ないないづくしで蚊が鳴いて

合評会2020年01月応募作品

春風亭どれみ

小説

3,776文字

合評会2020年1月お題『普通』

ところかわれば、品かわり、立場が変われば、身振りもかわり……大翔って今の子に多い名前、いいですよね。追手風部屋の力士みたいで。遠藤大翔なんて今っぽい名前かも。

「……というわけで、大翔がいないないばあに飽きたタイミングで私ももとの場所にばあしたってわけ」

 

息子の大翔も2歳になり、ようやく受け入れてくれる託児施設が見つかった。というよりも、半ば強引にねじ込んだのは、わが社の育児給付金が2年で再延長が不可能になってしまうからだ。

 

私は少し上の世代の働く女性によくいるような、自分のキャリアを大切にする意識の高いタイプではないし、出来ることならば、そのまま専業主婦になってしまいたいと考えるような人間だ。手を焼かされることも多いけれども、それ以上に日々新しい感動を与えてくれる我が子を一分一秒でも多く見つめていたいし、拙いながらも、常に私を尊重してくれる夫がいる家庭という城は、私にはたいへん居心地の良い場所だった。

 

その為、この職場に復帰したのは、まったくもって経済的な理由に他ならない。突出したステータスはないものの、年季の入ったやさしさを持った旦那を選んだ以上はその点は甘受しなければならないのが、どうやら世間の普通の感覚らしい。

 

そんな地を這うほどに低い意識で帰ってきても、仕方のないことと思わせるほどに、私の職場は、いないないばあの遣り甲斐が感じられない場所だった。直属の上司は相も変わらず、要領を得ないとっちゃん坊やのままだし、同僚の面々も殆どかわり映えのない横顔だ。その分、こうして復帰一週目から、独身時代に時が戻ったかのようなランチが楽しめるのだから、一長一短なのかもしれない。

 

「けど、安心した。みんな、変わらないからさあ。ハナちゃんのメイクがオルチャン風になったってくらいで。課長、なんも言わなかったの? まあ、言う度胸もないか、ことなかれ主義の申し子みたいな人だから。みんな、ああいうのをやさしさと勘違いしたら、後悔するからね。大翔には絶対あんな人になってほしくないわ」

 

みんなのくすくすとした笑いは時を経て、奇怪な紋様と化していたラテアートの中へと溶けていく。それでもまだ20分しか経っていないのか。昼休憩が終わるまであと30分以上あるし、その上、終業までの時間を逆算すると……一日とはこれほどに長いものであったのか。こうしている間、大翔はどうしているだろうか、お昼寝の最中におねしょをしていなければ、よいのだけれど。

 

「今は、その……オルチャンメイクって、向うではもう言わないみたいですよ。こっちではもうあげぽよとかてへぺろとか言わないみたいに」

 

蚊の鳴くような声で、私に囁きかけてきたのは隣に座る2年目社員の丹羽ちゃんだった。ちょうど私と入れ替わりで、このチンケで埃っぽいオフィスにやってきた不幸な20代が、私のいないいないのうちに生じた唯一の変化といってもよい。そして、その彼女は派遣社員なのだというから、愚痴交じりに放った育休に関するあれこれの発言もすべて自虐を装った自慢に聞こえてしまうかもしれない危険性があったのだ。さすがに私も気が緩みすぎていたかもしれない。

 

けど、この子に限って言えば、私がそこまで神経質になったり、警戒したり、牽制したりする必要は感じられないように思えた。あまり主張するタイプの子ではないみたいだし、そのくせ、食い意地ははっているのか、注文で届いたハニートーストをさっきから牛丼みたいな感覚でお腹の中に掻きこんでばかりいるのだ。こっちが一度、「凄くよく食べるね、お腹空いてたの?」と尋ねても、「ハイ、空いていました」と他愛ない返事で応答するばかりで、会話もそれっきりだったので、それ以降は特に気にすら留めていなかった。

どのコミュニティでもいるじゃない。定期的に現れては、いずれ消えていく、就活ファッションがいつまでも抜けきらないメモだけは綺麗にきっちり取っているような子。

そんな印象だっただけに、私の投げかけた話題に彼女が乗っかろうとしてきたのには驚いた。

 

