銀閣寺爆破テロ

野尻有希

小説

19,918文字

防犯対策セミナーに参加した凛子は、講師に銀閣寺の爆破テロを計画するよう命じられた。セミナー会場はやがてテロの現場に変化する――2015年度新潮新人賞応募作を加筆・修正。

定員四十名のセミナー会場は満員だった。席に置かれた資料の表紙には「防犯対策特別セミナー~テロリストの行動心理を把握する~」と書かれている。

木戸凛子は前から二列目、窓際の席に座っていた。窓の外には渋谷駅前の街並が広がっている。
「今日のセミナーでは、皆さんにテロリストになってもらいます」

演台に立つ佐々木エリーナ清華が笑顔で言い放った。

テロリストになる? 冗談でも言っているのか。ノートにセミナータイトルを書きかけて、凛子は手を止めた。
「テロリストになりきって、日本政府にダメージを与えるテロ計画を考えてください」

会場がざわついた。金髪碧眼のエリーナは皆を落ち着かせるように微笑んでいる。

おかしい。事前に知らされたテーマと違う。
「ちょっと待て。今日は防犯対策セミナーだったはずだろ」

凛子の隣に座る飛田が声をあげた。よれたTシャツに黒のジャケットを羽織った飛田は、椅子に浅く座り、組んだ脚を小刻みに震わせている。
「その通り、これは防犯対策セミナーです」

エリーナは聖母のように柔和な笑みを浮かべている。

凛子は配布資料の講師プロフィール欄に目を落とした。佐々木エリーナ清華、ロシア人ハーフ、株式会社ジェノサイド・プロテクション代表取締役、元ロシア連邦軍特殊部隊スペツナズ隊員、防衛省技術研究本部テロ対策特別顧問と肩書きが並んでいる。防犯カメラメーカーの平社員である凛子とは、住む世界が違った。
「おかしいだろ、テロリストになれだなんて」

飛田は腕を組んでほくそ笑んでいる。
「確かに、セミナーのテーマとしてふさわしくないですね」

後ろの席から年老いた男の声がした。振り返ってみると、上等のスーツを着た白髪交じりの男性が不服そうな表情をしていた。
「事前の説明と違う内容なら、帰らせてもらいますよ」と言って、初老の男が席を立とうとした。
「少し冷静にお考えください。テロリストになるのと、テロリストになると考えることは、全く別の営みですよ」

エリーナは落ち着いている。
「何も参加者の皆さんに犯罪行為をしろとお願いしているわけではありません。思考のトレーニングとしてご参加ください」

エリーナが笑顔で会場を見回す。立ち上がりかけた初老の男は腰をおろした。飛田は何か言いたげな様子だったが、黙って貧乏ゆすりを続けた。

エリーナはジャケットのポケットから、カードを複数枚取り出した。
「今から座席を回ります。二人で一枚、カードをひいてください。テロ計画に役立つカードです」

ハイヒールの靴音を立てて、エリーナが凛子達の席に歩いてきた。飛田の方にカードを差し出す。

飛田は枝毛の多い髪をかきあげた。カードを取る気配はない。

セミナー開始前に自己紹介した時、飛田はラジオドラマの脚本家だと言っていた。凛子はテレビやネットのドラマをよく見るが、ラジオドラマに興味はない。ラジオドラマの脚本家とは、ここまで不愛想なものだろうか。

気まずさに耐えかねた凛子はカードを一枚引いた。めくってみると、ゴシック体で銀閣寺と書かれている。

全ての座席を回り終えて、エリーナが演台に戻る。
「いいですか? カードに書かれているものが、みなさんのテロのターゲットです」

会場がざわついた。
「日本の著名な建築物や重要人物をターゲットにしています。今から三十分シンキングタイムを設けます。テロのターゲットを破壊する完璧な計画を立ててください」

凛子は前の席のカードをちら見した。国会議事堂と書かれている。後ろの席からは「アイドルがターゲットか」と聞こえてきた。
「三十分後には、テロの計画と実行方法をプレゼンしてもらいます。日本社会に恐怖に包むテロを考えてください」

遊びに出かける前の子供のようにエリーナは微笑んだ。

銀閣寺を爆破するなんて不穏当だ。世界文化遺産の銀閣寺をテロのターゲットにしろだなんて、講師は何を考えているのだろう。

会場のざわめきは続いている。他の参加者も凛子と同じような疑問を持っただろうか。
「質問いいですか?」

凛子が手を挙げた。
「私のカードには、京都にある世界文化遺産が書かれていました」

カードをエリーナの方にかざしてみせる。
「オウ、銀閣寺。素晴らしいお寺です」
「テロ対策セミナーで、銀閣寺を破壊する方法を考えましょうなんて、物騒じゃないですか?」
「本当に銀閣寺を破壊しろと言うわけではありません。ただの思考実験です」

エリーナの声には落ち着きと自信が感じられた。「でも」と言った後、凛子は言葉を詰まらせた。
「俺達は、テロリストを悪者だと決めつけてるのかもしれないな」

隣の飛田が低い声でつぶやいた。
「テロリストの側にも彼らの正義がある。彼らにとって、政府は悪に見える可能性がある」

凛子は下を向いた。テロリストには、銀閣寺を破壊する彼らなりの理由がある。善悪の価値観を離れて考えろということか。
「よろしいですか皆さん、社会道徳的にとか、倫理的にまずいと思うなら、それはあなたの立場に根ざした考え方です。テロリストになりきってください。そこから理解が始まるのです。クリティカルな発表を期待しています」

エリーナが手を叩いて議論を促した。

休日を利用して、凛子は自費でこのセミナーに参加した。防犯関係のセミナーに参加すれば、昇進昇格に必要なスキルポイントがたまる。同期入社の男性社員が次々出世していく中、平社員の凛子はやる気を見せる必要があった。
「さて、どうやって銀閣寺を爆破しようか」

飛田は腕を組んだ。
「爆破ですか?」
「爆破以外にどうやって破壊するんだよ」

凛子はノートに「銀閣寺爆破」と書き留めた。何でも書かないとすまない性質なのだ。
「まずテロリストの人物設定から決めてみるか。人種、国籍、性別、年齢、職業は何なのか、考えるぞ」

凛子はノートに「テロリストの人物設定」と走り書きした。学生時代からノートを取るのは好きだった。
「日本に敵意を持っている外国人テロリストの犯行になりますかね?」
「国内の反政府過激派という線は薄いだろう。日本人で銀閣寺を爆破する勇気のある奴なんていない」

