教習所に行こう。

巣居けけ

小説

4,571文字

貴方は、たとえ今日が非番では無かったとしても、最速で教習所に向かう必要がある。

知らない女子高生がゲロを吐いた。濁点の多い喘ぎ声と共にガサガサな口から落とされる黄色の吐瀉物は、歩道の灰色にいびつな円形を作った。
「おお、これは失礼」

おかっぱ女子高生は手の甲で口を拭く。酸の臭いはすでにそよ風に乗せられている。
「あ、このゲロはお前のな」
「はいっ! 飲まさせいただきます!」

隣の社会人は這いつくばって女子高生のゲロを全て飲み干そうとする。私はそんな男に歩み寄り、耳に吹き込む。
『不味くなった口の中は、新鮮な麦茶で誤魔化しておけばいい……』
「んんん……ありがとうございます」社会人の口は黄色だった。私は先の道を小刻み歩きでゆく……。

下半身に青色のコブができちまった姉のポテトフライを取り上げる。姉は腕に繋がれた点滴を操って取り戻そうと努力をする。
「これは第三の腕よ!」

しかし通常、医療機関との関りがある薬物常用者がする努力は実らない。彼ら彼女らは、自分の四肢を正確に扱えない。扱おうとしても科学薬物が脳に作用し、すぐに阻止をする。

暴行の前兆を見せていたベッドの上の姉は、すっかり乱暴な動作を停止させる。私は作りの悪いラブドールのようになった姉を前に、科学薬物に栄光を感じる……。

有名なペンウィー医師は、この薬品のことを『ブレーキ』と呼称している。
「これはつまり、人間の脳に存在している様々な機能に、強制的なストップをかけているのですよ。ほら、それってとってもブレーキのようでしょう?」ペンウィーは大講義室のゴム椅子で足を組む。そして学生用の座席群にニキビだらけの顔を向ける。

座席に居る人間たちは、高速で首を縦に振る。そして長い爪でメモを書く。ミミズのような不確かな文字が作られていく。
「ううん。キミたちはそれで良い……」すぐにホワイトボードへ向かう。

座席の山羊。彼は人間の不思議さを気にしながらも、必死にノートに文字を書いてゆく。実際、この説明会に参加している大半の山羊は、ペンウィーの説明の真実にも、周りの人間らの事実にも気づいていない。私は講義に見切りをつけて、ペンウィーの集中手術室の極意が始まる前に、さっさと大講義室を後にする……。

後ろで見ていた泣いている妹を、私はすぐに車椅子でコンビニエンスストアに放り込んだ。妹はすぐに立ち上がる。車椅子はすでに過去の住処。妹はすでに新しい拠点を見出している。

姉のコブと同様に、青色の照明が天井のコンビニ。私は妹を、カキフライの臭いがする金平糖の粉末をまぶした糸こんにゃくのカツラを被った女店員の、三年以来の金持ち旦那のテント張りに協力させる……。
「私は金持ちが嫌いでね!」壁に追い詰めた旦那の前で妹をしゃがませ、両肩に両手を乗せる。前に突き出すと、妹は受験に失敗した高校生のような顔で、旦那が着ているジーンズの金色チャックを口で引っ張る。開いた窓に顔を突っ込み、パンツの奥に隠れた性器を飛び出させる。旦那の足元に出来上がっている粘っこい水たまりには、青色が反射していた。
「あああ……アンタもどうだい?」
「私は講義があるので……ここからは二人の時間ね!」

私はそそり立つ性器を視界に入れないように頭を動かす。旦那が擦り合わせたゴムのような声を口角の隅で鳴らす。私はダンサーのように足首を回転させ、コンビニエンスストアの自動ドアに向かう。

