20xx年の日本では誰もが「どこでもドア型時間逆行装置」を購入できるようになっていた。年間の最大使用回数は四回と制限があるものの、シールを貼ってドアをあければ、誰でも簡単に時間を逆行できる。これはそんな時代の物語である――
あかりは激怒した。
靴下がまた片方消えたのだ。これでついに三足セット1000円の靴下すべて、片方だけになった。損耗率50%、全滅である。
季節は初夏、開け放った窓辺では薫風がカーテンを揺らし、気持ちよく晴れ上がった青空をちらちらとみせつけてくる。しかし靴下の全滅を前にどうして浮ついた気持ちでいられるのか? あかりは靴下をつまみあげ、ため息をついた。
「……狙われてんのかな」
現代人からすれば彼女の発想は突飛に思えるだろうか? どこでもドア型時間逆行装置が一般的になったこの時代、未来の人間によって窃盗が行われる事件は珍しくない。もっとも時間逆行のログはすべて記録されているから足はつくし、きちんと被害届を出しておけば未来で犯人が逮捕され、いつの間にか盗まれたものは戻っている。そもそもタイムパラドックスは当初から問題視されているので、行動範囲はドアから半径一メートル以内、過去の行為が未来へ甚大な影響を与えると認められる場合は、三十秒以内に逆行装置が停止し、修正が行われる。
ざっくりいえば、運用でカバーされるのでタイムパラドックスの心配をする必要はまったくないのである。
だがそれゆえに軽犯罪――未来に大きな影響を与えない、本当にどうでもいいものを盗まれるという事件は枚挙暇がなかった。
ため息をつく。靴下を狙うなんてどうかしているとしか思えない。下着泥棒ならまだわかるが、なぜ靴下なのか? しかも片方だけ盗る理由は?
理解できない。理解できないから腹が立つし気持ちが悪い。ぷりぷりとしながらあかりは相方を失った靴下を片手に洗面所へ引き返した。念のため洗濯機の中を確認しようというのである。
「ほんとさー、公共の場所でしか使えないみたいな制約つけろっつーの、ドアの大きさで判定するとかさぁ! 家の中入りたい放題じゃん、次にどんな人が住むのかとか知らんし! リスク高すぎでしょ――」
文句を言いつつ洗面所を開けると水垢の匂いがすこしする。乾燥のためにドアを開け放している風呂場からだ。正面は風呂、左側はトイレ、右側には縦型全自動洗濯機、その上には彼女が取り付けた突っ張り棚があり、ごちゃごちゃと洗剤やら風呂掃除用品やらが突っ込まれている。あかりは洗濯機の蓋を勢いよく開けた。
「……え?」
あかりは仰天した。
ふつう、洗濯機の蓋をあけたら銀色の洗濯槽が見えるものではないのか。しかし、彼女が見たのは闇だった。洗濯機の白い回転底はかろうじて見えているが、いつになく暗く、奇妙な雰囲気だ。奇妙な雰囲気の原因は、くっきりとした輪郭の白い光が浮いているせいだろう。
混乱する彼女をさらに困惑させるように、光の中からにゅっと棒が突き出される。いや、それは棒ではなかった。小さな、ぷくぷくとして肉付きのいい子供の手だった。小さな手が洗濯機の底をまさぐっている。
「え? ちょっと――」
にゅっともう一本手が現れ、ひかりの輪郭をくぐって小さな頭が現れる。ちぐはぐな高さのツインテールを振って、頭は顔をあげた。ふくらんだ白い頬と、ピカピカと輝く黒目がちの目。
こどもではないか。
「ママのくつしたとったでしょ!」
ぎゅっと顔にしわをよせ、子供は叫んだ。
ぎょっとしてあかりは身構えた。子供の声は耳に障る。甲高くて、直接頭に刺さる。あかりはうっかり自分が犯人なのではないかと思った。
「ママのだよ!」
「え……え?」
「かえして! とっちゃだめなんだよ!」
「え、と――……」
この子供は誰だ? なぜ子供が洗濯機の中に現れたのか? この子供も靴下を誰かにとられたのか? 被害者のひとりなのか? そもそも洗濯機に体を乗り出していて大丈夫なのか? 危険ではないか? いくつもの疑問が頭の中に同時に浮かび、あかりはとりあえずまばたきをした。
子供があらわれた理由は難しくない。どこでもドア型時間逆行装置を勝手に使ったのだろう。冷静になれば簡単にわかることだし、このままぼうっとしていても三十秒経てば彼女とのリンクは途絶える。むしろ声をかけないほうがいいくらいだ。彼女は過去に干渉していることに気づいていない様子だし、それに小さな子供だから過去への干渉が悪いことだとも知らないだろう。あとで使用制限がかかって親がびっくりするかもしれないから――
「どうしてくつした食べちゃうの? たべちゃいけないんだよ!」
「え? 食べてないよ」
眉間にシワをよせてあかりをにらんでいた子供は、虚をつかれたような表情になった。
しまった、と思う。うっかり応対してしまった。
「だってママが……」
顎をひいて少女は口をとがらせた。語尾はしぼんで元気がない。あかりは焦って体を乗り出した。
「あー、えっと危ないからあんま中に入んないほうが……」
「ママが……だって、せんたっきさんがくつした食べちゃうせいって言ってたもん! ほんとだもん!」
大きな黒目はうるんでいる。大きな怪獣に挑むヒロインのように決然と口をむすび、彼女はあかりをにらみつけている。ママの靴下をすくうために、彼女は決死の戦いをしているのだ。しかしこのままではせんたっきかいじゅうを倒せない!
気づくとあかりは片手に持った靴下を彼女に差し出し、必死で謝っていた。ごめんね。ごめん。おいしそうだとおもって。
「もう食べちゃだめだよ!」
「はい」
「絶対だよ!」
誰と喋ってるの、と少女の背後から大人の声がして、あかりは我に返った。はっとした表情になった少女の行動はすばやい。あかりをふりかえることなく、頭を引き抜き、光の縁に指が残った。
「くつしたぁ」
ふっと光が消える。少女の声はもう聞こえない。
中野真 投稿者 | 2019-06-16 13:29
はじめまして、中野です。
「だってせんたっきさんがくつしたたべちゃうんだもん」
タイトルがとても素敵だと思いました!
お話もとてもかわいらしくて好きです。
個人的には内容的にそれこそ「ドラえもん」的なSF(少し・不思議)よりの設定でもよかったんじゃないかと思いました。物語の可愛らしさとSFの無機的な感じのアンマッチを狙っているのなら成功ですが。
他の作品もこれから楽しみに読ませていただきます。
失礼します。