勇気があれば銀閣寺を爆破できるのだろうか。そういう問題なのだろうか。疑問に思ったが口にはしなかった。
「迷っている時間はないな。決めなきゃいけないことがたくさんある。こういう時は直感を信じた方がいい」

男なのか女なのか、老人なのか若者なのか、凛子はじっくり考えたかったが、三十分でできることは限られている。飛田主導のもと、テロリストは多人種・多国籍の匿名集団と決まった。
「インターネットを介してつながる彼らは超国家主義を信条とし、欧米中心の世界に替わる新世界秩序の樹立を願っている」
「あの、すいません。超国家主義って何ですか?」
「後で調べてくれ」

はぐらかされた。超国家主義が何なのかわからなければ、テロリストの行動原理がわからないではないか。新世界秩序についても質問したかったが、仕方ない。凛子はノートに「超国家主義と新世界秩序 後で検索」と急いで書き留めた。

飛田はメモを取らず、窓の外を眺めている。
「あの、飛田さん。多人種、多国籍の匿名集団じゃ、どんな人なのかイメージできません」
「素顔を見せないのが彼らの特徴だ」
「もうちょっと具体的な人物像、描きません?」

二人で話し合った結果、京都周辺に暮らす四十代前半の日本人男性がテロの実行犯となった。

彼は週に三日くらい日雇いの仕事をしている。生活できるだけの金を稼いだら、あとは部屋にこもり、読書や趣味に時間を費やしている。内気で勉強熱心な彼は素人童貞でプライドばかり高い。彼はインターネットを介して多国籍テロ集団の一員となる。他のメンバーとは会ったことがない。

以上がテロリストの設定になった。凛子は今創り出したテロリストのイメージに飛田の姿を重ねた。
「こいつ何で多国籍テロ集団の一員になったんだ? 最初から銀閣寺を爆破するつもりはなかったはずだ」

人は何故テロリストになるのか。貧困、不平等、差別など、虐げられた人がテロリストになる理由はいくらでもあると凛子は考えた。
「さっき飛田さん、テロを悪だと決めつけてるかもしれないって言いましたよね」
「正義なんて人の数と同じだけある」
「この人って、自分の考える正義を実現するためにテロリストになったんじゃ?」
「暴力を使わなければ解決できないと思えるほどの不正が社会にはびこっていた。彼は問題解決の手段として、自らの正義を信じてテロ活動に取り組んだ」

飛田はテロリストになったかのように、力強い声でゆっくり述べた。

正義を実現するのはヒーローのはずだ。テロリストは自分のことを英雄だと思っているのか。凛子はノートに「テロリスト=英雄」と書いた。
「じゃあ次。ここ重要です。何故テロリストは、銀閣寺をターゲットにしたのか?」
「よし。銀閣寺の基本情報を調べてくれ」

飛田は鞄から冊子を取り出し、デスクに置いた。
「飛田さんは調べないんですか?」
「脚本の締め切りが近いんだ。悪いな、調べものは任せた」

飛田は机に広げた冊子に赤ペンで何か書きこんでいった。ラジオドラマの脚本の手直しでもしているのだろう。

ラジオドラマなど真剣に聞いたこともないし、話題作も知らない。飛田はどれほどの稼ぎなのだろう。ラジオ業界では名の知れた脚本家なのだろうかといぶかりながら、凛子はノートのページを切り替えて、スマホ片手に銀閣寺の基本情報を書き出していった。

銀閣寺は室町幕府八代将軍、足利義政によって建てられた。京都の左京区にあり、東山文化を代表する建築である。古都京都の文化財として世界遺産に登録されてもいる。

銀閣寺が銀閣寺と呼ばれるようになったのは、江戸時代以降である。正式名称は慈照寺であり、建設当初も現在も、外壁に銀箔は貼られていない。室町幕府は困窮しており、銀箔を買う金がなかったという説、もともと銀箔など貼る予定はなかったという説などある。

ネットで調べた銀閣寺の情報を読み上げつつノートに書く。

「飛田さん、ある程度調べましたよ」
「何故銀閣寺を爆破したのか? 近所に銀閣寺があったからか? それが銀閣寺を爆破する決定的理由になるとは、どうしても思えない」

飛田は調査結果を聞く気がないかのように、目を閉じて考えこんでいる。
「日本政府への威嚇でしょうか? 世界遺産吹っ飛んだらやばいぜみたいな」
「なら銀閣寺でなくてもいい。銀閣寺でなければならない理由があるはずだ」

凛子も目を閉じた。最初は銀閣寺爆破テロ計画について考えるのを嫌がっていた凛子も、今や率先して考える立場に変わっていた。考えているうちに、のめりこんだ。テロの実行犯も、最初はあったかもしれないためらいを、作戦を練るうちに忘れていったのかもしれない。
「テロの動機は宗教的理由だろうか?」
「銀閣寺は禅宗の寺院です。他の宗教に銀閣寺が恨まれる理由なんてあります?」
「カルト的な宗教団体なら銀閣寺を攻撃してもおかしくない。世界遺産の銀閣寺は、観光客で賑わっている。観光地化した銀閣寺を不快に思う輩がいてもおかしくない」
「つまりテロリストは、神聖であるべき宗教施設が観光地になった現実を受け入れたくなかったと」
「超国家主義者は極度の純粋を重んじる」

カツカツとハイヒールの音がした。エリーナがコーヒーカップを持ってきた。他の席にもコーヒーが配られている。
「議論は進みましたか?」

エリーナがプラスチック製のカップを机に置く。
「テロリストは何故銀閣寺を爆破するのか、理由を特定できずに悩んでます」

カフェインが苦手な凛子は、作り笑顔でコーヒーを受け取った。
「銀閣寺を爆破する理由なんていくらでもありますよ。とりあえずでいいから、一つ決めてみたらいかがですか? もっともらしい理由は後で考えればいい」

的確なアドバイスを期待していた凛子は落胆した。セミナー講師がそんな発言をしていいのかと思ったが、凛子は「はい」と小さな声で返事をした。
「残り時間は少ないからですね」

エリーナは香水の匂いを残して隣の席に移動した。
「どう思います飛田さん?」
「どうって?」
「理由は後から考えればいいだなんて」

飛田はコーヒーを飲みつつ、エリーナの後ろ姿を見つめている。
「俺達はまた間違っていたのかもしれない」
「え?」
「今まで俺達は正当な理由を考えようとしていた。そんなのは、建前だ。テロをやった本当の理由は、公式の場で言ったら恥ずかしくなるような、むき出しの欲望でいいのかもな」

