巣立ち 第23回長塚節文学賞 優秀賞受賞作

龍一クライマー

小説

15,905文字

息子の春樹が農を継ぐことに否定的な母、恭子。それは、農家の大変さを知るからこその想いであった。
母の想いに反し、仕事を辞め農家を志す春樹。周りからは「立派だ」という声をもらうが、それすらも恭子にとっては不本意だった。
春樹が農家になることを歓迎していた父、基春だったが、ある日考え方の違いにより春樹と衝突する。

後継者問題なんてどうでもいい、私は息子に幸せになってもらいたいのです。

今年も決算書の所得金額の欄には三角形のマークがついていました。つまり、赤字。毎年たくさんの帳簿をつけて節税に努めていますが、その苦労が報われることもなくなってきました。

「私たちどうやって暮らしているんですかね」冗談のように言って笑いました。

青色申告相談会。確定申告の際、青色申告を選択している農家向けにJAが開いている相談会です。会場としているJAの支店二階の会議室は、変に暖房が効いていて、息子ほどの年齢のJA職員と、私の他には誰もいませんでした。

「あくまで決算書上の話ですから」JA職員も笑って答えました。このような赤字決算書は、彼らにとっては見慣れたものなのかもしれません。

「お父さんが会社で稼いだ給料で農業の赤字を埋めているようなものですね」

「タクシーの運転手さんですよね」

JA職員が親しげに聞いてきました。私とは年に一度、相談会のときに会うくらいですが、基春さんとはよく会っているようでした。

「そうですね。そろそろ農業を息子主体にしようなんて言っていますけど…」私は、うつむいて、少し汗ばんだ手を意味もなく揉んでいました。

「そうなんですか。息子さんはお勤めなんですか?」

「はい。ですが、なんだかやる気みたいなんです」

「へえ、若いのにご立派ですね」

「いえいえ、まさか…」私は顔の前で慌てて手を振りました。

「普通は手伝ってもくれませんよ。会社にお勤めなのに家の仕事のことも考えてるなんて、ご立派ですよ」JA職員は目を大きく開いて言いました。

春樹は、高校を出て、六年間勤めた会社を辞めようとしています。そして、専業農家になるつもりなのです。春樹が農業を始めるという話を聞いた人たちは皆、春樹のことを立派だと言います。

辛くてお金にならない農業をわざわざ始めるなんて、という意味が言外に感じるのは私の考えすぎでしょうか。

「判子を押せば、あど完成ですので」

確認してもらっていた決算書と申告書を返してもらいました。

「どうもありがとうございました」と頭を下げ、決算書と申告書を鞄にしまい、もう一度「ありがとうございました」と言って、席を立ちました。JA職員も立ち上がって礼をしました。目を合わせると「困ったことがあれば、いつでもJAに」と愛想の良い表情を浮かべました。背を向けると「お母さん、マフラー」と呼び止められました。手に持っていると思ったマフラーが落ちていました。「すみません」と、拾って首に巻き「ありがとうございました」と、また礼を言って会場を出ました。

一斉に体を責める寒さで汗が冷え、階段を降りると、老人の肌をこするようなスリッパの音が響きました。窓の向こうでは、大粒の雪が音もなく落ちていました。私の故郷ではこんなに雪が降ったことがありません。秋田県の南に位置する旧西仙北町土川に、二十二歳で嫁ぎ、三十年。気づけば大雪の中で過ごした年月のほうが長くなっていました。異国の言葉のようだった東北訛りもすっかり聞き取れるようになり、ときおり、私の口からも出てくるようになりました。

「おや、嵯峨さん」

長靴を履こうとしていると、自動ドアを通り抜けて、同じ集落の小松さんが来ました。

「あら、小松さん」

小松さんは七十歳になるおばあちゃんです。ジブリアニメに出てくるトトロを小さくしたような体型で、顔はいつも赤みがかっていました。

「終わったが?」

「はい、これでゆっくりできます」

「まあ、あど法人さ任せれば、おえがたは申告さねくて済むべしな」

私の集落では何年か前から農事組合法人を設立する、という話が出ていました。

「そうかもしれませんね」

気のない返事をして小松さんと別れました。

 

春樹は、お義父さんが亡くなった年に身籠った子でした。

「おかあさん」と呼ぶ声は男の子にしては大人しく、外で遊ぶよりも、家の中で一人遊びをするのが好きな子でした。

小学校に入ると、私たちのすることに興味が出てきたようで、一緒に田や畑に出るようになりました。

普段、外で遊ばないために真っ白だった肌は、一日私たちについてまわるだけで真っ赤になりました。痛い痛い、と言ってお風呂を嫌がる姿は可哀想だったけれど微笑ましいものでした。

