ゲーミング・オントロジー

小雪

小説

6,234文字

考えてみれば、ゲームとはなんだろう。ゲームほど曖昧な概念もない。陽キャを憎み、自称「根暗」の倉石は、陽キャの筆頭「しおり」に、図書室で論戦を挑む! ここだけの話、高校生っていいですよね。戻りたい。

クラスの陽キャが今日もうるさい。おい、そこ。口を大きく開けて笑うな。耳に響くじゃないか。いったい、学校に何しに来てんだ。もう、十七歳だろ?

まったく、落ち着いてゲームも出来やしないじゃないか。あれ、イヤホンがねえ。――ち。こんなときに限ってなんで入れてねえんだ、俺。ゲームはやめとくか。ツイッターのタイムラインでも確認しよう。

え? お前も学校でスマホ触ってんじゃねえかって? ハァ――分かってねえな。俺は良いんだよ、俺は。どうせ根暗だし。誰にも迷惑かけてねえしな。あいつらとは違う。あいつらは俺と違って――勝ち組だ。

特にあの、しおりとか言うやつは。

あの、机にどっかりと座って、足をぶらぶらさせながら、ケタケタと笑っているあの女。あの女は敵だ。俺たち根暗にねえものを持ってる。明るいし、友達も多いし、誰にでも話しかける社交性。その上、運動もできて、先生からは気に入られて、後ろめたいこともなく、そんでこの前初めて知ったんだが、勉強も出来るらしい! いつもそそくさと定期テストをバッグにしまうのだが、奴は、この前受けた模試でいくつかの教科で全国一ケタだったらしいことが発覚した。名前が載ってた。ちきしょう。名前どころか、模擬試験の結果でこの前担任に渋い顔をされた俺とは全く違う。持ってるものが違うんだ。あいつは勝ち組だ。あいつは恵まれている。俺は――負け組だ。底辺だ。価値のないやつだ。人間は恐ろしい。この世に生を受けて十数年でここまで差が生まれるものなのか。運命ってやつは何だ。社会のバグか、はたまた神様のいたずらか。

「――でさ、この前マックにいたらナンパされちゃって。断ったんだけど、うけるよね。女子高生にナンパとか、ちょっと変態っていうか、怖いわ」

「いやいや、しおりちゃんはかわいいから。で、なんて言って断ったの?」

「勉強がありますので――って言って断ってやったわ。まあ、勉強なんかしないんだけど」

わっかるー、キャハキャハ――じゃないよ、マジで。いったいなにが分かるっていうんだ。お前らの目の前にいるその「しおり」は、学業優秀だぞ。お前らとは違うんだぞ。何をそんなに笑顔でいられるんだ。俺だったら、妬みと嫉みで村八分にするわ。徹底的に無視して、絶対的特権者に神の鉄槌をくだす。なのに、どうしてそんなに一緒に笑顔でいられるんだ、お前らは。

――そうか、俺は、お前らとも違うんだった。

このクラスに、俺に話しかける奴はいない。みんなが、俺を「いない奴」であるかのように無視をする。いくら俺が、ゲームでランキングを制覇していたって、俺を褒めてくれる奴なんかいない。このクラスは無常だ。常にこの世は無常なのである。いくら努力したって勝ち組になれないこのクラスで頑張っても無駄だ。恵まれてないんだ。ハァ――と、俺はため息をつくと、席を立ち、クラスを出た。どこに行こうというわけでもない。ただ、ちょっとふらついてみたかったのだ。

 

「――結局ここか」

俺は、図書室の扉を開いた。くぐもった室内には、本の匂いが充満していた。嫌いではないが、正直あまりいい心地はしない。どうして電子化しないのだろう。電子化して、パソコンを何台か置けばもっと効率よくスペースを活用できるというのに。

