丈比べ

yohei

小説

24,079文字

これは文學界新人賞に出したもの。ちゃんと一次で落ちた。

 

※《》内は特に断りがないかぎり『きのふはけふの物語 全訳注』(宮尾しげお、講談社学術文庫)からの引用である。

最近はよく夕飯をとりながら、テレビをみている。
よくみているもののなかで、身の回りでおこったイライラするできごとをうまく解決してみせて、視聴者を楽しませる、という番組がある。
内容としてはまあそれなりにおもしろい、といった程度だが(おそらく新人脚本家の練習場でもあるのだろう)、登場するキャラクターがなかなか個性的でわたしは好きである。
ただ母はあまり好んでいないようだ(ちなみにエピソードを送って、それが採用されるとお金がもらえるので、お小遣い稼ぎにちょうどいいし、今度やってみようかな、と考えている)。
ただそのなかでひとつ、なっとくのいかない解決方法がある。
それは子どもが「無垢な存在」として登場し、おかあさん、ちゃんとしてよ、やらうそをついてはいけませんって保育園で先生から習わなかったの(わたしは幼稚園卒だばーか)、やらといやらしい口調でぬけぬけといってみせるのである(よくもまあ)。
しかし、子どもの頃は純粋で、成長していくにつれて汚いことをおぼえていく、という考えは割と広まっている考えなのではないだろうか、とも思う(きっとわたしがトルストイの『クロイツェル・ソナタ』にでてくる、子育ての話がとても大好きというか、そもそもわたしの親がそういう考えをもって育てたから、こんなふうになってしまったんじゃないかなあ。
ちなみにどういうものか、というと、岩波文庫〈米川正夫訳〉の表紙には《嫉妬にかられて不貞の妻を殺した不幸な男の告白談》であり、ロマン・ロランという『ジャン・クリストフ』がほめた小説である。
子どもをうむことについて《利害を衝にかけて見ると、結局、利のほうが少い》とまで書いてある、とてもおもしろい小説である。
とはいえ、あたりまえだが中勘助の『銀の匙』を好きといえる家庭環境で育った人がうらやましいに決まっている)。