中学校に入ると、美術部に入部しました。中学生にもなると、周りの男の子たちの体つきは少しずつ変わってきていましたが、春樹の体の線は、細いままでした。基春さんは「あど一人前の男だ」と言って、大人一人分の仕事量を求め、春樹はそれに応えようと頑張っていましたが、あるとき、熱中症で倒れたことがありました。畳の上で横たわる春樹の頭を撫でながら、この子に野良仕事は向いていないのだろうな、と思いました。

高校に入る頃には、少しずつ、手伝ってくれる時間が減っていき、代わりに中学の頃から続けていた部活動に時間を費やすようになっていきました。基春さんは、春樹が農から離れることを残念に思っていましたが、私は、ほっとしていました。あの子にはもっと適した道があると思っていたからです。

そして、高校二年生のとき、嬉しいことが起こりました。春樹の絵が県のコンクールで賞を獲ったのです。授賞式には家族で出向きました。秋田県庁で県知事から賞状を貰う春樹の顔は、日焼けをしたときのように真っ赤でした。私は、隣に座っていた基春さんにバレないように濡れた目尻を拭いました。きっと基春さんが見れば、大袈裟だ、と言って、笑うと思ったからです。

きっとこの子は農を継ぐことはない。自分を活かせる道に進んでくれるはず。

そう思いました。

私は、農業を嫌だと思ったことはありません。辛いことはたくさんあったけれど、日本の食を支える、農家であることに誇りを持っていたと思います。ですが一方で、現代における農家という職の位置づけとイメージを理解しているつもりでした。

誰にでもできる仕事。頭を使わなくてもできる肉体労働。そして、儲かる職業ではないこと。

事実とは別に、こういったイメージがあるのは確かでした。私自身、お金がないことは身をもって感じていました。

なので、春樹には給与をもらう仕事に就いて欲しかったのです。春樹が「就職したい」と言ったときは安心しました。就職活動の結果、厚生医療センターの事務職員として働くことになり、休みの日には田植えや稲刈りを手伝ってくれましたが、その時間は以前に比べると僅かでした。

悲しいけれど、嵯峨家の農は基春さんの代で途絶える、そう思っていました。

 

「春樹、それほんとなの?」冗談なわけがないと思いながら問いただしていました。

FF式の灯油ストーブで温められた部屋。洗濯物の湿気のせいで息苦しく、窓には水滴が垂れていました。

「うん、ごめんね。なんの相談もなしに」

春樹は真剣でした。

仕事から帰ってくるなり、家族が集まる居間で、春樹は宣言しました。せっかく就いた仕事を辞めると言い出したのです。

「俺、仕事辞めるから。農業を継ぐよ」

お義母さん、基春さん、私、全員が驚いたと思います。皆、春樹は農業をやらないものだと思っていたからです。

言いたいことはあるはずなのに、なかなか言葉が出てきませんでした。

「おう、んだがあ、いがったなあ。おめは農業やらねもんだど思ってらった」と基春さん。

「待って、別にお仕事を辞めなくても農業はできるんじゃない」

平静を装って聞きました。

「母さん、俺は農家になりたいんだ。俺が継がなきゃ、うちの田んぼはどうなる。この集落の田んぼがなくなっちゃうよ」

春樹は訴えるように言いました。

「でも、お父さんだってまだ元気だし、お仕事を辞めなくたって…」

「春樹が決めだごどなんだがら、いいべった」

基春さんは鼻をふくらまして嬉しそうにしていました。

「俺らの世代が農業をやらなかったら日本はどうなると思う。外国の米や野菜だけを食う時代がくるかもしれない。俺はそんなの嫌なんだよ」

春樹が言っていることは正しい。でも、春樹が日本の未来のために苦労する必要はないと思いました。

「春樹」と、呼びかけるように言いました。「分かっているの?今までみたいに手伝うのとは訳が違うんだよ。農業なんかやって、この先暮らしていけると思ってるの?」

私がそう言うと、春樹は一度口を閉じ、「そういうことだから、少しずつでもいいから、俺に経営を移していってくれ」と、私のほうを見ず、基春さんに話しかけていました。

すると基春さんは「経営だなんて、おめ、おぢまげだ言い方するねが」と笑い、「おい、この間貰った酒持ってけえ。春樹と飲む」と私に言いつけました。

「いいよ、俺は飲まない。父さんだけで飲みなよ」

私は、「はい」と基春さんに返事をして、台所に引っ込みました。

『母さん、俺は農家になりたいんだ』

頭の中でもう一度、春樹の言葉を嚙み締めました。

 

三月が終わると、春樹は本当に会社を辞めました。いつものようにお弁当を作っていると、春樹が起きてきました。

「早いね」と言うと、「農家は朝早く起きるもんだよ」と当然のように言いました。

作りかけのお弁当を見て、今日からはもう、作る必要はないのだと気づきました。

まだ春の農作業が本格的に始まる前の四月上旬。春樹は色々なところに出向いていました。そして、私が知らない間にJAの青年部に入り、大仙市が管理している西部新規就農者研修施設で勉強することを決めていました。仕事を辞める前から、事前に話を進めていたようでした。

