに歩いていた。
本堂よりもさらに奥、真っ白い建物に入る。巨大な空間が広がっていて、数多のサーバーが立ち並んでいた。その光景は森のようだった。空間の中央、一段高い場所に司令官の席があり、椅子にはいつもどおり、博士が座っていた。祖父の弟で、大学の准教授を退職後、現在はUFUCに勤めている。博士の伸びた白髪は仙人のようだった。
博士に呼びかける。
「博士、来たよ」
「そうか、座れ」
いつもどおりの素っ気ない返事。だが、それが心地よい。
博士は椅子から立ちあがって、片手で肩を叩いてきた。
「今日が決行日だ。雷人、思い残すことは無いか。下手すりゃ死ぬぞ」
博士に念を押されるように言われた。
「ない。死んでもかまわない。こんな汚い世界には未練なんてない」
はっきり言いきる。博士は深くうなずき、脇のホワイトボードにペンを走らせた。
――一九四五 一九六二 一九九六――
三つの数字を書き終えると、博士はホワイトボードを手のひらで叩いた。
「伊達政宗公がこの仙台の街を造られて四〇〇年。空から襲ってきた最初の輩は、一九四五年の米軍。中心部を一面火の海にしやがった。次に一九六二年のはくちょう座六一番星の惑星人ども。まあ、六一番星に惑星なんてないが、どこかの星から恒星間移動してきた途中で記憶障害を患ったかもしれん。ヤツらのやり方は汚かった。宮城県選出の某代議士を洗脳し、日本政府を乗っ取ろうとした。だが、三島由紀夫が気づき、小説の中でこいつらの存在を暴露した。さすが天才作家。すぐに公安が惑星人どもを秘密裏に抹殺したと聞く。そして、一九九六年の宇宙生物レギオン。レギオンは仙台市中心部を直径六キロのクレーターを開けやがった。街が復興するのに二〇年もかかった」
博士はホワイトボードに「二〇二二」と書きくわえた。
「そして二〇二二年、別宇宙から禍次元人どもが襲来した。仙台駅の周辺は、奴らの『禍次元』に取り込まれ、この世界から存在が消えてしまった。UFUCは攻撃を計画した。禍次元に突入できる頑丈な爆撃機が必要になった。その爆撃機は、発射してから少なくとも数分以内に禍次元へ突入できなければならない。禍次元人どもは用心深い。遠くから爆撃機を飛ばしてきたら、すぐ感づかれてしまう。だから、このバカでかい仏像を爆撃機にして突っ込むんだ。そうしたら、奴らの『巣』まで一分もかからず到達できる。改造自体は楽だった。一〇年分の予算が消えてしまったがな」
「そして、俺が爆撃機のパイロットに選ばれた」
「そうだ。一八歳の健康な男子で、作戦の意味を理解してくれて、死をも厭わない。そんなお前を選んだ」
博士は両肩をわしづかんできた。思わず息を飲む。博士の目に熱が帯びる。
「禍次元人どもは精神攻撃をしかけてくる。奴らの攻撃でUFUCのパイロットが大勢犠牲になった。彼らの検死に涙を流して立ち会っている最中、突然閃いた。我々は禍次元人どもの逆をやればいいんだ。視覚、聴覚、嗅覚、触覚。五感を通して人間の脳に入力される情報を操作すれば、脳を極限まで活性化できるはずだ。雷人、お前をこの一年間ずっと実験台にした。戦闘力を極限まで高めている。その力を使って、その全身で、勝利してこい。お前は、全身勝利人間だ!」
服を脱いで、脇のカゴから戦闘服のスーツを手に取る。スーツを着ながら、目の前の姿見を見た。どこまでも黒い髪と、どこまでも白い肌、切れ目の目に、凛とした鼻と眉。
誰も寄せ付けない、孤高さが漂っている。事実、孤独に苛まれ続けた。そんな人間だから、人生のレールをなんの疑問も持たず進めなかった。高校の卒業式の翌日、博士から「パイロットにならないか?」と声をかけられてすぐ同意した。
戦闘服を身にまとう。ぴったりと体にフィットする形状で真っ白。死装束だと思った。
「博士、着替え終わったよ」
「一応聞くが、親にも思い残すことはないか」