窓側の一番奥の席が空いているのを確認すると、俺はすぐに向かった。しかし、よく見れば椅子に、本がうずたかく積まれていた。

「――ち、くそ、席取りとかずるいことすんなよな」

「あら、ごめんなさいね?」

「うぇ!?」

背筋が一気に凍り付いた。どうやら悪態が聞こえてしまったらしい。気まずい。どうしよう。そんなつもりはなかったのだ。女か。女の声か。……女は苦手だ。

「わたし、どくわよ?」

「え、い、いや――」と、俺は恐る恐る振り返った。

「お、お前だったのか……」

「お前じゃない、しおりよ。失礼じゃない、倉石さん。初めて話す相手に“お前”呼ばわりなんて」と、しおりの語気は強い。

「ご、ごめん……なさい。え、でもどうして、教室で喋っていたはずじゃ」

「喋っていたわよ。でも、今は読書。休み時間なんだし、本も読まなきゃ。じゃ」

と、言って、しおりは席に座り本を読み始めた。良く見れば、随分字の細かいものを読んでいる。いったい、どういう本なんだろう。

「どうしたの、倉石さん。ここに何しに来たの? ひょっとして、ゲームじゃないよね」と、しおりは顔を上げて言った。その顔は、どこか俺を軽蔑してるように見える。目を細めて、顎を突き出して、勝ち誇ったように俺を見ている。悔しいが、整った顔だ。腹立たしい。

「――いや、俺も本を読みに……。前、いいか?」

「そ、好きにすれば?」

……何してんだ俺。なんで、前なんか座ったんだ。対抗したいからか? いやいや、対抗するのに、どうして前に座る必要があるのか。じゃあ、もしかして、顔――いやいや、顔が見たいとかありえねえ。俺は三次元なんかに興味はない。世間は俺に冷たい。俺に優しくしてくれるのは二次元だけだ。ネットだけだ。俺は、三次元なんて嫌いだ。

と、もやもやしながら席に座ると、

「倉石さんは、どんな本を読むの?」と、しおりが聞いてきた。

「おっ、俺は――」と、普段から本を読まない俺にとって、この質問はきつい。重ねて、俺は女子とネット以外でほとんど話したことはない。しかも、彼女の言葉はもうほとんど詰問である。全身の血液が沸騰するような気分になる。

「し、しお、しお」

「しおり」

「しお……りさんは、何読んでいるんですか?」

「ん? これ」と、しおりは俺に本を渡してきた。俺は手に取ると、表紙を見た。『ニコマコス倫理学』。アリストテレス。なんだ、良く分からん。

「これは、どんな本?」

「なにって、哲学書よ。この前の倫理の授業で出てきてたでしょ」

「ん、寝てたから……」

そう……と、興味を失ったのか、しおりは持っていたもう一つの本を取り出し、読み始める。

「お、おい、いいのかよ、これ」と、俺は手に持っていた『ニコマコス倫理学』を渡そうとした。だが、しおりは受け取らない。

「いいわよ、読んでて。どうせ、他に読む本ないんでしょ? いいじゃない、倫理を学ぶのにいい機会だわ。ま、それ読んでも学べるわけじゃないんだけどね」

なんだその意味の分からん説明は……。仕方がないので、俺は『ニコマコス倫理学』を開いてみた。随分古い本だ。しかも、ところどころインクがにじんでいる。今よりもだいぶ昔の技術で作られた本に違いない。印刷が斜めにずれているページもあった。

試しに冒頭部分を読んでみる。と、やはり文字が小さい。言葉も、なんだか古めかしい。これ、翻訳の本だろ? なんでわざわざ古文体に翻訳をするんだ? なんだかいけすかないな。人に読ませるように書かれてないって感じ。おもしろくもない。

目を前に向ければ、しおりは熱心に本を読んでいた。『ニコマコス倫理学』と同じように、文字の詰まった古めかしい本だ。しかも、この本よりも少し大きくて分厚い。この本は〈上巻〉だが、多分上下巻合わせても(〈中巻〉はないよな?)しおりの読んでいる本の方が分量が多いだろう。つまり、今この場は全くもっておもしろくない状況だ、ということだ。俺は、視界をもっと奥の方の、「人文」と書かれた標識のある棚に移した。

