東京ギガストラクチャー (七)

東京ギガストラクチャー(第8話)

尾見怜

小説

9,621文字

細かい政治的シナリオを補強する参謀が必要だった。
ニシキが官僚や政治家のツテを辿って探し回っているが、ある種の俯瞰的な思考と様々なSUA組織の細部に通じている人材であり、かつSUAに反抗的な思想を持つ人間となると、どこを探しても見つからないのだった。
「もう俺たちだけでシナリオは書かないか、お前が考える人材なんてどこにもいないよ」
半ばやけくそになりながらニシキは白旗をあげた。実は俺の中で一人本命がいて、茂山に捜索を命じていたのだが、まだ見つかっていない。

その男はSUA批判の論文を五年前にネットに匿名で発表し、アンチSUAの民間団体において半ば英雄視されている人物だった。
その論文は当時の「偉大なる家」の欺瞞とSUAサービスが人の深層意識に及ぼす悪影響、そして長期的な経済と文化への被害予想をコンパクトにまとめた論文だった。ギガストラクチャーの無駄な消費がいかに日本経済に打撃を与えているか、またサービスに組み込まれている水道インフラの管理の杜撰さなど、内部資料をいくつか手に書かれているとしか思えないデータの細やかさは圧巻だった。発表当時、あらゆるメディアが取り上げたものの、日本政府の報道官は一部の記述内容を事実無根と否定して相手にもしなかった。多くの海外ファクトチェックサイトなどが内容の真偽を検証したが、正しい情報は八〇パーセント、確認不能が二〇パーセントという驚異的に整合性のとれた論文だった。
俺は山口でひきこもっていた頃にたまたまオリジナルの論文をネットで見つけ、その論理的で簡潔な構成力と、実際にSUAの内部構成を熟知しているかのような内容の充実ぶりに舌を巻いたのだった。その論文を書いた人間さえ見つかれば、大きな戦力となる。だが探し始めて一カ月経っても何も手掛かりがつかめなかった。ただ手掛かりは、あまりにも意外なところから見つかった。

二〇六五年二月、ニシキとアオイで上野周辺のフレンチレストランで食事をしていた時の事だった。
ニシキがいつも通り早口で持論をまくしたて、俺とアオイがそれを聞いているという相変わらずの構図だったが、ふと、とある歌手の話題となった。五、六年前に流行った「キティーズ」という名の女性二人組で、ゆるい、馬鹿そうな雰囲気とルックスの良さで一時期人気だった。その歌手のデビュー曲の歌詞がすこし面白いとアオイが言い出したのだ。それはニシキがアオイをいつものようにおちょくっていた時に偶然出た話題だった。
「だから私は二十二歳です、キティーズが流行ったのは小学生の頃です」
アオイは珍しく怒っている。ニシキに歳の割に老けていると言われたからだ。おいしいものを食べてさっきまで機嫌がよかったのに、ニシキの無神経な発言のせいで台無しだ。
「二十二歳は嘘だ、見えないもん、じゃあ中学三年生の頃の総理大臣はだれだ」
ニシキは人を小馬鹿にするときは徹底的にやる。無駄に敵を作る悪い癖だ。
「覚えてませんよ、もう年齢を疑うのやめてくれませんか、本当に二十二ですから……」
「いや、お前は二十六だろ」
「しつこい、和泉さん助けてくださいよ」アオイが哀れっぽい表情で俺に助けを求めてくる。
「キティーズってなに、聞いたことないんだけど」
俺は話題を変えようと知らない振りをしてニシキに尋ねる。
「昔流行った歌手だよ、当時新鮮だったなぁ、UKロックっぽくて少しアンニュイで、でも曲はAIが作ってたらしいけどね、日本でヒットした曲をデータベースに突っ込んで、特徴量をいじれば簡単だもんな、データを増やせば増やすほどビートルズに近づくらしいから、手動で修正が必要らしいけどね、一度俺も作ってみたいなあ、あんな曲」
ニシキはギターリフがあれば全部UKロックに聞こえるからまったく参考にならない意見だ。以前カノンコードを使っただけの平凡な曲を名曲だと言っていたので、音楽に関しては信用していない。
「曲はともかく歌詞が面白かったですよね、意味不明だけどニュアンスが統一されてて、ほら」
アオイは年齢の話に戻されまいと必死だ。情報端末で歌詞を検索して表示してくれた。