「ない」
小屋から出てすぐ、鉄骨むき出しの工事用エレベーターに乗りこむ。
「そういえば、爆撃機に名前をつけてなかったな。雷人、お前がつけろ」
エレベーターの外から、博士が話しかける。
「そうだな……。だったら『全身勝利人間』がいい」
「いいな。絶対に勝ってこいよ」
博士の励ましの声を聞き、ボタンを押す。エレベーターで地下へ下り、トンネルに出た。裸電球に照らされたトンネルを通過し、全身勝利人間の内部にたどり着く。
巨大な躯体。大きさ数十メートルもある動力ユニットが、いくつも連なって唸るように音を発する。その上には爆弾倉の金色の筐体が輝く。この中に収められた兵器で、奴らを抹消する。
中心部のエレベーターに乗って上昇。最上部・コックピットに到着し、バッテリースイッチをオン。計器類のメインスイッチを押すと数百箇所もあるランプが一斉に光りだした。
起動チェック後、補助動力装置を起動。ゴーグル、ヘッドホン、マスクを装着。こいつらで感覚を覚醒させる。覚醒スイッチをオン。ゴーグルからは万華鏡のような映像が半透明で流れ、ヘッドホンからは芥川也寸志・『エローラ交響曲』を編曲した、重厚な電子音が放たれる。マスクからは芳香が漂う。傍小脳脚核、腹側被殻、側坐核、眼窩前頭皮質、島皮質に広がる快楽中枢のネットワークが強烈に刺激され、能力が開放される。
凄まじい快楽。闘争本能が活性化。敵を、抹消したい。抹消しなければならない。
「さあ、勝利するぞ!」
メインロケットの起動スイッチを押した。体が揺れる。鈍く低い轟音。全身勝利人間が、重力の枷から解き放たれる。
全身勝利人間は上空へ飛翔する。眼下には仙台市の中心部が見える。仙台駅が本来あるべき場所には、直径一キロ程度の漆黒の穴が空いていた。これが禍次元人の巣だ。――操縦桿を思い切って奥へ押す。全身勝利人間の機体が穴へ向かって急降下した。
刹那、巣から一斉に、何百もの黒い物体が放たれた。禍次元人どもだ。人間のような形状をしており、一個体の全長は三メートル程度。背中には羽が生えている。それらはイナゴの大群のような禍々しい群れを形成して上昇し、全身勝利人間を襲ってくる。
禍次元人どもから不快な音響を放たれる。精神攻撃の一種だ。通常の人間がこの音を微かでも耳に入れたら、前頭葉に重大な機能障害が発生し、たちまち理性が失われる。事実、UFUCのパイロットたちはこの音を聴いて精神に異常をきたし、ほとんどが廃人になってしまった。
だが、今の自分は、すべての脳機能が禍次元人どもを抹消するための欲動に使われ、彼らの精神攻撃をいっさい寄せつけない。
全身勝利人間は巣に突入した。周囲が暗闇と化した。どこまでも果てしなく続く暗闇。その暗闇をただひたすら落下する。奈落の底へ落ちていく。その漆黒の空間の彼方に、かすかに光が見えた。光へ向かって突入――。
視界が開くと一面の荒野が広がっていた。荒野の中心には、無機質で角張った立方体が建っていた。形状は仙台駅そのものだが、壁一面が鈍い金属光沢を放っている。ここが禍次元人どもの本拠地なのだろう。そう思っていると、立方体から突如、声が放たれた。
「人類よ。我々は貴様らの救済に来ただけだ。どうして降伏しない?」
マイクロフォンのスイッチをつけて、禍次元人どもに語りかける。
「余計なおせっかいはいらない」
「黙れ。野蛮なホモ・サピエンスどもは、戦争ばかりしてお互いを殺しあう。自分の星を住めなくするほど環境を破壊してしまう。そのくせ万物の霊長を自称している。片腹痛いわ。そんな野蛮な生物は、賢く洗練された我々が責任を持って統括すべきだ。安心安全に種を維持したければ、黙って従え」
「救済などいらない。どうせ人類はお前らが統治してもしなくても滅びる。だがな、人類の運命を、わけのわからない種族の手に握られたくない」