《ある者が、浄瑠璃を好んで、朝から晩まで語っている。
「花のやうなる御姿」とか、「かりょうびんがの御声」とか、いろいろと褒めた言葉でいうのを、女房はいつもいつも嫉妬深く思っていた。
あるとき女房に、「帷子のほころんだのを縫ってくれ」というと、「お前がいつも褒めている、浄瑠璃という女に縫わせるがよいに」という。
隣の者がいうには、「その浄瑠璃は五百年前の人物のことで、余計な嫉妬である」というと、女房は、「千年前のことであっても、いう理屈があるから、いっておかないと我慢できない」といった。》
ちなみにわたしはどういう子どもだったかというと、(とくに幼稚園生のころは)萩原葉子の『いら麻の家』(関係ないが、わたしはこのほんの講談社文芸文庫版を神保町で買った。
確か千四百円くらいだっただろうか、とにかく千円以上はした。
講談社文芸文庫ってなんで高いのだろう。とおもって、実際に探してみたら八百円だった。ふしぎ。
そのあと図書館で萩原葉子『いら麻の家』三部作、という恐ろしいものをみつけてしまった。
調べてみるとこの作品は第一部で、第二部に『閉ざされた庭』第三部に『輪廻の暦』という作品があるらしい。この怒りはどこにぶつければいいのだろうと、今だに思う)にでてくるような、病名でいうと場面緘黙症のような子であった(今もちょこっとだけ残っていて、友達を作るのにかなり時間がかかるし、人前だと緊張してすごく早口になっちゃう)。
別に虐待は受けてないのだけれど。
唯一はなせる子は同じマンションの下の階に住んでいる子だけであった(そのころ、よくじゃがいもやりんごなどをとどけたりした覚えがある。何回か遊びにいったことがあるが、友達の母が「スーパーマリオブラザーズ」のファミコンゲームをゲームボーイアドバンス向けに移植したソフトをやっていて、わたしはそれを、ずっとやっていた。帰りが遅くなり、わたしの母が迎えに来ると、マリオが恋しくて泣き出してしまった。
当時のわたしはマリオのどこに泣き出すほどの魅力を感じていたのだろう。
そして、友達とその母からはエキセントリックな子、と思われたに違いない。
加地伸行という先生がエッセイで、性格はずっと変わらない、というような怖いことをかいていた)。
そのためにいじめられても助けて、ということができなかった。
ハーフっぽい顔の子(かれはそのあと体格をいかしてラグビーをやり、まじめに立派にそだっていった)に、耳の穴に石をいれられそうになったり。
ただわたしもだまっているとはいえ、なにも考えてないというわけではない。
待ち伏せして砂をかけてこようとしているクソガキ(同じ年齢だけど)をみつけたので、ちゃんと先生が近くに来てから、わざと砂をかけられにいった。
本当はわたしの目にでも入り、痛いよぉ、痛いよう、と大声で泣いてやりたかったが、そいつが下手くそなせいでまったくこちらにかからなかった。とはいえもちろん先生にみつかり、怒られていた。ふん、ざまあみろ。
またおしっこを漏らしそうになっても、先生にトイレに行きたいです、とはいえずにとうとう、ということもあった(とはいっても二回くらい。わたしの膀胱はどうも、大きいのだか、広いのだかはしらないが、かなり我慢がきく。
自分の数少ない特徴のなかだと、そこそこ役に立つ特徴である)。
一回目のときは暗い部屋で、イスにすわっているとき、量も少なかったのでたいした被害はなかった。
二回目のときはグラウンドでみんなが列をなして、先生の話をきいているときであった。
わたしがおしっこをもらすと、周りの人は驚き、わたしを避けるようにして、うわ、よだれ? とひとりが叫び(ばかじゃないのこいつ)もうひとりがちがうよ、お漏らしでしょ、と正しいことを言った。
実は今だにそうなのだが、おしっこを漏らすのは、なかなか快感である(小学校や中学校のプールの授業では、ほぼ必ず、漏らしていた。今は温泉だけにしている)。
もちろんいくら快感とはいっても、毎回そうするわけにはいかないので、ちゃんとトイレでもしていた。
ほかの人はどうかしらないが(知る必要もないし、知りたくもないし)、わたしは小学校低学年のころまでは、ズボンのチャックをおろし、パンツの隙間からおちんちんをだす、ということができなかった、というか知らなかったので、お尻を丸出しにして、行っていた。
小学一年生のころ、そうしていたら細長い顔の男の子(うーん、なにに似ているのかなぁ、あー思い出した、思いだした。ショウリョウバッタ。)がねぇ触ってもいい? と聞くのでいいよ、と答えると、もむのではなく、撫でるようにさわってきた(ちなみに彼は、Mくんのちんこでけえ、といってのぞいたり、金玉をもんだりしているような人だった。
《ある人は女だけを好み、まったく若衆の世界を知らない。
仲間たちがいうには、
「あなたは田舎者だ。きっといままで、若衆の行為など知るはずがない」
といって笑うと、
「そのことは、まったくわからない。だが若衆がする行為を見たが、理解できないことがある。何だか必死に指で取っては喰っていたが、どうにも納得がゆかない」
といった。》
この年齢でもやっぱり男女というか性のちがいがわかっているもので、ある女の子が体育の授業で着替えるときに〈当時はまだ一緒の教室だった〉すっぽんぽんのままで、廊下にでてしまった。
男はバカだから、みんなおもしろがってみていたが、わたしは彼女の背中やお尻、足などの後ろ姿を今だに覚えている。
ついでに一緒に風呂に入ったときに見てしまった親のものも。
《ある男が昼一儀をしようと思ったが、子どもが二人もいるとできない。
どのように子どもを外に出したらいいのかと考え、使いにやるのがいいだろうと思案して、子どもに言うには、
「この鉄輪を兄弟一緒に担いで、川へ行って洗ってこい」
というと
「わかりました」
といって洗いに行った。
親たちは一儀をすることが出来て、とてもいい気分でいるときに、子ども二人が鉄輪を担いだまま帰ってきた。
親たちが慌てまごついていうには、
「どうして鉄輪を洗わないで、帰ってきたのだ」 と叱ったところ、長男がいうには、
「よそでも昼一儀がはやっているようで、川に鉄輪洗いの子どもたちがたくさんいて、洗えなかったから帰ってきた」
といった。》小学生のとき、〈すっぽんぽんではなく上半身だけだけど〉女の子の裸をみたことは何回かあって、そのときはたまたま後ろを振り向いたときに、着替えていて、危うく〈本当にもう〉見そうになったが、そこはとなりの女子とのファインプレーで見ずに済んだ。
ただ基本的には女の子は大好きで、それは幼稚園性……じゃなかった、幼稚園生のころからである。
肌が黒くて二重、鼻筋もちゃんとある美人な女の子がいた。
その子はみんなでグラウンドにでて遊んでいるとき、急にチーズを食べ出したり、肉というか獣のようなにおいをはなっていたので、わたしは外国人かとおもっていた。
あぁ、これが異国の女性の香りか、とおもいながらなにも言わずに追いかけ回してにおいをかぎまくった覚えがある〈当然彼女はわたしに追いかけ回されるためににおいをはなっていたわけではない。こういうのはストーカーという〉。
その後、同じ中学校に入ったのだが、名前は日本人だし、ギャルっぽくなっていたしで興味を失った。
その子の友達の女の子〈わたしに制服が似合うね、とほめてくれたとてもいい子である〉が宮下くん〈こんなよそよそしい言い方ではなかったが、自分で自分のあだ名をかくのがはずかしいのでこうする〉が幼稚園のころの写真を見たよ、と報告してきた。
ちなみに獣の彼女はわたしがにおいをかぎまわしていたことを覚えていなかったようである。
わたしはこころのなかで「言わぬが花」とつぶやいた。
ところで小学校一年生のころ、バレンタインのチョコをもらったことがある。
ロッカーからお道具箱〈どうしても「お」をつけたくなってしまう〉をとりだして机に入れようとしたが、なにかにあたってはいらない。
何だろうとおもったら、チョコだった。
わたしは単純なのでよろこんだが、ほかにも、もう一人にあげているようだった。
二年生になるとその子からはもらえなくなった。
わたしのライバルは父親が幼稚園の園長をしている子である。
わたしに勝ち目はなかった、ということと彼女はなかなかのヤリ手だということがわかった)。
細長い顔の子の取り巻き(一重瞼、すぐ泣く。彼がぞうきんを洗っているときに、ほかの子がじゃれつくようにからかうと、泣き出した。
また彼の席の床に大量のどろどろした液体、おそらく糊だと思うのだが、彼はよだれ、と言いながら泣き出すので、仕方なく〈うるさいし〉、ティッシュでふいてやるとありがとう、と言い出した。
これだけだとまるでいい子のようだが、そんなことはない。
確か二年生のころだったと思うけど、小学校では給食は机を班ごとにくっつけて、食べていた。
細長い顔の子が給食当番でいなかったので、わたしはその子の机も並べてやった。
その子がもどってきたときに、あっ、机並べてくれたのだれ? と聞いてきたのだが、手を挙げるのもはずかしかったので黙っていた。
そうしたらあの泣き虫一重瞼のやろうが、手を挙げやがった。なんと図々しい。
ほかにも小学校の代表としてお礼の挨拶をするために、代表の女の子がでてきたさいには、出しゃばり女、という。
まわりはいくら本当のことでもそんなこといっちゃだめだよ、と笑いながらとがめていた。
また国語か社会科かなんかの授業で、班で内容をまとめて発表する、という機会があった。
まず一斑が発表する。
先生は評価〈丸、二重丸、そしてはなまるの三段階。はなまるがいちばんいい〉をつける。
一斑目は二重丸、二班目ははなまる、というように。ただ低学年のころなので先生も遊び始める。
三班は、完全なはなまる、ではなくはなびらが何枚かついているまる、四班は愉快なサザエさんのようなまる、などと。
そしてわたしたちの班はおしくも完璧なはなまるにはならなかった。
みんな評価など気にせず、笑いながら楽しんでいたんだし、別にいいじゃないか、とわたしはおもっていたが、一重瞼は「くそばばぁ」とつぶやく〈ちなみにまだ二十八歳。見た目はともかく、ぜんぜんばばあではない。
「くそ」かどうかは知らないが。
まぁわたしも三十歳の兄におっさんと目の前でいったことがあるけどね〉。
そんな彼とは中学校も同じところに通った。
最初は弁当をいっしょに食べるなど、そこそこ仲良くやっていたのだが、だんだん相手が調子に乗っていやがらせをしはじめる。
おとなしい奴をいじめるのは、おもしろい、といいながら。
内容としてはズボンをぬがそうとしたり、食事のとりかた〈箸の持ち方、食事中のくせについてなど。ただこれは少しやくにたった〉など。
そして、よく抱きついてきたりもした(女子にみられそういう関係? と聞かれた、わたしではなく彼がそうなのである。ただ少しきになるのは、わたしが赤ちゃんだった頃お母さんやおばあちゃん、親戚のおばさんがだっこすると泣き出して、おじいちゃん、お父さんがだっこすると笑い出したそうである)。
一番イヤだったのはプールの着替えのときにわたしのおちんちんをむりやりみてくることである。
おそらくほとんどの学校でそうだと思うがプールに使うタオルはボタンで留められるようになっているので、それで身体を覆い、周りにみられないようにパンツを脱ぎ、水着をはく。
その瞬間にかれはわたしのタオルをはぎとり、水着をはかせないようにして、おちんちんをみてきた。
わたしのおちんちんは小学校のころからまったく大きくならなかったので、とてもはずかしかった
《ある家で比丘尼に風呂を焚いてほしいといわれた。
御寺領の百姓たちが集まって、風呂を焚くことになった。
まず風呂の熱さ加減を知るといって、床屋の長男が風呂に入ってかがんでいると、
「方丈様がお出で」という言葉を聞いて、
「叱られてはたいへん」と思い、顔を両手で隠して風呂から上がった。方丈様はそれをご覧になって、
「おお、先には入るとはたいしたものだ、あれは誰ぞ」というのを、方丈様に仕える尼のかう蔵主が聞いて、
「顔は隠していますので、誰だかわかりませんが、まらは門前の床屋の孫太郎のものです」といわれた。
さてもさてもよく見てわかるものだ》。〈あまり関係ないけど、櫻井よしこの新潮社からでている自伝に、とある変態の話がある。
櫻井さんの友達の前にレインコートと靴だけをはいた変態が目の前にあらわれて、ちんこをみせつけてきた。
すかさず彼女は「わたしの夫のほうが立派よ」といい、櫻井さんはゲラゲラと笑った、という記述がある。なんか思い出してしまった。
おちんちんに関連して、足もそうなのだが中学校のころはかなり足が長く、このまま育てばモデルになれるんじゃないか? と(勝手に)おもっていたが、そのあと胴ばかりが長くなり、今ではふつうの人になってしまった〉わたしは残念ながらそういう趣味がないので、もし告白されたらどうしよう、どう断ろう、と考えていた。
ほかの日には、ヘッドロックをかけられたことがある。
それぐらいなら大したことはないのだが〈所詮泣き虫の力〉、その状態でわたしを持ち上げた。これは俗にいう首吊り状態というやつで、一瞬ではあったとても苦しく、変顔をしてしまった、というかなってしまった。
彼はそれにおどろき、すぐにやめた。
見ていた何人かは笑っていた。
そのときにもし今後、彼に告白されることがあったらうん、と言おうと決心したのだが、その後標的がわたしの友達のほうに変わった。
正直いうとうれしかったし、その友達は別に好きなわけではなかったので、彼の悪口をいい、一重瞼に媚びをうっていたのだが、どうもその点が彼の鼻についたようで、またわたしが標的にされた。
もちろんわたしの友達と協力していじめてきたので、悪いことはしちゃいけない、と思った、と、言うわけでもなくお金を払えば解決するかと思い、千円で手なづけようとしたのだが、うまくいかず、結局は千円をあげていじめられる、というお粗末な結果になってしまった。
ちなみに彼は現在おしゃれな大学に通っている)がなにやってんの、と笑う。
当時のわたしのお尻はびっくりするほどきれいで、ぷりぷりだったのだ。
彼が撫でてきたのもしょうがない、と思うくらいに。
しかしそのあと、ストレスで湿疹がでてしまい、小学校時代のわたしには我慢できず、手を突っ込んで掻いたりもした(とくに寝ているときはどうしようもない。尻をさまそうと、布団からだして寝ていたこともある。なんと無防備で間抜けな姿)。
メンスでもないのに(そりゃ男だからね)白ブリーフが真っ赤に、という惨劇に見舞われたこともある。
その子とはほかにもエピソードがある。
下校時にほんとにたまたまだったのだけれど、車道に石を蹴ってしまった。
わたしはそんな悪いことをしたつもりはほとんどないのだけれど、細長い子にはどうも悪いことをしたように思えたらしく、少し怒り出した。
うっとうしいな、と思いつつもしっかり聞き流していると、男と男の約束な、といったので、そうだねともうしないよ、とうなづいた。
当時のわたしはこんなふうに「かわいい」と思われたり、言われるたりすることが多く(まあ少し考えればわかるけど、かわいい、ということばはとても便利なことばである。
小学校の卒業アルバムをみてみると、そこには締まりのない顔をしたわたしの写真がのっていた。
あと性格もあまりよくない。
一年の頃朝の回の時間に、なかなか先生がこないので、迎えにいこうということになり、とはいっても中学や高校と違うので鬼ごっこ感覚で廊下にでた。
先生が来ると迎えにきたはずはのに、逃げろ、と叫び、みんなで笑いながら走って、教室に戻った。
もちろん先生はぷんぷん怒り、その子たちを前に立たせ叱り始めた。
わたし以外のみんなは前にでてきたのだが、わたしはだまって座っていた。
先生は前にでてきた生徒にわざわざ一人ずつ、なんとかさん、あなたこれからどうするんですか? とどうしようもない問いかけをしてくる。本当にどうしようかね、今のわたしはほんとにそんな状態)、ほかにも、わたしに好意をもってくる男の子がいた。
その子(ちなみに最近、車のスピード違反かなんかで警察に注意されている姿をみかけた。運が悪いね)はどうも変な趣味があるようで、小学三年生のとき、ちかくの大きな公園(老人が周りを散歩するのにちょうどいい大きな池があり、そこにはコイや亀がすんでいる、〈別の日にほかの友達と捕まえたバッタを投げ入れて、それを亀が食べる姿をみて楽しんだ〉。
少し坂を上れば、水浴びができる小さな池、〈ここにはアメンボくらいしかいない〉、やジャンボ滑り台〈昔はローラーだったが今はおそらく安全面のため、ふつうのただ長いだけの滑り台に変わっている〉、そしてアスレチックやブランコなどもある)で虫をあみで捕まえて観察する、という授業があった。
授業中はふつうに捕まえていたのだが、もう帰る時間になったため、列をなして先生の話を聞いていたのだが、その最中、彼はバッタ(いいかげんしつこい)を捕まえている。
さて、どうするのだろう、と見ていると、まずは足を一本もぎ取った。
次にまた一本、そして六本全部をもぎ取る。
最終的には頭と胴体をもぎとった(赤紫の内蔵が見えて気持ち悪かった)。
一匹ではなく三、四匹くらいはやってた気がする。
まわりもわたしと同じように気持ち悪く思いながらも、ずっと見ていた。
このような話しはほかにもある。
いつぞやの給食で魚料理がでてきた。
ふつうは骨を残してたべるのだが、彼はなぜか、骨を手に取り、ひっぱるようにしてわった。するとなんという部分なのか、わたしはしらないがバッタの内蔵のようなものがでてくる。
彼はそれをなめるように食べて、おいしい、と言い出す。
そして周りの女子にすすめだした。
もちろん最初は気持ち悪そうにするのだが、実際になめると、あぁおいしい、と言い出す。さすがにわたしはやらなかったけれど(美味しくて見た目も美しい食べ物なんてこの世にいくらでもあるし)。
わたしと仲良くなった、というか関係をもった人はこんな風に変な人が多い。そのなかで忘れられない人がいる。
その子との出会いは確か小学二年か三年のプールの授業だったような気がする。
男子は一組の教室へ、女子は二組の教室へ、と移動して着替えるため、荷物をもって移動した。まずバスタオルで隠して、服を脱いで、としたところで、水泳パンツ(学校指定の趣味の悪い奴)がないことにきづいた。
あれ? とおもいつつ、プールバッグを探してもない。
もしかして教室に忘れた、と焦り、女子に頼んで、これから男子が入ってくるけどいいか、と尋ねてもらい、入らせてもらった(小二でもやっぱりきゃー、といって胸を隠すポーズをとっているひとがいた。どこで覚えたのだろう)。
しかし、見つからず、ただ女子の着替えを見に来た変態〈プールの着替えではいろいろなエピソードがあるのだが、そのなかで印象的な噺をひとつ紹介する。
ある男の子が、女の子の防災頭巾におちんちんをこすりつけたことがあった。
彼はその前にも彼女に抱きつくという経験がある。当時「甲虫王者ムシキング」というゲームがはやっていた。
わたしもはまっていて、兄の彼女のお金で〈家の掃除機を買い換えてくれたとてもいいお姉さんだった〉一日で五千円もつかったことがある。
また姉とその友達が近くの公園でトランポリンがあるから遊びに行こう、ということをいいだし、それならついでにムシキングもしたい、とわたしがいって、オーケーがでたのだが、わたしは先にムシキングがしたかったので、姉たちが先にトランポリンにしようと、いわれたのだが、子どもらしくいやだいやだ、と叫び、それでも相手が先にトランポリンだ、というのをやめないので、もういい、と怒って帰ってしまったことがある。その後、姉がその友達と会った形跡はない。
そんないわくつきのゲームに出てくる技を彼としては、ただやっただけなのだが、ゲームをしない人からしたら、ただ抱きついただけに見えてしまうだろう。
ちなみにそんな彼とは中学時代、とても仲良しになった〉として、もう一度、プールバッグの中を探そうと、教室にもどった。
ある程度探しているとほかの子の水着が見つかった。
もうこれでいいか、と思い履いてみるとふともものあたりでとまった〈当時から中年体型だったのである。あたまのレベルは今でも小学生だけど〉。
本格的にどうしようか、と考えていると、同じように水着を探しているひとがいたので、もしかして、と思いはなしかけると、やっぱりそうで、交換し、なんとかプールに間にあわせることができた〈わたしが一度はこうとしたことは知っているのだろうか?〉
水着交換がきっかけで、というわけではなく、なにがなんだかはよく覚えてないのだが、その子とは家にいって遊びあうほどのなかになった。
そのときはじめて家にも格差があるのだ、ということを知った。
わたしはよく、父にどうしてリビングのほかには三つしか部屋がないのに、五人家族なんだ、しかも三十五年ローン、と馬鹿にしていたのだが、とはいってもマンションである。
彼の家は狭いアパートだった。
家のことでいうと友達というか知り合いに豪邸に住んでいる子がいて、いちどだけ遊びにいったことがある(いやここは謙虚にいかせてもらったか?)。
まずは庭でバトミントンを楽しんだ。
次に家の中に入る。
わたしは育ちが(どうせ)悪いのでたまーにおじゃましますを言い忘れ、靴を人におしりを向けながら脱いだあげくに、端にそろえない、ということがよくある。
どうしたっけなぁ? もちろんおみやげなんてない(もっていくにしても、きっと豆源とか福砂屋とかじゃないとばかにされるだろう)。
当時最新の「ウィー」(かぎかっこにいれないと馬鹿みたいな字面)でゲームを楽しんだ。
なぜかボウリング(ボーリングだと検査になっちゃう)のゲーム(だけ)が得意なようでストライクとスペアをたくさんだし、みんなから(めずらしく)ほめられた。
みんなで遊ぶのにもあきたので、個人でゲームをし始める。
わたしは買うのもすすめるのもおそかったので、えっ、まだそこまでしかやってないの? とかすすめてあげようか? とかよくいわれる(よけいなお世話だ)。
しばらくすると知り合いの兄が二階から降りてきてゲームがしたい、と嘆いたら、あなたは勉強、と激しい口調でかえされていた(ちなみにかわいそうな兄はしらないが知り合いのほうは麻布中学に合格した)。
頭のいい母というか、受験ヒステリックな母はどうもほかの子の勉強時間やゲーム時間が気になるようである(しかもみんな同じ様な顔して。ばかみたい)。
わたしは見栄をはって、というかうそをついてゲームは一時間(ほんとは一桁違うけど)で勉強してから、という条件があります、といったのだがどうやら彼女にとって一時間でも長いようで、えー、そんなに、と驚いていた。
小学校では、ほかにも格差はやっぱりあって、それは先ほどのゲーム事情である。
お金持ちの子はゲーム機や話題のゲームソフトを発売日当日に買い、そこそこの子は発売してしばらくしてから、そしてわたしは、誕生日まで待たなければならなかった。
周りがゲームボーイアドバンスで遊んでいるころ、わたしは一世代前のゲームボーイカラーで遊び(だいぶあとになって兄の彼女の弟からもらった。薄汚かった)、据え置き機でも周りがゲームキューブやプレイステーション(ツーだったかな?)で遊んでいるときに、スーパーファミコンやロクヨンで遊んでいた。
一応兄は最新のものも持ってはいたのだけれど、触らせてもらうことはできなかった。
ちなみに水着交換をした彼はわたしよりもゲームを多く持っていた。
服装はわたしとあまりかわらず、ユニクロとおなじくらいの値段たいの店で売っている物だったと思う。
(服に関して、小六のころ頭はいいんだけれど、パジャマで学校にくる強烈な子がいて、先生は服装を教えようとして、注意をした。
そのあと彼と同じ列に座っている、ほかの子のファッションセンスをチェックし始め、ピアノ教室や塾に通っている女の子の服、ルーブル美術館に鑑賞しにいったことがある子の服を、丁寧にほめ始めた。
わたしも彼と同じ列だったので、チェックされた。
わたしの服はほめるのに少し苦労していたような気がする。)
顔はどうかと言うと、色白で、二重瞼だけど目はあまり大きくはなく、鼻筋も通っていなくて、あまり高くない。
そして丸顔でパーツは少し離れ気味。
少しかっこいい、といったぐらいである。
わたしはどうかというと、よく世界に同じ顔が三人いる、というが少なくとも二人はかなり身近にいることがわかっている。
一人はストーカー、もう一人は不法侵入者である。
とくに不法侵入のほうは、本当にそっくりで、もしかしてやったんじゃないか、と不安になるほどだった。
ところで、わたしは裁判傍聴にいくのが趣味で(有名な裁判ウォッチャーの阿曽さんもみかけたことがある。鼻をよくすすっていた)、そのなかでとても身にしみる裁判を見たことがある。
どういう内容かというと、なんども職務質問されたことに腹をたてて、ついつい警官を左手拳でたたき、さらに股間をけってしまったらしい。
振り返って「僕はこんな顔してまーす」と手を振ってくれればよかったのだが、とうとう顔を見ることができず、残念である〈わたしはまだ一回しか職質をうけてないのだが、おなじようなことがあるかもしれないので、気をつけようとおもっている〉。
もうすこし詳細にせつめいする。
彼は飲食店の店長で、仕事は九時から二十五時から二十六時、やはり仕事の疲れでストレスがたまっていたようである。それまでにも窃盗などを複数していたようだ。
いままで何回も職質をうけて、めんどくさくなり、とうとう逃げてしまった。
そのあと食事をとっていたところ、逃げた相手と同じ警察に運悪くみつかり、職質された、そして暴力をふるい、公務執行妨害をしてしまったということである。
印象的だったのはあまりにもぼそぼそしゃべるので、「もう少し大きな声出せます」といわれていたことである。
ほかにも青いクルトガを使っていた検察官に、
「あなたに嫌がらせをしたくて職務質問をしている、というわけではない、ということはわかってますよね」
と言われ、
裁判官、検察官、弁護士(死にかけ)が一丸となって今後どうすればいいのかを考え始めた。
まずは休みをとる。
そして一人暮らしではなく(ちなみに社宅)上司にサポートしてもらう、ということだそうである(それができれば苦労はしないのだけれど)。
ちなみに彼には情状証人がいなかった。
よくわからなかったそうである。まぁ専門家並に詳しかったりしたら、そっちのほうが不思議だが。
しかも裁判通知の書類は不在で受け取れなかったそうである。不在票は? と裁判官に問いつめられていた。
結論としては、今後は悪いことをしたらあやまる、という最低限のマナーを守り、まずは警察におわびをするそうである。
もちろん
「仕事忙しいのにできるの?」
と数分前のことをわすれたような質問をされ、しかも、はい、と答えた。どうしようもないと思うが。
しかし社会はきびしいものである。
それだけはたらいても月二十万。
彼はそこからまじめに十万円も貯金しているそうである。
わたしはそんなことができるのであろうか。
たぶん小学生のころを考えると、うーん、難しいなぁ、といった気がする。
今は大学生なのでバイトをしている(なぜかベトナム人の人と仲良くなる。そして必ず、もうすこし明るくしたほうがいいよ、といわれる)。
週三回でだいたい月に八万円くらいもらえる。(そのあとしったのだがこれはとてもいい条件なようで、コンビニで何年も働いているのに千円に満たない、という人にあった)
もともと家のローンや千葉県にある謎の土地のローンを払う手助けをする気などなく、(もちろん食費も)だったらせめて携帯料金と定期代で二万円はだして、と母に懇願された。
最初は払ったが、すぐにねぎって一万五千円、また値切って一万円に抑えた。
これも健康(サプリメント、ハーブティー、健康器具、鍼灸、漢方など。特に鍼灸はわたしにはものすごく効果があった。謎のぎっくり腰がおきたときに頼ったら、すぐなおった。どうせなら性格もなおしてもらおう、と思って五ヶ月間、週一で通い続けたのだが、なおらなかった。わたしのこころは奥深いようである)のためである。しかたのないことなのだ。

