糞食らい男。

巣居けけ

小説

3,832文字

糞の香りがする男の口には絶え間なく糞が流れ込んでくる。それは止まることのない、止めることのできない拷問だった。主治医は糞の山に男の顔をぐりぐりと押し付け、楽しさのあまりに愉悦の笑みを漏らしていた。男の舌は糞の味を覚えた。様々な腐った食材を混ぜ合わせたような味だった。そしてさらに、主治医の激烈な勧誘によって、ついに男の脳は糞を食べ物と認識した。

彼が次に目を覚ましたのは、街で最も悪名高い医者の、プライベートベッドの上だった……。
「ほら、糞を喰えよ……」主治医は入院衣服を着た中年男の上半身だけを起こし、ベッドの上に乗せた背の低いテーブルの上のものを見せる。男はその悪臭から顔を背けようとする。しかし主治医は乱暴な暴力で男を押さえ、彼にテーブルの上の人糞を見せつけた。
「待ってくれ。おれにクソ食らいの趣味はないぞ……」

男の声は震えていた。
「おれにもないから、安心しろ」

主治医は低く感情の無い声を発した。
「それでどうなるってんだ!」
「いいから、さっさと喰え。さっさと、食え」主治医の素手が男の首に食い込み、彼に悲鳴を与える。「さっさと喰え」

男はもう一度嫌だというふうに首を振ったが、主治医は強烈な握力でそれを制し、ついに男の頭を糞の中へと突っ込んだ。強烈な香りが男の鼻孔を埋め、脳に緊急信号の頭痛を与えた。
「ああっ! うわあああああああっ!」

糞の香りがする男の口には絶え間なく糞が流れ込んでくる。それは止まることのない、止めることのできない拷問だった。主治医は糞の山に男の顔をぐりぐりと押し付け、楽しさのあまりに愉悦の笑みを漏らしていた。

男の舌は糞の味を覚えた。様々な腐った食材を混ぜ合わせたような味だった。そしてさらに、主治医の激烈な勧誘によって、ついに男の脳は糞を食べ物と認識した。男の舌は糞を一級の特殊料理として捕え、もっと持ってこいと脳に命令した。脳は糞を求め、それは男の身体が糞を求めていることと同義になった。男は自分でも抑えきれない糞過食欲求に口を動かし、大食い選手のような力量で糞を食らった。
「いいぞ! いいぞ! もっと喰え! さあ! どんどん食らえ!」

男の頭から素手を離した主治医は棚から十六ミリカメラを取り出し、取っ手のボタンを押して撮影を開始した。フィルムが回るシャカシャカという乾いた音が鳴り、男が糞山に突っ伏して一心不乱に食らっている姿をとことん映した。

やがて男は糞をたいらげた。ベッドの上に乗るテーブルの上には、一握りの糞すらも無くなった。

自分の頭髪や顔面に付いた糞をも舐め取った男はげっぷを放った。そのガスは糞の香りで、色も糞の色だった。主治医はそんなげっぷもしっかりとカメラで撮影した。再度取っ手のボタンを押し込むとフィルムが回るシャカシャカという乾いた音が鳴り、男の口から溢れる茶色のガスを映した。

主治医はカメラを棚に戻し。男に歩み寄った。
「さあ、糞を出したくないか?」
「はぁ?」

男は首を傾げながら疑問を吐いた。覗く歯列には糞のカスが付着していてところどころが茶色だった。
「糞を出したくないか? 糞をひねり出したくはないか?」

主治医は大学一年生に訊ね事をする教授の調子だった。口角が上を向くほどに歪曲した笑みを浮かべていた。
「あんた、何言ってるんだ? 糞ならついさっき食らっただろう? それですぐに糞を出すってことは、おれは糞循環装置ってことになっちまう。そんなに糞が好きなら、あんたが出せばいいだろう」

男は至極真っ当な意見を出した。すると主治医は何か、思い出し笑いをするように両肩をカタカタと揺らしながら男の肩を叩いた。男はそんな主治医が不気味に思えていた。自分の知らない謎の事柄で一人で盛り上がっている姿が不愉快だった。
「なんだよ」
「なんだろなあ? なんだろうなあ」男の肩から両手を離す主治医は左右にリズムを取りながら高い声だった。それは昔ながらの玩具のような挙動だった。「あんた、自分が食らった糞がどこから来たのか、知らないのかい? ええ? 知りたいかい?」
「し、知りたかねぇよ。そんなん。牛丼屋で牛丼喰ってる親父は、その牛の肉がどこから着たのか知りたがらないだろ?」
「それはよくわからないけど」

主治医は一瞬だけ真顔になった。昆虫のような感情の無い顔を男に見せると、すぐにニタニタ笑いに戻って左右のリズムを取った。
「お前が糞をひねり出せば、お前が食らった糞の出どころもわかるよ。お前が脱糞してしまえば、すぐに全てが理解できるよ」
「なんだと」
「脱糞が真理を導き出すんだ。糞を出した人間の勝利なんだ」

