小指の指輪

龍一クライマー

小説

1,221文字

イグBFC2応募
原稿用紙6枚

昼はロースカツ丼。今や出来合いのものしか食べない。娘は盆休みが終わり、帰った。

『昨夜未明、横手市の国道で七十代の男性が車に跳ねられる事故が発生しました。男性は即死とみられ…』

「ボケ老人だな」

部下が言った。

やたらと油っぽいロースカツだった。

午後の現場は待機時間ばかりだった。気温三十五度。緑茶、タバコ、ラジオ。二度、立ち小便をした。

終わる頃には暗くなっていた。部下は髪をかきあげながら、ぶつぶつと文句を言った。

スーパーで半額の寿司と酒を買った。シャワーを浴び、寿司を食べ、酒を飲んで、寝た。

真夜中、指輪をしている左の薬指と小指が痒く、目が覚めた。指輪を外し手を洗ったが、まだ痒かった。台所に置いた大小二つの輪っかが鈍く光っている。プラチナは柔らかい。傷だらけだった。太ってはまらない時期もあったが、今は少しゆるい。

そのうち痒みは治ったが、まどろんでいるうちに朝がきた。

「辞めようと思ってるんす」

「どうして」

「俺、二十五っすよ。定年まで、この会社ありますか」

部下はまもなく姿を消した。

午後の現場に、一人で行った。

直射日光。陽炎。沼の水気が飛び、底のヘドロが露わになる。臭気が立ち込めている。野鯉が背中を半分出し、ヘドロをかき分けている。グッポグッポ。じきに干される。

翌日、百円ショップで買ったルアーで、釣りをした。竿とリールは、二十年前に亡くなった父親のものだ。

何でもない川だ。川の体を成しているが、用水路のようなもの。竿を振って、リールを巻いて、また竿を振る。魚影は見えるが、ルアーがでかすぎる。十時に始め、十二時には終えた。坊主だった。

腹が減っていない。昼寝をしたら十四時だった。ウイスキーを飲んだ。軽トラで山へ行った。荷台には角材の切れ端とロープが積んである。よく山菜を取りに行く山だ。真夏に採れるものはない。

スニーカーで獣道を進む。蚊がひどい。山が湛える湿気に、草木の青臭さが混じる。辛いだけで面白みのない山に、入る者は他にいない。

昨夜はカップ麺で済ませた。一昨日は寿司。その前は唐揚げ弁当。

今夜は。今夜食べたいものがない。

頂上からは辺りの山が一望できる。

気づくと歌を口ずさんでいた。ビートルズの Let It Be。

レディビー レディビー レディビー オー レディビー

ゼア ウィルビー アン アンサー レディビー

当時、ジョンに憧れ髪を伸ばし、ギターを担いでいた 。Let It Be はピアノの曲だが、ギターで弾いた。

ジョンは殺され、オノヨーコは今も生きている。

下山し、軽トラのなか、ラジオを聴いた。何か音楽が流れるのを待った。夜が落ちてくる。なかなか音楽が流れない。新月だ。何も光がない。ようやく流れた曲はヒットしたアニメの曲。ラジオが終わった。ドアノブに手をかけたとき、薬指と小指の指輪が当たり、カチンと鳴った。

助手席を見た。ダッシュボードはゴミだらけなのに、助手席はがらんと空いている。エンジンをかける。ライトをつけると木々が照らされる。眩しくて、目を閉じた。

2022年8月20日公開

© 2022 龍一クライマー

読み終えたらレビューしてください

この作品のタグ

リストに追加する

リスト機能とは、気になる作品をまとめておける機能です。公開と非公開が選べますので、 短編集として公開したり、お気に入りのリストとしてこっそり楽しむこともできます。


リスト機能を利用するにはログインする必要があります。

あなたの反応

ログインすると、星の数によって冷酷な評価を突きつけることができます。

作品の知性

作品の完成度

作品の構成

作品から得た感情

作品を読んで

作者の印象


この作品にはまだレビューがありません。ぜひレビューを残してください。

破滅チャートとは

"小指の指輪"へのコメント 0

コメントがありません。 寂しいので、ぜひコメントを残してください。

コメントを残してください

コメントをするにはユーザー登録をした上で ログインする必要があります。

作品に戻る