あなたは私の何を見ていたの?
君の言葉が何度も何度も頭の中で繰り返される。
僕は君の何を見ていたのだろう。人は、他人の何を見ているのだろうか。
あれから僕は眠る君の隣でそんなことを考え続けたけれど、はっきりとわかることは何一つなかった。
脳裏によみがえるのは、君の笑った顔や、怒った顔、ふざけた顔に、泣き顔。どれも彼女の外側でしかなかった。その外側を通して、僕は彼女の内面を見ることが出来ていなかったのだろうか。僕はそれを見つけなければならなかったのだろうか。
自分というものが心の内側にしかないとすれば、他人が直接見ることのできる外側に表出しているものはいったい何なのだろう。そこにいたのはいったい、誰だったのだろうか。
僕は今、君の隣でこの文章を書いている。僕はひどく混乱していて、それを鎮めるためでもあるけれど、君の問いの答えを得るためにも、これは必要なことだと思ったんだ。
君は白いベッドに横たわり、穏やかな呼吸を続けている。まるで死んでいるみたいに。
ねえ、どうして君はそんなに安らかな顔をしているのだろう。君は、いつから消え去りたかったのだろう。万年筆を置いて、君の白い頬に触れてもいいだろうか。今時ノートに万年筆で文字を書くなんてこと、君は気に入ってくれるだろうか。だって、ゆっくり知って欲しいんだ。データで送れば僕の言葉は一瞬で君のものになるかもしれないけれど、ノートに書かれた文字は、時間をかけて君自身が読み進めていかないと、全てを得ることはできないから。そうやって、二人の時間を、本物の時間を、築いていきたいと思ったんだ。
「記憶社会」という言葉が僕らの生活に馴染んでから数年が経った。十数年前、僕の住む福井市は昔の言葉で言う「スーパーシティ」に選定され、補助金を貰って未来都市化の実験台となった。
まずは人工知能やビッグデータを活用し、車の自動走行や自動配送、AI病院、ゴミの自動収集など、その頃の最先端技術が生活に導入された。といってもそれは当時でも世界最先端といったわけではなく、中国の杭州市ではその頃すでにインターネット通販最大手のアリババと連携し、道路の混雑状況に応じた信号の自動切り替えや顔認証システムによる無人コンビニエンスストアなどが運用されていた。先進国だと思い込んでいた日本はIT社会が進むにつれ、世界から一周も二周も遅れをとるようになっていたのだ。
そんな時、富山大学で記憶のデータ化の研究が進み、実用化の目処が立った。すぐに世界へ結果を示したい政府はスーパーシティの市民を実験台にした。
ここ福井市では外部記憶デバイス「アリシア」の運用が真っ先に進められ、今では国民のほとんどが外部デバイスに記憶を保存している。
もちろん常に全てを覚えていては生活に支障をきたすので、適切なプログラムがフィルターをかけ、脳内の記憶は綺麗にファイル分けされて階層ごとに保存されている。
そして必要な記憶は検索プログラムによっていつでも即座に完璧に再現することができるようになっていた。学校では教科書の代わりに必要なデータファイルが配られる。
生徒は入学した時から必要な知識を全て頭の中に持っている。しかしそのデータを理解しているかといえば話は違ってくる。何と何が関連していて、それがどういう意味になるのか、現在の教育はそうやってデータをどう扱うか、データが何を意味するかという所に重点が置かれている。
ある意味で世界は平等に近づいた。しかしより残酷に個々の能力を測ることができるようになった。みんな同じ武器を与えられているのだ。その状態で戦えば、強い方が勝つに決まっている。
映像メディアの衰退は避けられないことだった。わざわざテレビや映画館で見なくてもデータの海から拾い上げて脳内でいつでも自由に再生できるのだから。
著作権プロテクトがかかっているといっても、メディアクラッカーたちにかかればそんなものないに等しい。けれど僕は今でも映画館の大きなスクリーンで映画を見ることが好きだ。
この街にも潰れかけの映画館がひとつあって、僕はそこで週に三回アルバイトをさせてもらっている。メトロシアター。大層な名前だ。しかし確かに映画館としてはこの街の中心だろう。今時映画館になんて来る物好きな客などほとんどいないので、仕事の大部分はこの館内が廃れていくことを避けるための掃除だから、言ってしまえば遺産保護のような仕事だ。