思考をするよりも高速で辺りが切り替わる。バナナのように湾曲したのは、洗濯を開始している炊飯器の音。私はすぐにトレンチコートの裾をスプーンで取り除こうとする。親指のメスの入れ墨がレシートだらけの学生時代を再生させる。四畳ほどの和室に、カセットテープだけが浮かんでいる。女の子の耳鳴り……。
「アンタって、いつでも湾曲にバナナを使うわね」誰かの声が上がってくる。油の中のから、揚げのように。私はトイレと浴槽が一緒になっている実家の扉を開けた。コンビニの光が泡を吐き出して消えた。私はいつもの公園に居た。女子高生はすでに三度目の嘔吐を完了させ、社会人は女子高生の吐瀉物をブラックコーヒーに入れて楽しんでいる。私はそれを温かく見守る。近くの自動販売機群から怒号が飛んでくる。
「この土嚢野郎!」自動販売機の右影から罵声を飛ばす、青春の女子高生。彼女は嘔吐フェチではない。おかっぱでもない。宗教勧誘の宗教学者が近づいている。私はベンチから腰を上げた。
「ちょいと待ちな。あの女子高生はやめておいたほうがいい」
「どうしてですか? もしかして、数学家?」
「訪問販売どうっすか? みたいなやつかもしれないから」
「なんですか、ソレ」

私は社会人にそうしたように、宗教学者の耳に顔を近づける。
「訪問販売……訪問、本邦初公開」すぐにテレビショッピングの司会者のような背筋を伸ばした立ち振る舞いを見せつける。
「あの、本邦初公開の訪問販売、どうっすか?」
「結構です」

宗教学者は壊れかけの汽車のような歩行で正反対をゆく。私はそれに、横断歩道で車に撥ねられろ! と意見する。

私は彼女の嫌な部分を探し始めた。レンコンのような顔をしている彼女。
「レンコン・フレーバーみたいな顔しやがってよお!」

私は彼女の顔面を殴る。レンガの茶色が赤くなったのを見つけると、自然と自我を取り戻す。彼女が目の前で倒れていた。私は短い悲鳴を出しながら彼女に寄り添う……。
「前から思ってたけど、お前の顔って掃除機だよな。正直」

唾を吐いて走り出した。直線を必死に行くと、やがて自宅の中へとたどり着いたと思い込む……。
「ここは橋だ」テーブルの向こうの、大福のような頬の弟を指さす。「ここは端だ」
「ほら、お前はいま橋の向こう側にいるんだ」

弟のロドは生焼けのせんべいのような白い顔を十秒ほど私に向けると、テーブルの上の水筒に手を伸ばす。
「おい。お前いま、橋の水を飲んでるぞ!」

ロド少年は水筒の底を私に見せつけてくる。さらに水筒をひっくり返す。
「逃げろっ!」

私は橋の横の道をゆく……。緑の太陽が後ろから迫ってきていると錯覚する……。しかし乱反射をしている車のバックミラーで、分厚い現実世界の天井と唯一の出口を同時に知る……。
「私はどうしてもオモチャでの遊びを試してみたかったんだ」スーパーマーケットでの試食会の出来事を思い出す……。

白い外装の安いスーパーマーケット。店内の蛍光灯がご年配の店員に見えている。私は惣菜コーナーをよたよた歩きで進み、他の客からの目線をどうにかして毛穴に収納できないかと考える。すぐに激安の看板が目に入って思考がタップダンスを披露する。曲がり角で、自分の身長よりも巨大なコック帽を被ったシェフが出てくる。
「ささ、お立会い! なんといっても、今日のマグロはとても良い!」
「どうしてですか?」
「油があふれていますよ」

私は流されるように前に出る。鼠のような何かに背中を押されたのが一瞬だけ見えた。シェフは私の顔を見下ろす。
「お客さん。おひとついかがかね?」
「ああ。あ。もらうよ」

コックが爪楊枝に刺さったマグロを持ってくる。私はそれを手を使わずに食べた。
「これは。砂の味?」
「おお。舌が良いですな。その通り。これは天然の砂マグロですから」コックが表情を落とす。誰かが誰かにそうしたように、耳元。
「……アンタもしかして、無法者?」
「いいや。私はただの歩行人。何も無い、歩行だけの人。……それと、私が運んでるのはただの人だよ」

