目覚めると正午を過ぎていた。一瞬前に見ていた筈の夢が思い出せなかった。ひどい頭痛がしたので、痛み止めを飲んだ。昨日一日のことを思い出し、結局のところ何ひとつ解決していないことに唖然とした。勇樹くんの件は保留のままであるし(おそらく退塾してもらうことになるとは思うが)、佳穂ちゃんのお父さんは今日も又、本部にクレームの電話を入れるに違いない。そうして依然として俺は塾長であり……、そうだ。すっかり忘れていたが、昨日スマートフォンを破戒してしまったのだった。今からケータイショップに行ったのでは、開校時間に間に合わない。ふだんであれば、私用のスマートフォンに電話が掛かってくることなどほとんどないのだが、今日に限っては昨夜の件について亮介おじさんから連絡が来ないとも限らなかった。俺は私用のノートパソコンを開き、現状を伝えるメールを彼の個人用パソコンのメールアドレスに送信した。これ以上おじさんに心配されては困るので、スマートフォンは誤って地面に落してしまったことにした。「副塾長の件について迷っています。」と書いて、消した。それでも、亮介おじさんは勘繰るに違いないとは思った。
受信フォルダを確認すると、修一くんのお母さんから一通の電子メールが届いていた。開くと、修一くんを毎日塾に自習に行くよう指導してくれとの旨であった。二週間前に塾で行った面談では、真面目に塾に通うようになって嬉しいと言っていたが……、だが修一くんを見れば、このあたりが彼の限界であるのは僚かであった。毎日学校に登校し、週に二回ばかり塾に行ったり行かなかったりし、テスト期間近くになると週に一回一時間程度塾に自習に行く以上のことを彼に期待するのはどだい無理というものだ。そのことをお母さんにどう伝えたものか、あるいは無茶を承知で担当の小林優里先生に修一君の指導を頼んでみるか……、どうにも心苦しいところだが、じっさいのところ、小林先生はすでに修一くんが有している見えざる障害の数々に気づいている。先週も授業終わりに、「修一くんに英単語を暗記させようとするのは足のない人に走れと言っているようなものですよね。」と言って帰っていった。俺は、「車椅子に乗せてでも走らせるのがぼくたちの仕事らしいよ。」と答えたが、それがただの言葉遊びにすぎない(しかも随分と杜撰な)ことには、我ながら呆れるほかなかった。なんとなれば、修一くんの試験中、彼の隣について一緒に問題を考えてあげることなど出来ないからである。まったく、論理の破綻したたとえだ。そのときの、俺のことを軽蔑しきった小林先生の視線が頭に染みついて離れなかった。
「先生は、なんで先生になったん?」
いつだったか、修一くんにそう訊ねられたことがあった。Aコマの始まる三十分ほど前で、その日、修一くんは授業もないのに俺と会話するためだけに塾にやってきたのであった。彼は、週に一回くらいの頻度でそういうことをする。
俺は、
「子どもが好きだからだよ。」
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