水着を交換しあった彼とは、一緒の帰り道で、小学生らしく、おちんちんの話をしたことがある。
どういう展開かまでは忘れてしまったのだが、ちんこ(おちんちんという丁寧ないいかたはしていなかった)を見せろよー、と彼がふざけるので、わたしは(さすがに露出させるのは、はずかしかったので)パンツのなかをのぞかせた。
彼はなにもみなかったかのように、ゲームの話をしだした(ちょっと前、駅でちんこをみせあっている高校生くらいの子たちを見かけた。
あーやっぱりみんなするんだなー、と。
関係ないけどわたしはちんこが大好きで〈見たり舐めたり、というわけではなく下ネタが〉とくに、『昨日は今日のものがたり』が大好きである。
もともとはキョウヨウ(カタカナで書かないと気がすまない)として〈なんだか最近は歌舞伎や落語が教養ということになっているらしい〉読みはじめた。
まずは原文、注釈、現代語訳、そして鑑賞〈わたしは講談社学術文庫でよんだので、著者である宮尾よしおの解説が「鑑賞」としてついている。ちなみ宮尾しげをの子である〉をちゃんとよんでいたのだが、読んでいくそばから文字が抜けるように飛んでいくという稀有な体験をしたため、現代語訳だけを、しかも飛ばし読みに近い形ですすめていった〈わたしには教養をみにつけるための教養がないようである〉。
「BOOK」データベースには《近世初期に成立した笑話集。古活字版、整版、書写本など、さまざまな形で庶民に浸透し、楽しまれた噺の数々。「仮名草子中一、二を争うベストセラー」とも推測され『醒睡笑』にも引き継がれた笑話には当時の民衆の笑いの感覚が表れている。身近なうつけの者の噺、艶話・男色の噺、尾篭な噺から信長・秀吉が登場する噺まで、無名の人々の手になる作品集》とかかれてている。
まあ昔の人には悪いがわたしは下ネタしか覚えていない。
宮尾先生の現代語訳から好きだったもの〈わたしは好きなページにはしおりというか、ちぎった紙をいれている。
一時期ページの端を折って、あとからわかるようにしたこともあったが『ジェイン・オースティンの手紙』これは新井潤美訳だけど、ほとんどのページで折る羽目に陥り、本が不格好に分厚くなってしまったので、しおりにかえた〉をいくつか引用してみる。
まず《ある人が、急に医師を目指して医書を集め、ゆっくりと読んで納得できないところに付箋を貼る。
女房がこれを見て、
「その紙は、なぜ付けられる」
と尋ねると、夫はそれを聞いて、
「これは不審紙といって、納得できないところに貼って、あとで師匠に問うために付けるこのことから不審紙という」。
女房はそれを聞いて、
「よくわかった。わたしも不審がある」
といって、紙を少し引きちぎって唾をつけ、夫の鼻の先に、ぴったりと貼った。
「これは何の不審だ。わたしの鼻に不審はない」 という。
女房はそれを聞いて、
「そのことは、世間でいわれている慣わしで、男の鼻が大きいのは決まって男根が大きいというが、お前の鼻は大きいのに男根が小さい。これが不審だ」。
夫はそれを聞いて、
「その通りだ。また、わたしもお前に不審がある」
といって、
女房の頬先に、不審紙をぴったりと貼る。
「これは何の不審だ」
という。夫はそれを聞いて、
「世間でいわれている慣わしで、頬先が赤い色の者は、決まって女陰が臭いというが、お前の頬は白いのに、女陰が臭い」と言った》これはどこの世間なのだろうか、と思うのと同時に、「似たもの同士」ということばが浮かんだ。
結構うまくいくタイプの夫婦ではないのだろうか。
ちなみにわたしは鼻が小さくて、そしてちゃんとちんこも小さい。《ある比丘尼たちが寄り集まり。いろいろな物語りをして楽しんでいるところへ、いたずら者が出かけ、戸の節穴から、とても大きく勃起させた男根を、思いっきり突き出した。
庵主の比丘尼がこれを見つけて、
「あれあれ、ここに何だか知らない虫が出て来た。そこの金火箸を焼いて持ってきなさい。つまんでとり捨てよう」
という。
いたずら者は金火箸の焼ける音が来るのを聞いて、急いで男根を引込めると、比丘尼はあわてまごついて、
「今さっきまで、ここにあった魔羅がない」といわれた。》これはもしかしたら、武田泰淳〈わたしはずっとたけだほうじゅん、とよんでいた〉の『異形の者』や石原慎太郎の『太陽の季節』の元ネタではなかろうか。《また、ある比丘尼が三人づれで、ある道を通っていたところ、道端で馬が一物を勃起させていたのを、比丘尼たちは横目で見て、何も見なかったような顔で通り過ごしたが、先を歩く比丘尼が、がまんできずにいったことは、
「いま見たものは、とても立派なものだ。さあ、めいめいが名を付けよう」
といった。
あとの二人の比丘尼がいうには、
「さてもさても、よく気がつかれました。まずは最初にいったあなたから、名をお付け下されよ」 という。
「それでは、私がいいだしたことなので、私から付けよう。だが、いい名であるかどうかはわからないが」
といって、九献と付けた。
「その理由は」
と尋ねると、
「酒は昼飲んでも夜飲んでも、飲むことだけで心が明るくなって楽しい。さらに酒は三々九度といって、飲む盃の数が決まっていて、九度が正式である。それ以上は相手の気根次第だ。これほどよい名がないはずがない」
といった。
二番目の比丘尼がいうには、「梅法師」と付けた。「その理由は」と尋ねると、「見るたびごとに唾がたまります」という。三番目の比丘尼は、「鼻毛抜き」と付けた。「なぜだ」というと、「抜くたびに涙が落ちる」といった。》わたしの場合、どんなに窮屈でもガバガバにしてしまうので抜くたびに涙がでることはないだろう。《「お児さまの実家が貧乏なので、表立った席のときは、何から何までが借り物となる。借りられぬものは、ちんぽだけだ。ああ、気の毒に」と三位がいうと、児がそれを聞かれて、「ほんとうにくやしいです。でもそのちんぽも、わたしのものではないようです」「なぜ、そういうのだ」「人が見ると、馬の物だ馬の物だとばかりいうので」といった。》)。
借り物といえばわたしはよくゲームをその子からかりていた(なんという強引なつなげ方)。