バンド 輪ゴム 木の根っこ
集まって散らばってまた集まって
オイル ミサイル コンパイル
わたしも歴史の虜なの
たくさんの眼 あなたを包み
豊作祈願が街にあふれ ロボット天使がふーらふら
バベルの塔もこんどはくずれない
象牙は折れ、木っ端たちは木っ端みじんで
頭空っぽにして示現流 頭ぐるぐるのカウボーイ
ネットの愛は世界を包み あらゆるドアをこじ開ける
きらめている 星のように
頭の中を駆け巡る 稲妻のように

「相変わらずアホみてぇな歌詞だな、作詞もAIじゃないだろうな」
ニシキはこの歌詞が気に入らないようだ。
「詞はこのキティーズってやつが作ってるの」
「いや、違うみたいです、作詞は……野村ユウキ、だって、知らないなぁ」
野村ユウキ。聞き覚えのある名前だ。
「野村ユウキねぇ…………なんか聞いたことがあるなぁ……」
俺は山暮らしをしていた時の記憶を懸命にたどった。歌詞の内容もそうだが、どこかひっかかる、野村ユウキという名前……。
俺はじゃれあう二人を無視してずっと記憶をたどり続けた。
いくつかキーワードを検索して、ようやく思い出すことができた。
「うん……ありがとうアオイ、こいつ俺が探してるやつかもしんない」
「え」
アオイがすごい間抜けな顔をした。
その後ニシキはアオイの年齢詐称疑惑を蒸し返し、最終的にアオイに水をぶっかけられてその日の食事は終わった。

一週間後、野村ユウキは俺とニシキを一瞥すると、その風貌にマッチしないほど爽やかに、ある意味一昔前のサラリーマン的な形式ばった挨拶をした。
「野村ユウキと申します、フリーランスの作詞家です、よろしくお願いいたします」
警戒心が見て取れたが、俺は両こぶしを包帯でぐるぐる巻きにしていたし、顔や首が葛野によるひっかき傷だらけだったので当然と言えば当然だ。野村はぼさぼさで白髪交じりの頭を無理やりオールバックにして、無精ひげと少し出た腹、まだ二月なのに白いアロハシャツに緑の短パンで現れた。俺はヒッピーみたいだと思った。
アオイに歌詞を見せられた後、茂山が野村ユウキの素性を調べ上げ、ニシキの知り合いの広告代理店経由で俺は野村ユウキと会うことができた。

「すいませんね、こんなところで、俺は二十代で肝臓を壊しましてね、もう酒が飲めない体なもんで、だけど麻雀は酒飲まない方が楽しいし、いくらでも続けられるでしょ、酒席よりゆっくりお話ができますよ、ルールはどうしますか、アリアリの三万点返しでいいかな、ああ、あなたAIをバックアップで使うのはやめてくださいよ」
そう言って野村は茂山が持っていた通信端末を取り上げた。

今日は野村の希望で新宿の古い雀荘で卓を囲みながら話すこととなった。新宿は東京で最も大きなスラムで、いかがわしい話に事欠かないが、最近はアルファの連中がスリルを体験しに観光気分で来ることがある。ある意味貧困テーマパークといったところだろうか。俺たちは最初戸惑った。状況はいささか奇妙だが、麻雀をしながらでも人物を値踏みできないこともない。俺は野村の対面に座り、両側をニシキ、茂山で囲む形となった。野村とは初対面、四人での麻雀が始まった。