むき出しの欲望、と凛子はメモした。
「自分の力を誇示したいとか、力を持っている奴を馬鹿にしたいとか、そういう他人の共感を拒むような、エゴ丸出しの欲望が、テロリストには必要だ」

飛田はコーヒーを飲み干した。
「じゃあ何故銀閣寺を爆破したんですか? 金閣寺は一度放火されてるから、今度は銀閣寺を爆破しちゃえみたいな、軽い理由でやっちゃいました?」

凛子は自分のカップを飛田の方に差し出した。飛田は礼もせずに一口すすった。
「そうだ。ふざけた理由でいい。でもな、公式犯行声明では、銀閣寺は日本文化の象徴だから爆破したとか、もっともらしいことを言えばいいんだ。わびさび、茶道、禅、幽玄。目立つことなく、陰影を尊ぶ銀閣寺は、日本的美徳の象徴だった。その銀閣寺が観光地に堕している。故に我々は、銀閣寺を爆破しなければならなかったのだ!」

凛子はノートに「テロの理由は適当に美麗字句ででっちあげる」と書き留めた。

本当にふざけた理由だけだろうか、テロリストには、破壊工作の実行によってしか解決できない問題がはずだと思ったが、時間がない。とりあえず飛田に従うことにした。
「よし、次はテロリストがどうやって銀閣寺を爆破したか考えよう」

飛田は凛子のコーヒーも一気に飲み干すと、立ち上がった。
「その前に、ちょっと煙草」

凛子は会議室の隅にある掛け時計を見た。
「煙草って、残り時間少ないですよ」
「あとは一人でまとめられるだろ」

飛田は脚本を机においたまま、凛子の肩を叩いて、部屋を出た。

肝心なところで仕事を丸投げにされた。会社と同じだ。

凛子は一人、銀閣寺爆破の方法を考えることにした。たとえ現実味はなくても、あらゆる可能性を漏れなく、だぶりなく検討する。選択肢を一つずつ検討し、潰していって、最も合理的な爆破方法を決める。仕事のつもりでテロ計画を検討した。

まずもっともありえない選択肢として、原子爆弾の投下を検討した。銀閣寺を爆破するためだけに原子爆弾を使えば、銀閣寺周辺にある京都の世界遺産も被害をこうむる。国際社会の非難も浴びるだろう。原爆を使うには、綿密な計画と資金も必要だ。テロ計画が失敗に終わるリスクは高い。ノートに書いた原子爆弾に×をつけた。

続いて、大陸間弾道ミサイルの発射を検討する。北朝鮮の軍事基地から大陸間弾道ミサイルを発射すれば、日本海を飛び越えて銀閣寺を攻撃できる。ただ、誤爆の可能性が高い。

アメリカ大陸にある軍事基地から発射するミサイルならどうか。精度が高いので銀閣寺を爆破できるだろう。太平洋に潜伏させた原子力潜水艦から発射するという手もある。

いやいや、銀閣寺を爆破するためだけにICBMを使うのはバカげている。全てのテロはバカげた行為かもしれないが、コストがかかりすぎている。こんなプロジェクト計画書を課長に提出したら、予算を考えろと書類を突き返されることだろう。テロリストだって資金確保に困っているはずだし、効率性を重視するはずだ。

いや待て。ミサイルを買う必要はない。大金を払ってミサイルを購入したら、テロ実行までの管理維持費が大変だ。買わなくても使うことはできる。軍事基地のコンピューターをハッキングすればいいのだ。

ICBMを保有する軍事基地のセキュリティは、世界トップレベルだろう。システムを乗っ取るためには、凄腕のハッカーが必要だ。国際テロ組織にハッカーがいる確率は高いが、高額の報酬を要求されそうである。もっと金のかからない方法を探そう。凛子は大陸間弾道ミサイルに大きな×をつけた。
「残り時間五分を切りました。そろそろまとめに入ってください」

エリーナが高い声をあげて、手を叩いた。

やばい。全然決まらない。飛田も帰って来ない。凛子は急いで爆破方法を決めることにした。

爆撃機を使って、空から爆弾を落とすのはどうだろうか。やはり資金がいる。戦車やロケットランチャーを買うにも金がいる。

そうだ、関西上空を飛行するジャンボジェット機をハイジャックして、銀閣寺に突撃するのはどうだろう。ハイジャックを成功させるためには、空港のセキュリティチェックを突破する必要がある。飛行機内の全員を屈服させ、パイロットに銀閣寺に向けて飛行するよう脅迫する必要がある。

凛子には資金も知恵も人心掌握力もない。超国家主義者のテロリストはハイジャックなんて楽勝かもしれないが、凛子一人の力で実行できるテロを考えたい。力を持たないからこそ、人はテロリストになる。非力で鬱屈している人間でも実行可能なテロを計画してみたい。

ワゴン車に乗って銀閣寺に突っこむのはどうか。銀閣寺は観光名所である。警備は厳しい。

ワゴン車で突撃するより、確実な方法があるではないか。観光客に紛れて銀閣寺に接近し、自爆テロをするのだ。

自爆テロは、爆撃機を買うより安上がりだ。爆弾ならネットで買えるし、材料を集めれば自分で作り出すこともできるだろう。手段は決まった。自爆テロだ。

死にたくない。

凛子はそう思った。

たとえ銀閣寺を爆破することが崇高な行為だとしても、命を失いたくない。テロリストの首謀者だって自分の命を守ろうとするはずだ。下っ端に自爆テロをやらせればいい。無知な若者を宗教的教義で洗脳し、自爆テロリストに仕立て上げればいい。

ただ、凛子は神を作る自信がなかった。神の存在なしで自爆テロリストを銀閣寺に送りこむためにはどうすればいいか?

