私が子供のころ――まだ小学校低学年のころだったかと思いますが、近所に「びやびや」と呼ばれるお兄さんがいました。「びやびや」とは子供だった私たちが彼に付けた呼び名です。なぜそう呼んでいたかといいますと、彼はどうやら知的障碍のある青年だったらしく、小さい私たちを見つけると出し抜けに「ビヤ・ビヤァー!!」「ビヤ・ビヤァー!!」と絶叫して追いかけてきたからなのです。なので私たちは学校の帰りなどに彼に遭遇することをひどく怖れていました。彼は独りでそこらをうろうろ歩いていて、いつどこに現れるかわからなかったのです。
あなたの世代でもそうだったかわかりませんが、私たちの年代の者にとっては買い食いという行為が大変な楽しみでした。買い食いとは読んで字のごとく学校の帰りにコンビニなどに寄って、小学生のおこづかいでも買えるようなお菓子その他を買って食べるだけの事です。学校でそういう事は禁止されていたのですが、だからこそ買い食いをするのが魅力でした。小さい頃はそれぐらいの事が楽しかったのです。私と友達はあるときカップラーメンを買ってお湯を入れ、コンビニの駐車場の隅っこで食べていました。そこへ突然「びやびや」が例の特徴的な叫び声とともに現れたのです。びっくりした私は小学生にとってはかなり高い買い物であるカップラーメンをひっくり返してしまい、熱いスープを足に浴びた彼は悶絶していました。私たちはその隙に逃げ出しました。
しかし相当頭に来たらしい「びやびや」は猛烈な勢いで追いかけてきました。人間はどうも逃げ切れないかもしれないと不安になると物を投げたくなるもののようですね。私もとりあえずカバンの中にあったペンケースだの教科書だのを投げつけました。ところが一緒に逃げていた友達が転んでしまったのです。必死で逃げる私の視界の端に、友達に覆いかぶさる「びやびや」の姿が見えました。また少ししてから振り返ってみると、彼はしがみつくようにして友達の顔を舐めたり噛んだりしているようでした。けれど私にはとても、駆け戻って助けようなどという発想はありませんでした。母が後で語ったところによると、私はすっかり青い顔になって帰ってきたそうです。友達は次の日、学校に来ませんでした。
なぜ最初にこんな話をしたかといいますと、すでに中年のおっさんになった私が今でもやはり感じる、人間の得体の知れなさ――よりくわしく言うと誰もが内包しているであろう不気味な暴力性への恐怖を最初に感じた記憶が、これのように思うからなのです。小さな子供であったその時はまだはっきりとその恐怖の由来するところなどわかりませんでしたが、大人である今はわかるかもしれません。つまり、普段私たちはみな理性なり知性なりでそれを抑えているけれども、実のところ誰でも「びやびや」なのではないかという事です。意味不明な喚き声、どこを見ているんだかわからない目、加減を知らない力の振るい方――ただその不気味な暴力性はより複雑な、洗練された形で発現するというだけの違いなのでしょう。
さて、私たちが「けんちゃん」と呼んでいた男がいました。猿みたいな顔の男でした。「けんちゃん」はもう中学生で高校受験を控えていたようでしたが、ちょうど私たちぐらいの弟がいることもあってか、よく私たちの相手をして遊んでくれていたのです。ところであなたはそういう男をどうお思いになるでしょうか。いわゆる社会人とも呼ばれるような年頃であれば、それぐらいの年齢差というのは特に、というよりほぼ何も問題にならないでしょう。しかし中学生なのに小学生と遊んでいる男となると、これは結構深刻な問題を抱えているように思えませんか? 実は私の父もそう考えていたようでした。私がこの年長の友人のことを話して聞かせると、父は少し顔をしかめ、あまりその子と付き合わない方がいいだろうと言ったのです。理由を訊ねると、その年で自分より下の子供と遊んでるようなやつはだいたい頭がおかしいからとの事でした。当時の私にはまったくその意味がわかりませんでした。私たちはみんな彼に懐いていたのです。なにせ私たちよりはるかに色々な事にくわしく、色々な遊びを知っているし、体の大きい彼といれば安心感があって「びやびや」に襲われる心配も薄れるような気がしましたから。けれど、結論から言うと父が正しかったのです。
あるとき私たちはその「けんちゃん」と、雑木林の向こう側にある乗馬クラブに遊びに行きました。遊びに行った、と言いましても誰もそこの会員だった訳ではありません。私たちはいわばこっそり忍び込むようにして、私たちにとっては珍しい生き物である馬を見に行ったのです。私たちの中の一人が乗馬クラブのお姉さんに可愛がられていたので、そのお姉さんがいる日なら彼女は仔馬を連れてきて私たちに見せてくれたりしたのです。もっとも、今になって思い返すと私たちはむしろそのお姉さんに会いたかったのかもしれません。子供というのはいったん自分が可愛がられてるとわかると十全にそのアドバンテージを利用する術を知っているものです。ただ、私は人見知りの激しい子供でしたから、まるで身内のようにお姉さんにじゃれついたり軽口をきいたりする友達を羨みながらも自分はただ黙っていただけでしたが。