ニシキはこんな汚いオッサンを俺たちの参謀にするつもりか、と言いたげなふくれっつらを俺に向けている。俺はニシキに構わずにまずは探りを入れようと思った。
「あのキティーズとかいう歌手の『天下の落としどころ』って曲、あなたの作詞ですよね」
「ええ、そうですよ。いい曲でしょ、けっこう人気あって、五十万ダウンロードくらいいったかなぁ、変な歌詞だけどね」
野村は理牌しながらもちゃんと質問に答える。
「その歌詞でピンときましてね、俺と同じような考えの持ち主なのかなと思って今日鷺沼にセッティングしてもらったんです、単刀直入にききますが、二〇六〇年頃純粋右翼の反SUAセクト界隈で話題となり、いまだ要約版が彼らの経典みたいな扱いになっているあの匿名論文、あなたが書いたんでしょう」
俺がそういうと、野村は少しうれしそうな顔をした。
「あぁ、よくわかったね、あの歌詞はね、その論文と一緒の時期に書いてたから、そのエッセンスをちょっと入れてみたんだよ、まさかそれで俺にたどり着くとは驚きだな、それロン、へ、悪いねもろにひっかけで、七七〇〇」
茂山が野村に振り込んだ。茂山は無表情のままだが内心悔しいだろう。俺は野村に麻雀よりも話に集中してほしかった。
「あなたは与党御用達の経済シンクタンク、国際政治学総合研究所の主席研究員だった、だが中露戦後解体されて当時の研究員は散り散りになっているらしいですね、ある人は公安やSUA警備部の監視対象になっているとか、あなたの現役時代の論文は何本か読みました、よくよく考えてみたら、論点の明快さや飛躍がラディカルで予言書的なところが、あの伝説のネット論文とそっくりだ」
「よく調べてあるね、急に職場がお取りつぶしになったからびっくりしたんだ当時は、俺たちは戦後復興へ向けた、かなり過激な外交・経済シナリオを提言していたからね、手を回したのは当時の官僚さ、どこかは分からんが」
そう言って野村はニシキをちらりとにらんだ。
「それで作詞家に転身ですか、なんでまた作詞なんですかね」
少し野村は間を置いて、
「日本というシステムの強固さともろさを正確に把握したうえで、その顛末を外側から眺めるために、知的労働は半ば引退したんだ、あの論文はただの趣味だよ、SUAの中に居るのは気に入らないからね、あんた、王羲之って知ってるか、中国の」
「知ってます」
「それだったら話が早い、いいかい、俺はあの中国人を知識人の理想とみている、若いころは熱い理想へ向けてひた走る熱血官吏だ、時の皇帝にも信頼されていたようだしね、そこは俺と違うが、その後ドロップアウトして、山奥にこもり自らの理想郷を作り上げ、詩を作り、書聖となり歴史に残る、素晴らしいと思わないか、人間を経て自然と合一すだ、李白もいいね、静夜の想いって詩を知っているか、牀前月光を看る、疑うらくは是地上の霜かと……それロン、出しちゃダメだよそれはぁ、一二〇〇〇ね」
「はい……」
ニシキは野村に跳満を振ってしまい、あからさまに不機嫌になっている。熱くなって俺たちの会話も、頭に入っているか疑問だ。茂山も麻雀に集中してしまい、実質俺と野村が二人だけで会話しているようなものだった。それに比べると、麻雀で勝ちながら、ややこしい話を続ける彼が異様に思える。俺達の様な典型的な男性脳と違い、頭がマルチタスクに特化している様だ。よく考えてみると、俺と野村は似たような趣味を持っているかもしれない。実際十年も山で暮らしていたことを彼に話すと、頭のいい奴は似たような考えをするのだな、と言って喜んでいた。
野村は上機嫌でよく喋った。あのうるさいニシキはずっとむっつりしていた。
次第に野村は饒舌になっていった。
「落雷などで自然に起きた山火事は人間が無理に消し止めてしまうと、かえって木が密集して生えすぎてしまうらしいよ、次に山火事が起きた時にはもはや止めることのできない大災害になるそうだ、先の戦争ではまったく人間が死ななかった、無人戦闘機で相手の戦力や情報インフラにいかにダメージを与えるかが勝敗の分かれ目だ、自然超長レンジ、遠隔操作での戦いになり、肝心の人間は前線には少数しか存在しない、あとはAIがソフト、ハードウェアを駆使して戦ってくれる、将棋の駒が棋士を攻撃することは無いんだ、相手の戦力を徹底的に叩き潰して政治的な譲歩を引き出す絶対戦争から、補給線や生活環境にダメージを与えて譲歩を引き出す限定戦争に戦争の内容が戻った、近代から中世にね、しかし死人が少なすぎるよ、太平洋戦争との差はそこにある、高度経済成長は言うまでもなく太平洋戦争の死者の数に支えられてきた、発展とは破壊が前提なんだよ。