昔の映画ポスターが収められているガラスをのんびり拭きながら、僕の知らないどこか向こう側の世界に住む美男美女を見つめ、微笑みかけてみたりするけれど、一向に返事は返ってこなかった。
閉館時間が近づくと僕はこっそり自分用のジンジャエールとポップコーンを確保しておいてから機械の締め作業をする。
いつもの時間に館長が欠伸とともに映写室から出てきてほとんど仕事を終えた僕に意味もなく頷きかける。
「今日は何人来た?」
「僕が来てからは一人も来ませんでしたね」
「だな」
もちろんそんなこと館長だってわかっている。一本も映画を流していないのだから。ここで働き始めてからプログラム通りに映画が上映されたことは今のところ一度もなかった。
客が一人だけの場合は時間も関係なしに好きな映画を好きな時間に流してやったりもする。こんな素敵な映画館はないだろうと思う。もちろんそんなことができるのは、客がまったく来ないおかげなのだが。
館長が帰っていったのを確認してから僕は映写室の顔認証システムでタイムレコーダーを切る。それから上映中のファイルを開いて気になる映画を自分のためだけに上映する。
バイト終わりにこうやって貸切の映画館で映画を見るためだけに僕はここで働いている。それにとっても楽な仕事だし。
映画の予告編が流れている間にさっさと着替えを済ませてジンジャエールとポップコーンを両手に座席に腰掛ける。思わず安堵のため息をついてしまう。映画館の椅子が好きだ。波乱万丈の物語の前でひっそりと隠れるようにそれを観察しているこの身分は随分と贅沢なものだと思う。
自動プログラムで照明が落ち、映画の本編が始まる。こうやって僕の大学生活はそれほど不満もなく、しかし希望もなく、繰り返されていく。
物語の中の彼らはいつも自分の求めるものを知っていて、そしてこの世界に足をついて確かに生きている。それが叶えられようが苦難に打ち負かされようが、彼らは自分自身の人生を自分の意志で生きていた。
けれど僕はどうなのだろう。いったい何がしたいのだろうか。何もしなくてもそれなりに生きていけるこの世界で、いったい何を求め何を感じ生きているのだろう。果たして自分なんてものは本当に存在するのだろうか。これは僕の人生なのだろうか。本当に?
この頃そんなことばかり考えてしまう。そんなことを考えても無駄でしかないのに。これがいわゆるモラトリアムというやつなのだろうか。みんなそんなことを考えながら生きているのだろうか。そしていつか、どうでもよくなってしまうのだろうか。
いつの間にかエンドロールが流れ切り、照明が目の奥を刺した。僕は座り込んだ時と同じようにため息をつきながら立ち上がり、指紋認証でロックをかけてメトロシアターを後にした。
その日は雪が降っていた。ダウンジャケットの表面に染み込みそうなぼた雪。
傘を持つ手を替えながら、冷えた手をポケットの中で温める。手袋をすればいいのだが、なんとなく好きじゃないから我慢するしかない。
スノーブーツ越しでも冷たさが染み込んでくる。早く家に帰ってシャワーを浴びたい。できることなら湯船に浸かりたかったが、一人暮らしで浴槽にお湯を張るのはずいぶんと億劫だ。
そうやって雪道の上の誰かの足跡をたどりながら歩いていた時、ふと、本当になんとなく、顔を上げた。
雪降る夜の公園で、一人の少女が、空を覗き込んでいた。
白い手が街灯に照らされて光っているように見えた。
彼女は笑っていた。
この寒空の下、傘も差さず頭に雪を積もらせて、笑いながら、舞う雪を求め。
その姿に目を奪われ、僕は冷えた手で傘を握りしめたままその場に立ちすくんだ。馬鹿みたいに呆然と口を開けたまま。
僕が見ていたのは、彼女が右手に持っていた時代遅れの機械。それはビデオカメラだった。
前時代的なそのデバイスを覗き込んで、彼女はこの冬空を記録していた。そんなものなくても、僕らは自分の目というセンサーで、記憶としてその瞬間を完璧に保存することができるというのに。
どうして彼女はそんな無駄なことをしているのだろう。
いや、僕が気になったのは、正直にいうとそんなことではなかった。
彼女のその姿が、ただひたすらに美しかったのだ。
雪で濡れた黒髪が揺れるその様は、まるでこの雪を舞台装置に踊っているようで。
僕は一瞬だけ寒さを忘れ、実に楽しそうに今そこに存在する彼女に、嫉妬すら覚えたのだった。
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