二
ある日、三吉の住んでいる露地の入口に、
「二階六疊かします」
と、いふ貼紙が貼られました。三吉が書いて、貼りつけたのです。
三吉は兩親もなし、妻子もない、まつたくのひとり者でありましたが、永年奉公した末獨立して擔ぎ思を開業するに際して、わざわざ一戸を構えたのです。ひとり者ですから、よその二階を借りたり、アパートに住んだりしても良いのですが、それでは世間の信用にかかはると考えまして、路地裏ながら、一戸を構えたやうなわけでした。
それを今日、もはや一戸を支へ切れず、せめて家賃の足しにもと、二階の六疊一間を貸す破目にたちいたつたとは、三吉にとりましてほとほと感槪無量なものがありました。
張紙を出しましたところ、こればつかりは運良く、直ぐ借手がつきまして、御免とやつて來たのは、若い小意氣な女でありました。その女は、三吉が擔ぎ屋であることをききますと、思はず
「あら、吳服屋さんなの。いいわね。」
と、言ひましたが、すぐ、
「いいわねなんて言へたのはむかしのこと。今ぢや、あたし出物をわけて貰はうと思つても、駄目だわ。むかしならねえ。」
と、溜息をつきまして、そして問はず語りに身の上を語りました。
その女は木島おたねと言ひ、生國は廣島縣の片田舎でありましたが、「鄙にもまれなとはあたしのやうな女のことを言ふんでせうね」美人でありましたので、人一倍都會に憧れまして、「十九の春に花の大阪へ出て來てからといふものは、あたしといふ女はそりや人にも言へぬ苦勞をした」けれど、遂にある人の世話になりまして、氣隨氣儘に暮して來たのですが、この頃隣組といふものが出來、何かにつけて日かげの暮しの内證が明るみに出て、恥をかく事が多く、といつて、「まさか出來もせんお花の師匠の看板をかけて世間態を誤魔化すわけにも行かないでせう。ですからあたし思ひ切つて……」永年の旦那と別れ、何もかも靑算して、今までの家も疊んでしまひ、まづ二階借りして、新しく出直さうという氣になつた、と言ふのでした。
「ほんとに、むかしならね、ちよつと吳服屋さん、繪羽織の意氣なのを、見せて頂戴ななんて、あんたを喜ばすんだけど、もうかうなつちや、それどころぢやないわ。あたしあしたから働くことを習はうと思つてるの。しかし、タイピストなんて、あたし御免だわ。ピストーなんて、なんかかうまがいものの酸つぱい飮物みたいでせう? あんなのいやだわ。そんな英語の職業婦人ぢやなくて、あたし算盤を習つて郵便局に勤めるの。郵便局の事務員て、なんかかう利口さうで良いぢやないの。鄕里にゐた時、高等科を優等で出たお友達が郵便局につとめてゐたけど、ほんとに素敵だつたわ」
木島おたねは隨分よく喋りました。三吉は澁い顏をしてきいてをりました。木島おたねは、初對面の三吉にむかつてぬけぬけとあたしは美人だといふだけあつて、頗る垢の抜けた婦人でした。そのことを納得しました三吉の心事は、むしろ淋しいものがありました。
三吉は、商賣柄つねに婦人と接觸してをるわけですが、三吉はどのやうな婦人の前においても、淋しい氣持を感ずるようなことは、以前は滅多にありませなんだ。つねに、得意満面であつたのです。何故かと申しますと、自分が吳服屋であることを自慢に思つてゐたからであります。ところが、昨今は三吉は自身吳服屋であることが恥しくてなりません。それ故、三吉は木島おたねのやうな美人の前において、隨分淋しい想がするのでした。
三吉は木島おたねのお喋りをきき終ると、
「なんでんな。お互ひいろいろ苦勞があるもんでんな。しかし、まあ、お互ひしつかりやりまひよやおまへんか。」
と、言ひました。
けれど、三吉にとつて、目下、しつかりやらうとは一體どんなことを言ふのでせう。なにをしつかりやれば良いのでせう。三吉は、目方の增えもせず、減りもしない風呂敷包を背負つて、ひよこひよこ驅けづりまはつている自分の姿を想ひ出して、げつそりしました。
「この女の眼から見たら、わいは人に二階を貸さんと食べて行けんやうな、がしんたれ(不甲斐性者)に見えるこつちやろ。わいのやうな肩身のせまい擔ぎ屋の二階住ひして、この女もきつと肩身がせまいと思ふこつちやろ」
三吉はこんな風にひがんで考へ、精のない顏をしました。
すると、木島おたねは、
「あんた吳服屋だから、算盤お上手でせう? お暇なときあたしに敎えて頂戴な。御恩に着るわ。」
さう言つて、
「どうせあたし、あんたに着るものは買へないんだから、せめてせめて御恩だけでも着せていただくわ。」
と、しんみり、かつ、洒落のめして言ひました。
三吉はにわかに元氣づきました。すぐさま算盤を取り出して來ました。商賣柄、行儀わるく立膝をして坐つてをりますので、起居が敏活であります。
「御破算で願いましては三錢也、五錢なあり、十と二錢なあり、また八錢なあり、また八錢なり、三錢では……?」
「ちよつと、あんた、もうちよつとゆつくり言つて下さいな」
木島おたねはあきれるくらゐ算盤が下手糞でありました。
けれど、十日ばかり經ちますと、やや上達しました。
「御破算で願ひましては三錢也、五錢なあり……」
「ちよつと、三吉さん、三錢五錢なんて、隨分不景氣ぢやないの。もつと景氣のいいとこを言つて下さいな。」
三吉はなにか狼狽して、
「御破算で願ひましては二萬三千六百八十圓也……」
三吉はつくづく貧乏がいやになりました。木島おたねが間代を拂う時、
「よろしおま、よろしおま。いつでも構めしめへん」
と、せめて平氣で言へるやうになりたいと思ふのでした。
思ひは木島おたねも同じでした。木島おたねは自分の金を、
「御破算で願ひましては二萬三千……」
廣々と勘定してみたいと思ふのでした。いや、そんなに景氣がよくなくても結構、せめて三吉に、
「同じお渡しするんだから……」
と、月末前に間代を渡すやうになりたいものだと思ふのでした。
木島おたねは每日あちこちの郵便局へ顏を出し、葉書を一枚買うて、
「お宅で事務員は要りませんか。」
と、きくのでした。
「要りますよ。」
と、ときに郵便局の人は言ひますが、事務員になりたがつてゐるのが當の木島おたねだと分ると、郵便局の人は物好きでありませんから、つねに周章狼狽して、
「おや、あんたですか」
と、斷るのでした。木島おたねはかたぎに見せようとして隨分苦心をし、顏の白粉も落してをりましたが、首筋にこつてりと白粉が殘つてをるのでした。おまけに、素足に塗りの下駄をはき、黑襟の半纏をひつかけていました。
一方、三吉は相かはらず每朝八時に大きな風呂敷包を背負つて、露地を出て行くのでしたが、歸りは隨分情けない顏をしてゐるのがつねでありました。
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