だませばいい。

洗脳する必要はない。君は自爆テロリストになるんだよとわざわざ教える必要もない。修学旅行生の鞄の中に小型の高性能爆弾をしこんで、銀閣寺に来たタイミングで爆破させればいい。

凛子は目を閉じ、呼吸を落ち着けた。銀閣寺境内にある防犯カメラを意識する。防犯カメラの映像を見ている警備会社スタッフになったと想像する。

制服を着た女子高生の団体が、銀閣寺にやって来る。境内の通路は狭い。昼の銀閣寺には、修学旅行生の他にも、団体客や、海外からの観光客が大勢いる。

枯山水の庭には、白砂を盛り上げた台形の円錐がある。観光ガイドが「銀沙灘です。江戸時代頃に作られたと言われています」と説明する。

修学旅行生達が、円錐に手を伸ばして触ろうとする。引率の先生が怒り出す。これらの映像を凛子は、想像上の防犯カメラを通して眺めた。

庭園の泉には丸太橋がかかっていた。泉の淵に漆黒の壁を持つ二階建ての建物がある。銀閣だ。修学旅行生は銀閣を見上げている。
「金閣寺よりなんか汚いね」
「金閣寺より先にこっち来た方よかったんじゃない?」
「お前達には銀閣寺のよさなんてまだわからないだろうな」

教師がおどけて言う。女子高生達は笑っている。

防犯カメラのレンズ越しに凛子が見ているのは、凛子自身の高校時代の思い出だった。

金閣寺の後、銀閣寺を訪ねた。どちらもあまり楽しくなかった。お寺なのに金を取るのか、何でこんなに観光客がいるんだろう。高校生の凛子にとっては謎だった。

凛子が銀閣の側に歩み寄った時、爆音が響いた。悲鳴が続く。カメラが煙に包まれて真っ白になる。

煙が晴れると、そこには崩れ去った銀閣があった。瓦礫から炎と黒い煙が上がっている。瓦礫の中には女子高生の体も見える。

生き残った観光客は走って逃げようとしている。炎と煙に包まれて人々は混乱している。

防犯カメラは爆心地にズームインする。燃え上がる柱の間に女子高生が倒れている。彼女は凛子だった。爆風にさらされた凛子の顔は黒ずみ、髪の毛は逆立っていた。腕から血が流れている。

凛子のそばには、先程話していた友達の体があった。ホテルで同じ部屋に泊まった彼女の髪の毛は赤黒い血で濡れている。乱れた枯山水の砂の上には、先生の体らしきものが散らばっていた。

想像上の防犯カメラを覗く凛子は、カメラの映像にモザイク処理を施した。

仕事中、防犯カメラの映像を毎日見てきた。ほとんどは何の事件も起きない日常の光景だ。平和な日常の記録の中には、公開できない映像が時々紛れていた。見てしまったらトラウマになるような映像は、一般公開されない。事件現場にいる人、あるいは防犯カメラの一次映像を見る人のみ、残酷に直面できる。

凛子は、隠すべきものが隠される前に見る立場だった。実際にテロが起きたら、人の体はもろく吹き飛んでしまう。誰もが一瞬で吹き飛ばされる可能性があるのに、テロの現場は隠されてしまう。

 

 

「はい、終了です。皆さん手を止めて」

エリーナが手を叩く。

凛子は目を開いた。頭の中には、爆破された銀閣寺の光景が残っていた。
「皆さん席に戻ってください」

飛田はまだ煙草から帰ってきていない。

周囲を見ると、ちらほら空席があった。凛子の前の席も空席となっている。テーブルの上には「国会議事堂」と書かれたカードが残っていた。

エリーナが前の席に歩いてきて、カードを拾い上げた。
「国会議事堂、襲撃テロ失敗」

空席に置かれたカードを一枚ずつ回収する。
「理化学研究所爆破テロ失敗、原子力発電所の爆破も失敗」

銀閣寺のカードを引いた時、嫌なカードを引いたと思ったが、そうでもなかったようだ。
「残念ながら多くのテロは計画段階で失敗したようです」

レジャーの予定がキャンセルになったかのようにエリーナは落胆している。窓から夕日が差しこんできた。凛子は窓の外を眺めた。もう夕方か。橙色の薄い幕が突起したビルの上にかぶさっている。渋谷に大陸間弾道ミサイルが落ちる気配はなかった。

エリーナが壇上に戻る。しゃべり出そうとした時、会議室のドアが勢いよく開いた。
「動くな」

教壇側の入口に飛田が立っていた。エリーナに向けて、サブマシンガンを構えている。

エリーナは微笑みながら両手を挙げた。
「テロの演習のつもりですか?」
「笑いごとじゃない。おとなしくしろ」

エリーナを狙ったまま、飛田が部屋に入ってくる。飛田の後ろには、同じようにサブマシンガンを持つ男が続いた。

飛田を含めて七人いる。飛田以外の男達は迷彩服に身を包み、黒い布を顔に巻きつけていた。布の隙間から目だけ見える。最後尾の男が会議室のドアをゆっくり閉めた。

覆面の男達は、会議室の後方や廊下側の壁際に散らばり、セミナー参加者の方に銃口を向けた。

凛子にも銃が向けられた。黒い布の谷間に浮かぶ男の瞳は殺気だっている。

凛子は最初、これもセミナーの演出かと思ったが、男達が発しているただならぬ緊張感に当てられて、本物のテロリストかもしれないと感じ始めた。
「あなた、飛田さんね、何のつもりですか?」

胸の名札を見ながら、エリーナが飛田に語りかけた。冷静を装っているが、声はかすかに震えている。
「黙れ。またしゃべったら撃つぞ」
「いい加減にしなさい」とエリーナが言い終わらないうちに、飛田が発砲した。銃弾はエリーナの頬をかすめて窓ガラスを突き破った。ガラスが砕け散る音とともに部屋にざわめきが広がる。凛子の近くにも破片が飛んできた。
「騒ぐな!」

エリーナに銃口を向けたまま、飛田が大声を発した。会議室は静寂に包まれた。凛子はうつむいてノートを見つめた。
「演出にもほどがありますよ。怯えている人もいるじゃないか」

後方から初老の男の声がした。セミナーが始まる前、席を立とうとした男だ。不満そうだったのに、途中で帰らず、残っていたようだ。
「静かにしろと言っている」

飛田が渇いた声で言うと、会議室の後ろに立つ飛田の仲間が、初老の男にサブマシンガンを向けた。
「君、何だその言い方は。気分悪いよ」
「これが最後の忠告だ。全員黙れ」
「帰らせてもらいますよ。受講料は返してもらうからね」

初老の男が立ち上がると同時に、銃の連射音が響いた。銃弾は、初老の男に何発も命中した。銃声が鳴りやむと、男はその場に崩れ落ちた。床にじんわりと血が広がる。
「言うことを聞かなければこうなる。我々は無慈悲なわけじゃない。わずかな時間、我々の要求に従ってくれれば、解放してやろう」

飛田はサブマシンガンを持ったまま、ジャケットの内ポケットから拳銃を取り出した。拳銃の銃口をエリーナのこめかみに当てる。サブマシンガンは近くの仲間に渡した。

エリーナは軍隊経験者である。至近距離から拳銃で狙った方が、エリーナの反抗を阻止するのに有効だと判断したのだろう。
「我々の要求はシンプルだ。セミナーの続きをしろ。お前達が考えたテロの計画を聞いてやる。計画に実現性があり、満足いくものなら、解放してやってもいい」

飛田さん、何故そんなことをするんですか?

