(7章の1)
病室から部屋を移され、機械が隙間なく並ぶ部屋で『業者A』の人間に囲まれることになった。いろいろな線を、そして管を、とっかえひっかえ体に付けられた。これが夢の世界に行く機械なのかと聞くと、まだまだ検査の段階だという。体の状態を的確につかみ、慎重に進めないと、入り込めないという。これこそ人体実験だと思ったが、もう覚悟は決めていた。なにをされようが、もうあとがない。それはそれでしょうがない。なにしろわたしは病状が進み、立つことも満足にできない。脱出しようとしたって部屋を出ることすらひと苦労なのだ。
わたしは部屋に男がいるのに気がついた。しばらく姿が見えずにいた、沢田だった。
「どうも沢田さん、久しぶりですね」
発声もひと苦労のわたしは掠れた声であいさつをした。沢田は再びわたしの担当になり、ずっととなりに付き添うという。わたしは心強く感じた。
俳優ですと言われてもおかしくないような、整った顔立ち。わたしは以前、病院で話しているときから、沢田をうらやましいと思っていた。この男はまだまだ生きることができて、しかもこんな容姿なら華やかな人生を送れるはずだ。これからも楽しい日常が溢れているだろう。
わたしの方はといえば、もはや骨と皮だけと言っていいほどの痩せよう。目ばかりギョロつき、子供が見たら泣いてしまうのではと思える表情だ。
わたしにも、沢田と同じような姿の時があった。細面で、健康的に痩せて。そしてまた、両親は世間並みにかわいがってくれ、そこそこの大学を出て安定した企業に入った。金に困ったということは、正直なかった。だから、人間一人の人生としては、満足し得る環境ですごしてきたのだ。
だから贅沢ということは分かっているが、それでも、平坦すぎる人生だったという思いは大きく残った。なに一つ出っ張りというものが、山場というものがない一生なのだ。女性関係でもめたことがないどころか、女性関係そのものがなかった。なんのために生きてきたのか、という問いに言葉が詰まってしまう人生。
社会に対するわたしの功績を鑑みると、受け取った給料と退職金はいかにも多すぎる。わたしは社会の役に立つようなことなど一切していない。もっとも邪魔にもなっていないのが救いだが、ボランティアも人助けも、とにかく自発的な活動というものとは無縁の人生だった。
検査が佳境を迎えたのか、医師と技師の数が増えた。より大型の機械が運ばれ、新たに点滴を打たれた。それまでの入院生活で機械も医療器具も慣れていたわたしでも、驚くほどの多さ、複雑さだった。
眠くなってはいたが、薬剤が効いているのか、妙に体が疼く。なんだか立ち上がって体操でもしたい気分だった。
脇に立つ沢田に向かい、掛け値なくあなたがうらやましいと言った。
そんなうらやましがられること、自分にはないですよと沢田は言う。
いや、うらやましいとわたしは繰り返す。あなたは若くて、まだずっと生きられる。しかもあまいマスクだし、楽しいことがたくさんあるに違いない。心からうらやましい、と。
うらやましいなどという言葉は、そう易々と他人に献上したくない言葉だ。しかし、もう死んでしまうのに意地など張ったってしょうがないというもの。わたしは思うままに言った。
沢田は困惑したような表情で、珍しいですね、と言った。
「えっ、珍しい?」
「はい、珍しいです。通常は罵倒するんですよ、私のことを。なにを見てやがるんだ、という人もいますし、自分たちみたいな病人から大儲けしやがってと念仏のように呟き続ける人もいます。罵詈雑言ばかりです。起き上がれない方ばかりですので言葉だけで済んでいますが、体が自由になるのなら、きっと掴みかかられているはずです。私はじっとお客様の感情的な言葉を聞きながら、耐えるのが仕事なのです。どうです、あんまりうらやましくはないでしょう」
沢田は自嘲的な笑いとともに、そう言った。
わたしは少し間を置いてから、たいへんな仕事なんだなと、呟くように男に言った。
「ありがとうございます。でも、仕事はだれでも、どんなものでもたいへんだと思います。お客様もたいへんな仕事をしてきて、そうしてこうやって、我が社のサービスを受ける財産が残せたのでしょう」
今度はクスッとした笑い。この男の笑顔は男も惹きつけるなと、わたしはじっと見つめる。そして、息を整えてから話し出す。
「いや、それがねぇ、こちらの人生はまったくたいしたことやってないんだよ。まぁ運がよかったんだろうな、自分の働き程度でそこそこのお金を残せたってことはさ」
「うーん、それはどうでしょうか。自分の人生にしっかり対応できていたからたいへんと感じなかっただけで、きっとそれなりにたいへんだったはずですよ」
今度は真面目な顔。表情の使い分けが実に上手い。わたしはその言葉に、涙ぐむ。鼻の横にじわりと伝わせながら、口を開いた。
「ありがとう。思い残すことはたくさんあるけれど、でもほんの一つだけでも溜飲を下げてもらったよ」
沢田の言葉に心は大きく揺さぶられたが、涙は溢れるほどではなかった。泣くという行為は体力を要することだ。その感情を表す普遍的な行為もできないくらい、わたしは体力が落ちていた。
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