わたしが通っていた小学校は登校班というものがあり、班長が先頭になって列をつくり、基本的にはそのように登校していた。ただ水曜日は自由登校なので、アパートの前で待ち合わせをして、その友達といっしょにいくこともあった。
私は今でもたまに、その道をあるくことがある。
マンションを降りると、商店街がある。
青果店、ドラッグストア、リサイクルショップ、電気屋、居酒屋、ミスタードーナツ、中華料理屋、マクドナルド、セブンイレブン、ファミリーマートなど。
大学生となった今では駅の方へいくためのその順番で進んであるき、駅へと向かう(五分くらいでたどりつく)。
ただ小学校は別の、少し静かな道をいく。
アパートの前を通ると彼が待っている。
事故多発エリアである大きなの交差点を横断(というか斜め)する人々(よく交通量調査のびとをしているひとがいる。楽そうでうらやましい)。昔上級生が石を投げていて遊んでいて、おじさんに本気でしかられていたのを覚えている。窓をあけて。学校を象徴する(とはいってもシンボルとかそういうことではなく、どんなに絵が下手な人でも「凸」の字に時計をかけば学校になる、という意味でのシンボルである〈ちなみにわたしは小一の頃先生の絵を描いたら「自分の絵?」と聞かれ、図書館を描いたら母に「ビル街?」と聞かれるよな絵の腕前〉。
まぁたまーに、調子に乗って窓を多く書きすぎる人もいるけど)。
黄色い帽子をかぶった一年生の子たちがはしゃぎながら登校している。

