生死生命論 番外編 「故郷」

消雲堂

小説

983文字

まだまだ生きて贅沢に暮らしたい…と図々しい考え方に変わった40代になってから、もしかしたら人生は同じ時間を永遠に繰り返しているんじゃないのか? って永劫回帰の考え方におちついたんです。永劫回帰といえばニーチェですが、その頃はニーチェなんて読んだこともウイキペディアで調べたこともなかったのです。
僕はニーチェの永劫回帰という考え方に同調するのですよ。ただし、ニーチェは永劫回帰の理由について述べていませんが、僕は人間の人生とは運命とは「時間」によって統率されていると考えているのです。それを少しずつ書いているのが「生死生命論」です。はたして僕が死ぬまで自費出版できるでしょうか?

とても煩い金属的な音で目が覚めた。しばらくははっきりと目を開けられなかったが、ようやく視界がはっきりとしてくると周りの状況がわかってきた。僕は広い部屋の中に横になっているようだ。僕は誰なんだろう? 僕はここで何をしているのだろう? 先ほどから数人の男女が部屋の中を駆け回っている。何かあったのだろうか?

精神はクラクラと眩暈を起こしているような感じで、何だか心許ない。すると…突然、シュポン!という、栓を抜いたようなすっとぼけた音が僕の両耳から聞こえた。すると目の前が真っ暗になり、ガクンと足場が無くなって僕は闇の奥に吸い込まれていく。気が遠くなるような高い場所から落下していくような感覚だ。

すうっと気が遠くなって意識がなくなった。そのあとの記憶がない。僕は多分死んだのだ。

それからどのくらいの時間が経ったのだろう? 僕は覚醒した…。

気がつけば故郷の星が眼下に拡がっている。僅かな大きさの原子核、あるいは、たったひとつの細胞であるはずの小さな星屑が、これほどまでに巨大な球体の海に見えるとは…。地球を包む海は、その深度によって複雑に蒼の色相が異なっている。海の上に広がるはずの空は、今、僕の手元にあることを忘れて奇妙な錯覚に襲われる。いずれを見渡しても、あるはずの空がどこにもないからだろう。ただし、地球上には無数の種類の雲が、ウネウネと不気味に、巨大なニシキヘビのようにわが故郷を締めつけている。

それ以前に、僕は何故、こうやって宇宙を浮遊しているのかがわからない。目に見える身体の部位を見ると、何も身につけていない全裸のようである。それにしても、僕はどうしてここにいるのだろう。どうして酸素のないこの宇宙空間で生きていられるのだろう。

宇宙は僕を優しく包含して融合を図るかのようである。聞こえはいいが、僕を溶解して宇宙に取り込むつもりなのだ。その時点で僕の存在はこの時間の帯から喪失して忘れ去られてしまうのだろう。熱帯の白昼の砂浜に置かれたグラスの中の氷が溶けるように、あっという間に僕は蒸発してしまうのだ。

蒸発のその瞬間、僕は時間の帯を湧水地までに遡るのだ。それは誕生と死滅が同時に存在する場所であり、永劫回帰の源流なのだ。

突然、また視界が真っ暗になった。次の瞬間、僕は死んだはずの母の子宮の中にいて、また昭和32年1月2日に生まれ出るのを待っているのだった。

2017年5月17日公開

© 2017 消雲堂

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