「おや、あれはオキナワスズメウリ」
卓を隔てて正面に座る客人が開け放たれた硝子戸――網戸の向こうへと視線を投げて呟いた。私は反射的に目線を上げ、彼に倣って庭へと目を向ける。照り付ける盛夏の陽射しにハレーションを起こして白っぽく見える其処には雑草と共に蔓草が掴まるものを探して庭壁へと腕を伸ばしていた。
「あの植物を御存知で?」
「ええ、まあ。というより、私も去年、育ててたんですよ。オキナワスズメウリは日除けに丁度良いのです。支柱を格子状に組んで、蔓を絡ませると緑の窓掛になるのです。知りませんか」
「はあ。あの植物は特に育てている訳ではないのです。気が付いたら、勝手に」
「そうですか。大方、鳥か何かが種を運んで来たのでしょう。緑の窓掛、なかなか涼しくて良いですよ。良ければ、作るお手伝いをしましょうか」
「ご親切にどうも。でも結構ですよ。無精なので、きっと枯らしてしまう」
「そうですか? 暑さには強い植物ですし、手入れも簡単ですがねえ」
客人はやれやれと云った風情で額に浮いた汗をハンカチで拭う。私は彼を一瞥して、眩しい光の射す庭を見遣る。覆い繁る緑にふと背筋が寒くなる。縦に何処までも生命力を伸ばしていくその貪欲さが、何かの情念のようで恐ろしい。
「――それにしても。彼女はどうしてしまったんですかね」
「さあ。私もそれが知りたいですよ。彼女の場合、矢張り失踪扱いになるのでしょうか」
「彼女も子供ではありませんからね。何らかの事情があって自分の意志で姿を消したと考える方が自然でしょう。もしくは事件に巻き込まれたか。一応、失踪届は出しましたが、事件性がない限り、警察はおいそれと動かないでしょうね」
「そうですか」
私は彼に気が付かれないように右手の掌を着物に擦り付けて拭う。あの時の感触がまだ剥がれない。じっとりと厭な汗が膚を流れてゆく。
「私もまた、気が付いたことがあれば警察に申し出る心算です。貴方も、そうしてください」
「ええ、解かっています」
頷くと彼は大儀そうに立ち上がって、傍らに置いた帽子を被って暇乞いを告げた。
玄関まで見送ると、ああそうだ――彼は玄関の引き戸に手を掛けたまま振り向いて云った。
「オキナワスズメウリですが、実が生っても食べられませんよ。毒がありますから」
「へえ。そうなのですか。食べたら、どうなります? 死にますか?」
「一度に沢山食べたら、死ぬかもしれません」
有毒の果実で死ねたならどんなに楽だろう――夢想が甘く広がる。
彼はそれじゃあと軽く頭を垂れて陽炎が立つ炎暑の中へ消えて行った。
私は部屋に戻り、客人に出した茶の後始末をした後、庭に降りた。強烈な日光に一瞬、目が眩む。手入れを怠って伸びる雑草を踏みつけてオキナワスズメウリが繁茂する一画に立つ。蔓を掻き分けて下から覗く土はこの暑さにも拘わらず、しっとりと水気を含んで湿っていた。雨は疎か、水も撒いた覚えはない。
――もしかしたら。
ちらとあの夜の日の、苦悶の表情が脳裏を過る。
忌まわしく思って、力任せに手当たり次第、オキナワスズメウリを引き抜いた。ぶちぶちと蔓が切れ、葉が毟られ、辺りにむっとした青臭さが漂う。植物を引き千切る感触が嫌悪感を連れてくる。私は叫び出したい衝動をどうにか堪えて、無我夢中でオキナワスズメウリを矢鱈滅多に引っ張った。根が掘り返されて土が盛り上がる。その中に白いものが見えて、ぎょっとした。握っていた蔓を放り投げて尻餅をつく。瘧にかかったように躰が慄えた。
――彼女が。
私は文字通り地面を這って、自分で荒らしたその場所を恐る恐る見た。白いものは見間違えではなかった。そっと指先で触れてみる。蒼褪めた皮膚の、腐りゆく肉の手触り。強く押したら皮膚が破れて剥がれ、骨らしきものが露出し、死臭が鼻を突いた。慌ててそこら辺の土を掻き集めて白いものの上に被せた。それ程長い時間、見た訳ではないのに白い残像が生々しく眸の底に焼き付いて離れなかった。
無惨に千切れたオキナワスズメウリの蔓は微風を受けて空虚に揺れていた。
翌朝、庭に降りて見て、我が目を疑った。あれだけ手酷く荒らしたオキナワスズメウリの蔓が新たに繁茂していたからである。ほぼ元通りと云って良い。引き千切った蔓や毟った葉は萎れて見る影もなかったが、新しく生まれ育ったオキナワスズメウリは青々として瑞々しく、爽やかな緑の香気を放っていた。たった一晩でこんなにも成長する植物はあり得ない。
「……これじゃあ、まるで……」
私は昨日同様、蔓を引き抜きにかかった。そうしながら、全て燃やしてしまおうと考えた。と、ふと視界に奇妙なものを捉えた。手を止めて良く見てみると、それは小さな緑色の実だった。表面には白い縦縞が走り、瓜坊の体にある模様と酷似していた。
有毒の果実――これを、食べれば。
実を捥ぎ取ろうとした瞬間、摘まんだ実がぎょろりと私を睨み、瞬きした。咄嗟に叫び声を上げて放り投げた。
「……み、見間違いか……?」