小学校四年生の教室に入る。
わたしが通っている学校は二クラスだけ。
ほかの小学校では九クラスぐらいあるところもあるらしい。
先日の書写の授業で書いた「命」という字が廊下に張り出されている。朝の会の前にわたしは彼といっしょに見た。
「ねぇみてみて」
と彼が指を指す字をみると、別にふつうである。
なんだろうなぁ。
彼は指で名字のある一字を指でかくした。
わたしはわらった。
今はやっている、芸人と同じ名字である。
わたしたちは、彼が海パン一丁で動き回る姿を想像して笑いあった。
チャイムがなり、席につく。
(『生れてはみたけれど』で父親が学校についてきいてきたとき、
「学校に行くのもおもしろいし、帰ってくるのもおもしろいけれど、その間が気に入らないね」
なんというユーモア。)
そういうわけで、わたしも退屈な時間をすごしている。
見たくなくても目に付く、宿題を行ったか、それともさぼったがわかる表。
期間によって金色、黄色、真っ黒(これは黄色いシールを先生がわざわざマジックでぬって下さるのだ)が貼られる。
一番はじめにでたのは漢字のノート提出。
わたしは勉強ぐらいはまじめにがんばろうと、がんばってかいたのだが、字が汚いので、赤で訂正されまくっている。
その前にも体育の授業で、見に覚えのないこと(どうもふざけて遊んでいたようにみえたらしい)でおこられて、体育に関してはすっかりやるきをなくしていたところなので、その先生がきらいになり、勉強もするきが怒らなくなった。
アパート住まいのSくんは何も貼られていない。
そもそもやってすらないようだ。
四時間目がおわり、窓からそとをみてみる。
黄色い帽子をかぶった一年生はもう帰れるのだ。
わたしたちは給食をたべなければいけないのに(通っているそろばん塾で、先生が「学校は何しにいくところ?」と尋ねた。ある彼女は「給食を食べにいくところ」と答えた。間違いである。わたしの学校では、たまにセルフおにぎり、というメニューがでてくる。のり、梅干し〈頭のいい女の子がこれ塩分十パーセントくらいはあるね、といっていた〉そしてこめ、これでじぶんでおにぎりをつくれ、ということである。ご飯の量に対して〈そもそもごはんの量もかなり多いのだが〉あまりにものりが大きいので、かなりぶかっこうなおにぎりになった。ほかにも二年生の頃、主菜が豆板醤などのみそで甘辛く味付けた肉、副菜がかなりしょっぱいもやし、そしてごはん、これをビビンバと言い張るのである。一番強烈だったのは給食に食中毒かなんかの問題が起きてパン、ジャム、牛乳だけ、というもの。先生は「あ、このパン焼きたてじゃない、おいしいね」と強がるのだが、この先生は給食に毎週のように「変わり五目豆」がでてきたときに、うわ、また豆かよ、という言葉を残している)。