凛子は質問したい気持ちを抑えこんだ。静かにしろと命令されている。彼らの意に反した発言をすれば、撃ち殺される可能性がある。生き延びるためには、おとなしく従う必要がある。
「もちろんお前達はテロリストじゃない。テロの実行計画を考える分にはど素人だ。我々は素人の発想の中から、予想外の作戦が現れるのを期待している。望みは極めて薄いけどな」

銃声を聞いて、警備員は来ないのだろうか。凛子はあたりを見回してみる。室内に防犯カメラは見当たらない。このビルは古い建物ではない。防犯設備はしっかりしていると勝手に判断していたのだが、そうでもないようだ。

既に警備会社が異常事態を検知しており、警察に通報している可能性はある。銃を持った相手を制圧するには、タイミングが重要だ。突入部隊が既に向かっているかもしれない。従順なふりをしながら、できるだけ時間を稼ぎ、生存率を高めようと凛子は考えた。
「ただ発表するだけじゃ楽しくないだろう。全ての発表が低評価の場合、罰としてエリーナを銃殺する」

エリーナは唇をかたく結び、挑みかかるような目で飛田を見ている。
「なんだその目は? 反抗的な目で俺を見るな」

飛田が拳銃の先でエリーナを小突いた。今は反抗する機会ではないと思ったのだろう、エリーナは小さな声で「はい」と答えて下を向いた。
「時間を取らせたな、発表開始だ」

廊下側の席から発表が始まった。警視庁長官、自衛隊の基地、オリンピック会場、伊勢神宮、奈良の大仏、千葉の浦安にあるテーマパーク、様々なものがテロのターゲットとなった。発表者が述べるテロの計画はどれも似通っていた。飛田は発表が終わるたび、つまらなそうな顔をして「はい次」と言った。
「次で最後か」

飛田が凛子の方を向いた。窓の外は陽が落ちて暗くなり始めていた。
「木戸凛子、こっちに来い」

銀閣寺と書かれたカードとノートを手に取って、凛子は教壇に向かった。飛田にカードを渡し、教壇に立つ。
「最後のターゲットは銀閣寺だ」

飛田が参加者全員に見えるようにカードを掲げた。
「ルールを少し変更しようか。最後の発表にも満足できない場合、全員死んでもらう」

参加者の視線が飛田に集まる。

エリーナだけを殺すんじゃないですか?

全員殺す気ですか?

そう質問したいけれど、質問しただけで撃たれたら、たまったものではない。会場は死んだように静かだった。
「あらかじめ言っておく。ここまでの発表は0点だ。次で百点を取らなければ全員死亡。そういうルールで行ってみよう」

突然複数人の命を背負うことになり、凛子の動悸は高まった。
「最後の発表者が落第しても、そいつだけを責めるなよ。参加者全員の連帯責任だ。呪うなら自分を呪え」

いやいや、全員お前を呪うだろう、と凛子は思ったが声には出さない。
「木戸凛子、期待してるぞ、楽しませてくれよ」

一緒に銀閣寺爆破計画を考えたのに、何故そんなことを言うのだろう。他の参加者も、凛子と飛田が途中まで、二人で考えていたのをわかっているはずだ。

凛子はノートを見つめ、黙った。視線が凛子に集まる。大勢の人に見られるのは得意ではない。居心地悪い。
「あの、すみません。発表をしても、いいのでしょうか?」

凛子はうつむいたまま、ささやいた。
「は? 何だ?」
「その、なんというか、テロの計画を発表するなんて、やっぱりなんというか、いけないような気がして」

凛子は時間を稼ぐため、思ってもいないことを並べ立てた。少しでも時間が延びれば、警備会社が異変に気づいて行動してくれるはずだ。監視カメラは見当たらないけれど、今までの騒ぎに気づかない方がおかしい。
「実際にテロを行うのと、テロについて考えることは、全く違うことだ。そう言ってたよな、エリーナ先生」

飛田はエリーナのこめかみに銃を当てたままそう尋ねた。
「飛田慎二さん、あなた、私に恨みでもあるの?」

エリーナが問いかける。軍隊経験者であり、防衛省のテロ対策特別顧問をしている彼女が、テロリストから恨まれていてもおかしくない。

エリーナと飛田は初対面のようだった。飛田の仲間がエリーナを恨んでおり、報復するため、飛田が現れた可能性もある。
「俺が要求したことだけ答えればいい。余計な発言はするな」

飛田はエリーナの額にとんとんと二回銃口を当てた。

「エリーナ、上着を脱げ」
「何故?」
「俺の命令に従え。もう一度命じる、上着を脱ぐんだ」

エリーナはゆっくりスーツのジャケットを脱ぎ、床に落とした。その間も、飛田の銃はエリーナの頭を狙っていた。
「シャツも脱げ」
「嫌だと言ったら?」
「撃つ」

エリーナはボタンをはずし、純白のブラウスを脱いだ。ブラウスの下には防弾チョッキがあった。
「一般向けのセミナーだというのに、たいそうなもんだな。もういらないだろ。外せ」

エリーナが防弾チョッキを外して、床に捨てた。飛田は拳銃を突きつけたまま、エリーナの胸を見ている。

エリーナは要求されてもいないのに、ブラジャーを外し、防弾チョッキの上に投げた。白く透き通った上半身が露わになった。自らブラジャーを脱いだのは、飛田の要求を先回りしたのか、それとも挑発なのか。エリーナは胸の前で腕を組み、乳房を隠した。

「おい、銀閣寺の発表さっさと始めろ」

発表を始めないと撃たれそうだ。凛子はノートを開いて前に掲げた。
「我々は現行の世界秩序を否定する。新たなる世界秩序を求める超国家主義者の同士である。我々は、日本政府に大きな打撃を与えることに成功した。強奪者の観光客や迷い多き子供らは、彼らが崇める幻想、銀閣寺とともに爆破された」