そして主治医はベッドから右に離れた位置を指さした。そこには白色の便器が設置されていた。しゃがんでするタイプの便器で、汚れは無く、天井からの光を艶やかに反射していた。男はその光沢を見つめると同時に初めてこの室内や主治医の出で立ちを意識した。主治医は茶色の汚れがある白衣に、ワイシャツと黒のスラックス、こげ茶の靴を着ていた。室内は自分が座っているベッドのほかに便器と、主治医が使っているカメラを置くための木製の棚以外には何も無い正四角形の部屋だった。壁は黒く、同色の床はタイル張りだった。ベッドは室内の中央にあり、便器は壁沿いに設置されていた。
「ほら、糞をしろ」主治医は便器を指さしたまま囁いた。「糞をしろ。しろ、しろ……」

男にはその主治医の声がいくつかの別の声が重なっているように聞こえた。しかし考えてもそのからくりの正体がわからなかったため、すぐに主治医の声については考えるのをやめた。男は次に主治医が指さす便器を睨んだ。ベッドから見る限りは新品同様に真白い便器はこの室内の中で輝いており、そんな便器をじっと眺めていると、便器が男の尻の到着を今か今かと待っているかのように思えた。男はそんな思考にたどり着いた自分に身震いした。便器に意思があることが前提になっている自分の思考回路が恐ろしく感じられたと同時に、この異常な空間と出来事が自分の脳をおかしくしているのだと思い知った。
「さあ、糞をするか? んん? どうする?」

主治医が高い声で訪ねてきた。男は主治医の顔を視た。ぐにゃりと曲がっている唇といくつものシワからは狂気しか感じられなかった。そしてそんな狂人から脱糞を知ろと迫られているこの状況が自分にとって絶体絶命の危機であることを男は理解した。すると背筋が凍り付き、吐き出す息が荒くなっていった。そして混乱の極みにある脳は、もしここで糞をしなかったらの場合を考え出した。この狂気の笑みを持つ主治医が何を仕出かすのか男には見当もつかなかった。

男は息を深く飲み、そしてゆっくりと吐き出した。ここで糞をすることがどんな意味を持っているのかはわからなかったが、とにかく男は目の前の便器で脱糞をすることを自分に誓った。

男はベッドから降りた。主治医はそんな男のことを邪魔することもなく、隣でじっと視ていた。男は裸足のまま便器に近づいた。接近すると便器は思ったよりも小さく、男はなんだか拍子抜けした。便器を跨ぎ、入院衣服のズボンを下ろした。すると陰茎と尻が露出した。驚くべきことに自分は下着を着けていなかった。

ズボンを下ろした男はしゃがみの体勢を取った。便器に尻を突き出すような恰好は少し恥ずかしかったが、今さらそんなところで躊躇していては何もできないと自分を励ました。すると主治医が動いた。棚に置いたカメラを持ち出し、しゃがんでいる男を撮影し始めた。フィルムが回るシャカシャカという乾いた音が室内に響き、男の醜態が映されていった。男はさらに恥ずかしさを感じたが、もうどうにでもなれというやけくそな感情の中で腹に力を込めた。
「ふんっ! ああああああっ」

腹の中に異物の感触があることには早い段階から気づいていた。だからこそ男は躊躇なく腹に力を入れ、異物である糞を体外に出そうと努めた。異物は下っていき、すぐに肛門に到達した。穴が押し広げられていく感触に身が震え、ついに男は脱糞をした。尻からモリモリと出ていく固形の糞は温かかった。
「おおっ! 糞が出たぞ! 糞だ! 糞だ!」

主治医はカメラで男の顔を撮影していた。脱糞をした瞬間の気の抜けている表情がしっかりと撮影された。次に主治医は男が出した糞を撮影した。男の尻と便器の間にカメラを滑り込ませ、茶色いこんもりとした糞をさまざまな角度から映した。

室内には新たなに産み落とされた糞の臭いが漂っていた。どこまでも香ばしく、鼻孔と脳にこびり付く糞の香りだった。カメラでの撮影を終えた主治医は二、三度荒い鼻呼吸をして糞の臭いを吸収していた。

男は爽快感に包まれていた。詰まっていた糞を一気にひねり出したことによる放出の快感が身を包み、天にも昇るほどの極楽を得ていた。
「おい、紙は?」

男は主治医に訊ねた。
「衣服こそが、紙だ……」

主治医は糞の香りを嗅ぎながら吐息混じりだった。

男はズボンで尻の穴を拭き、立ち上がると同時に下半身をしまい込んだ。そして便器の上に乗った自分の糞を視た。脳裡で描いていた光景がそこにはあった。真白い便器の上に茶色の物体がわが物顔で鎮座していた。
「それで? この後は?」男はカメラを置く主治医を視た。「おれにどうしろと?」
「ああ、交代の時間だ……」

主治医は天を仰ぎながら囁いた。
「交代?」
「ああ……。さあ、退けよ」

主治医は便器に近づいた。そしてしゃがみ、四つん這いになって、真白い上の糞に顔を近づけた。すると男には主治医の着ている白衣の茶色いシミが目についた。主治医は舌を伸ばし、男の出した糞を舐める動作をした。その瞬間男は全てを理解した。点と点が繋がり、凄まじい勢いで線になっていくのがはっきりとわかった。脱糞をした時以上の爽快感が脳に溢れ、全能感に満ち満ちた。

男は主治医の糞に接触しそうになっている舌を見つめながら唾を呑んだ。そして低く呟いた。
「ほら、糞を喰えよ……」

2022年10月17日公開

© 2022 巣居けけ

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