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~Grand Guignol~

鴻上縞

異形の少年を愛した男の庇護と崩壊の物語

タグ: #SF #純文学

小説

24,814文字

二

 

世界に眩い朝日が落ちる。閉じた瞼の裏から透けた細い血管が、私の世界を真紅に染め上げた。

彼と出逢い、もう幾度目かの夏が訪れたが、相変わらずこの島国は世界から孤立していて、私たちはより一層我が身を守るために凡庸を愛した。

私はというと、一年前に実家を出て父母から離れ、ついに自分の家を持った。その理由は、高校を卒業する頃の私に、もはや奇行が見受けられず、父母が私に干渉し出したからである。彼の存在が明るみに出ることを危惧した私は、一刻の猶予もなく彼を隠さなければならなくなったのだ。

こうして私の人生は親からの庇護を受ける立場から、ただ彼を庇護する立場へと急な舵を取ったのであった。しかし私は彼を見付けた時も、彼に猫のように扱われた時も、そしてこの時もまだ、自分に後ろ暗い意識を持ってはいなかった。私はただ彼の庇護者であるという正義の自尊心のみに突き動かされていると信じていたのだ。

そして大学というものは随分と前に廃止され、私は高校を卒業したらすぐに働かねばならなかった。しかしこの御時世にも関わらず、前にも言った通り私の家は裕福だったから、何不自由なく父の会社に入ることができた。言うなれば、私は僅かばかり残った上流階級であり、過去を恨めしく思いながら小さな社交界を開くような、低俗な種類に属していた。

金、権力、着飾った美貌と高潔な精神。彼らが誇りに思うそんな煌びやかなものに、私は興味が持てない。私はこの世で最も秀美なものを手にしていたのだから。

白銀の髪の、異形の殺人者。

あの抜けるような瞳。子供のように無邪気で、酷薄な微笑。蒼白い肌。真夏の太陽の下でも、糸のような三日月の照らす闇の中でも、彼はいつも薄らぼんやりと輝いて見えた。

しかし彼の美しさは、その造形ではないのだ。彼は無知ゆえに、酷く不安定である。突然癇癪を起こしたかと思えば、次の瞬間には笑い出すこともある。稀に私をいないものとすることもあったし、跪いて私の臍を舐めることもあった。

そういった極めて狂気的で不完全であるものを、私はこよなく愛していた。

 

私は新しい家の廊下を突き進んだ先にある、まるでこの洋風の家には似つかわしくない、異空間へと繋がるような鉄扉を開いた。この扉は三層になっており、一つ目は鉄格子。二つ目はアルミ箔をべたべたと貼り付けた銀色の軽いもの。そして最後には錆朱色の鉄扉となっている。

扉を開くと待ち受けるのは奈落の底まで続く階段と、湿った黴の匂いである。階段を下りきればまた扉が待ち受ける。これは簡易なもので、大きめの南京錠をかけただけの粗末なものだ。

私は慣れた動作で南京錠を外し、ゆっくりと扉を開き、部屋の隅の小さなベッドの上に向けて微笑みかけた。
「おはよう、ゆう」
ここは、彼に私が与えた部屋である。まだ太陽が低いこの時間は、人工的な青い光だけがコンクリートの灰色を満遍なく浮かび上がらせている。彼の部屋に窓はないのだ。代わりに、高い天窓を設けた。六畳ほどのこの部屋は、彼の命と同じように本物の井戸の底のようであった。

四方の壁に取り付けた蛍光灯は、彼の持つ蒼さをより透かして輝き、私を魅了するばかり。そして視覚的に彼を圧迫することにより、彼はより私の存在に焦がれるようになっていた。

彼は私の名を呼ぶと、弱くなった足でゆっくりと立ち上がり、痩けた頬を緩ませた。
「もっと、近くにきて」
相変わらず途切れ途切れの言葉の礫が、私の鼓膜から入り、残酷な悦楽の甘さを教えてくれる。私が歩み寄ると、彼は瞼を薄く閉じて私の腹の辺りに鼻を近付けた。
「ああ、いいにおい」
太陽の匂いがすると、彼はいつも私の訪れを待ち侘びて、しきりに私の髪に触れた。時には私の腰に腕を回し、首元に鼻先を擦り付けて甘えた仕草を見せる。
彼にとって私は、今や私の望んでいた光そのものとなった。

 

私は日に何度も部屋から出てはいけないことを彼に教え込んだ。外は彼にとって危険が多く、その美しい白銀の髪は人の目には醜い悪しきものに映ってしまうこと。見付かればすぐに樹海に埋められてしまうこと。