後ろを振り返る。サンタクロースが背負うような白い布袋が立ち並ぶ。私は舌の上のマグロを吐き出した。一列の女子高生たちが自分の頭部に銃口を向けている。

翌日。私は自分の学生時代の過去を思い出す。いじめられっ子だった私はすぐに母校への道を歩く。すでにはち切れているブレザーが、久々の太陽光に血気を盛んにしている。
「おれはいつでも牛乳を被っていたよな」
「確か、私が常飲している粉末薬を面白がられた時だったか」

私たちは川にかかった橋を前にする。昨夜のロド少年とのにらみ合いが、いつかの出来事としてよみがえる。私は目を瞑る。血管の混戦が闇の中に見える。瞳に光を通すと、橋はあのいじめっ子になっている。
「おい。さっさと珈琲を買ってこいよ」
「どけよ。私はいま神なんだぞ」
「はあ? いいからさっさと行ってこい。あ、ブラックな?」

彼らはそれから別の音楽教師と田舎らしい古臭い踊りを繰り返す……。思考のタップダンスが再燃する。衣服が体に張り付く。私は人々が殴り合っているのを眺めながら造形の良いポテトチップスを食べる。べたついた指で黒いハットを校長のはげ頭に乗せ、店主に怒られる。彼らは無法者ではない。しかし砂漠の味を知っている。

トルコ人が電話を掛けてくる……。私のズボンのポケットに、自分だけの携帯電話が入っていることをようやく思い出す。黒い携帯電話が寂しがり老婆のようにぷるぷるとする。執筆家はいつでも物語の欠片を探している。
「彼ら彼女らはタネ探しの時には、必ず両目を光らせる。ぐつぐつとした眼光で、顎を引いて瞼を下げる顔。それで周囲を見渡し、自分の難解な脳を刺激する事柄を探している」

執筆家たちはいつも世界を創造する……。ペンキ缶を転がした室内でエアコンを欲している。まるでパンツを履くことを知らない絵の具塗師のようだ。

誰もお前のことなんて見ちゃいないよ。
「落ち着けよ。まだ四桁目だぜ?」ロドのような人間が私の右肩を叩く。唇に札束を接着させている彼は、リンボーダンスのコンビを組んでいる……。

西洋の、ほぼ完璧な陳列駐車。海岸に住んでいる新聞配達員たちは、そのまま正面に向かって倒れたことで、刺さっただけの鞭の先端が頭蓋骨の先に食い込む。鞭はそのまま脳をめちゃくちゃに破壊する。新聞配達員たちの速やかな死亡が確定した。
「おれの中の天使が言っている……」
「それは悪魔じゃないの?」
「悪魔も見方によっては天使になるさ」

金色の僧侶が、ホテルのイエスマンと対話している……。

西のレストランで水入り小瓶を唇に付ける。天井に顔面を向けると、すぐに冷水が食道を落ちてゆく。
「舌にスタンガンを押し付けられたみたい」

小瓶の中はすでに小さなスタンガンだらけだった。前を改めて観察すると、白いクロスのテーブルにだけ老人が居る。彼は電撃を受けた右腕を使い、メッセージの送信を取り消してゆく。
「逃げるようにスマホを起動し、フリック、フリック」

私はステーキの最期の一切れを口に運ぶ。客間の脳では暗示が掛けられている。
「これは国際交流だから、これは国際交流だから……」
「空気が全てチクワに変わる」酸素に魚臭さが追加される。ウエイトレスが新しいメニュー表を提示してくる。
「おや? メインディッシュはすでに済んだはずですが?」提示された肯定。喉の中で、喉の肉を震わせている舌の汽笛……。
「ええ。しかしメインディッシュの第二波がまだですから」

私はメニュー表に指を走らせながら、自動販売機に弾丸を放つ。すると振動と共に煙に包まれた缶入り飲み物が落ちてくる。「最高の味付けは火薬なんだ。それも残り香のね」
「そうですか。では少々お待ちください」

ウエイトレスが去ってゆく。私はキッチンに目を移す。無数の包丁やカトラリーで山奥の民族らしい踊りを披露するコックと視線が一つになる。やつらはまるで残り香にしか価値が無いかのようにふるまう。

私は自転車の免許を取っていない。

2021年11月1日公開

© 2021 巣居けけ

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