喫茶店

鎖骨のレイピア(第2話)

小雪

小説

3,145文字

ゆでたまごを三つ堪能した後、学校をサボる小諸桃子だったが、彼女は、横浜駅で、喫茶店を探すのに苦労していた。休憩する場所ひとつ探すのにも、疲れてしまうこの社会で、彼女がようやくたどり着いた場所とは――

「――あれ? もうすぐ――へへ――昼休みは終わりじゃないの?」

女の子は、一通り笑い終えると、突然発声し始めた。なんだ、こいつは。笑い始めたかと思えば、言葉を行使するとは。行動原理がむちゃくちゃだ。余程の変人でない限り、あり得ない。

「確かに、もう終わる時間ね……」私は穏当に返答した。

「終わる時間だと分かってて、余裕の顔で鞄を持って校舎を出ようとしてるってことは――サボりだね?」女は、小学三年生みたいに推論を展開した。私はイラッとしたので、

「あんたたちは人間をサボってんでしょ」と口の中で呟き、女を無視して昇降口を後にした。

 

人間というのは、本当に面倒くさい――なんて、月並みなことを考えながら階段を降りる。

この学校を出るには、昇降口を出て、階段を少し降りて、だだっ広い校庭の隅を数百メートル歩き、また階段を百段ほどくだらないといけない。それでようやく、正門へたどり着けるというわけだ。

――この学校はあまりに広い。高校といえど、私立で、莫大なお金を生徒から貪っているためか、設備は大学級である。まあ、正直ありがたい。規模が大きいとか小さいとかは、ぶっちゃけどうでもいいんだけれど、三階建ての図書館が、校舎とは別に建っている――というのが魅力的過ぎた。というか、そのためだけに、この学校を受験したと言っていい。生徒のレベルは――まあまあかな。それなりに勉強したけど、まさか奨学金が貰えるとは思わなかった。どうやら、首席で合格できたらしい――そういえば、七面倒な「入学生の言葉」をやらされそうになったっけ。蹴ったけど――なんにせよ、お金を貰いながら、本が読めるなんて、この絶望的に貧乏な日本に置いて、なんと恵まれていることか。

多分、登下校が面倒くさいのは、その反動に違いない。神様の雷は、万人に平等に振り注ぐ。

 

そんなわけで、多方面に悪態をついていると、ようやく正門を抜けられた。住宅街のど真ん中に位置するため、今度は、裏路地の悪迷宮に挑まなければならない。だが、最初は、スリリングな冒険が楽しめたこの住宅地も、一か月経てば、ただの面倒な通学路である。

右、左、と今では体に馴染んでしまったルートを進んでいく。途中で、ピンク色の家の犬が吠えたが、「お前も人間をサボってるんだね」と話しかけたら、ぴたりと鳴くのを止めてしまった。なにやってんだか。犬相手に……くだらん。こんなことやってっから、女に指さされて笑われるんだ。ハァ――私はつい、ため息をついた。

 

しばらく歩いていると、ふと、声が天から降ってきた。

――まだ、家に帰りたくないなあ。

右耳の少し上の、細かい骨の部分が振動して、脳波に直接語り掛けてくるような感覚――これは、いわゆる、私の「本音」である。本当に本音かどうかは知らないから、かぎかっこつきで「本音」と呼んでいる。ときどき降ってくるのだ。それで、

「どうやら私はまだ家に帰りたくないらしい」

と、呟いた。横浜駅のど真ん中で。ここは、横浜駅西口、ダイヤモンド地下街の入り口である。相鉄線、東急東横線、京浜急行電鉄、その他数多の旧国鉄の路線ユーザーが出たり入ったりを繰り返すこの付近は、いつも人間がごった返していた。その上、ここは年中工事なんかやってるもんだから、ルートがくるたびにコロコロと変わって、人の流れが淀んでしまう。突っ立っていれば、勘の悪いサラリーマンがぶつかってきて、「なんだお前は!」と話しかけてくることもざらだ。

しかし、最近の私は、高校デビューを果たし、ちょっとギャルギャルしくなり始めていたので――というのも今は金髪ロングに赤っぽいカーディガンを着ていた――人が私を避けて歩く。昨今は、セクハラだの、痴漢冤罪がうるさいそうなのだ。正直助かる。だから、私は人の波を遮るように突っ立って、「まだ家に帰りたくない」などの感情を、頭に閃かせている遊びに興じたというわけだ。