それでも小学五年生にあがるまえにはすべての課題を終わらせていた。表を見ると真っ黒、黄色、金色とグレードアップしていっている。
ほとんどの人は春休みにわざわざ学校へいって、課題をおこなったようである。おつかれさま。
五年生にあがるころにはもうSくんとはあまり遊ばなくなっていた。
新しくできた友達とグループになってはなしているときに、となりのグループから聞こえてきた。
「俺のいえにKがきたあと、レアカードがなくなっていた」
(ちなみにそのKくんは二年生の頃、友達もいっしょになって、黒板消しをシンバルのようにパンパンたたいて粉をまいちらしていたところを、目撃され、先生に怒られるとKくんは他人事のようににげだした。
先生はそれをみて
「Kさん、あなたはひきょうです」
などと言われていた。)
それと、
「俺、万引きしたよ」
という自慢。
三年生のころ、わたしも万引き未遂をした。
ゲームのせいで、というわけでは決してないのだが、ある程度の影響は与えられたと思う。
「不思議のダンジョン」シリーズというゲームがある。
すべてのシリーズでそうかはしらないが、あるゲームでは、ダンジョン内に店があり、そこでアイテムを買うことができるのだが、ダンジョン内で倒れると(つまり敵にまけたり、おなかが減ったりすると)もっていったお金と道具が減らされてしまう。
なので、あまり高価なアイテムを買えるおかねはもっていない。ということでアイテムを回収したあと、次の階にすすめる階段までワープできる、というアイテムをつかって逃げる方がおとくなのだ(なんというゲームだ)。
近くのスーパーの二階は百円ショップと本屋が併設されている。
本屋にはカードゲームも売っている。
わたしはそれを手に取り、パンツのなかにかくし入れ、そしてすぐに戻し、積まれている本の上に置いてきた。
あたりを見回すと、店員の二人が相談している。そして一人が
「事務所にきてもらえる」
といってきたので、おとなしくついていった。
「きみ、なにかとってない」
とまずは優しい口調。
「何もとってはないです」
とろうとはしたけどね。
「警察が来てもそういえる?」
今度はかなり怖い口調。来てもちゃんとではないが、もどしたことはもどしたので、警察が来ても、どってことないのだが、監視カメラの映像などを見せられたらいやだし、わたしはとろうとしたことをあやまって、積んでいた本の上に置いたことを見せにいった。
「あの、これいくらですか」
と追い打ちをかけてみると
「ここにかいてあるだろ」
ときれだす。
このできごとの直後、母と本屋にいく機会があって(ちなみにこの事実を母親はしらない)
「あーあ、神様どうかいかなくてすみますように。もしくはあの店員がいませんように」
と祈ったら、通じたらしく、そのスーパーに雷が直撃し、停電になったらしい。しかも、しばらくたつとその本屋はつぶれた。
うん。ちょっと強く祈りすぎたようだ。これからは気を付けよう。
この経験をきっかけに人のものをとることをやめた。そして、「おとうさん、お金くれ」としっかり宣言するようにした。
「財布から勝手にとらないで、ちゃんとくれというなんていい子だろ。だから褒めろ」
とも思っている。
ただSくんから盗んだゲームは返せなかった。
いつものように
「遊ぼう」
といわれた。
わたしが母親には何も言わずに彼をつれてくるので、彼がかえったあと、しかられることがある。
彼と携帯ゲーム機で遊ぶことになった。
彼は「ナルト」「ポケモン」「マリオカート」などをもってきてあそびにくる。
ポケモンならわたしももっているのだが、彼よりも弱く、それにめずらしいポケモンをもっていた。
わたしはうらやましかった。
そして目を離したすきに、彼のソフトとわたしのソフトを入れ替えた。
あとマリオカートをわたしのポケットに隠した。
かれは気づかずにそのまま帰って行った。
わたしはマリオカートとポケモン(こちらのソフトは少し傷がついていた)を楽しくあそんだ。
学校にいって彼と出会う。
「ごめん、ソフト間違えてもって帰っちゃった」
と彼はいう。
あやまるのはわたしのほうなのに。
そのあとつづけて、
「あとマリオカートも忘れていったとおもうんだけど」
忘れたんじゃなくて、隠したのだ。
「ほんとう? 帰ったら探してみる」
なんと白々しい。
そして彼と来週遊ぼうという約束をした。
ある夜、母が寝たあと、わたしはマリオカートを始めた。
彼のデータが残っているのが目障りに感じたので、データを初期化し、遊び始める。
やがて、ゲームにも飽きてきて、眠くなってしまった。
「ごめん、まちがってデータけしちゃった」
と、いえば済んだのかもしれないのに、わたしはそれをゴミ箱へ捨てた。
母に見つからないようにゴミ箱の一番下へ。
約束の日に彼とあった。
ポケモンをわたし、そのあと
「マリオカートはみつからなかったよ」
といってしまった(あーあ)。
彼は信じたのだろうか? そして約束通り、楽しく遊び始めた。
わたしはまた同じように彼のポケモンを盗んだ。
何日かしたあと、気づいたようで、彼は家にきた。
インターホンがなり、母が応じた。
そのあとまた、わたしがもっているきれいなほうのソフトをわたしたのだが、こんどはだまされなかった。
そしてポケットから傷ついたソフトをだす。
それを聞いた別の友達からは
「どろぼうじゃん」
といわれた。その通りである。
しかし、仲の良さは変わらなかった。
わたしが本当に泥棒をした、ということをしらない母は、
「なんなのあの子」
と怒り出す。
そして、謎の執着心で私の部屋を探し回り、たまたま二つもっていた、ゲームソフトをみつけたようで、それをわたしにみせてきた。
やさしく、
「ちゃんとかえしてきなさい」
という。とてもややこしいことになってしまった。
はい、と返事をし、神様に願いながら彼の家へ向かう。母もついてきたのだ。
インターホンをならすと父親がでてきた。
彼はいないようだった。
よし、チャンスだ、と気が動転して
「これ返しておいてください」
と、名も名乗らずに預け(本当は自分のゲームなんだけど)逃げるようにかえった。
母にそのことを告げて、帰った。
次の日
「なんか俺のじゃないゲームを返しにきたひとがいるんだけど、だれかわかる?」
とかれはききまわっている。
わたしはだまっていた。
実際はこんなわたしでもなぜか信頼されていたし、頭がいい人とも思われていた(関わると、そういう思いはすぐなくなるみたいだけど)。
むしろSくんのほうが信用されていなかった、というよりも嫌われていた。
ある日、彼はせめられ、それに怒り、相手の女の子にだきついてしまった。
クラスのみんなはSくんをいやがるようにみていた。
またあるときはある子に
「でぶ」
という言葉を連呼し(確かに太ってはいるけど、そんなこといっちゃしつれいである)、それに切れた彼が
「うるさい」
とジャンパーのチャックの部分でなんどもたたいた(おお、痛そう)。デブ大暴れ。これはちょっとおもしろくてわらった。
彼はこのように、すぐ調子にのってしまうタイプで、そしてよくしゃべる。
ある女の子のみそしるに唾をいれてしまい。泣き出してしまった。
それをみた先生は彼女と味噌汁を交換してあげていた。べつにSくんと交換すればいいのにね。なんでだろ?
ほかにも黒板消しで何度も頭をたたかれ、最初は
「わしはおじいちゃんだ」
と不思議なせりふをはいて、強がっていたが、先生に怒られて、泣いたり、昇降口の掃除ちゅうに、力の強かった女の子をばかにしたためにほうきで背中をたたかれ、さらに口の中に掃除で使った水が口の中にはいり、吐き出してしまうなど、さんざんな目に遭っていた(そのあと先生がホースで吐いたものといっしょによごれた昇降口を掃除してくれた。さいしょからホースを使わせてくれればいいのに)。
そんな彼も小学六年生になると一気に好かれるようになっていた。
別に引っ越しをしたわけではないし、何かいいことをしたわけでもないのに。
彼とは中学校も同じだった。彼はもう
「宮下くんの家でゲームなくしちゃったんだよね。なんでだろう」
といった。わたしはこころからありがとうといった。
そのころはもう嫌われる彼ではなく、むしろ先生からも人気の生徒だった。
卒業遠足は別の班ではあるものの、わたしも彼も小学校の友達と班をつくることができた。
(だいたいの班はそうしてできていたのだが、ひとつだけ嫌われ者ばかりが集まって出来ている班があった。
どの学校にもいるのだろうか? なぜかわからないけれどきらわれている子は。わたしはその班の一人、能面やおかめ納豆のパッケージににている女の子がいじめられている様子をみたことがある。
最初はむしろ仲良くしているのか、と思っていた。だって楽しそうに話していたし。Hさんをいじめるな、とかばっていたし。
ただそれは、彼女をかばうことで、あとで笑い物にするため、だということがよくわかった。
彼女は友達になったと思った子にミサンガをわたしたらしい。ださいしいらないからあげる、といわれたが、正直知らない人なので困った。ミサンガはまぁがんばったね、といわれるようなダサいものだったし、なにより強烈なのが手紙で、「問題です。このなかで私がつきたい職業はなんでしょう?」とあり、選択肢がついていた。どうでもよかったが答えは気になるのでみてみると、「メイドさん」だった。おかめ、メイド……何回か読み返したあとに、両方とも捨てた。そりゃあ嫌われるよなぁ)
彼とは高校は別々だったのだが、高校の最寄り駅で彼と出会ったことがある。彼はよう、とあいさつをしたが、わたしは無視して、帰った。