農業を始めるにあたり、わざわざ青年部なんてものに入る意味があるのか、私には分かりませんでした。それに、研修施設に入るとなると学費がかかるはずです。

「JAの青年部はいいとして、その研修施設はお金かからないの?」

すると春樹は「母さん」と言って驚いた顔をしました。「知らないの?そこの研修施設は俺みたいな人が勉強しながらお金をもらえるところなんだよ」

「そうなんだ」

職業訓練所のようなものでしょうか。今はそんなありがたい所があるようでした。しばらくの間は、その施設に通いながら家の仕事を手伝っていくようでした。

 

春樹が仕事を辞めたという話は瞬く間に広まりました。集落内はもちろんのこと、あまり会うことのない春樹の同級生のお母さんにまで伝わっていました。限られたコミュニティで暮らす私たちの噂話は、インフルエンザの流行よりも速く駆け抜けるのです。

町にたった一つだけあるスーパーでは、色々な知り合いに会います。「春樹くん、仕事やめだの?」と単刀直入に聞いてくる人もいれば、色々な話をしたうえで「そういえば春樹くんは何としてる?」と、何気なさを装って聞いてくる人もいます。

今日は偶然、春樹の中学校の同級生である菅原勝喜くんのお母さんと会いました。勝喜くんは大曲農業高校を卒業して、秋田市の会社に就職したはずです。

カートに手をかけたまま二人で話し込んでいると、もう一人、同級生のお母さんが通りがかりました。岡田智也くんのお母さんです。智也くんは西仙北高校を卒業して、どこかの工場に勤めているはずです。

母親たちが集まれば、話の中心は自然と旦那と子供のことになります。

「知ってらがあ?市役所に入った昌磨くん、鬱になってお休みしているらしいよ」と菅原さん。昌磨くんも同じ中学校の同級生です。

「でも、公務員って鬱になっても、ちゃんと復帰するまで面倒見てくれるらしいねが」と岡田さん。

「んなんだあ、やっぱり公務員が一番だなあ。ボーナスもたくさん出るし、普通の会社だったら鬱になったら辞めで終わりだやなあ」と菅原さんが言いました。

「まあ、んだよね」私はようやく口をはさむことができました。

「そいで、昌磨くんの弟さんは東北電力に入社したんだって」

菅原さんは、なぜか声を潜めるように言いましたが、ボリュームは大きいままでした。

「え、すげねがあ。まだまだ大変だろうけど、高給とりじゃない」と岡田さんは驚きました。

「羨ましいね」私の声は、独り言のように小さな声になってしまいました。

「しかも」と菅原さんはとっておき、という風に言葉をためました。「昌磨くんのお父さんって、JA職員だったべ?今度、常務になるらしいや」

「え、なにそれ、偉いの?」

岡田さんが私に聞くように顔をこちらに向けました。

「組合長、副組合長、専務、常務だから、偉いんでねえの」と私が言うと、菅原さんと岡田さんは、すごいねすごいねと言い合ってました。

「ところで」と菅原さんが私を見ました。くるぞ、と心の中で備えます。

「春樹くんはどうしてら?元気?」菅原さんは普通の顔を作って言いました。

岡田さんの頬が一瞬こわばったように見えました。二人とも、もう知っているのです。

「春樹ね、お仕事辞めちゃったの」なるべく淀みなく言いました。なんてことはないですよ、というアピールでした。

「どうして?体でも壊したの?」菅原さんが驚いた顔をして言いました。きっとこの「どうして」というのが、一番聞きたかったのだと思います。

「農業をやりたいって言いだしてね。急に辞めたの。体はなんにも、健康そのもの」

「へえ、すごいね。今どき農業をやりたいなんて。ご立派ね」と、菅原さんは大袈裟な表情で岡田さんに同意を求めました。

「んだなあ、うちのは全然手伝わねよ」と岡田さんは不満そうな表情を見せました。

私が言ったことは事実でしたが、きっと二人とも納得したわけではありません。何かあって仕事を辞め、消極的な理由で家の仕事である農業を始めてたと思っているはずです。それが癪でした。

「昔から手伝ってくれてたからね。いつかは継ぐものだと思ってたよ」思ってもないことを見栄をはるように言ってしまい、恥ずかしくなって顔が熱くなりました。

 

五月になりました。緑の青さが瑞々しく、冷たい風が気持ちよく感じる気候になりました。

基春さんは「草刈教しぇる」と、春樹と二人で田んぼに出ていました。

お義母さんと私はお休みの日で、台所で干したゼンマイを丸めていました。

すると、男二人が慌ただしく帰ってきました。基春さんは怒ったような顔をして、一方、春樹は困ったような顔をしていました。春樹は左肘の近くを押さえていました。赤い何かがしたたっているのが見え、「えっ」と大きな声をあげてしまいました。お義母さんも気づいたようでしたが、「おやっ」と小さく言っただけでした。