そして、彼は人間を二人殺していることもついに打ち明けた。それは彼にとって最も触れてはならないものであった。

彼は自分が幼き日に何をしてしまったのか、まるで理解がないわけではなかった。彼の口から語られた真実は私の予想のまるで及ばぬことで、彼の思考の深さに感銘を覚えるほどであった。

彼の白銀の髪は、生まれついたものらしい。ウイルス感染が発覚した際、もしも妊娠中であれば堕胎することが義務付けられているのだが、彼の母はそれをしなかった。故に彼が生まれてしまったのだ。彼の父母は、犯した罪から逃れるために新市街の外れの、今は政府も手付かずである廃屋地帯にいたのである。

しかし彼の父母は、生んだにも関わらず彼を愛さなかった。生まれたものが異形であると気付くや、食事を与えなかったそうだ。だが、彼は死ななかった。その特異な能力で、彼は生まれた時より、もっと言えば腹の中で既に彼の意識ははっきりとしていた。故にいくら普通ならばすぐに死を迎える赤子の時でも、彼は眠りに落ちた母の乳房を弄ったそうだ。

成長に合わせその食は変質し、道端の雑草や、犬や猫や鼠などを獲ってはなんとか生き延びて来た。父母は彼を畏れながらも、自分たちの犯した罪の重さ故にただ怯えることしか出来ず、それでも平等に時は過ぎてゆく。

だが彼らの心の中で、異形のものへの行き過ぎた恐怖心は膨れ上がるばかりであった。

そして遂に、私たちが出逢ったあの夏の日から少し前。今まで沈黙を続けて来た彼の両親の背徳心が、その重みに耐え切れずに爆発することとなる。きっかけなどは無かったのかもしれない。コップに注いだ水が溢れるようなものだと、彼は淡々と言った。

母は彼の美しい髪を引き千切らんばかりに掴み上げ、父はその大きな拳で彼を執拗に殴り付けたそうだ。突如襲い来る様々な暴力の中で、彼は訴え続けた。自分は、ただ被害者であると。しかしもちろん、彼らは自分たちこそ真の被害者であると疑ってやまない。彼らにとって彼の言葉は、テレビのノイズよりも悪質な、雑音でしかなかった。だから彼は願ったそうだ。

最も醜悪な姿で朽ち果てろ、と。

それが事の顛末である。骨の軋む音、皮膚が張り裂ける音、肉の弾ける音さえ、鮮明に覚えていると彼は言った。自分の能力に気付いたのがその瞬間であり、だが彼は、何故親が自分を愛さなかったのかが分からなかった。彼の両親は、彼が滅びを願ったことで消え失せてしまったのだから。

ただ彼はあの時、誰一人自分の存在を肯定も否定もしてくれなくなったことに、心底絶望したそうだ。他人がいなければ、自分は此処に生きる価値が無い。もっと言えば、存在すらしていないのだ。

そして彼は私に出逢った。それでもなお、自分が存在しているのかいないのかすら分からない精神状態ではあったのだが、彼は闇雲にそれを探すことはせず、私が彼を認識していると確信を得るまでは息を潜めていたそうだ。

私はそれを聞いた時、あの日、唐突に空を飛べると言った彼への答えを間違えなかったことを確信した。だからこそ彼は、私という存在が消えてしまい、再び自らが存在しなくなることを酷く恐れている。彼は自分が特異な存在であり、また、世界はそれを排除しようと動いているという事実を知ったのだから。二親殺しの異形のものなど、正しく我が国が排除したい存在であるという現実は、彼が誰よりも強く感じていた。

 

白銀の髪を緩く撫でてやっていた私を、彼は瞳に涙を溜めて見上げた。
「また、怖い夢を見たの」
彼はよく、私に見えない存在となって消えゆく夢を見る。彼がその夢に怯え私に縋る時に感じる壮絶な悦は、私が生きて来た中で最上のものであった。

 

その日の夜、私は兼ねてより招待を受けていた令嬢のパーティーへと出向かなければならなかった。ならなかったというのも、私は常々その無意味な集いが酷く煩わしく思っていた。私が彼らから学ぶことは何も無い上に、虚栄心で煌びやかに装飾された人間を見ることすら不愉快だからである。

