自転車

藤村羅甸

小説

2,922文字

某文学賞落選作。色んな小説を書いてきましたがこういう私小説の路線が一番向いているんじゃないだろうかと思う今日この頃。よろしければお読み下さい。

私は数日前から街のゴミ捨て場にうち捨ててある、タイヤの空気が抜けた赤い自転車が気になっていた。通りかかるたびに、この自転車はまだ乗れるんじゃなかろうかと考えていた。仔細に眺めてみればまだまだ新しく、ギアがついている。いい自転車ではないか。そんな自転車が何故ここにうち捨てられているのか。大体がここはゴミ捨て場と言っても生ゴミやプラスチックゴミ専用の場所だ。恐らく常識を知らぬ輩が置いていったのだろう。けしからん話だ。当然自転車は回収されることなく放置されている。時々「これは回収できません。出した人は持ち帰って下さい」と赤い字で書いた紙切れが貼られていることもあった。自転車は春の雨に晒されながら劣化していくだけである。だれもこの自転車を持ち帰る者はおらず、ずいぶんと長い間放置されている状態が続くのだった。私はふとこの物言わぬ自転車が哀れになった。それからさらに数日経っても自転車は放置されているままであった。読者も察するであろうが、だんだん私はその自転車を拾って帰ろうかなという気になってきた。私は無職で二十七歳だが、実家から仕送りを受けているどら息子であるので新品の自転車を買う金銭的余裕がないわけでもない。ただ、ちょうど今自転車は所有していないし、あったら便利なことよなあと何となく考えていたところだった。そして、ある日の夕暮れに私はその酔狂な計画を実行した。 

 

 私はこの自転車をまず近所の自転車屋に持って行き、タイヤを交換して貰った。私は人の顔を見て話さない癖があるので、自転車屋の主人が不審な顔をしていたかどうかは分からない。だが、タイヤを交換したところこの自転車は問題なく乗れることが確認された。私は生まれ変わった自転車に跨がってすいすいと心地よく帰宅した。タイヤを前輪後輪と交換した修理費が、もうちょっとで新品の安い自転車が買える金額に届くという事実も頭を過ったのであったが、私はあまり気にしなかった。私は雑巾を持ってきて機嫌良く自転車の汚れを落とした。あっと言う間に自転車はごく普通の自転車といっていいルックスに変貌した。そして私はこの自転車をカオリと名付けた。大学時代に私がこっぴどい目に遭わされた挙げ句に振られた女性の名である。私は何だかカオリが喜んでいるように思えた。 

 

 私は新調したステンカラーコートを軽やかに羽織って肩まで伸ばした髪を春の風になびかせながら、西京区内をカオリに跨がり乗り回した。大変便利である。何より私は桂川サイクリングロードを嵐山に向かって走るのを好んだ。カオリにはギアがついているので坂道も楽々である。桂川サイクリングロードを走る他の本格的なサイクリング車に見劣りはするが、こちとら三段変速だ。私は妙な矜持を胸にして春の生暖かい空気を肺一杯に吸い込んだ。それにしてもいい季節だ。私は桂川の土手に咲く花々を愛でながら嵐山へとペダルを勢いよく踏んだ。嵐山に着けば嵐山公園にいったんカオリを停めて、渡月橋から見る景色の美しさにため息をついた。ああ、もしかしたら何かいいことがあるかも知れない。 

 

 だが、カオリには一つ気がかりなことがあった。何者かによって後輪の泥よけの部分にラッカーが吹き付けられているのだ。直接ピンクのラッカーが雑に吹きかけられ、恰も何かを隠蔽しようというような具合だ。盗難防止ステッカーのナンバーが判読できなくしてある。これはさすがに怪しい。いくらアンポンタンな私でもこれはマズい気がした。そこで私は自分のアパートにあった適当なイギリス国旗の四角いステッカーをその問題の部分に貼り、これで良しとしてさらに日々カオリを乗り回すのであった。そしてある日とうとう私はパトロール中の警察官に呼び止められた。 

 

 それは夜のことであり、生まれて初めて受ける職務質問であった。私は当てもなく夜の西京区をカオリに乗って徘徊していたところだった。 

 「お~い、ちょっと君。止まってくれるか」 

 「?」 

 私は大人しく停車して、その体格のいい警察官の指示に従うことにした。暗闇の中に浮かび上がる警察官は柔和な顔立ちで歳は四十歳くらいだろうか。電柱の光が照らし出すその顔は怒っているようでなくむしろニコニコしていた。私はその警察官と向き合うやいなや、質問される前にこちらからカオリをゴミ捨て場から拾って来た経緯を説明してまくし立てた。警察官はあっけにとられたような顔をしていたが、それでも私の説明をふんふんと聞いていた。私が説明し終わると、警察官はふと真顔になりこう言った。 

 「あかんやん、そんなことしたら」 

 「え、なんで?」 

 私はそんな不遜な返答をした。 

 「これはな、厳密に言うと拾得物横領罪ってことになるんや」 

 私はその罪の名を知っていた。だが黙っていた。 

 「なんでその自転車が捨ててあったって分かるんや?誰かが停めてあったって可能性もあるやろ」 

 「・・・・・・」 

 「分かったらその自転車は元あった所に戻しておきなさい」 

 「はあ」 

 私は渋々承諾して住所などを聞かれた後に、カオリを押しながらすごすごと家に帰った。だが、職務質問にあったからといって、私はカオリを簡単に手放すことはなかった。次の日もカオリに跨がって西京極運動公園へ独りピクニックをしに行った。それからカオリには数年乗ったはずだが、別れは唐突にやってきた。 

 

 桂駅東口の京都銀行付近は夥しい数の自転車が停めてある。運悪く係の人に見つかると警告の紙を貼られる。さらに運が悪いとトラックで自転車を持って行かれてしまう。この違法駐輪はちょっとした社会問題で行政を司る人も頭を悩ませているのだと思う。私はその日河原町に行くためにその違法駐輪の場を利用した。河原町に何か用事があったわけではない。無目的に歩きながら時々レコード屋や古書店を冷やかして王将で飯を食って数時間で帰途についただけのことである。阪急の改札を抜けてローソンでおやつを買い、カオリの停めてある場所まで来た。が、カオリがいない。どころか違法駐輪の自転車の群れそのものがない。私は狼狽して周囲を見渡した。近くの電柱に黄色い紙が貼ってある。私はそれを読んでみるまでもなく事態を悟った。すなわち違法駐輪の一斉撤去があったのだ。カオリはトラックで持ち去られてしまったのだ。私は舌打ちをして徒歩で家に帰った。それから私は専ら歩いて移動するようになった。幾ばくかの金を払えばカオリは取り戻せるのだが、薄情な私はそれをしなかった。何故なら引き取りに行けば係の人にカオリとの経緯を再び説明しなければならないと思ったからだ。それは面倒なことだった。 

 

 五月も中盤となる。私は桜の花びらが散って葉桜となる頃の季節がとても好きだ。以前はカオリに跨がって桂川サイクリングロードを走り、それら新緑の木々を眺めたものだ。今は専ら増えすぎた体重を減らすために桂川サイクリングロードをウォーキングしている。私は懐から煙草を取り出して口に銜えライターで火をつけた。私の横を颯爽としたサイクリング車がどんどん追い抜いていく。私は煙草をふかしながらぶらぶらと歩いた。さあっと風が吹いて中空に煙草の煙が消えていく。カオリのことはあまり思い出すことがなくなってしまった私だった。 

2022年8月27日公開

© 2022 藤村羅甸

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