ノートに書き留めた超国家主義、新世界秩序という言葉を眺めながら、声を張ってゆっくり話した。
「われわれの同志は差別され、困窮し、苦しめられてきた。この作戦は国際的な秩序、いや秩序という名の抑圧に対する報復である。我々は無自覚な悪を滅ぼす正義の鉄槌である」

凛子は言い終えると、ノートを閉じた。
「何だ今のは。犯行計画を発表しろと伝えたはずだ。テロ後の犯行声明に聞こえたぞ」
「失礼しました。発表の順番を間違えてしまいました」

時間を稼ぐための方便だった。
「間違えるにも程があるぞ。計画の実行手順を詳細に報告しろ」

凛子はノートを再び開いた。とりあえず、発表を打ち切られずに済んだ。このまま発表を続けて、その間に全員助かる可能性を模索する必要がある。
「どうやって爆破した? 自爆テロか? ドローンで攻撃したのか? ミサイルを落としたのか?」
「テロリストは、修学旅行生の鞄に爆弾をしこみました。これは言ってみれば、他爆テロです」
「他爆テロだと? どうやって学生の鞄に爆弾を入れた?」
「前日の夜、宿泊先のホテルで学生達が入浴中、部屋に侵入したのです」

凛子は学生時代、自分が宿泊したホテルを思い出していた。大浴場には同級生と一緒に入り、その後、教師に気づかれないように夜遅くまで友と話した。
「よくホテルの人間に気づかれずに部屋に入れたな」
「テロリストは従業員に扮して部屋に侵入し、ペンシル型の小型爆弾をしこみました。当日、遠隔地から爆弾を起動するだけで、無傷のまま銀閣寺を爆破できます」
「学生がペンを不審に思う可能性はないのか? 爆弾だと気づかれたら、テロ計画は失敗に終わるぞ」
「京都の土産屋さんで売っている和風のボールペンと交換したんです。修学旅行生が買う人気のペンのコピー品です。爆弾だと疑う学生はいないでしょう」

凛子は土産物屋で、同級生たちと舞妓さんの絵がついたボールペンを買ったことを思い出していた。
「そんな小さな爆弾で銀閣寺を爆破できるのか?」

飛田が問いかけると、凛子は黙った。爆弾の専門的知識はない。
「米国製の小型のプラスチック爆弾なら、二キロ程度の重量で、ジャンボジェットを爆破できます」

上半身裸のエリーナがつぶやいた。余計な発言はするなと何度も注意されているのに、何という神経だろう。
「銀閣寺は木造二階建て。ペンシル爆弾が何個かあれば、十分爆破できるでしょう」

飛田が何か言おうとする前に、エリーナが早口で続けた。

飛田は脚を小刻みに震わせている。冷酷なテロリストなら、今この場でエリーナを殺害してもおかしくない。撃たれない確信があったから、エリーナは発言したのだろうか。あるいは、この空間を暴力で支配している飛田をかく乱しようとして、命を懸けて発言しているのだろうか。

ここはエリーナに同調して、発言を続けた方がいいと判断した凛子は、人差し指をたてた。
「お土産のボールペンは人気商品で、何人もの学生が買っています。ほんの数個でもペンシル爆弾が爆発すれば、銀閣寺を吹き飛ばすほどの威力になります」
「なるほど。少女爆弾というわけですね」

エリーナはうなずきながら、凛子の方ではなく、教壇を見つめていた。凛子はエリーナの視線をたどってみた。

教壇の隅に小さなスイッチがあった。クリーム色のプラスチック製のスイッチは、凛子の自宅の照明のスイッチに似ていた。

教壇にスイッチがあるのは不自然だ。エリーナが視線を送っているということは、何かを起動させる装置かもしれない。

凛子がスイッチの存在に気づくと、エリーナはスイッチから視線を外した。
「少女爆弾なんて言い方やめてください。不謹慎です、そんな言い方」

凛子もスイッチを気にするのをやめて、エリーナの方を向いた。
「実際に少女が爆弾の運搬役として利用されている地域もあります。あなたが思っているより、人類は同類を平気で殺すの。テロリストが何故銀閣寺を少女爆弾で爆破したのか、真摯に考えなきゃ」

饒舌に語る間、エリーナはスイッチを見ていない。飛田に気づかれないうちに、スイッチを押す必要がある。距離が一番近いのは、凛子だった。
「おしゃべりの時間は終わりだ」

飛田が吐き捨てるように言った。
「発言は控えるよう再三注意したはずだ。ここまで反抗的な態度を示すということは、武器を隠し持っている可能性があるな。エリーナ、身に着けているものをすべて外せ」

よかった。スイッチの存在に気づいていないようだ。凛子はほっとした。

エリーナがパンツをおろし、裸になった。よく鍛えられた筋肉質の全身が露出した。

飛田はエリーナに銃を向けたまま、彼女の後ろに回った。エリーナの尻の前でかがみこむ。
「小型爆弾を腸の中に隠し持っていないだろうな。検査するぞ。脚を開け」

飛田はエリーナの背中に銃を突きつけながら、肛門を覗きこんで確認した。検査を受ける間、エリーナはじっと押し黙っていた。

「よし。次は口を開けろ」

飛田はエリーナの正面に戻り、再びこめかみに銃口を当てると、口の内部を入念に検査した。エリーナは声をあげそうになるのを耐えていた。

凛子は続いて自分も裸にさせられるのではないか、レイプまでされるのではないかと恐れた。辱めを受けて殺されるなら、いっそすぐ撃たれた方が楽か。いや、そんなことを考える前に、脱出する方法を考えなくてはと思い直した。
「いいかエリーナ、お前の命を奪おうと思えば、すぐできる。こいつら全員やった後、お前はゆっくり始末する。肉の皮を一枚ずつ剥いで、悶え苦しみながら死んでいく様を見させてもらうぞ」

飛田が体を離すと、エリーナは床につばを吐いた。

飛田の頭の中では、皆殺しが確定しているとわかった。ここから凛子自身の発表で飛田を改心させるか、スイッチに賭けるしかない。
「検査終了だ。木戸凛子、爆破方法はもういいだろう。爆破理由を説明しろ」

服を脱ぐよう要求されなかった。助かった。
「テロリストは、何を言っても無駄だと感じたから、銀閣寺を爆破するなんて暴挙に出たのです。私達は彼らの意見に耳を傾ける必要があります」
「暴力による要求をのむつもりか? テロに屈してはならないというのが、テロ対策の決まり文句だが」