「そういうの、どんどん言ってよ、丹羽ちゃん。やだ、恥ずかしい。せっかく丹羽ちゃんがいるんだから、世代が下の子の流行とかをどんどん吸収していかないとお局さんまっしぐらだからね。例えばさあ、ハナちゃんみたいなリップ真っ赤にするような、こういうメイクのこととかは今、なんて言うの?」

 

私が尋ねると、丹羽ちゃんは口をぽかんと開けたのち、そのおまぬけな顔のままスマホを弄り始めた。「指摘したがりの氷河期世代の前でそういうことやっちゃいけないよ」と口から出かかるけれども、すんでのところでそれを堪えていると、「……すみません。検索かけても出てきませんでした。しいて言うなら……BLACKPINKっぽいとかですかね」
と、課長ばりにふにゃちんで刺さらない回答が返ってきた。たしか、韓流の子のユニット名だ。TWICEまでならわかるけど……だいたい、新たに対応する言葉が見つかっていないのならば、オルチャンって言葉をわざわざ死語にする必要性ってあるのだろうか。

 

「期待してもらったのに、申し訳ないです。私、メジャーなモノには少し疎くて……」

 

丹羽ちゃんは職場のアラサー女子たちまで流行を届けるインフルエンサーに自身がなり得ないことを大げさなほど、面目なさそうにしていた。軽い気持ちで特に深い意味もなく投げかけただけなのに。たまらず私は、

 

「じゃあさ、丹羽ちゃんはどういうのが好きなの?」

 

と、彼女が主導になるように話題を振った。彼女は取り出したスマホでそのままYou Tubeのアプリを立ち上げ、自身が好んでいるアーティストの楽曲をご丁寧にもPV付きで、けれども、周りの迷惑にならないように音量を極めて落としながら、紹介してみせた。ただでさえ、聞き取りにくいメロディとリリックで歌い上げる知らない女性ボーカルの声は恐ろしいほどにウィスパーボイスで、私はそこに彼女とシンガーの共通点をなんとか見出した。そこまでして、リンクしている部分を見つけ出そうとしたのは、そのアーティストのビジュアルから歌っている内容からが、とにかく不穏で、無味無臭でロハス崩れの見た目をした丹羽ちゃんからはあまりに想像できない趣向だったせいだった。

 

「へえ、わりとなんというか……パンクというか、病んでる系な感じだね。こういうのが周りで流行っているの?」
「いいえ、まったく流行ってないです。たぶん、流行らないまま、フェードアウトすると思います」

 

声量もパンクを歌うにはあまりに貧弱だし、なんというか、普通の青春を送ってきた子は敬遠するような精神がねじ曲がったかのような歌だった。そもそも、それがパンクかどうかも分からないし、いくらEテレがフリーダムになったからといっても、絶対に大翔の前には現れないタイプの楽曲だ。これだから、「普通じゃないのが普通」世代は困る。共通の話題って、普通は処世術でひとつはみつけてくるものでしょう。

 

いよいよ、振る話題も見つからず、所在なさが湧き上がってくる頃に、保育園からLINEの通話がかかってきた。

 

私の勘はよく当たるので、やはり大翔がおねしょをしたりなんかして、何か些細なトラブルを起こしてしまったのだろうか。この保育園は心配性なのか、はたまた課長と同じことなかれ主義の根っこを持っていて、とにかくモンスターなペアレンツの火の粉が降りかからないように先手先手で動いているだけなのかはわからないが、ほんの小さな出来事でもこうして頻繁に電話をかけてくる。出なければ、その後にメッセージとなって、事情の仔細が送られてくるだけなので、その電話に強いられている感はないのだけれども、鬱陶しいといえば、鬱陶しい。けれども、このタイミングでかけてきてくれるのは、本日のMVPといっても過言ではなかった。

 

「あ、ごめん。保育園からLINEだ。ちょっと席外すね」

 