「だけど――」私は考える。「この辺に、家に帰るよりもいい選択肢になり得る喫茶店ってあるのかしら……」

そのとき、「喫茶店」と呟いた瞬間、自分の口の中に、ある種の快感を覚えるような感覚が生まれた。きっ――さ――という歯切れのいい音の後に、てん――とまとめ上げるような、マリンバの響き。きっさてん――そうか、そういうところに行きたいな、なんて。さてん、さてん――と呟くと、なんだか怪しい人みたいだ。事実、そばを通り抜けた女が、不審な目でこちらを見ている。横浜は、歌うことも許されない窮屈な街なのだ。

「とりあえず歩くか……」

私は、ダイヤモンド地下街へ入り、喫茶店を漁ることにした。

 

しばらく歩きまわって、私は、ダイヤモンド地下街が、のんびりするには適さない場所だと思い知った。

どこも人が多いのだ! 一口に人といっても、色んな種類の人がいるが、とりわけ地下街にいるようなのは、とてもうるさいタイプの人だった。世間的には、授業中だったため、学生は、見るからに頭のネジが足りなさそうなギャルしかいなかったが、その代わり、夫が仕事中で、この時間の世界をわがものとしていた妻たちの面々が、頬杖を突いたり、黄昏れて斜め四十五度を眺めたりしながら、お昼のトーキングタイムに勤しんでいたのである。

そいつらの顔が、うるさくてうるさくて。なにがうるさいって、あのマスカラ。口紅。ラメ。なんなんだあれは。ガキはなんか、店の備品で遊んでるし。器物損壊だわ! 数秒おきにイライラしてしまう環境で、コーヒーを飲んだって、どぶ川の味にしかならないから、のんびりなんかできやしない。ほんとダメ。

そういうわけで、ここで喫茶店を見つけるのは諦めて、私は西口から一番遠いところに位置している出口から外に出た。階段を抜けて、上方に垣間見えた空は、相変わらず青い。もうすぐ、一時だ。徐々に陸地が熱せられてきて、あと少しで最高気温に到達するという頃だ。カーディガンだと、少し暑い。袖の中の腕が、汗ばんで少しだけ蒸されている。気持ち悪い――早く喫茶店に行きたい。

と、辺りをきょろきょろしていると、意外なところに、喫茶店を発見した。それはホテルの中にあった。

近づいてみると、その喫茶店はガラス張りで外から内装が透け透けだったが、人が全然いなかった。それに、髭の濃いマスターもいなさそうだった。シャンデリアが天井に大きくぶら下がっているのが、少し気に入らなかったが、ピンクのきれいな絨毯だったので、欠かせなかったんだろう。大仰な外見をしていながら、値段も、ランチセットが六百五十円と手ごろである。

ちょっと、「きっさてん」という言葉のイメージからは程遠かったが、ここで手を打とうか。私は地下街を歩き回って少々疲れていた。人ごみにも酔ってたし。いい加減、休みたかった。

きめた。千里の道も一歩より。私は、おもっ苦しいガラスの扉をこじ開け、ホテルに侵入する。――しかし、中は思ったよりも、荘厳な佇まいを帯びていた。

圧倒されて、私は、しばらくボーっと突っ立っていた。ホテルのフロントマンが、怪しげな顔でこちらを見ているが、私の意識にはほとんど引っかからなかった。フロントマンは、ホテルの壁である。人間的な、あまりに人間的な――でも人間ではない。壁なのだ――壁がこちらに近づいてきた。

「どういうご用件で?」壁が喋った。

「用件……難しい話ですね――」

「難しいとは、いったい――」壁の目が泳ぐ。

「いえ、こう、ちょっと休憩したいなって。お茶でもご飯でも――それはメニューを見ないと決められないんですけど」

私は正直に言った。すると、壁は、ようやく自分の取扱説明書を思い出した様子で、

「喫茶店なら、向こうの道を右に曲がりますと、入口があります」と言った。

2020年5月7日公開

作品集『鎖骨のレイピア』第2話 (全3話)

© 2020 小雪

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