今のギガストラクチャーは人間が密集しすぎだと思わないか、過剰なものがはいずれ大自然がバランスをとる、なにかが極限まで密集してるところに急激な運動が起きると臨界状態になる、原発はその臨界状態を利用してエネルギーを取り出しているのだが、臨界状態の管理っていうのは一番難しいんだ、原発だってミスのないようにAIと人間が必死になって管理しているだろ、今は地球規模で人口が臨界状態にあると言っていい、人為的な過ぎたエネルギー集中は大自然のバランス調整に従って、自らを破壊するんだ、
今気持ち悪いだろ、みんな群れを成して同じものを食べて、同じ意見を持って、よーいどんで走り出して、同じ服を着て、気に食わないだろ、ニシキ君、優秀なはずの官僚だってそうじゃないか、無能な奴に対して淘汰が正しく行われてないと感じてるだろ、無能な奴を皆殺しにしたいだろ、俺は大自然のシステムに従って過剰に集中・均一化した人間たちを排除したかったんだ、無限に増殖するシステムに自壊を促す遺伝子……それが俺だ、いや俺だったはずなんだが……力が足りなかった、残念だよ、政治家に生意気言ったら潰されてしまった、昔の日本社会はそれなりに対流のいい国だったんだよ、支配層もないし、絶対的に逆転不可能な階級もなかった、でもいまはだめだ、俺はこんな場末で麻雀を打ったり、時々しけたアイドルの歌詞を書いたりするだけのダメ中年でいいんだ、王羲之は歴史に残る書を書いたが……俺もあの匿名論文で良しとするよ、SUAへの最後っ屁ってところだ、ツモ、二六〇〇オール、えへへへ、ごちそうさん」
俺たちはそれぞれが野村の達観したような考えに反論するため、思考を練っていたが、一人フライングして感情むき出しで食らいつく男がいた。もちろん鷺沼ニシキだ。
「僕は官僚で、日本の行政は僕たちが支えていると自負しているし、国内で選りすぐりの優秀な人間が集まっていると確信してる、日本の歴史において官僚が無能だったことは無い、無能では決して無い……ただ、抗えない、SUAには抗えないんだよ、システムの中にいる限りね、僕だって日本がこんな没個性でクソみたいな大衆文化に支配されるとは思わなかったんだ、もっと知的で、進歩的な民族だと……こんなの、パンとサーカスを与えられているだけじゃないか……」
ニシキは最初は反論するつもりだったのだが、最後のほうはやりきれない表情をして泣きそうになっていた。彼からしたら、SUAが実質的に政治も行政も支配している現状が情けなくてしょうがないのだろう。大衆は今もくだらないゲームやアダルトサービスに夢中だ。戦争に負けて日本の食料備蓄はどんどん減っている。GDPもどんどん下がっている。
「君たちは日本の官僚というものがどういう組織だと考えているかな、茂山さんも防衛省の制服組をどう思う、外務省の領事移住部の連中は優秀だと思うか」
「どちらも優秀だとは思います、ただ……」
「ただ」
「何か進むべき方針というものを示さないと、問題を作ってあげないと彼らは動けません」
茂山はおずおずと口を開いた。
「防衛省にしても外務省にしても、役人は政治家の示した方針に沿って動く事しかできません、また自身の管轄外のことに対しては素人です。例えば外務省の役人は外交のプロですが、僕の専門であるインテリジェンス、つまり秘密保持や謀略対策などに関しては全く知識を持っておりません、それについては自衛軍の情報部隊が二〇一〇年代からコツコツとイスラエルのモサドやCIAのOBに頭を下げてノウハウを吸収しているのですが、いかんせん軍所属の為日常的な活動に制限がありますし、省庁の壁があると連携が難しく、外務省と協力するというのはなかなか……まだ警視庁公安部の方がFBIやCIAへ研修に行っているだけマシです」
「その通り、達見だな、つまり戦略を立てる人間と組織間をつなぐ人間が不足しているということだ、これはね、日本の組織すべてに言えることなんだよ、民間企業もそうさ、部門ごとの対立なんてよく聞く話だ」
「そこでSUAが現れた」俺は合いの手を入れた。
「そうだ、彼らは曖昧な理想とはいえ統合された意思とそれぞれに見合った階級を各組織に示した、多人種が入り混じるヨーロッパで価値観を半ば統一したキリスト教のようにね」
野村の言葉は、俺達が抱えていた曖昧な怒りに、輪郭を与えてくれるようだった。