私たちはその日もそうして楽しく遊んでいたのに、そこにオーナーの爺が現れたのです。これはひどい爺でして、私たちを見つけるといつもすごい胴間声で怒鳴りつけて追い払おうとするのです。そりゃオーナーからすれば変なガキどもが勝手に入ってきてちょろちょろしてたら追い出すのが当然でしょうが、私たちにとっては嫌な爺でした。そして実際彼は悪人だったのです。しばらくしてから新聞の地域版に小さな記事になって出ていましたが、彼は優しいお姉さんたちに猥褻な行為をしていたとの事で捕まりました。私の両親は前からその乗馬クラブに怪しい噂があったことをひそひそ声で話し、やっぱりねえという風な顔をしていましたが、もちろん当時の私たちはそんなこと知るよしもありません。
「あ、まずい。逃げて逃げて」
爺の姿を認めたお姉さんは声を潜めて私たちに指示しました。私たちは爺のあの聞き苦しい罵声を背にしていっせいに駆け出しましたが、爺、こともあろうに犬を二頭も放ったのです。私は全力で逃げながらも、お姉さんがこの事であの憎たらしい爺に叱られるのだと思うと嫌な気分がしてたまりませんでした。
嫌な気分というより、実際に私は腹痛に襲われ出したのです。私はちょっとしたストレスにも弱い子供でした。下腹部のきりきりと刺すような痛みから冷や汗が出るのがわかりました。私たちはどうやら無事に逃げおおせて、皆安心してはあはあ息をついていたのですが、私はこの腹痛の原因をどう処理したものかに考えをめぐらせていました(子供のころというのは、学校のトイレで「大」などできませんでしたね。そんな事を知られようものならクラス中の笑いものです。そしてまた尾籠な話で恐縮ですが、お腹が弱くて下痢の発作に急に襲われた小学生の子供というのは実にかわいそうなものに思います。それは一例にすぎませんが、私はフィクションの世界等で子供の世界が牧歌的に描かれているのを見ると、どうも自分の実感とかけ離れているような気がしてしかたありません。子供の世界というのは子供なりに残酷でタフな世界ではなかったでしょうか?)。
と、そこで「けんちゃん」が私の顔の青いのに気が付いたらしく、大丈夫か訊いてきました。皆もふと顔を上げて私を見ました。私は口ごもるように何でもないと答えましたが、正直犬に追われていたさっきまでよりもはるかに危機的状況にいました。
「こいつは休ませないと駄目だ。みんな、犬が来ていないかちょっと見てきてくれ。俺はこいつとここにいるから」
「けんちゃん」がそう言うと友達はみんな指令を出された兵士のごとく飛び起きて駆けていきました。一人、私と特に仲が良かった谷口くんだけが一緒に駆けて行かずに残りました。「けんちゃん」はそれが不満なようで変に黙っていて、私たち三人は奇妙な沈黙のうちに取り残されていましたが、やがて「けんちゃん」がまた口を開きました。
「ああ、小便がしたい。一緒に行こうぜ。谷口はここにいていい」
そう言って茂みの方を指さすのです。私は小便ではない方がしたかったので、おおいに弱りました。また冷や汗が額に浮いてきました。
「さ、行こう」
どういう訳かけんちゃんは有無を言わさない調子で私を促すのです。が、限界が来るように感じた私はもう一刻もそこにそうしていられず、立ち上がって一目散に駆け出しました。ここから自宅まではけっこう遠いこと、途中にどこかトイレがなかったかという事、きっと私の事情はわかってしまい明日学校でなにか言われはしないかという事、これは間に合わないかもしれないという事……それらの考えの切れ切れがぐるぐる頭の中を回り、冷や汗どころか涙まで出てくるのでした。
次の日、谷口くんは学校に来ませんでした。私があの後どうしたのかは差し当たって不要です。私は私が心配していたようにからかわれる事もなく、むしろ心配されたのでホッとしていました。けれど谷口くんがその次の日も学校に来なかったのが少し気がかりでした。一体どうしたのだろう? それはだいぶ後になってから、やはり私の両親が声を潜めて話しているのを聞いてわかったのです。
私が駆け去ったあと「けんちゃん」は代わりに谷口くんを連れて茂みに立小便に行きました。そして自分は小便をするでもなくただ付き添って隣に立っていた谷口くんのズボンの中に手を突っ込み、彼の性器をもてあそんだのだそうです。茂みから出るとき、強い調子で「誰にも言うなよ」と念を押したという事まで知られていました。それらは学校に行きたがらず泣いている谷口くんから彼のお母さんが聞き出したそうです。「けんちゃん」は受験を控えている大事な時期だからという事で穏便に済まされたようですが、彼と私たちが一緒に遊ぶことはなくなりました。