保育士さん曰く、お昼寝後、大翔の顔が少し火照っているようだったので、熱を測ったら、微熱があった為に連絡してきたのだという。これは午後の動向次第では、早退を切り出さなくてはならないかもしれないなあなどと、あれこれ考えていくうちに、尻目に残してきた円卓の座談会は背景に溶け込み、ピントがぼやけていく気がした。丹羽ちゃんに限らず、彼女たちが喋ることはもう私の耳には殆ど入らない。

 

「悪いんだけれども、私、先にオフィスに戻るね。大翔が熱出しちゃったみたいで……」
「いいんです、先輩。そんな私たちなんか気にしないでくださいって、ねえ、みんな」

 

ハナちゃんたちは急に無茶なフリを寄越された若手の芸人みたいな、些かオーバーなリアクションで答えた。みんな、丹羽ちゃんに変な影響を受けてしまっているのではないだろうか。

 

「じゃあ、私はまたいないいないかもしれないので……」

 

去ってゆく私の耳にはもう蚊の鳴くようなささめきごとは入ってこない。たとえそれが、「先輩、戻ってきてから、ないない話が増えたよね。あんな否定形で入ってくる人だったっけ?」というような、かつてならば、耳が痛くなる、私が一番、敏感に察するはずだった陰口だったとしても。

2020年1月20日公開

© 2020 春風亭どれみ

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"ないないづくしで蚊が鳴いて"へのコメント 9

  • 投稿者 | 2020-01-23 11:37

    大翔は「ひろと」ですよね!PTA会長の密かな楽しみは、入学式や卒業式で名簿を見ながら読み当てをすることだったりします。

  • 投稿者 | 2020-01-24 14:45

    普通要素をよみとることができませんでした。合評会に参加されましたら、ぜひ教えてください。

  • 投稿者 | 2020-01-24 19:26

    子育てしながら働くと人は鈍感になる、という話でしょうか。最後の陰口はもっと強烈な方が物語に締まりが出るのかなと思いました。

  • 投稿者 | 2020-01-24 22:26

    YouTube動画を見せて「たぶん、流行らないまま、フェードアウトすると思います」というくだりが抜群に上手い。ここだけで今回最高です。

  • 投稿者 | 2020-01-25 11:25

    この作品は丹羽ちゃんの視点から読みたかった。産休中に入ってきた派遣社員なら、今まさに彼女は職を失う危機にあるのではないか? 「普通じゃないのが普通」というキャラを社内で演じる一方で、先輩に対する何かしら複雑な思いも描かれていてほしかった。

    最後の「ないない話」というのは今一つわからなかった。

  • 投稿者 | 2020-01-26 23:15

    日常系のほのぼの話だと思ったら、ちょっと毒気のある終わり方でした(読み間違えだったらごめんなさい)。居場所を取り戻すには努力しなくてはいけないのだけれど、それを疎まれる空気であればいないないしたくなります。

  • 編集者 | 2020-01-27 13:05

    「いないいないばあのタイミングで戻ってきました」とか言ってしまうセンスでは確かに浮いてしまうのだろうと思いながら、最後でそれも気にしない開き直り具合にムテキ感を感じました。ちなみに自分はRed Velvet派です。

  • 編集者 | 2020-01-27 15:17

    合評会を通して様々な普通・反普通があることに触れたが、世代間にも差がある事に今更思いが至る。予想はしてたが、そっと終わらせてくれる作品ではなかった。

  • 投稿者 | 2020-01-27 15:51

    合評会の会合には参加できなさそうなので、簡素で申し訳ないのですが、コメント、批評、たくさんいただきありがとうございます。

    「普通」というお題が見えにくいという意見もいただきましたが、それぞれのコミュニティは人間の感情と同じように流動的で恒久的な普通というか普遍はないものだし、そこにあわなくなり、フェードアウトしていくのは別にいいことでも悪いことでもなく普通のことだという気持ちで書きました。主人公はある意味、青春モラトリアムな20代女子のモスキート音が聞こえなくなって、これから蚊帳の外になっていっても、別にいいじゃない。そういう価値観とは違う夫婦、親子って新しいコミュニティにも触れるようになったわけだし……ってテーマで書いたのですが、わかりにくくて、そこは未熟ですみません。

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