夕闇を過ぎ、暗くなった部屋の中で、ビデオデッキにテープを入れる。古いアニメシリーズの再放送を録画したビデオテープも、牧夫の置いていったモノだった。けれど佐々木晴男は、このテープだけは繰り返し何度も観ていた。
部屋の電気はつけない。テレビには大きな夕日が映っていた。テレビ画面の色彩だけが、六畳の部屋を照らしている。オレンジ色に染まる畳、襖、壁、そして佐々木晴男の頬。
色あせた夕焼けの画面に一抹の寂しさを感じるが、切ない音色の曲が終わると、すぐに次の回が始まる。テレビシリーズの終わりと始まりは切れ目なく繋がっているのだった。挑戦的な音楽と銃声が響く。一話が終わったとき僅かに感じた寂しさはすぐに打ち消され、新しい物語のタイトルと、オープニングの軽快なテーマ曲に胸が躍る。
画面の中では、絵で描かれた人間のようなもの達が好き勝手に走り、高い塀を軽々と乗り越え、家々の屋根を飛び渡っていく。敵を蹴散らし、追いかける者達を笑い見下ろしながら、気球に乗って高い空へと去っていった。
嘘だから自由。
こんなやつらはいない。ここにも。どこにも。ただこの小さな画面の中にだけいるのだ、と佐々木晴男は思った。彼らは、画面から出られない。けれど彼らにとっては、この画面の中が世界のすべてなのではないか。
佐々木晴男は七十年代から始まったテレビシリーズを、座布団を枕にして寝転びながら二時間ほど見続けた。
それでもやがて、腹は減る。
佐々木晴男は起き上がり、テレビの電源を切る。軽やかな主人公の体躯も、飛び跳ねるように走り回るバイクや車も、警官隊の愚鈍な群れも、それを指揮する刑事の大声も、あっという間に画面から消えた。
残されたのは闇と、空っぽの腹だけだった。
飯を喰わねば、と佐々木晴男は立ち上がり、蛍光灯の紐を引く。飯のことを考えると、再び冷蔵庫の不在に意識がいってしまうが、佐々木晴男はそれを振り切った。折りたたみ机の上に乗せてある、マジックテープのついた財布をジーンズの後ろポケットに押し込む。電気を消し、底の磨り減った靴、高校時代に母親が近所の衣料品店で買ってきた、千九百八十円かそこらの合皮の靴を履き、部屋を出た。
五月の夜はまだ幾分涼しい。脳天が涼しいので、円形脱毛症を思い出し陰惨な気持ちになった。頭に指を這わし、丸い空白が髪の毛に隠れていることを確認するとほっとした。
円形脱毛が人に見られたところでどうということもないじゃないか。人の視線などどうでもいい。
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