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カマルグの情景

合評会2025年7月応募作品

小林TKG

ギリギリのギリギリのギリギリのギリギリ。

タグ: #合評会2025年7月

小説

4,400文字

 ヨーロッパに属するフランス共和国。その国土の南側、南フランス、プロヴァンス地方と言われる場所。地中海の近く、面したところにカマルグという地名の所がある。カマルグ。ローヌ川が二股に分岐するアルルという自治体の南、デルタ地帯である。このカマルグの南部は大きな湿地帯である。カマルグ湿原地帯。この湿原地帯は生物保護地区としてユネスコにも登録されている。ここではフラミンゴ、オオフラミンゴが有名である。冬をアフリカで過ごしたフラミンゴは春から夏にかけてこの地にやってきてここを営巣地にする。毎年二万羽ほどが飛来してくるらしい。湿地帯の水の中にこのフラミンゴの群れ。それを見に来る観光客も居る。地平線まで広がっている湿地帯。夏の天気の良い日は、空が青く、緑も濃く、水の色もまるでホットチョコレートかバンボーデンのココアのようである。その中に色彩の鮮やかな白とピンク色の鳥、ベネチアポールハンガーの様な大きさの鳥の群れ。それはなんというか蜃気楼のようにさえ思える。錯覚なのではないかと感じる。見ていると現実の事なのかどうなのか自信が無くなってくる。

そんなカマルグ。湿地帯やフラミンゴが有名ではあるが、その全域が湿地帯、湿原地ではない。地中海に面した一帯には、塩湖がある。広大な塩湖である。見渡す限りピンク色で、まるでフラミンゴを溶かしたような色をしている。沢山のフラミンゴを捕まえて大きな銀のタンクに入れて溶液で液状にしてそれを撒いたみたいな。そんな色をしている。カマルグの塩と言えば知る人ぞ知る、ひとかどの人物には有名なものであるそうだ。成城石井なんかにも売ってるらしい。勿論製品はピンク色ではない。白い。彼の地で製塩された天日塩はペルル・ド・セル。塩の真珠と呼ばれている。

この地の土壌には塩分が多く含まれている。

北部は農耕地帯、農村である。ここでは稲作が行われている。フランス、ヨーロッパでは小麦が主要な穀物である。だから珍しい。ヨーロッパ全体を見ても珍しい。現にフランスで流通している米のほとんどすべてがここ、カマルグ産の米、カマルグ米なのだそうだ。

この地、カマルグが稲作、2万ヘクタールの水田が広がるフランス随一の米作地帯になった理由の一つは、この地の土壌が塩分を多く含むからだった。

その昔、アンリ4世がフランスを統治していた頃、国策として稲作がカマルグで始められたそうである。アンリ4世。カトリックとプロテスタントの対立戦争を終結させ、疲弊していた国家の再建に尽力した良王アンリである。しかし、その頃既にヨーロッパには小麦文化が大分に根付いていた。故にこれが一度廃れた。しかしその後、19世紀に入って、米、稲作を行う事で、その土壌から塩分が抜けるという事が発見されたのである。

ローヌ川のデルタ地帯であるカマルグの土壌はローヌ川や湿地帯の中にある海水湖、塩湖を有するヴァカレス湖のなどの影響で塩分が多く含まれていた。

それ故に、生育させることの出来る作物が限られていた。しかしこれを稲作を行う事で改善できるのではないか。そうして再びこのカマルグの地で稲作は行われるようになった。

しかし当初、それは人間が食べるための稲作、米作では無かった。土壌の改善と家畜のえさの為のものであった。カマルグでは牛や馬の放牧も行われていた。彼の地の半野生化したそんな白い馬たちは、スーホの白い馬にも負けず劣らず美しく、生き生きとしている。

稲作、米作を行い土壌から塩分を抜いたら、そこに今度は、小麦や菜の花やワイン用のブドウを植えた。二毛作用の稲作であったという事である。塩分濃度が高い土壌とはいえ、土地自体は場所柄温暖な気候、二股に分かれたローヌ川による豊富な水源によって豊かであり、遊ばせておく手は無かった。ただ少し癖があるというだけで。

そうして長らく人間が食べるためのものではない米作りを行っていたが、第二次世界大戦の頃、食糧難が深刻になり、それが故に、家畜の飼料用の米から人間が食べれる米の生産に切り替えられたのだという。最も、その方向転換自体は第一次世界大戦の頃から始まっていたそうだ。第一次世界大戦の後、フランスは当時の海外県であったフランス領インドシナの一部、ベトナムから労働者として大量の人員を確保していた。それが結果、この地の稲作の技術を向上させることになったのだという。