「どうしたの?草刈?」

ブーンと鳴る草刈機、スパッと切れた腕と血しぶきを想像してしまい、体中から油汗が噴き出ました。

「いや」と基春さんが口を開くと、春樹が「草刈してて飛んだ石が、腕に当たったんだよ」と遮るように言いました。

春樹が押さえていた右手をどけると、小豆くらいの大きさで赤くえぐれているのが見えました。

「半袖でやるがらだべった」とお義母さんが落ち着いて言いました。

基春さんは責任を感じているらしく、何も言いませんでした。

「大丈夫だよ」と春樹は言うものの、日焼けして真っ赤になっているはずの顔が少し青くなっているように見えました。

「舐めっておげば治る」

お義母さんは止めていた手を動かし始めました。

私は、「カットバンじゃダメか」と独り言を言う春樹を見ていました。

その夜の食卓。春樹の左腕には短く包帯が巻かれていました。

「うちでは密苗やらないの?」と春樹が聞くと、「なんとせばいいが分がんねもの」と基春さんが答えていました。春樹が仕事を辞めてからというもの、二人の会話量はぐっと増え、しょっちゅう農業の話をしていました。春樹は、今まで手伝ってきたこともあって、全体の流れは知っているようでした。なので、水管理のタイミングなど、具体的な話を聞いているようでした。

ときどき、このように外から仕入れてきた情報を基春さんに聞くことがありました。しかし、その度、基春さんは困ったように「分がらね」と、答えていました。

 

卵が安くなる火曜日。スーパーに行った日のことでした。

街乗り用の軽自動車を家の前に停め、運転席から降りると基春さんの怒鳴り声が聞こえてきました。買い物袋は車の中に置いたままで、急いで玄関を開けました。家の中に入ってからも、断続的に誰かを責めるような基春さんの声が聞こえてきました。居間の引き戸を開けると、まず、目を見開いて怒鳴る基春さんの顔が目に入りました。そして、テーブルを挟んで向かいに春樹が、その隣にお義母さんが座っていました。

「ちょっと、何?どうしたの?」

基春さんが顔をこちらに向けました。こんなに怒っている顔を見るのは初めてでした。

「春樹さだば、田やんねど」と、こちらへ怒鳴り散らしました。

春樹に田をあげない?

春樹を見ると、怯えながらも不満そうな顔で私を見ていました。お義母さんはいつものように落ち着いていました。

「春樹、何があったの?」

基春さんは冷静に話をできる状態ではなかったので、春樹に聞きました。

「今後のことを話してたんだよ。俺も専業農家になるわけだし。ちゃんと考えるべきだと思って…」

春樹は弱々しく言いました。

基春さんは、春樹を睨むと、部屋を出ていきました。そして、唸るような軽トラのエンジン音が聞こえ、遠ざかっていきました。もう一度春樹に、何があったのかを聞きました。

「その…法人の話をしたんだ。母さんも聞いたことあるでしょ?集落の田んぼを集めて、農事組合法人を設立するって話。もう、まとまって頑張るしか農家の生き残る道はないと思うんだよ」最後のほうは絞りだすように言っていました。「その話を父さんにしたら、いきなり怒り出したんだ」

そう言って春樹は下を向きました。泣き出すのでは、と思いましたが、ゆっくりとあげた顔は思いのほか引き締まっていました。

「部屋に戻るよ」

そう言って、春樹は居間を出ていきました。

「どうしましょう」とお義母さんに助けを乞うと「大黒柱が決めることです」とぴしゃりと言いました。そして、台所へ行き、夕飯の支度を始めました。私は、買ってきた物を取りに車に戻りました。

夕飯ができても基春さんは帰ってきませんでした。皆が食べ終わり、食器を片付けようとしているとき、玄関の開く音がして、続いて、ドタドタと歩く音が聞こえてきました。基春さんが居間の引き戸を乱暴に開け、食卓の前に腰を下ろしました。

「お父さん、夕食は?」と聞き、隣に座ると、ほのかにアルコールの匂いがしました。「お父さん、どこで飲んできたの。軽トラで出ていったのに」

「酒もってけえ」

基春さんは私の問いかけには答えませんでした。

「ご飯はいらないのね」ぶっきらぼうに言うと、基春さんは「さあけ」とわざとらしくはっきりと言いました。

私は片付けの続きに戻りました。すると基春さんは、チッと舌打ちをして立ち上がって、冷蔵庫から缶ビールを取りだし、その場で開けて飲み始めました。

私には、どうしてそんなに怒っているのか分かりませんでした。

基春さんは法人を設立することに反発しているようでした。ですが、春樹は法人の設立を良いことだと思っていて、互いの意見が対立したようです。

私にはどちらが良いのか判断できませんでした。二人の意見が食い違うということは、きっと、それぞれに良し悪しがあるのでしょう。そのとき、「困ったことがあれば、いつでもJAに」と言っていたJA職員のことを思い出しました。年初めの青色申告相談会とATМ以外はJAに立ち寄ることはありませんが、話を聞きに行ってみようと思いました。