自分もテロ同然の行為をやっている最中なのに、何を言っているのだろうと凛子は感じた。しかし、今は相手を刺激せず、説得する必要がある。
「話し合いによって解決できる余地があると彼らにわかってもらうためには、暴力で報復するのでなく、交渉の場を持つべきです」
「少女爆弾を作るようなテロリストと話し合う余地なんてあるのか? 彼らの理不尽な要求を呑まされるだけじゃないのか? そいつらは政府に何を要求したんだ?」

議論しているうち、凛子は学生時代のディベートを思い出した。

主張を曲げない凛子は、ディベートの授業でほめられた。教師に「君は将来、社会で活躍する人間になるよ」と言われたが、成人後の凛子は防犯カメラを売る零細企業で、平社員をしているのだった。犯罪防止に役立つ立派な仕事だが、教師が夢見ただろう未来とは、重ならないように思えた。
「彼らの要求は、これまでの世界秩序に変わる、新しい秩序の実現です」
「何だそれは。既得権益を持っている連中を全員追放して、自分達で権力を独占しようとしているのか? 要求をのんだら、現役閣僚全員処刑もあり得るな」
「今の社会に何か問題を感じたから、テロリストは行動を起こしたのです。彼らの理想や行動が間違っているとしても、問題意識は共有すべきです」
「お前、まるでテロの擁護者だな」
「テロを肯定するわけではありません。テロの悲劇を繰り返さないために、対話が必要なんです」

凛子は飛田を見つめた。
「飛田さん、皆殺しなんてやめませんか?」

飛田は凛子の言葉に耳を傾け始めているようだった。このまま飛田を説得して、殺人を防止できるかもしれない。
「お前が言っているのはきれいごとだよ。対話では何も解決しないから、テロリストは行動するんだよ」
「暴力で支配しても、人はついてきませんよ。人は言葉で動くんです」
「力を持つ者なら、言葉で人を動かせるだろうね。力を持たない者は、力を持っていることを見せつける必要があるんだよ」
「その力は、暴力でなくともよいはずです」
「暴力は平和を壊し、言葉は世界平和に導くとでも思っているのか。反対だぞ。権力者は暴力によって競争相手を滅ぼし、平和な社会を作り上げた。言葉は、権力者の支配を社会全体に浸透させた。言葉こそ最大の暴力だ。ゆがんだ言説は、銃や爆弾よりも、人の心を痛めつける」

過去に長期的な屈辱を受けた体験でもあるのだろうか。飛田の口調には強い意志が感じられた。今日一日話しこんでも、飛田の考えを変えるのは難しそうだと凛子は感じた。
「もうおしまいだ。これから全員死んでもらう」

会議室がざわついた。

飛田の仲間の一人が発砲する。すぐ静かになった。今回の銃声もまた他の部屋まで響いたはずだが、ドアの外は静まりかえっている。
「セミナーに参加したことを不運に思うんだな」

飛田は、先程サブマシンガンを預けた仲間を呼んだ。サブマシンガンを二丁持った覆面の男が飛田の方に歩いてくる。飛田はエリーナから拳銃を離して、ジャケットの内ポケットにしまおうとした。

その時、エリーナが凛子に視線を送った。

今がチャンスか。

飛田にサブマシンガンが手渡されるまで、エリーナに向いている銃はない。会議室の後方から狙っている者がいるかもしれないが、至近距離で銃口を突きつけられるよりは、撃たれるリスクが少ない。危険を伴うし、ほんのわずかな時間だが、今しかチャンスはない。凛子はノートを天井に向けて高く放り投げた後、教壇の隅にあるスイッチに手を伸ばした。

覆面の男達が凛子にサブマシンガンを向けた。銃口の先には飛田もいる。飛田に当たる危険性を感じたのか、銃はノートに向けて撃たれた。

宙を舞うノートブックに小さな穴が何個も開いていく。飛田は内ポケットから拳銃を取り出そうとしている。エリーナは飛田の背後に素早く動いた。エリーナの立っていた場所に銃撃が降り注ぐ。エリーナはすでに飛田の後ろにおり、無事だった。エリーナの動きを察知した飛田は、内ポケットに手をいれながら、エリーナの方に体を反転させた。

その隙をぬって、凛子はスイッチを指先で押した。かたくて動かない。まさかスイッチではないのか。このままでは撃たれてしまう。体重を乗せてもう一度、勢いよく押した。

かちっと音がする。教壇の下から大きな破裂音が鳴り響いた。白い煙が沸き上がる。煙は瞬く間に会議室全体に広がり、凛子の視界を包んだ。

エリーナがロシア語らしき外国語で何か叫んだ。廊下の方から銃撃音がした。凛子はかがんで体を伏せた。扉の開く音がする。銃撃音が続いた。

凛子は床にうつ伏せになった。煙を吸いこむと、喉がむせてきた。目も痛み始めた。催涙ガスなのだろうか。

しばらくして銃撃が鳴りやんだ。涙がにじむ瞳を開くと、エリーナが飛田を拘束していた。裸のまま飛田の後ろに立ち、両手で首を締めあげている。

エリーナの部下なのだろうか、軍服を着た女達が覆面男の身体の上に乗り、縄で縛りあげていた。抵抗する者もいたが、武器は奪われているし、黒光りする特殊素材の縄は、彼らの身体に食いこみ、自由を奪っていた。

さっと見た限り、セミナー参加者で銃弾の被害にあった人はいないようだ。ただ、最初に飛田に撃たれた初老の男の死体は、床にまだ転がっていた。
「みなさん、おつかれさまでした。これで本日のセミナーは終了です」

エリーナが飛田の首を締めあげながら声をあげた。飛田は体を動かして、拘束を解こうとしている。エリーナは飛田の耳元で何かささやくと、腕に力を入れて、きつく締めあげた。飛田の首が変な方向に曲がり、動かなくなった。
「危険な目に合わせてしまいましたね。帰る際に救命用具など無料で支給しますので、よかったらお持ち帰りください」

エリーナは飛田から体を離した。飛田は首が変な方向におり曲がったまま、床に崩れ落ちた。

軍服を着た女達が、縄で縛りあげた覆面男を抱えて、会議室を出ていく。エリーナは床に散らばっていた服を拾い集めた。
「ちょっと待ってください、これ事故じゃないんですか?」

凛子は事態を呑みこめないまま、防弾チョッキ装着中のエリーナに質問した。
「演出です。少し過激でしたか?」

「演出って、飛田さんの首、変な方向に曲がってますよね。首の骨、折れてるんじゃないですか?」
「失神しているだけです。ご安心ください。目を覚ましたら、元の状態に戻ります」