「それであんた、俺たちと組む気はないか」
俺はようやく切り出した。今まで野村の話が面白くて、勧誘に来たのを忘れていたのだった。
「SUAを潰す政治的なシナリオを書けってことか」
「察しがいいね、俺たちはこの国で一流の武力、情報、金、知性のすべてを結集して事に当たろうと思っている、ただSUAの意思決定機関がギガストラクチャーのどこにあって、どんな奴がいるのか情けないことにわからないんだ、あまりにも強大で、曖昧なんだよ、よく考えたらそのSUAの幹部どもが大衆をコントロールしてなにも考えないように誘導しているわけだからな、ものすごく頭悪くなってるよ今の日本人は、これがSUAの狙い通りなら大したもんだよ」
「仮に俺が本気でSUAを潰すとしたら、政治はそこまで気にしなくていい、あくまで敵は民間企業の集合体のふりをした宗教団体だからな、潰すには組織の全容理解が大前提だ、特に重要なのはトップの人間だよ、今の総理大臣がSUAの親玉ってことは無いのか」
野村は笑いながら回答を先延ばしにしているようだ。イラついたニシキが、今だ、とばかりに口をはさんだ。
「あいつはそんな文化的なバランス感覚を持ち合わせていない、ただの傀儡だよ、確かに見た目は悪くもない、かといって良すぎず、コントロールしやすい劣等な知性の持ち主だな、この前うちの上司が食事する機会があってさ、なにを話したとおもう、最近世界史のお勉強を始めたんだってさ、お笑いだよ、アリストテレスがいかに偉大か、万学の祖か、という講義をなさったそうだよ、酔ってたとはいえ、余りにも情けないよな、大学生じゃないんだから、アメリカの中流階級よりひどい」
ニシキは憤懣やるかたないといった様子で愚痴る。官僚の愚痴に話題を変えたくない俺は適当に聞いてるふりをして話を進めた。
「それで、俺達と組んでくれるのか」
「うーん、そうだね、俺の予想だが和泉君の言う通り、SUAにはね、天才的な大衆コントロール能力を持つ人間が居て、日本人の文化的レベルに合わせて、最も知性にダメージを与えうる娯楽を提供し続けている、SUAのサービスがここまで広がったのは、そいつのおかげだよ」野村は煙草に火を点けた。そして周りをちらっと見渡してそれとなく警戒し始めた。もし警備部がいたら、おそらく密告されてしまうような話題になっていたからだ。
「SUAの柱はそいつだな」ニシキが言った。
「ああ、この柱を抜けば自然と壊れていく、集団っていうのはそういうもんだよ」
俺は野村の煮え切らない態度にイラついていた。それが分かっているなら、おまえはどうするんだ、と怒鳴ってやりたかった。
「僕が経団連の奴らと会話する限り、SUA頼りのダメな大企業ばかりだよ、法人から見てSUAの利点は、営業をかけなくていいという点に尽きる、企業間競争も少ないから進歩しないしね、実力不足のゾンビ大企業ばかりさ、サービスのレベルも低下の一途だ」
俺はニシキの分析よりも野村の返事が聞きたかった。
「その通り、SUAの中枢は先ほど話に出た柱となっている人間含め、わからないことだらけだ、ですよね、官僚さん」野村は楽しそうだった。最近人と会話をしていないのかもしれない。
「そうなんだよね、SUAと最も近くで仕事しているのは、傘下の各企業重役か、俺たち経産省の官僚だと思うんだけど、まったく全容が見えてこないんだ、あまりにも大きい企業は全体像がつかめないっていうけど、SUAはそれらをまとめている集団だからね、どのセクションが、何を担当しているのか、内部の人間じゃないとわからないんだ」自分のフィールドの話を振られてニシキは機嫌がよくなった。
「その内部の人間は、政府にも、企業にも顔を見せないのか」