奥の方でも、勉強のできそうな子が二、三人(その人たちは、しおりなんかよりもよっぽどガリ勉に見えた!)腕を組みながら本棚を吟味している。彼らはいったい何を考えているのだろうか。俺には全く理解できなかった。俺は、寝ても覚めてもゲームばかりだった。本などはゲームに比べてつまらない。全然刺激的じゃないし、退屈だ。ゲームは、場面が次々に変わるのだ。次々に変わって、俺の知的好奇心を次から次へと刺激してくれる。料理で例えれば、この書籍は退屈な白いご飯だが、ゲームはハンバーグだ。オムライスだ。パフェだ。クリームソーダだ。退屈なんかしている暇はない。次から次へと、その刺激に敏感にならなければ、俺らは永遠にその刺激から置いてかれる。ランキングに載り、他のプレイヤーを相手にふんぞり返って、栄光欲をジャブジャブと二十五メートルプールのように浴びるのだ。浴びて、浴びて、息切れを起こしたとき、俺は就寝する。すると、夢の中で、宇宙船に乗った俺が、次々と通り過ぎる恒星を遥か彼方に見ながら、目を輝かせて宇宙を旅行するのだ。宇宙は良いぞ。宇宙には夢が詰まっている。少なくとも、こんな小さな図書室よりはいい。インテリぶって本を読んでるこいつらも、宇宙へ行けばきっと本なんか太陽に投げ入れて、宇宙船のクラブミュージックに体を揺らすに違いない。そうさ、そうに決まっている。今に見てろよ、お前ら。俺は、お前らに勝ってみせる。

「――それ、その顔よ、あなた」

と、気が付けばしおりが頬杖をついて、こちらを見ていた。全然気が付かなかった。

「自分で気が付いてないの? その顔。凄く、イヤラシイわよ」

「え……」

「気を付けた方がいいわ。目は、口ほどにも語る。いや、口もね。よくないことを考えてるって感じの口。そうね、さしずめ本なんかくだらないって考えていたのかしら」

なっ……と、焦って何かを言おうとすると、しおりは余裕の笑みを浮かべて、「図星ね」と言った。目頭が急に暑くなる。心臓の動悸が全身をこだまする。俺は、両側の椅子の縁をぎゅっと掴んだ。いや、気が付いたら掴んでいた。

「そんなことは……」

「だって、私の貸した本、全然読んでないじゃない。じゃあ、悩んでいるのかと思いきや、本そっちのけでニヤニヤしてるでしょ? 本棚に並んだ本を見て」

「……」

俺は黙ってしまった。椅子を握る手が、なんとなく汗で滲んでくる。外では、鳥が啼いていた。ちよ、ちよちよ。どうやら風が強いらしい。木が音を立ててしなっている。逃げたい。凄く逃げたい。なにこれ、なんで俺が、学校きっての才女に、こんなに責められてんの? 弱いものいじめ? 酷い、酷すぎる。特権階級は、こうも弱者の俺をいじめるのか。何を持っていじめるのか。俺が何か悪いことをしたか? 迷惑をかけたか。なんだってんだ。生きてるだけで迷惑か。生きてちゃダメなのか。だったらどうしたらいいんだ。

「俺のこと何も知らないくせに……」

「知らないわよ」と、しおりは鋭く言った。俺はびっくりしてしおりの顔を見た。どうやら、俺は何か言ってしまったらしい。俺のこと何も知らないくせに。無意識だった。迂闊だった。しおりの声がますます厳しくなって、俺の心臓に刺さる。

「知らないから、私はあなたを見て、推測を語っているのだわ。わたし、卑怯な手は使いたくないの。あなたを見て、思った印象を素直に喋ってる。知ってたら、こんなこと言わない。で、どうなの? あなたは何を考えていたの」

「それは……」

と、再び俺は言葉に詰まってしまった。だって、何を考えていたかって言われても、何から喋っていいか分からない。しかし、今ここで何かを喋らないとまた怒られる。思い出した。これはあれだ。お袋に、「あなた、なんでこんなことやったの?」と責められているときと一緒だ。そんなこと言われても、答えられるわけがない。「何を考えていたか」「なんでやったか」なんてことが、自分にだってわかるわけがないんだ。