 

次の日の朝、刈和野駅の近くにあるJAの支店に早速向かいました。私の集落にとって、刈和野駅は最寄り駅でしたが、車で二十分かかる場所にありました。

車を駐車場に停め、ATМの横の自動ドアをくぐると「いらっしゃいませ」という声に迎えられ、店内では小さくオルゴールが鳴っていました。

「あの、いつも申告相談会に来てくれる若い男の職員の方は…」と言うと、「加藤さんだがな」と窓口の女性職員が言いました。「今呼んできますので、お待ちください」女性職員は小走りで奥へ引っ込みました。そして、男性職員を連れてきました。加藤さんは、あのときのように、愛想の良い表情で近づいてきました。

「ああ、基春さんのお母さん。こんにちは」

加藤さんは親しげに私を迎えてくれました。

「すみません、相談したいことがあるんですけど、いいですか」

「はい、なんたことですか」

私はパーテーションで仕切られたテーブル席に案内されました。

「うちの集落で法人の話が出ていますよね。そのことで、あの、実は…」

一瞬、家庭内の揉め事を外の人に話してしまっていいものか迷いました。しかし、このことを相談するために来たのだということを思いだし、すぐに決心しました。

「うちの旦那と息子が揉めてるんですよ。法人がどうのって。法人を設立するのって、悪いことではないんですよね」

そう言って加藤さんを見ると、訳知り顔で頷いていました。

なぜ法人を設立しなければならないのか。そもそも農事組合法人とはなにか。加藤さんは一通りお話してくれました。

農家が減っているということは私も実感していました。機械が古くなり、個人では農業を続けることが困難になっていきます。そこで、効率的に農地を活用するために、一つにまとまり、みんなで作業をする。それが法人を設立する理由だそうです。法人としてまとまれば、各々で機械を買う必要もなくなり、大規模化によって色々なところで良いことがあるそうです。法人ではなく、営農組合と呼ばれる任意のまとまりもあるそうですが、このまとまりは個人色が強く、機会の共有や農薬、肥料の統一など、ある程度の団結は期待できるものの、一枚岩ではない以上舵取りに難儀するそうです。

そして、大きな違いの一つが利益配分の仕方。営農組合であれば、自分の田から収穫された米は全て自分のもの。法人だと田の利用権が法人のものになり、米は法人のもの。個人の収入は、農地の貸付料と作業に応じた作業料となります。

「自分の田が法人に盗られる、という風に思う人が、反対する人の中にはいらっしゃるんですよ」と加藤さんが締めくくりました。

私が黙っていると、神妙な表情で、私の反応を待っているようでした。

「でも、利用権がうつるということは、やっぱり田んぼが法人のものになるということではありませんか」

「確かに、書類上はそうなります。ですが、場合よるっすども、育苗と田植え後の水管理は自分でやって、田植えと刈り取りを法人にやってもらう場合や、色々あります。それに、自分も法人さ参加すれば、自分も含めたみんなの田んぼをみんなで守っている、とも言えるわけです」

加藤さんのお話を聞いて、基春さんが反対する理由が分かりました。そして、春樹が推し進める理由も分かりました。

形だけだとしても、嵯峨家の田んぼを手放すことに、基春さんが同意するわけがありません。やり方は色々あるとは言うものの、我が家の田んぼに他の人が植えた稲があると思うと、見知らぬ人が居間でくつろいでいるような、居心地の悪さを感じました。

しかしながら、春樹が法人設立を進める理由も理解できます。効率良く農業を営もう、という考えは若者らしい合理的なものだと思いました。

「嵯峨さんの土川地区が今までまとまってこねがったのって、現役の方が多いからなんですよ。人に任せるって感覚がないんです。自分でやれるもんだがらっすな」加藤さんは言いました。

「あの、あなたは、加藤さんはどう思われますか。やはり、法人は設立するべきだと…」

加藤さんは「んだっすなあ」と一瞬間をおいて、「可能であれば、なんぼでも早く設立しておいたほうがいいと思います。荒らし田が増えてからだと、復田が面倒ですから」と答えました。

そうですか、と呟き、お礼を言って立ち上がりました。今日は忘れ物をしないようにと、机の上、椅子の上を確かめていると、「そういえば」と加藤さんが口を開きました。

「春樹くんにもお世話になっております。俺、青年部の事務局もやってるんですよ。入ってもらったばっかりなのに、もう馴染んでますよ」

「へえ、そうなんですか」

「秋の、米終わった後の話ですが、主張発表といって、自分の考えをまとめた十分間くらいの発表をお願いしたんです。そしたら、今から原稿作ってくれて、すごいやる気なんですよ」