その後、国から米の削減命令が出されたり、イタリア米に市場を奪われたりして、カマルグの米、稲作、米作は幾度となく危機にさらされたが、この地で米作りをしなくなれば、それは結局のところ土壌の塩分濃度の増加を意味し、それ故に他の作物への影響をもたらした。これが今日に至るまでカマルグという地で稲作を行われてきた要因である。

現在も減少傾向にはあるそうだが、しかしそれでもカマルグはフランスで随一と言われる米の生産地である。フランスで米と言うとカマルグ米である。近年では、IGP、EUによる品質保証もされたりしているらしい。あとカマルグ米で作ったビールなどもある。ワインもある。

そんなカマルグ米。

丸粒種、長粒種等の種類があり、現地では、寿司、リゾットなどに用いられている。日本の米と同様に炊飯による調理が可能であり、口当たりは良いらしい。一晩経つと少しパサパサになるとの事。

湿原と塩湖と農地を有するカマルグ。白い馬、フラミンゴを始め野鳥の楽園としても知られている。そんなカマルグに19世紀のある時期、とある人物が訪れていることはこんにちあまり知られていない。

 

その男が倒れていたのを発見されたのは、東側のローヌ川のある場所であった。近くにいた農民が放牧されていた一頭の馬の様子がおかしいと感じて後を追って行ったところ、川辺に男が一人倒れていた。白い馬はその男に鼻先を寄せていた。

農民が助け起こした時その男は、元々はとても良いモノだったろうとは思うが、その時はもう図多袋にも思える様なボロボロの服を着ており、靴などは片方は無くなっていた。日陰に運ぶと男は意識を取り戻した。水を飲ませると名を名乗った。男は自らをフランソワ=ルネ・ド・シャトーブリアンと名乗った。

フランソワ=ルネ・ド・シャトーブリアン。

19世紀、復古王政時代の政治家、作家として知られている。コンブール伯爵の子、子爵である。何度となく時の政界、王政、権力者、その方針を批判しては、それらに嫌われて、追放されたりして命を狙われたり亡命したりしている。しかし何も嫌われるばかりではなく一時はその才能を認められてフランス駐英大使になったりしている。それでロンドンに在任したりもしている。またフランス革命が激化しているのを感じとるとアメリカに避難して、その地を旅行したりしている。その旅行をきっかけにして本を出したりしている。

上がったり下がったりしている。フランス、ロマン主義の魁、先駆者なんて言われたりもしているそうだが、しかし現代において彼の名を最も知らしめているのは、シャトーブリアンという名に他ならない。

シャトーブリアン。最高級ステーキ。牛のヒレ肉、テンダーロインと言われる部位の中央の最も太い部分の事を差す。牛1頭からとれる量は多くない。それ故に希少部位である。その部位、並びにそれを使ったステーキ。これを現代ではシャトーブリアンという。

これがシャトーブリアンと言われて広まった理由は彼がロンドン在任中に、大使館で出されたそのステーキを気にいったからとされている。それで大使館の晩餐会の度に、これを出すように指示した。そんで食べた。
「マジウメー」
「メシウマー」

と言って。

彼のロンドンでの在任期間は2年ほどだったそうだ。どれほどの頻度で食べたのか。晩餐会開く度にはしゃいだのだろうか。その様は、こうして現在に至るまで名が残るほどのはしゃぎぶりだったのだろうか。そうだろう。その肉を見るとシャトーブリアンが、彼のはしゃぎぶりが連想されるくらい出したのだろう。食べたのだろう。はしゃいだのだろう。他人の印象に残るほどの事をしたのだから、そうだろう。

そのシャトーブリアン子爵の事をパリからも遠く離れたカマルグの人間はまず知らない。全く知らない。そもそもこの時代パリでのことを知る術がなかった。800キロも離れた場所の事である。現代の800キロではない。19世紀の800キロである。

また、この話自体、説がいくつか存在する。

シャトーブリアン子爵が若い頃、1800年代初頭、自らの文学活動の為にこの地を旅行したという記録は残っている。地中海、それに面した地域を旅行した。この時の話というものと、一方では、大使としてロンドンへの在任後に解任されてからというもの。また、1830年の7月革命の後という説。色々とある。彼には放浪癖のようなものがあった。時間が出来るとすぐに旅行に出かけた。時勢の事に気を配る気持ちもあったし、国を良い方向に導きたいという気持ちもあった。文学に対しての愛もあったし、制作に対しての想いもあった。しかしそれと同じくらい放浪癖もあった。何より、放浪、旅行の結果によって生まれた作品が彼にはあった。それが評価されたという前例もあった。