「おれたちには全く見せない、来るのは官僚向け広報担当の下っ端だけで、情報も権限も何も持っていないよ、そいつからSUAの情報を抜こうとした経産官僚が一人いたんだが、すぐにばれた」
「そいつはどうなったんだ」
「別に何も、だがその情報を漏らしそうになった広報担当が数日後行方不明になった、たぶん死んでるよ、徹底した秘密主義だ」
その話を聞いて野村はため息をつき、その後急にしゃべらなくなり、淡々と麻雀をするだ けとなった。それに合わせて、俺たち三人も無口になり、麻雀だけが進んでいた。野村は若い俺たちを知識量と会話スキルでごまかして、最終的には断るつもりだろう。今は楽しんでいるだけだ。返事は後日、とか言って煙に巻く気だ。SUAに対して、下手に首を突っ込めば殺される、このおっさんはそんなことを恐れているのかもしれない。
俺は彼の知性と、ある意味でアウトローな精神に好感を持っていたが、同時に俺たちに対する、頭のいい中年男性特有の、若者に共感しつつの上から目線に腹が立っていた。
「俺達なら殺されない」
俺がそう言うと、野村が俺をにらみつけた。馬鹿な若者に対する敵意だ。
急に今の状況がくだらなく思えた俺は、野村に対して高圧的に、少し大きめの声量でこう言った。
「野村さん、明日からニシキや茂山と協力して、日本にあるまだマシな政策シンクタンクからめぼしい人材を引き抜け、人選は任せるが、俺に絶対に面接はさせること、その後SUAを内部から破壊するシナリオ策定と、その後の産業保護、それに伴う法改正及び外交・経済戦略のアウトラインを考えろ」
野村は驚きを隠さずに俺の顔を見つめていた。ニシキも茂山も驚いていた。
「俺に命令する奴なんか、前の職場でもいなかったぜ、ちょっと待ってくれよ、この半荘が終わってからだ」そう言って野村は自分の手から俺が待っていた一筒を捨てた。
「それだ野村、ロン、平和純チャン三色ドラ二で一六〇〇〇、俺がトータルトップで終わりだ、麻雀なんかくだらない現実逃避だからやめろ、斜にかまえて得意になってるんじゃないよ、お前の力が俺には必要なんだ、それに退屈してるんだろ、俺はこれから三日ほど京都へ向かう、ちょっと知り合いを誘いたいんだ、その間にニシキと茂山と協力して準備を進めておけ、帰ってきたら俺に報告しろ、わかったな、おい、返事をしろよジジイ、聞いてるのか、引き抜きに兵隊が必要だったら葛野を使え、もう退院してる頃だと思うから」俺はそう言いながら立ち上がり、野村を見下ろした。
野村は何か言いたそうだが、考えがまとまっていない様だ。
こういう文学的な思考をする男は理屈では動かない。
酔狂で、ドラマチックなシチュエーションが必要だ。野村は賢い男だが初対面の男はいくら若くてももっと警戒するべきだった。麻雀も交渉も逃げ足が遅いので俺に捕まるんだ。
ニシキはニコニコしながら、俺と目を白黒させている野村を交互に見ている。茂山も野村の泡を食ったような反応を見てにやけている。俺は野村に考える時間を与えない、と決めた。
「あんたには王羲之はまだ早いよ、ましてや李白なんてとてもとても無理だ、第一、あんた肝臓壊して酒、飲めないんだろ、あと作詞のセンスも全然無いよ、俺と一緒にこの国のデザインをしてもらう、これはもう決まってるんだ、自分のできることをやれ、変に悟ったふりをするな、かっこ悪いぞ」
野村は眉をあげて、やってしまった、と言いながら滑稽な表情をし、俺を見上げた後、雀卓に視線を落とし、頭を抱えてデカいため息をついた。そして自嘲的にニヤリと笑った。

2020年1月10日公開

作品集『東京ギガストラクチャー』第8話 (全35話)

© 2020 尾見怜

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