あなたが私に――私に、しょうもないオッサンである私などに!――憧れています、となにか照れたように言われたとき、私は戸惑うとともに、正直に言いますがとても嬉しかったです。そしてこれは少し嫌な、年長者としての上から目線な感想ですが、ふと私があなたぐらいの年頃であったときを思い出して少し感傷にひたるところもありました。私もやはりあなたぐらいの年齢のときは、ずっと年上の人に憧れを持ち、自分のロールモデルのように思ってその人の口調や仕草まで真似していたことがあったからです。私があなたにそんな対象として見られたことはこの上なく光栄な事ですが、同時にまた自分が実際はそれにふさわしい人間ではない事を知っていますから、心苦しくもあるのです。
「けんちゃん」がその後どうしたかですか? さあ、知りません。同じようなことをまた繰り返しやっていたかも知れませんが、たとえそうだとしても今は潔癖らしい顔をして暮らしていることと思います。おそらく自分の家族を持っているでしょうし、よい父親になっているかも知れません。そういう人というのは決して少なくないのです。あなたはもしかするとその「けんちゃん」とは私なのではないか、私は他人の事のようにして実は自分の事を書いたのではないかと思われるかもしれませんが、それはありません。しかし、私も結局は無実ではないのです。その必要は無いかと思いますからここで告白はしませんが、こうした、これに類したグロテスクな行為は身に覚えがないかと言うと決してそうではありません。私もまた不気味な人間の一人ですよ。
あなたはどちらかというと純粋な方とお見受けしました。そして人を信じやすい方に思いました。それはあなたの美点です。けれど、もうお会いできることもないかと思いますから余計なお節介ながら言いますが、あまり簡単に年長者を信じるのはおやめなさい。特に理解があるかのように、あなたを評価しているかのように、そんな風に近づいてくる者にはなるべく警戒なさい。これは比喩として言うのですが、そういう者は大体あなたにしがみついて顔中舐めまわそうとしている人間です。あなたのズボンの中に手を突っ込んで性器をまさぐろうとしている人間です。私がそうでなかったなどとあなたにわかるでしょうか? 私には大いにつもりがあったかもしれませんよ。けれど賢明なあなたは何となく感付いていたところもあったかも知れませんね。
おや、サイレンが鳴っている。どこかで火事でもあったのだろうか。
諏訪靖彦 投稿者 | 2023-07-29 12:04
幼少期を昭和に生きた私には思い当たる節が多々あって、頭のおかしい上級生がいたし、下級生にいけないことを教えていたりしました。私もそんな上級生の一人でした。。当時住んでいた団地で風変わりなお兄ちゃんと慕われていたけれど、実際に下級生の親からなんて言われていたか想像してぞっとしました。でも性的ないたずらとかはやってませんよ。
大猫 投稿者 | 2023-07-30 11:19
語り口がちょっと古風で良い感じです。
子供の世界は残酷でタフなモノだという主張には賛成です。
下痢にピンチを救われたのですね。たまには良いこともあるものです。
語り手がどうやら若い男性を食い物にしてるっぽく、どうやらこれから逮捕されるらしいと暗示、びやびややけんちゃん、谷口くんの記憶とどう繋がっているのか、想像力をかきたてられたラストでした。
曾根崎十三 投稿者 | 2023-07-30 23:46
堅めの語り口なのにすすっと頭に入ってきてとても読みやすかったです。被害者なのか加害者なのか? 漏らさないパターンでしたが、きちんと下痢が重要な役割を果たしていてギャフンと言わざるを得なかったです。
私は友達に年下が多いので頭おかしいポジなのでは?と人生上で何度も思うこともありましたが、それはそれで面白いしアリな気もしてきました。
小林TKG 投稿者 | 2023-07-31 16:01
正直……。
正直、けんちゃんの事をかばってあげたい気持ちもある。勿論子供の頃だったら、絶対に無理だろうけども。今はなんか……いや、どうなんだろうな。思ってても口に出したりはしない方がいいだろうけども。
Juan.B 編集者 | 2023-07-31 16:20
どうも、あの時のビヤビヤです。俺はみんなに俺の気持ちを分かって欲しかったんだヨ……
それはともかく、ある種のピンチに別種のピンチを救われる、因果の巡りが分かりやすい。サイレンにも色々ある。頑張って生き延びよう!
眞山大知 投稿者 | 2023-07-31 18:11
年上の人間をただ年上だというだけで尊敬していた時期がわたしにもありました。今思い返すと本当に愚かで、この作品を読んで当時を思い出し脂汗が出るような錯覚を感じました。
本当に怖いのは上っ面が「けんちゃん」で中身が「ビヤビヤ」のような人間です。
波野發作 投稿者 | 2023-07-31 18:33
地域柄超長距離徒歩通学を強いられていたせいか、通学路の山中には「うんこ島」という野糞特区が設置されていて、緊急時にそこでやらかしても誰も何も言わないという暗黙の了解がありました。まあ地主さんにとってはろくでもないローカルルールだったなあと今にしては思いますが、当時はありがたい聖域でした。性的なことは他の山で。