「そうなんですか。うちの子に務まりますかね」

発表というからには人前に出ていくはずです。子供の頃からシャイで、人前に出ると顔を赤くしていた春樹が、十分間も話し続けることができるのか心配でした。

「きっと大丈夫ですよ。何より、やる気満々ですから」加藤さんは感心しているようでした。「上手くいけば全国大会まであるので頑張ってほしいですね」

 

「また何かあればいつでも」という加藤さんに見送られてJAを後にしました。

国道をまたぎ細い県道を進むと、道の両側には田んぼが広がり山が見えます。夏のひざしが田の緑と水面に反射し、とんぼ玉のようにキラキラと景色が光って見えました。

ふと、我が家の田んぼを見たくなりました。今までこんな風に一人で足を運ぼうと思ったことはありませんでした。

少し車を走らせ、軽自動車でも運転が容易な畦道に、そろそろと入っていきました。今まで、軽トラの助手席に乗り何度も通った道を進むと、見慣れた田んぼが見えてきました。山側から数えて四枚が我が家の田んぼです。それぞれ三十アール。あきたこまちの稲が深い緑色をなびかせています。今年は分げつが程よく進み、順調そうだと基春さんが言っていたのを思い出しました。ところどころにぴょんと出た矢印のような葉は、除草剤で取りこぼしたオモダカでしょう。

車を降り足元を見ると、逃げるオタマジャクシに泥がかき回されていました。田と山の匂いに包まれ、私は稲に囲まれていました。

車に寄りかかってぼーっとしていると、エンジン音が聞こえてきました。私の倍以上のスピードで軽トラが近づいてきて軽自動車の後ろで停まり、基春さんが降りてきました。

「おめがよ、泥棒がど思った」

基春さんは私の隣まで来て、私と一緒に田んぼを見ました。

「何も盗られるものはありませんよ。お米だって高くもないのに、稲を抜いていったところでお金になりません」

基春さんは黙っていました。冗談を返したつもりでしたが、皮肉として受け取られてしまったのでしょうか。心配になって基春さんを見ると、別段なんともない様子で、「んだな」と呟きました。そして、「なんかあったが」と私に聞きました。もう一度基春さんの様子を伺うと、変わらない表情で田んぼを見つめていました。一人でこんなところにいる私を心配してくれているようでした。

「何かあったのはおめのほうだべ」私は笑いました。

「まあ、んだな」

基春さんはわざとらしく不貞腐れたようにしていました。

「なにがあったんですか」

あれから昨日のことには触れていませんでした。基春さんが怒鳴っていた訳は知っていましたが、あえて聞きました。

「春樹には田あ、任せらえね。あいつは、わあの田、手放す気だ」

あのときの違い、激情こそしていないものの、言葉に強い想いを感じました。

「手放す、というと、売ってしまうということですか」これもあえて聞きました。

「んだ。法人さやるんだど。そいで、わあも法人さかだって、構成員としてやっていぐんだど」

「法人に売るということは、田んぼは私たちのものではなくなってしまう、ということなんですね」

基春さんは鼻息とともに「んだ」と答えました。「勝手に耕起さえで、勝手に植えらえで、勝手に刈られるんだ。春樹は何も分がってね。わげ者は効率ばり求めでダメだ」

「春樹の話はちゃんと聞いてみたんですか。怒鳴ってばかりだったんじゃないですか」と私が聞くと、「んだどもよ」と口をもごもごさせていました。

私は「帰りましょう」と微笑み、車に寄りかかっていた体を起こしました。

基春さんは「おえはまだ」と言って背を向けました。「あどで話聞いてみる」と、こちらを見ずに、ぼそっと呟いて、運転席のドアを開けました。

私が軽自動車を脇に寄せ道を開けると、基春さんが向こうで軽トラをUターンさせ戻ってきました。私の前を通りすぎるとき、手をあげた基春さんと目が合いました。喧嘩をして仲直りをした後のような照れくささを感じ、緩みそうになる頬を無理に引き締めました。

 

居間ではお義母さんがテレビを見てくつろいでいました。

「なんとだった?JAさ行ってきたんだべ」

お義母さんはテレビを見たまま私に聞きました。

「やっぱり、基春さんが決めることだと思います」正直に言いました。私にも考えはありましたが、基春さんにゆだねることにしました。

「佐々木さん、ワラビけだ」と言って、お義母さんが立ち上がりました。ついていくと、台所に下処理の途中だったワラビがたくさん積んでありました。

 

夕飯ができる頃、基春さんと春樹は帰ってきました。今日の夕飯は豚の生姜焼きです。聞き慣れたカエルの合唱と、ワラビの山の匂い、生姜の香りが漂っています。わずかにする水と泥の匂いは基春さんからです。