このエピソードがシャトーブリアン子爵の、シャトーブリアン前、つまりロンドン在任前の事なのか、後の事なのかははっきりとした文献は残っていない。前者だった場合は、シャトーブリアン子爵がただのシャトーブリアン子爵だった頃。後者だった場合は、シャトーブリアンという肉の部位が広まった後、政界から身を引いた後の事。

カマルグ東のローヌ川で農民に助けられたのち、彼は近くの農村で手厚い介護を受けたそうである。そこで彼は米を食べたのだという。

その頃、米はまだ人が食べる用のものではなかったが、しかし、それは広く一般的に知られている歴史の話である。農村、農民というのはいつ何時も苦しい生活の中に身を置いているものである。上の勝手で、勿論それが国を立て直すための政策が故の事なのかもしれないが、しかしそれに伴って、税金だ、課税だと言われている。現代においてもそう変わらない。

手厚い介護を受けたシャトーブリアン子爵もここで米を食べた。それから肉、少しの牛肉も食べた。

ご飯の上には幾らばかりか少量の牛肉が乗せられていたそうだ。

この時彼の食べた米が炊いた米だったのかどうかはわからない。牛肉がシャトーブリアンだったのかどうかはわからない。おそらく違うだろう。余所では、パリなどの都会では捨てられるような、端肉、くず肉ではあっただろう。味付けはシンプルに塩湖の塩のみであった。

焼肉ご飯じゃん。

至高の。

焼肉ご飯じゃんそれ。

カマルグの雄大な情景、美しい自然。湿地帯。ローヌ川。それを前にした焼肉ご飯じゃん。それを食べた子爵の感想について、こんにち記録は見つかっていない。

© 2025 小林TKG ( 2025年7月24日公開

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"カマルグの情景"へのコメント 8

  • 投稿者 | 2025-07-25 12:41

    水カンの新曲だ! シャトーブリアンが人の名前だと初めて知りました。あの混乱期のフランスならこんなこともあったのかもしれないなと思いました。

  • 投稿者 | 2025-07-26 14:53

    TKGさん、何があったんですか? 最近歴史の話をいくつも書かれていて、最初はどれも作り話をホントっぽく書いてるんだろうと思ってたら全部本当の話で、何かの流行り病にやられたのではないかと心配しています。

  • 投稿者 | 2025-07-27 00:08

    わー! TKGさんだ! おかえりなさいませ! 靖彦さんも仰る通り、いつもと違う気もバリバリしますが、肉ウメーとか要所要所に出てくるTKG みに安心感がありました。めちゃくちゃホントの話で驚きました。冒頭からこんな説明文みたいな文章かけるんだなーと感心しました。すごいですね。

  • 投稿者 | 2025-07-27 09:59

    とっつきにくいと思いながら最後まで読むうちに面白さがじわじわと湧いて来ました。米、ほんと米食べたい、少量の美味しいお肉と一緒に、という感情も。

  • 投稿者 | 2025-07-27 19:26

    「シャトーブリアンは米を食った」を水カン展開するとこうなる?
    もう、良質な紀行番組を見ているようでした。本当に水カンにPVにしてほしい。

    湿原のフラミンゴ、塩の真珠、アンリ四世の頃に始まったヨーロッパでの稲作、アンリ四世と言えば、サン・バルテルミの虐殺、王妃マルゴ、なんてうっとりしていると、成城石井とかスーホーの白い馬とか出てくるし。

    前に拝読した『〇三三三の森』のマルミミゾウ以来の不思議な感動です。

  • 投稿者 | 2025-07-28 07:48

    世界の車窓から がはじまったみたい!!
    飛来するフラミンゴ、豊かな田園風景、塩湖…なんだか旅に連れて行ってもらえたような気持ちで読みました。米のお題でこんなに遠くまで飛んでいけるんだ…!と驚いていたら(一瞬シャトーブリアンすら、ワインのためのブドウの品種かと思うほど酔ってから)焼肉ご飯への着地!マジウメー!でした。

  • 投稿者 | 2025-07-28 17:35

    長〜い説明で引っ張った挙げ句の、まさかの焼き肉ごはん! マジうまそうです。
    ヤキニク・メシ・シャトーブリアンとしてぜひとも歴史に名を刻んで欲しかった。

  • 投稿者 | 2025-07-31 00:39

    勉強になりました!
    大江健三郎がウイスキーのグラスに煙草の吸殻をいれて阿川弘之の頭にぶっかけた…という知識を取り除いて、フランソワ=ルネ・ド・シャトーブリアンの知識を代わりに入れました。
    (シャーロック・ホームズ曰く、人の記憶はストレージのように大きさが決まっているらしいので)

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