小学校の同窓会のお知らせとタイムカプセル堀だしのお知らせが届いた。前日には中学校の同窓会の参加不参加を知りたいから、ともと学級委員長から「ライン」のIDをおしえてもらったばかりである。
「行けば」
と母がいうのだが、わたしは不参加に丸をつけ(これは私がマナーをしらない、というわけではなく「参加」「不参加」のどちらかに丸をつけてください、と指定されていたからである)、往復はがきだったので幹事の名前に「様」をつけ、逆にわたしの「様」を二重線でけして、母に出しにいってもらった。
ちなみに成人式はいった。ひとりで。
ゲストとしてアニメ「ポケットモンスター」のサトシを担当している声優の松本梨花さんがきてくださった。
「めざせポケモンマスター」も歌ってくれたので私は大満足。そのまま家に帰る前にちょうどよかったのでブックオフによってから帰ってきた。
同じ小学校、中学校に通っていたひとのTwitterをこっそりのぞくと、インスタグラムで同窓会の時の写真がのっていた。
頭がよくて、パジャマをきて登校していた強烈な子は、東京大学に通っているらしい(名前で検索すると、部活内のブログで彼が担当してかいた文章がでてきた)。
僕は常識がないですが、と謙遜している(よくわかっているじゃないか)
そしてSくんはもともとわたしが仲良くしていた人たちと同窓会へむかったようだ。
みんなでコーラをのんでいるしゃしん。そして小学校の同窓会、中学校の同窓会ともに、わたしたちのクラスを担当していた先生が全員きたようである。
何日かして、タイムカプセルの中身が届いた。
小六のころにかいたのだが、まったくおぼえていない。
なぜかセロハンテープで汚らしく包まれた封筒をあけて、中身をとりだすと、「スーパーマリオブラザーズ」これはファミコン版のスタート画面(もちろん荒いドットの絵)を再現して書いた絵と、二十歳の私へ、という手紙が入っていた。
わくわくしながらよんでみた。手紙は余白だらけ。もっと書けばいいのに。
〈二十歳の自分へ
二十歳の自分は、今、何をしていますか?
働いていますか?
それとも大学で勉強していますか?
そして、元気でいますか?
親友はいますか?
担任の先生が飲みたいといっていますよ(笑)
(昔はやった芸人の名前)ってまだいるのかな
楽しく過ごしていてください〉