ひょっとして、これは質問に答えられないことを知ってて、あえてやっているんじゃないか? 自分が、怒る口実を作るために――理由さえあれば、怒ったって罪悪感がないもんな。やっぱ特権階級はクソだわ。ありえねえ。人間は、自分が優位に立ったと思ったらすぐこれだ。まるで自分の利益しか考えていない。もう嫌だ、帰りたい。学校なんて来たくない。自分の部屋に帰って、ゲームしたい。平等で、均等に機会が与えられるあの世界に、さっさともぐりこみたいんだ。

「また黙っちゃったんだ。う~ん、ゲームやってるっていうから、もう少しなにか反論してくると思ったのに。反射神経凄いんでしょ?」

「ゲームと一緒にするな……」

「へえ、ゲームと違うの。会話とゲームって何が違うの?」

「ゲームはもっとこう……楽しい……」

「あー、なるほど」と、しおりは顎を触って何かを考え始めた。いったい何を考えているのだろう。ゲームと会話の違い? そんな当たり前なことを考えているのだろうか。「楽しい」以外に、いったい何がある? そうか、陽キャだからゲームの楽しさが分からないのか、だから――

「いや、意外だなと思って」

「え?」

「ゲームやってる人って、結構日常もゲームに見立てて楽しんでるって印象があったから。勉強もそう。恋愛もそう。バイトもそうだし、こういう会話だってゲーム化しちゃうんだわ。そんでもって、勝手に攻略法なんか考えて、勝ち上がって、ランキングもガンガン上げて、勝ち組になる。さぞかし愉快なんだろうなあって。人生の全てが、喜びも悲しみも含めて、全部が楽しそう」

黙って聞いていた。しおりは構わず続ける。

「図書室に来たときの倉石さんと言ったら、凄かったわよ。舐めるように本棚を見て、まるで『全部電子書籍にすればいいのに』って言わんばかりだった。これは、あえて言うけど、“わかる”わ。図書室なんて、不経済極まりないものね! きっと、一台のパソコンは、千冊の本よりも価値があるわ。広大な海のようなインターネットにアクセスできるという点で、図書室どころかこの学校全てを含めても、パソコンの方が強い! しかも、安い。世界中の情報がリアルタイムで調べられるパソコンを何台も置いて、この図書室をゲームコーナーみたいにすればどんなに楽しいことか。ここまでくると、海――というより、宇宙かしら? きっとあなたはそんなことを考えながら、無数の銀河系を夢見て、ビッグバンのような想像力で、次から次へと妄想を重ねてこの図書室を改造していくんだわ。これが楽しくなくて、何が楽しいのでしょう――」

「そこ、静かにしてください!」と、瞬間、罵声が受付から飛んできた。司書が、こちらを向いて般若の形相を浮かべている。今にもこちらにきそうである。

「すみません、ちょっと熱くなってしまいましたーっ」

「しおりさんか……珍しい。気を付けてくださいよ」

「はーい! ……ってことで、怒られちゃったことだし、私は帰るわ。じゃね」と言って、しおりは無数の本を鞄に突っ込み、そそくさと帰ってしまった。いったい何だったのか。なんだか、全てを見透かされているような、そんな気分だった。嵐が過ぎ去ったように、図書館は静寂に包まれた。

俺はまた、手元の『ニコマコス倫理学』を開いた。やはり、何度見てもおもしろいとは思えない。古い。面倒くさい。……読めない。だが、もはや無意味とは思われなかった。しおりは恐らくこれを読めるのだ。もちろん、この本に、必勝法が書いてあるとは思えない。だが、この本を読むために、たくさんの本を読んだのだ。その本の中の一つに、きっとこの俺のような人間に対する攻略法が書いてあるに違いなかった。俺はやはり負けた。これまでのどんな仕方よりも厳しい仕方で俺は負けた。彼女は、宇宙よりも広かったのだ。そして、アリストテレスは、彼女よりも更に広いのだろう。倫理とは、人間の考える何よりも広かったのだ……。

全身の力が抜けていくようだ。虚無感。絶対的な力を前に、何もできなくなった感覚が俺を支配した。ハァ――と、ため息と同時に、午後の授業開始を告げるチャイムが鳴った。

2019年11月4日公開

© 2019 小雪

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