飛田も部屋の外にかつぎ出されてしまった。
「じゃあ、あの、最初に撃たれた男の人は? 血が出て、殺されましたよね」

凛子が視線を移すと、部屋の中央後ろにあったはずの死体はもうなかった。いつの間に運び出したのだろう。
「あれも実はうちのスタッフです。血のように見えたのは、ドラマ撮影用の偽装血液です」
「本当に? やりすぎじゃないですか、こんなの」
「刺激が強すぎたかしら。ごめんなさいね。でも木戸凛子さん、落ち着いた発表で良かったですよ。最後にスイッチも押して頂けましたし」

エリーナはスーツ姿に戻ると、乱れた髪を整えた。
「他の皆さんもおかしいと思わないですか? ふだんのセミナー、こんなんじゃないですよね? 講師も全裸になっちゃうし」

凛子は同意を求めるように会場を見回した。会場から「やりすぎかもね」と声があがった。
「一部のキャストが演出の度を越えて、脚本にない行動をしてしまいました。パイロット版のため、ご容赦ください」
「パイロット版なんて聞いてないよね」と後ろで声がした。
「参加者ご本人には、内密にしていたのですが、皆さんの所属企業、個人参加の場合はご家族に、パイロット版の企画趣旨を事前にご説明し、了承を得ています」

会社に行ったら、総務に確認しようと凛子は思った。ここまで危険なセミナーとは知らぬまま、総務担当者は企画趣旨に賛同し、同意の返信をしてしまったのだろう。
「催涙ガスを吸いこんで、体調が優れない方のために、診察用のお代として十万円用意しています。必要な方は受付でおっしゃってください。企業参加の皆様は、所属企業への報告は不要です」

エリーナが微笑みながら、上着についた埃をはたいて落とした。

十万円もらえるのか。セミナーがきっかけで病気を患ったら、もっと治療費がかかるかもしれないが、まんざらでもない金額だ。参加者達は帰り支度を始めた。
「まだ納得できません。あの窓、銃で割れましたよね。実弾で撃ちましたよね?」

凛子はガラスの破片が散乱する窓際を指さした。
「窓の破砕は演出です。皆様に危害を与えないよう、訓練されたスタッフがドラマ撮影用の銃で演技したものです」

破壊された窓から、冷えた外気が室内に届いていた。
「窓の修繕費もかかるでしょ。赤字ですよね、このセミナー」
「本日のセミナーは、普段と変わらない価格で特別に提供いたしました。感想はウェブのアンケートでお寄せください。ご不満の場合、全額返金も検討いたします」

エリーナは教室全体に響き渡る声でそう言った。教室から小さな拍手が起きた。

凛子は床に落ちていたノートを拾って、自席に戻った。エアガンで撃たれたにしては、穴だらけになったノートを鞄に戻す。

飛田の席にはラジオドラマの脚本が置かれたままだった。手に取ってさっと読んでみる。筆記用具の商品宣伝を目的にしたショートドラマの脚本だった。このセミナーの台本が書かれていたわけではなかった。

飛田の職業がラジオドラマ脚本家というのも演出なのだろうか。脚本は、運営スタッフだと気づかれないように偽装するための小道具なのだろうか。

いや、飛田は実際にテロリストであり、テロ未遂がこの部屋で行われたのではないのか。エリーナはテロを撃退しており、騒ぎを大きくしないため、演出だなどと嘘をついているのではないか。

疑えばきりがない。防犯カメラが記録してくれていたら、銃が実弾だったか確認できるのに、この部屋にカメラは見当たらない。

判然としない気持ちで、窓の外を見る。陽はすっかり落ちていた。夜空に星は見えず、地上にネオンが輝いている。平和だ。次々とビルが建設されている。南口あたりの工事が終わったと思えば、北口でビルを建設している。

それぞれのビルには、防犯カメラが設置されるだろう。かつては監視カメラと言われていたそれは、いつのまにか防犯カメラに呼び名が変わった。防犯カメラがどれだけ増えてもテロは続くだろう。テロは渋谷駅前の工事と同じように終わらない。
「大丈夫ですか?」

振り向くと、エリーナの端正な顔があった。
「少ないですが、どうぞ。診察のお代です」

エリーナが封筒を机に置いた。他の参加者は全員退室していた。
「私、まだ演出だなんて信じられません」
「今日はパイロットです。来週もやるので、よかったらまたご参加ください」
「このセミナーの目的って何ですか?」
「防犯対策セミナーです。受講前にお伝えしたでしょう?」
「そう言われれば、確かにそうですけど」

凛子が言葉につまっていると、エリーナは立ち去ろうとした。

日本防犯協会の印が押された封筒を鞄に入れると、凛子はエリーナの背中に声をかけた。
「私にだけ本当のこと、教えてください。飛田さん達って、本物のテロリスト集団ですよね?」
「いえ、弊社の運営スタッフです」

エリーナは振り返らずに答えた。
「そうは思えません。エリーナ先生を殺しに来たんじゃないですか?」
「そんな物騒な事件に皆さんを巻きこむわけにはいかないでしょう」

エリーナは振り返らないまま部屋を出た。扉が閉まった。

一人になった。凛子は、世界がこの部屋だけならいいのにと想像した。外の世界には何もない。窓から見える駅前工事の光景も、幻影でしかない。

今日のセミナーはラジオドラマだと思えば楽になる。部屋を出てしまえば、ドラマは終わる。エリーナも飛田も、凛子自身さえもラジオドラマの役者だった。そうなら、夜眠る時、今日のセミナーについて思い出すこともないし、明日嫌な気分を引きずることもないだろう。

凛子は出口に向かった。ドアノブに手を添える。目を閉じて深呼吸してみる。

このドアの向こう側に、夕焼けの世界は広がっているのだろうか。世界はもうテロリストによって全て爆破されているかもしれない。
「この物語はフィクションです。実在の人物、団体とは一切関係ありません」という立て看板だけが、広大な空間の中に捨て置かれているかもしれない。

ドアを開け放った後も自分の意識が続くなら、生きていこう。ドアの向こうにテロリストがいるなら、何を問題と感じているのか、話し合ってみよう、爆破されないうちに。

目を開き、息を吐き出す。木戸凛子は勢いよく扉を開けた。(了)

 

※アイキャッチ画像:フレデリック・サンズ(1829-1904)「マグダラのマリア」(1859)

2022年10月12日公開

© 2022 野尻有希

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