もらっても困るというか、なんのありがたみも感じない文章である。まぁ無理矢理書かされたのだから、当たり前か。
まぁ一応答えてみると、二十歳の自分は大学で勉強していて、あまり元気ではなく、親友どころか友達もいません。
「飲みたい」
と、いわれても、げんざい鬱病の薬をのんでいるので、酒はのめません。泥酔してしまうようです(ただわたしは血でいうと母方の酒豪の血と父方の楽しく酔える血がまざっているので鬱病がなおったらのんでみたい、という気持ちはある「菊水」のふなぐちがおいしい、と祖母からきいた)。
その芸人はまだいます。一線で活躍していますよ。
楽しく過ごしていたら鬱病にはなりませんね(笑)

もう一つ、卒業文集に載る前の赤字で添削された作文用紙が入っていた。(ほかに入れるものがなかったのだろうか。悲しい小学生活である)
〈日光の思い出 宮下洋平
ぼくは、日光には、いろんな思い出があります。
一つ目は、修学旅行列車です。列車では、いろんなレクをしたりしました。
お弁当の時間では、となりでは、KBさんがすごい量を食べていてびっくりしました。
二つ目は、日光東照宮です。
三猿では、意外に分かりにくかったです。
いろんな寺がありました。
外国の人に写真をとられたりもしました。
鳴き竜は、泣いているように聞こえてすごかったです。
ぼくの担当したガイドは、三神庫や神楽殿をしました。
三つ目は、ホテルです。(実名)さんが
「痛い。痛い。」といいびっくりしました。
そして(実名)さんは、病院へいきました。
ホテルの夕食は、量が多かったですがなんとか食べられました。
その後、買い物やお風呂の時には、(実名)さんが帰ってきていっしょに寝ることになりました。
寝るときには、怖い話をして眠りました。
四つ目は二日目です。
みんなが五時ぐらいに起きていたのでふとんをたたんだあとにジェンガをうるさくならないようにやりました。
ホテルを出発したあとには、ハイキングコースを選んでいたのでハイキングをしました。
滝の大きさはすごかったです。
昼食は、カレーライスを食べました。
日光修学旅行は、いろんな思い出がたくさんあり楽しかったです。
これで(実名)さんが痛くならなければもっと楽しいと思いました。
日光修学旅行は、いろいろあったけどいろんな思い出ができて楽しかったです。〉

正直言って惚れ惚れす(自惚れの間違い?)るほど、今のわたしである(文章力も)。
自分自身に関しては〈いろいろ、いろんな〉で済ませて、ほかの人の、しかもとてもつまらない状況をたのしんでいる。
ちなみにどう添削されたかというと、まず〈日光には〉の「は」は×印で消され、〈いろんな〉は色々なになおされる(何度も。先生もついつい忘れるほど)。
〈となりでは〉の「は」は消され、〈ぼくの担当したガイドは、三神庫や神楽殿をしました〉はなぜか「しました」はなおされず、「なんとかガイドを(無事に、が消されている)終えることができました」と、うその情報が足され、(実名)のところは「国」のじを「國」となおされたあと、先生もおもうことがあったのだろう
「ある友達に変えて」
とびっくりマークまでつけて書いている。
そこまで言うのならしょうがない、とおもったのか、アルバムの清書のほうではちゃんとある友達になおっていた(無視したら載るのか、それとも勝手になおされるのか、実験してみたかった)。
〈寝るとき〉は「寝る時」になおされ、これぐらいいいじゃないか、とおもいつつも、ちゃんとなおしている(偉い!)。
〈あとに〉は「後に(別にいいのに)」
〈みんなが五時ぐらいに起きていたので〉のあとには読点をいれられ、
〈(実名)さんがいたく〉には間に「の腹」といれられ、
〈あったけど〉は「あったけれど」になおされている。

いろいろ懐かしくおもい(もちろん今のじぶんとまったく変わりはしないのだけれど)、小学校のアルバムを自分のところだけではなく、いろいろ見てみた。
お腹を痛めた(実名)さんの文章を読んでみる。
どうやら男の子は文章が似通うらしく、わたしと同じ部屋だった人はみんな日光についてかいていた。ちゃんとじぶんの感想をいれて。
彼はガイドを聞いてもらえなかったそうである。
かわいそう、かと思いきや、わたしたちのことを、
「遊ぶことしか考えてないなかったらしく」
と嫌みったらしく書いて、
「ジャンケンで負けた人は罰ゲームでくすぐられる」
というのを書いていて、あぁそうだそうだ、とわたしは思い出す。
わたしはこどもっぽいことが嫌いだったので、ジャンケンだけ参加し、くすぐりには参加しなかった。
修学旅行から帰ってきた後、彼は宿泊体験では三連続で病院送りにされた、ということを先生がいいだすので、みんな笑った。
寝る前に、私はトイレにいった。尿だったのでそんなにながくはないのだが、そのあいだに、部屋の一人がかけぶとんをなげて(まくらではない。しかも自分のではなくわたしのをつかって)あそびだし、みんなも参加してかけぶとんのカバーがはずれ、ほこりがたつまで遊びだした。
わたしがトイレからでてくると、そんな状態。そこへ先生。
「なにやってんだ」
当たり前である。
わたしはちゃんといい子ぶって、トイレにいっていたのでわかりませんといい、最初に遊びだした、ゴリラ顔が自白した。
部屋全体で怒られた。
わたしは悪いことはしてないのに(ぷんぷん)とおもっていたら、その後
「あの部屋でまともなのは宮下しかいない」
といってくださったので気持ちがはれた。
ちなみに、女の子はどんなふうにかいているのだろう、とついついおもってしまったので、ちょっとだけみてみた(エロ親父の気分)
男たちが日光だの運動会だの、一つの行事で文章を書いているのをバカにしたように、
「すてきな思い出がいっぱいあったけれど一番の思い出は友達がたくさんできたことと」
と、鼻白む文章を書いているひともいる。
けんかしたあと、仲直りできたのが、とてもうれしかったようだ。
ほかには、
「学校の新聞をだしたこと」
を書いたひとなど、様々である。

もういちど、同窓会の写真をみてみる。今はいきたくないが、〈いろんな〉経験をした四十歳くらいになったらちょっといってみようかな、と思った。

2019年6月9日公開

© 2019 yohei

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