「面白いことを言うな。貴様、気に入った。我々の部下にしよう。頑張ってくれれば、地球統括官に任命してやってもいい。地球上の資源、生物、組織。我々の軍門に下るなら、すべて貴様にあげよう。ここにいる、五万の兵力も、すべてあげてもいいぞ」
「……いいだろう。後日また来る。そのかわり、我々との友好の印に、この像を受け取ってくれ。ホモ・サピエンスが信仰している、宗教のシンボルだ」
スイッチを押す。全身勝利人間は首から下が切り離された。頭部は帰還に必要な最低限の機体。首から下の、切り離された機体は自動操縦によって、荒野に着陸するよう機体を傾けていた。
「なんだ、このモニュメントは? ホモ・サピエンスはこんなものを崇拝しているらしい」
禍次元人どものひきつった笑いが聞こえる。
マイクロフォンを切ってつぶやく。
「もう少し歴史を勉強しろよ。トロイの木馬って知らないのか?」
下品な金持ちの像をプレゼントするわけがない。本当に送りたいもの、それは地球上でいちばん信仰されている神――金だ。
阿弥陀の光も金次第。金があればこそ、この全身勝利人間は光り輝き、その名を人類の歴史に刻みつけるのだ。
博士は以前、捕虜として囚えた禍次元人を生体解剖し、弱点を発見している。弱点は、原子番号七九の元素、第十一族元素、第六周期の金属元素。つまり、金だ。わずか一マイクログラムでも吸入すれば、禍次元人どもはすぐさま生命活動を停止する。
金は簡単に手に入れられた。全身勝利人間の足元、地下金庫に埋められた金塊三〇〇キロ、祖父の隠し財産を使用している。その金塊をナノ粒子化し、有機溶媒に溶かす。全身勝利人間が着陸したら、爆弾倉からガスとして噴射される。
操縦桿を手前に引き、軽くなった機体を一気に上昇。巣の出口、漆黒の穴へ向かって機体を旋回。
甲高い電子音がコックピットに鳴り響く。ガスの噴出を検知してセンサーが作動したのだ。
「お前らに死ぬほど金をプレゼントしてやる」
穴へ突入。暗闇を進む。背後から阿鼻叫喚の悲鳴が聞こえてきた。禍次元人どもの断末魔だ。悲鳴を聴いているだけでも、精神がおかしくなりそうだ。極限まで高められた脳機能でも、五万もの禍次元人どもが発する断末魔を処理しきれない。
ふと、背後を見たい誘惑にかられる。だが背後を見て脱出が遅れれば、それこそ精神が崩壊してしまう。
光が見えた。急がねば、間に合え。
自我が溶融する。脳内に共存する、自意識、無意識、原始的本能、人類の普遍意識、生物の普遍意識。それらの境界が、消え去っていく。
吐き気。崩壊。劣等感と傲慢。陰謀。被害妄想。誇大妄想。超次元。全宇宙との融合。思考停止。殺戮と血。絶対的虚無。脳をかき乱される。すべてがどろどろに溶ける。大いなる光。恍惚。死。時間、空間、宇宙、多元宇宙、すべての存在の境界が、目の前から、消滅しかける――。
暗闇から抜け出した。意識が急速に再構築されていく。息を大きく吐いて、頭の中がクリアになった。正気に戻れた。生きて帰れた。
仙台駅周辺の黒い穴は消え去っていて、クレーターが広がっている。どっと押し寄せた疲労感に浸り、クレーターを眺めると、ヘッドホンから声がした。博士の声だった。
「雷人、やったぞ。巣が消滅した。我々の勝利だ」
「博士、ありがとう」
小さく親指を立て、胸元からネックレスを取り出した。ネックレスには全身勝利人間のミニチュアがつけられている。お守りとして持ってきていたのだ。
博士の声が続く。
「これで兄貴を抜かした。俺の名前が、人類の歴史に永遠に残る」
「博士、俗物だろ。どうでもいいだろ、人を抜かすなんて。俺たちは勝って、生きている。それでいいんだ」
窓の外を眺める。目がくらむような青空が広がっていた。
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