何より、私が一応の愛想笑いを浮かべているその瞬間、彼はたった一人家で私を待っているのだ。暇を潰すために娯楽を与えることなどは一切していなかったから、彼はいつでも高い天窓を見上げているか、目的もなく爪先を弄っているか、寝ているか。どちらにしても酷く退屈で長い時間をそうして浪費しているのだ。浪費、とはよく言ったもので、彼は本当にただ命を垂れ流すように浪費している。それを強要したのも私なのだけれど、元より彼自身あの部屋を出る気は無いようだ。

外界は彼にとっての恐怖の対象であるから、太陽だけは焦がれているようだけれど、それ以外には触れようともしない。彼にとっては今や私が全てであるという事実は、やはりこんな時にでも私を悦ばせてくれた。だからこそ、それに報いるためにも、私は精一杯に彼の身を、心を案じた。

 

私が彼のことでもう頭を埋め尽くしている間、周囲の話題は先日から始まった御巡幸で持ちきりである。表には出さぬものの、まるで興味の無い私は退屈にワイングラスを揺らしていた。

私の傍に侍る一際煌びやかな女はこのパーティーの主役。細々と生き延びていた華族の一つ、金剛家の御令嬢だ。そもそも華族とは言っても、大昔に既に華族制度が廃止されているのだから、天皇専制の今だとしても政治的な実権はまるで無い。もっと言えば、例え家系図があったとして結局は自称に過ぎないのだけれど、彼らはそれを何よりの重宝としているという事実は言うまでもないだろう。

私はそんな下らない人々、それこそ私にとってはこれこそが凡愚の象徴との会話を僅かとも愉しんではいなかったのだが、年相応の社交性はそれを柔く隠してくれた。お陰で金剛の御令嬢は終始ご機嫌な様子で、終いには私を少し離れたバルコニーへと誘い出し、たわわな唇を震わせながら、最近彼女を虜にしている秘事の告白を始めた。
「誠司さん、私が今何に心を奪われているかご存知ですこと?」
「さあ、見当も付きません。でも貴女を虜にするくらいなのだから、さぞや美しい男の彫刻ですか?」
筋肉が隆々と浮き上がった異人の男を想像したのか、頬を赤らめながら彼女は私の肩に軽く細指を掠めた。興味も面白くもない陳腐なクイズ。それでも私は、よくよく出来た顔の筋肉で微笑んで見せた。
「どうやら外れのようだ」
もじもじとシックなドレスのスカートを捏ね繰り回していた彼女は、上目遣いで私を伺う。
「はしたないと仰らないで下さいね?」
彼女は私が快く頷いたことで観念したようで、元々高い声を潜め、クイズの答えを教えてくれた。
「大声では言えないのですけれど、最近見世物小屋がオープンしたの」
「……見世物小屋?」
私にしてみたら、それは少々意外な答えであった。だから聞き返してはみたけれど、実際それも一瞬で、彼女が続きを言う前には既に興味は失せていた。

しかし聞き返してしまった負い目から、バルコニーに漏れる絢爛な灯火を受け煌めく瞳を嘘でも覗き込んだ。
「それが、普通では無いの。どこから集めたのかは分からないのですけど、まだ年端もいかない奇形児たちがその特異な能力を披露するらしくて、それで一番の人気が……」
そこまで言うと、御令嬢は周囲に素早く視線を巡らせ、注意深く私の耳元で囁いた。
それまで然程興味の無かった私も、その時ばかりは珍しく粗野な声を上げた。当然彼女は慌てふためきながら、私の口元を手で覆った。普段ならば悪寒のするようなその行為も、私には然程響かない。それほどに彼女が漏らしたその見世物小屋の趣向は、衝撃的な内容であったから。

異形のものを見世物にしたその小屋の一番人気は、観客の目の前で行われる、交接ショー。思わず眉を顰める私を見上げながら、なおも彼女は続けた。
「それでね、何でもそのショーの目玉は、屈強な殿方に可愛がられる……白銀の髪の美少年だそうよ」
その後も彼女は会員制の見世物小屋の話を興奮気味に語っていたが、私の心臓は強く握り締められたかのように痛み、冷や汗ばかりが酒で火照った身体を冷やしていった。

 

白銀の髪の、美少年──まさか、夕があの部屋を抜け出し、そんな淫猥な見世物になっているのだろうか。しかし触れたら折れてしまいそうなあの痩せた身体で男を呑み込んでおきながら、私の前では顔色一つ変えないなど考え難い。何より、彼が外に出るなどあるわけがない。だがもし、私の夕がそんな下賤な見世物になっているとしたら?