匂いが一体となった空気の中、私たちはいつもの位置に座り、「いただきます」と一斉に箸をとりました。

春樹と基春さんの会話はありませんでしたが、「ワラビ誰がら?」と基春さんが聞き、「佐々木さん」とお義母さんが答え、ぽつりぽつりと会話がありました。基春さんが一番初めに食べ終わり、次に春樹が食べ終わりました。基春さんは冷蔵庫から缶ビールを持ってきて、また座りました。春樹はというと、いつもは食べ終わるとすぐに自分の部屋に行くのに、今日は所在なさげに座ったままでした。そして、私とお義母さんが食べ終わると、待っていたように背筋を伸ばしました。何か話しだすような雰囲気を感じ、私たち三人は春樹を見ると、その視線に戸惑いながら、「あの」と口を開きました。

「JAの青年部で、主張発表っていうのがあるんだ。若手農家の考えを発表するんだけど、俺がやることになったんだよ。今から、その練習を、父さんたちに聞いて欲しいんだけどいいかな」

「おやっ、おめがやるの?」

珍しくお義母さんが驚いていました。

「そう、聞いてくれる?」

春樹は基春さんを見ました。私も、基春さんを見て、反応を待ちました。

基春さんは「あ、あぁ」と歯切れの悪い返事をしました。ビール缶を口につけ、その場でもぞもぞと座り直しました。

春樹がその場で立ち上がって話し始めました。

「本番だと思ってやるから、大きな声出すけど驚かないでね。じゃあ、始めるよ」

春樹は決心したように大きく息を吸い込みました。

「なぜ、僕たちの世代では、農家という職業の人気がないのか。

それは、格好が悪く、儲からないからです。それに、間口が狭い。

例えば、キャバクラに行ったとします。もちろん僕は行ったことがありませんが」

春樹は気恥ずかしそうに一度下を向きましたが、顔をあげると、私たちではなくもっと遠くを見据えるような眼差しで、再び話し始めました。

「デザイナー。きゃーかっこいい。警察官。きゃーすごい。農家。へえ、大変そう。

こうなってしまいます。本当にそうでしょうか。農家は格好悪いのでしょうか」

訴えるような話し方に、私たちは聞き入っていました。

「先ほど、農家という職の人気がない理由として、格好が悪いから、儲からないからだと言いました。もちろん、これは僕の意見ではありません。だって、僕も農家やってますから。これは、世間からそう思われている、ということです。

農家は百姓と呼ばれることもあります。この言葉の意味は、百の職業、色々な仕事をできる人という意味だそうです。

『勉強頑張らねえば、百姓やるしかねえど』子供の頃、友人が、そう叱られたそうです。

何を言っているのやら。

頭悪りば、百姓でぎるわげねっ!」

春樹もこんなに大きな声が出せるのか。私は変なところで感心していました。

「体を動かしていればいいわけではない。クリエイティブに頭を働かさなければ、やっていけない職業なのです。

『農家やってるんだ。きゃーかっこいい。』本来はこうあるべきです。

格好良い職業だということを、我々青年部がもっと伝えていかなければなりません。」

ここで一呼吸おいて間をあけました。

「次に、農家になるための間口が狭いというお話。

家族経営が主体である、日本の農業は外部の人間が入れる余地が少ない。就職活動の際、合同会社説明会に出向けば色々な会社のことを知ることができます。その中から選び、採用試験を受け合格すれば、晴れて会社員です。しかし、農家は人出不足なのにも関わらず、自分たちのことを説明するために、合同会社説明会に行くことができません。こっちにも道があるんだということを若者に示す機会が少ない。若者には、そもそも選択肢として頭にないのです。

僕の集落では今、法人設立の話が出ています。直ちにすべきです。そして、もっと外部から農業という分野に人を引っ張ってこなければなりません。法人はその受け皿になり得る」

法人の話、子供の頃の話、人口減少の話。色々な話をして、春樹の発表は終盤を向かえました。

「最後に一つ、触れていない話がありました。農家は儲からないという話です。

再三、話の中で出ましたが、今、農家人口はどんどん減ってきています。ということは、つまり、市場にライバルがいなくなってきている、ということです。

皆さんは、外国の野菜や米だけを食べる生活を送りたいですか?そんなわけありませんよね。つまり、国産品には需要がある。誰かが国産品を作らなければならないのです。需要があるのにライバルが少ない。なんて魅力的な市場でしょう。

今こそチャンスなのです。皆さん、農業で儲けましょう」

終わりました。

私たちは何も言えず黙っていました。

私の胸の中は、色々なもので満ちていました。

「やべ、時間計り忘れちゃった。母さん、時計見てなかったよね」

春樹は、沈黙を破るように、いつもよりおどけた口調で言いました。

「ごめん、見てなかった。すごいよ。春樹、すごい」

お義母さんは「んだあ、おめ、立派だ。誰さ似たんだ」と基春さんを見て「おめではねってことは、恭子さんか」と笑いました。

基春さんは「うるへ」と、しかめっ面をしていました。

きっと、表情が崩れるのを耐えていたのでしょう。

 