しかしそうとは思われなかった。
確かに、あの実は眼球だった。
この植物は何か――変だ。
ぞっと怖気が立った。
日に日にオキナワスズメウリは成長し、そして更に奇妙なことが起こった。
オキナワスズメウリの小さな花が終わった後、緑色のまるい実をつける筈が、おかしなものになるのだ。それは耳であったり、眼球であったり、鼻であったりした。また小さな手らしい形にもなった。明らかに人体の部品である。しかも嘗て見たことがある、誰かのそれに良く似ていた。
畸形の実が生る度に、それを捥ぎ取り、蔓を引き抜いて、庭の隅にあった古いドラム缶で燃やした。庭が綺麗に片付いたと思っても、それは束の間。翌朝にはまたオキナワスズメウリは溢れる生命力で茂り、畸形の実をつけた。まるで私を嘲笑うように。罪を責めるようにして。頭がおかしくなりそうだった。
朝から雨が降っていた八月の最初の日曜日。
私は庭に降りなかった。もうオキナワスズメウリを見たくなかった。奇妙な有毒の果実も。何をしても無駄だと思った。夏が終われば、オキナワスズメウリも枯れる。本で調べてみたが、この植物は寒さに滅法弱いらしいのだ。それなら自然に任せるままにしておけば良い――そう考えて、私は庭を忘れた。否、見捨てたと云うべきか。
雨の所為か頭痛がした。布団に横になっていると、来客を告げる呼び鈴が鳴った。しかし私は無視をした。今は寝ていたかった。それにあまり他人を家に入れたくなかったのだ。
とろとろと眠って、ふと目が醒めるともう室内は暗かった。随分眠っていたらしい。ずっと寝ていたので却って頭が重く、躰が怠かった。硝子戸を閉め切っていたので、空気が淀んでいる。寝汗もかいていた。私は布団から抜け出て部屋の明かりをつけとうと立ち上がった――その時。
硝子戸の向こうで何か黒いものが揺らめいた。
何だろう――私は硝子戸と網戸を開け放つ。雨は上がっていた。湿度が高いために、息苦しいまでの緑の匂いが漂ってくる。
「おい、誰かいるのか」
かさりと葉擦れの音。
矢張り、何かいる――サンダルを突っ掛けて、庭へと降りた。自然とオキナワスズメウリが繁るその場所に足が向く。雨雫を纏った蔓草は月光に輝いていた。屈んで葉群れを掻き分けると、緑色の実が幾つも生っていた。それらは全て畸形しており、人の手や足の形、眼球、耳、唇、乳房のようなものであった。堪らなくなって畸形のそれを乱暴に毟り取った。もう耐えられない。
「一体、何なんだ! このおかしな植物は! これは僕への当てつけか⁉ そうだろう、そうなんだろう! 和枝! 君の仕業なんだろう!――あああああ!」
奇声を上げながら蔓を払い、土を掘り返す。小石が指先に当たって爪が剥がれた。しかし構ってはいられない。
「和枝! 和枝! お前が、お前が悪いんだ! お前が――」
湿った土の中から蒼褪め、腐った皮膚が覗く。酷い臭気が鼻を打つ。尚も掘り進めると腐肉が崩れてところどころ骨が露出し、眼窩からは溶けた眼球が零れ流れ、緩んだ口元には蛆虫が集る、二目と見られない醜悪な顔が現れた。
「和枝、お前が全て――」
突然、凄まじい叫び声が耳を劈いた。死んでいる筈の彼女が身を起こし、腐敗ガスで膨らんだ腹部から無数のオキナワスズメウリの蔓が皮膚を破って飛び出した。
……ああ、やっぱり彼女は死んでいたのですね。犯人は――ええ、私の知り合いです。少し前に彼の家に行って会っていますが、その時の様子は普段と変わった様子はなかったですよ。……犯行に及んだ理由は推測の域を出ませんが、ありきたりなものでしょう。所謂痴情の縺れ、という……いえ、特に何かを相談された訳ではありませんが。まあ、何故彼女を殺したのかは犯人にしか解りませんよ。ひょっとすると犯人の彼自身ですら、解かっていない可能性もある。そんなに人は理詰めでは生きていないですから。そんなものです、人は。所詮。
二人の間に何かがあって、彼が彼女を殺してしまった。そして罪を隠すために彼女の遺体を庭に埋めた。そこまでは良い。不可解なのは、彼の死に方ですよ。新聞報道では伏せられていましたがね。私は一応、犯人とされる彼の知人ということで先程こっそり教えて貰いましたが、何故、彼はオキナワスズメウリを口に詰めていたのか――ええ、彼の死因は窒息死です。大量のオキナワスズメウリの蔓と葉、実が咽喉まで詰まっていたそうです。……そう云えば、彼に逢った最後の日、私がオキナワスズメウリの実には毒があると伝えました。そうしたら彼は、食べたら死ねるのかと訊き返しましたっけ。もしかしたら、罪の重さに耐えきれず、オキナワスズメウリを食べて死のうと思ったのかもしれませんね。少々――いや、大分、奇妙な死に方ですが……。そうそう、知っていますか? インドではオキナワスズメウリの若芽を食べるそうですよ。どんな味がするんでしょうねえ。……いいえ、私は遠慮しておきますよ。
(了)
"果実"へのコメント 0件