それを思うだけで、私の心は未だ味わったことのない、絶望感にも似た焦燥に蝕まれていった。

「誠司さん、どうかなさって? お顔が真っ青」
突然、私の泥濘のような思考に突き刺さった高い声は、一気に私をそこから引き摺り上げた。
「ああ、すみません。少し、酔ったみたいだ」
私は顎先まで伝った汗を拭い、何とか微笑んで見せる。彼女は心なしかホッとしたような表情を浮かべ、自然な動作で私の腰に手を回した。
「まあ、あちらでお休みになられた方が……」
「いいや、今日は失礼するよ」
あの手この手と引き止める御令嬢を軽くあしらいながら、私は今すぐにでも飛んで帰りたい衝動を必死で押さえ付け、優雅に帰り支度を始めた。

預けていた荷物を受け取り、失礼のないよう挨拶回りをした後、屋敷の玄関先まで彼女は甲斐甲斐しく私の世話を焼いた。鬱陶しいとは思いつつも、私は礼の代わり、車に乗り込む直前に一度振り返って問うた。
「その見世物小屋というのは、どこで?」
一瞬驚いた顔をした彼女は、訝しげに眉を顰めながら答えをくれた。
「なんでも先日廃都指定を受けた廃墟群にある、裏横丁の奥だそうよ。ねえ、興味がお有りならご一緒に……」
「いいえ、万が一にも近付かないためです。貴女もお父様が心配なさるから、お転婆もそろそろ潮時ですよ」
そう言い残し、私は屋敷を早々に発った。彼女がどんな顔をしていたかなど興味は無いし、そんな余裕も無かった。

一刻も早く、真実を知りたい。見世物小屋のその人物が、私の囲っている青年なのかどうか。彼は秀でて身体も小さく、驚くほどに華奢であり、加えて終始虚ろな堅苦しい表情は、大人と子供の境目を浮遊しているように見えるものだから、少年と取られても何ら不思議ではない。

 

私はこの時に、どちらの結果となっても訪れるものは何であるかを知っていた。それが彼であるという絶望も、彼ではないという絶望も、平等に私の心を傷付けてゆくだろう。だが、だからこそ、私は知らねばならなかった。私はただ私の思い通りに生きる彼の忠実に飽いて、彼によって齎されるであろう苛辣な背信に餓えていたのである。

他国から見捨てられた我が国では、今や道を走る車の全てが電気自動車である。故に、完全に降り切った夜の帳の中を車が駆け抜ける間中も、私はあの屋敷から一寸たりとも離れていない気がしてならなかった。精神ばかりが先走り、肉体は私の思い通りにはならず足踏みを繰り返す。四角い硝子窓の向こうで移り変わる景色さえ、どこか現実味を帯びてはおらず、それは若かりし日に隠れて見た異国映画のシーンを記憶の底から引きずり出したかのように思われた。私にとって音とはそういった明確な輪郭を持っているもので、音のない車は、今の私にとってみれば疎ましい存在でしかなかった。

 

私はほとんど無意識のうちに、彼の痩けた頬を平手で打っていた。手加減などは一切していないお陰で、よろけたそのままに尻餅を付いた一連の動作は、意図せぬ動き故の醜さがあった。ぐにゃりと曲がる関節の柔らかさや、手と足、頭部と身体が別の意識を持って、別の命の中を生きているようなアンバランスさ。その醜さは、私が持ち得る美の観念からは遠く離れた所にあるようでいて、だがごく近く、それこそ最も親密な距離においてこそ存在すべきもののように思われた。
「何で、こんなことをするの?」
床に尻を付いたままそう問い掛ける彼の頬に、私は二度、三度と平手を振り下ろした。張り詰めた皮膜が破裂する時に発せられる音に似た悦楽の響きは、鼓膜を通り過ぎて私の最も閉ざされていなければならない深淵の精神を犯す。
彼はやはり、私の欲望に忠実であった。もしも彼が私の理不尽を、その美しさを微塵たりと崩すことなく、ただ頭を垂れて甘受するだけであったなら、私は彼に向けた感情の何一つを残さずに捨て去っていただろう。
彼の細い鼻に浮かび上がる皺や、偽りのない媚びた怒りの眼。それが酷く醜い故に、彼の容貌は際立って美しかった。

 

ここで一つ、知っていてほしいことがある。我々の愛する凡庸こそが、稀有な残虐性の好む最良の餌であることを。つまり平和とは、図らずも大きな犠牲を払わなければ手に入れることの出来ぬものであり、そしてまた、混沌への潜伏期間に過ぎないのである。

 

これが私と彼の変移の始まり、第二章である。

© 2026 鴻上縞 ( 2026年9月13日公開 )

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