我が家の稲は、その後も順調でした。

「今年は倒伏軽減剤いらねな」、と基春さんが言っていました。

基春さんと春樹は、はっきりとした和解があったわけではありませんが、一時期のようなぎくしゃくとした空気はありませんでした。

八月下旬。大仙市の防除協議会で飛ばす農薬散布の無人ヘリの音で、早朝に目が覚める日が何度かありましたが、私たちの稲のためなので、朝に起こされるぐらい何ともありません。

無人ヘリの散布予定期間が終わり、もう起こされることもないな、と思いながら布団に入った次の朝、ブーンという機械の回転音で目が覚めました。

草刈機でしょうか。家の周りの田んぼは、我が家で作っている田んぼか減反の田んぼでした。隣を見ると基春さんも目が覚めたようで、うっすらと目を開けていました。

「何の音でしょう」

「あえでねが、春樹でねえが」

基春さんは目を閉じて言いました。

「春樹が一人で?」

「まったぐ、勝手なことばりして」

薄闇の中、基春さんの口元がニッと上がるのを見逃しませんでした。

 

稲刈り、乾燥、出荷。秋が怒涛のように始まり、終わりました。今年は豊作で、昨年よりも二十俵多く出荷することができました。

「他の家も豊作だったらし、そういう年なんだな」と基春さんが言っていました。

そして、十一月二十五日。春樹の発表の日がきました。秋田市の会場まで車で一時間半。基春さんの運転で家族全員が向かいました。春樹は久々にスーツを着ています。私と基春さんとお義母さんも小綺麗な格好をしていました。

会場に着くと、春樹は私たちから離れ、色々な人と話をしていました。

私たちは、JAの加藤さんに挨拶をして、会場の隅っこに座りました。春樹曰く、加藤さんの計らいで、私たちも会場に入れることになったそうです。

「只今より、秋田県JA青年大会を開催します」司会の声で会場は静かになりました。

次第に沿って進み、日頃行っている活動を紹介する、活動発表が終わり、続いて主張発表大会が始まりました。他のJA青年部の発表も、勢いのある、未来への希望あふれるものでした。

そして、いよいよ春樹の番です。壇上に立ち、マイクの前でゆっくりとお辞儀をしました。拍手が起こり、春樹はゆっくりと頭を上げ、鷹揚に拍手を受け止めていました。

「なぜ、僕たちの世代では、農家という職業の人気がないのか」

始まりました。ところどころ、表現が変わっていたり、具体的なエピソードを挿入していたり、改良が加えられ、言葉の区切り方、身振りが印象的で、より聴衆の心をつかむ発表となっていました。

私たち三人は、あのときよりも聞き入っていました。

春樹の発表が終わり、拍手が起きました。私は手が痛くなるくらい両手を叩きました。腰が浮き、立ち上がってしまいそうになりましたが、はっと気づいて座り直しました。

それから何人かの発表がありましたが、内容が全く頭に入ってこず、ほとんど放心状態でした。

「十五分間の休憩を挟みまして、結果発表とさせていただきます」

司会の声です。いつの間にか発表が終わり、皆、席を立って会場の外へと出ていきました。

私たちは座ったままでいました。

「春樹が一番でしたね」

「んだな」とお義母さんが答えてくれました。

「只今より、活動発表及び主張発表の結果発表を行います。発表者はご登壇ください」

そわそわしているうちに休憩時間が終わりました。春樹を含め、発表者たちがステージの上に並んでいます。向かって左側に活動発表、右側に春樹たち主張発表の発表者が一列に並んでいました。

照明が落ちました。

「それでは発表します。青年部活動実績発表、優秀賞は、JAこまち雄勝支部、佐藤さんです」

優秀賞者にスポットライトが当たり、拍手が起こりました。前に出て、賞状を貰っています。

「続きまして、主張発表の結果発表です。青年の主張発表大会、優秀賞者は、」

一瞬、息を止めるような間があき、スポットライトが春樹に当たりました。

「JA秋田おばこ西仙北支部、嵯峨春樹さんです」司会者の声がマイクを通して響きました。「嵯峨春樹さんは前へ」司会が促します。

春樹は驚いた顔のまま、ステージの前方に立ちました。

そして、賞状を受け取りお辞儀をすると大きな拍手が起こりました。会場中に響く拍手すべてが、私の息子に注がれています。

春樹はこちらを向き、再びお辞儀をしました。さらに拍手が湧きます。春樹は照れたようにはにかんでいました。

拍手が響く中、「もう春樹に任せちゃっていいんじゃないですか」と、隣で手を叩く基春さんの耳元で言いました。

基春さんは前を向いたまま拍手をする手を止めませんでした。

「んだがもさね」そう言って、私をチラッと見ました。そして、驚いたようにもう一度見て、口を開けて笑い出しました。

キョトンとしていると、「おめ、なに泣いでる」と基春さんはさらに笑いました。

顔に手を当てると、知らぬ間に涙が伝って、頬が濡れていました。

 

 

※この作品は主催者様より掲載許可をいただいております。

2022年8月20日公開

© 2022 龍一クライマー

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